にほん数寄 『うつわ』その7   

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古伊万里の白磁皿。

th_写真[7]

 濁し手(にごしで)という言葉をご存知だろうか。古伊万里の純白の素地のなかでも、やさしくあたたかみのある乳白色の肌合いをこう呼ぶ。その代表的なものが柿右衛門様式である。柿右衛門といえば、イコール濁し手と言ってもいいくらい斯界ではつとに知られている。1650年頃には現地の陶石に特別な原料を加え、さらに独自の配合によって、この濁し手が創りだされた。柿右衛門の場合、鮮やかな色絵が映えるようこの乳白色を活かした余白を取るのが特徴で、その絵付けスタイルには日本という方法が横溢している。埋め尽くさずに、あける。あえて、余白、余地を残しておく。それにより、色絵が効果的に引き立つということを陶工や絵付けをする人たちは感覚でわかっていたのだろう。

 佐賀の方言で米の研ぎ汁のことを濁しというのだそうだ。もちろん、柿右衛門の濁し手はその色そのものを指している。精米技術が格段に進んだ今では、米の研ぎ汁が白濁すること自体少なくなったが、それでもあの乳白色には日本人の心を揺さぶるような魂が宿っているのだと思う。

 この白磁の皿も、濁し手の色をしており、なんともいえないあたたかみがある。高台に少し高さがあるので、なます皿というよりは高坏のような趣もある。和菓子はもちろんのこと、写真のようにカラフルなマカロンや洋のスイーツを乗せても似合うし、ちょっとしたお惣菜や酒の肴(からすみの薄切りを大根にはさんだものとか、チーズ盛り合わせとか)を盛ってもよい。

 これが、同じ白でもジノリやウェッジウッドではそうはいかない。和のものを盛るとやはりかなりの違和感があるのだ。ところが、この皿だと、和でも洋でも(中華でも)しっくりとなじむ。米は、和でも洋でも中華料理にも合う。その研ぎ汁を連想して生まれた濁し手というだけあって、ジャパンホワイトには大らかな包容力と懐の深さがあるのである。