にほん数寄 『うつわ』その9   

  • icon_14px
  • icon_14px
  • icon_14px
  • icon_14px

香水「 The Oriental」 のうつわ。

th_写真[10]

 バンコックのThe Orientalは憧れのホテルだった。もう三十年近く前のことだが、ノースウエスト航空のマイレージがたまりまくっていたので、ファーストクラスに乗ってバンコクに行くことにした。無料とはいえ、ファーストクラスに乗るのだから、ホテルは「 The Oriental 」に決まってる。いろいろ調べていたら(当時はインターネットなどないので、雑誌ガリバーかエイビーロードだったと思うが)「 The Oriental 」の二泊三日のお得なキャンペーンを見つけたのである。ダンスを見ながらの夕食やアユタヤ観光もついていたので、飛びついた。

 そこで、出会ったのが香水「 The Oriental 」である。もちろん、手に入ることは知っていた。雑誌だか、その当時よく読んでいた森瑤子の小説であったか定かではないが、ぜひ手に入れたいと思っていたのである。それは、格調高いオリエンタルノートでえも言われぬエキゾチックな香りがした。何より私を魅了したのは、セラドングリーンと呼ばれる美しいセラドン焼きのうつわに入っていたことである。

 セラドン焼きとは、タイ中部にあるチェンマイの土で焼かれる磁器。木灰の釉薬に含まれる鉄分が還元され、この美しい翡翠のようなグリーンが生み出されるのである。冷却するときに自然発生する貫入(ひび割れ)も魅力のひとつ。この「 The Oriental 」は、そのセラドン焼きにパゴダのような真鍮製の蓋がついており、なんともアジアンな魅力に満ちていた。

 とっておきの香水「 The Oriental 」は、少しずつ大事に使っていたが、やがてほとんどなくなってしまった。また買いに行きたいと思いながらも時が経ち、十年ほど前にまたバンコックを訪れる機会ができたので、喜び勇んで「 The Oriental 」を訪れた。

 香水「 The Oriental 」は幻と消えていた。

 ただ、うつわだけは、奇跡的にまだあったのである。あるだけ買った。中身は入っていない。なので、今でも、ときどき三十年前のセラドン焼きの蓋をあけ、匂いを嗅ぐ。かすかに、香りがある。往時のオリエンタルノートの残滓を確かめ、また蓋をする。