にほん数寄 『うつわ』その10   

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金襴手の豆皿。

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 古伊万里を集め始めた頃、何度か手を出した金襴手。名前の通り、赤絵や色絵に金彩が施されてい、今となっては自分でも少々悪趣味だったかもと後悔もするのだが、豆皿となるとそれはそれで食卓のアクセントにはなってくれる。

 豆皿は、お手塩(おてしょ)とも言い、薬味や漬け物、ちょっとした銘々皿としても活躍する使い勝手のよい皿で、これだけに絞って集めているコレクターもたくさんいるくらい人気である。京都てっさい堂のご主人のコレクションは有名で、「まめざら」という掌サイズの本にはその垂涎の蒐集がみっしりと掲載されている。眺めるたびにほんとうに涎が出そうになるのだが、小さくても意匠を凝らした形や絵付けなど、どのひと皿もため息が出るようなものばかりである。職人が手塩にかけて作るから、お手塩と呼ぶようになったのかもしれないと思うほどの出来映えである。ま、家にあるのは雑器ばかりだが、普段の食卓で使うには、まあこんなのでもよしとしよう。

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 面白いのは裏に書かれている銘である。「富貴長春」とある。もともと明では富貴長命と描いていたらしいのだが、伊万里などでいつのまにか長命が長春に変わったらしい。意味としては同じであるが、命を春と言い替えたほうが美しいし、冥加を願うにはこちらの方が断然ふさわしい。いつまでも健康で、長く富貴を謳歌できますように。そんな願いがこめられた縁起のよい言葉である。この時代は当然手描きであるので、ひと皿ひと皿微妙に手が違う。字の大きさもばらついているし、ちょっと稚拙な筆致もある。だけれども、命をつなぐ食の場で使うものに、願いをこめて言葉を入れる。言霊というが、昔の人はモノにも魂が宿ると信じて、文字魂ならぬこんな言葉を描いたに違いない。「富貴長春」という文字には、そんな昔の人のやさしい気持ちがこめられているような気がするのである。

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