ISISイベントレポート vol.1   2014年4月5日

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更紗制作・石田加奈さん

「ジャワ更紗するガイジン」 そ乃香vol.4

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 加奈さんはインドネシアではガイジンである。そのガイジンがジャワ島で失われつつある伝統的なジャワ更紗(バティック)を作り続けている。更紗は、ため息が出るほど美しく、震えるほどに精緻なかたちを表現していて、現地でbatik isisと呼ばれセレブリティの奥様方にたいそう人気なのだという。

 京都麩屋町にある加奈さんのお店「isis」の名は前から知っていた。「isis」にはジャワの古い言葉で川辺に吹く涼しい風という意味がある。加奈さんはイシス編集学校の関西支所「奇内花伝組」の先輩でもあり、イシス編集学校の編集術ワークショップ「浪花参座」でイシスの意味を説明するときに必ず紹介していたからだ。加奈さんとは去年の夏、函館で開催された「未詳倶楽部」ではじめてお会いした。おっとり柔らかな京都弁で話し、独特のエキゾチックな雰囲気をふわっとシュガーコーティングしたようなチャーミングな女性である。batik isisの生地で作ったと思われる素敵なブラウスやワンピースをお召しになっていた。

 そのbatik isisが豪徳寺イシスの本楼にやってきた。その数100枚以上。東さん率いるHIGASHI-GUMIの手になる空間のしつらえは壮観である。圧巻である。絶景でもある。

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 加奈さんの工房があるのはジャワ島チレボン。ここに一年のうち数ヶ月滞在し現地の職人たちと更紗づくりをしている。ジャワ島でも近代化の波は押し寄せていて、今や伝統的なジャワ更紗も絶滅の危機にある。加奈さんは昔ながらの伝統的な技術や文様を復活させることに力を注ぎつつ、日本感覚を活かした図案や色彩のアイデアも出しながら、独特のクオリティの高いbatik isisを作っている。完成までに一年かかるという手描きの更紗は一枚一枚がオリジナルで同じものはない。

 加奈さんが凄いのはそのオリジナルを保存しようとか一切考えていないことである。更紗の型を残しておけばそれはやがて膨大な財産になるはずなのだが、そういう気がない。今やbatik isisはインドネシアでは高級ブランドとして認知されている。オリジナルものには更紗の端にisisというロゴが入っており、これがないと満足しないという顧客もいると聞く。

 この姿勢はなんだろう。

 加奈さんに「それはとてももったいないことですやん」と問うても、「そんなんあんまり関係ないことやし、興味ないし」とやんわりかわされてしまう。美しいものを作っている人は、その美しさに無頓着なのだろうか。美しさというものは儚さと表裏一体なのだろうか。

 沖縄の首里織。読谷山の花織。喜如嘉の芭蕉布。太平洋戦争でほとんどの技術が途絶えかけたとき、現地に出向き古布を蒐集し調査研究をすることで沖縄の染織を蘇らせようとした人々がいた。中心となったのは民藝運動の祖・柳宗悦である。民藝運動に加わった人たちは、積極的に沖縄に学んだ。現地の人たちに聞き取り調査をした「沖縄織物の研究」は今も沖縄織物研究のバイブルである。芭蕉布の人間国宝平良俊子さんは倉敷で大原總一郎や外村吉之助に出逢わなかったら誕生しなかっただろう。芹沢銈介も細々と残っていた紅型を学ばなければ、型絵染めで人間国宝になっていなかったかもしれない。沖縄の染織が人を感動させるような美しさをもっていなければ、絶えていたかもしれないと想像してみれば、美しいものは必ず誰かの手によって必ず蘇る。
 加奈さんのつくるジャワ更紗もそういうことかもしれないと思う。もちろん、batik isisは現地でセレブリティの方々を中心にとても人気があるというし、職人たちもしっかり育っているようだし、技術そのものは途絶えることはないだろう。そうしたら、柄だって決して失われるようなこともないだろう。

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 たぶんそういう無心さを持つものだけが、美しいものを生み出すことができるのかもしれない。柳宗悦も言っている。「名無き工人によって作られた下手のものに醜いものは甚だ少ない。そこには殆ど作為の傷がない。自然であり無心であり自由である」と。ひとつだけ訂正しておこう。加奈さんの更紗は下手ではない。限りなく上手ものではあるけれど。

◎追記

 本楼で素晴らしいbatik isisを見ながら、どの更紗を買おうかとずっと迷っていた。かねてから更紗の布で帯を仕立てたいという野望を抱いており、今回は帯にしても映えるようなものを探すつもりだったから。あれこれ悩んだ末に、ファーストインプレッションで「あれだ」と感じたものを選んだ。さっそく呉服屋さんに相談した。もともと帯のためにつくられている布ではないので、後ろのお太鼓の部分と正面にどんな風に柄を配置するかで何度かやりとりをし、帯を結ぶとき手先を左右どちらでしているかの確認もし(端の柄をちゃんと配置するため)、三ヶ月ほどしてやっと出来上がってきた。裏は濃紺の綿地なので、盛夏以外締められる素敵な帯になった。どんなきものに合わせようかわくわくしている。

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とりあえず無地のきもの中心にいくつか置いてみたが、どんなきものにも合う。ジャワ更紗がすでに日本的感性にすっかりなじんでいるという証拠だろう。

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