にほん数寄 『かぶき』その1   

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海老さまLOVE 。

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 タクシーで歌舞伎座へ向かっていたときのことである。運転手さんが「歌舞伎を観に行くお客さんをよく乗せますけど、海老蔵はやっぱり昔の役者に比べるとまだまだらしいですねえ」と言う。「え、どなたがそんなこと」と問えば、年配の見巧者からよくそういう風に言われるのだそうだ。そして必ず同時に語られるのが例の西麻布の事件のこと。真相もいきさつもよくは知らないし、第一そんなことはどうだっていい。役者は舞台の上で感動させてくれれば私生活など関係ない。そもそも、歌舞伎役者は傾いてこそ値打ちがある。

 運転手さんにはこう話した。「新之助時代の終わり頃から熱心に見ているけど、格段に成長しています。もう観られない昔の役者と比べることはできないけれど、新之助から海老蔵、そして團十郎へと大きな役者になっていくのを見守るのがファンというもの。なによりその成長の過程を同時代人としてリアルに感じられる喜びは格別ですよ」すると運転手さんは感に堪えない様子で「お客さん、凄いなあ。この話、タクシーの詰め所でみんなに言っていいですか」と言う。ふふ。どうぞ、どうぞ。私の心意気にまいったか。ファンとはそういうものである。

 海老蔵なんて、とマスメディアのイメージだけで語る人は多い。だけど一度でも海老さまの舞台を観たらそんなことは言えなくなる筈だ。まだまだオールマイティとは言えないし、精進の過程にあるにはあるが、海老さまにしかできない演目はずいぶんと増えてきたように思う。

 市川宗家の十八番と言われる荒事、鳴神や毛抜、助六や勧進帳なのスーパーヒーロー役などはもうすっかり海老さま独自の世界が構築されていて安心して見ていられるし、先代の猿之助に教えを乞うて作り上げている伊達の十役、義経千本桜の四切などはもうほかの役者の追随を許さないレベルにきているのではないか。新作の石川五右衛門や「色悪」と呼ばれるたとえば源氏店の与三郎や女殺油地獄の与兵衛なども彼独特の容姿もあいまってぞくぞくするほどの色気がある。最近では七月歌舞伎の「夏祭浪花鑑」の団七に鬼気迫るものがあった。間近で観ていて真剣に人間の心に潜む闇というものの怖さについて考えさせられてしまった。

 近頃はABKAIと銘打って積極的に自主公演を企画したり、歌舞伎×オペラ×能とのコラボレーション舞台にもチャレンジしている。こうも矢継ぎ早にいろんな舞台を企てているその裏には、このままにしていたら歌舞伎を楽しむ人がどんどん減っていく。若い世代を取り込んでいかなければ歌舞伎の未来はない。なんとかしなければ。そうした切迫したおもいが潜んでいるように思う。團十郎さんが逝って一年と半年。市川宗家の伝統歌舞伎をしっかり守りながらも、利用できるメディアはしっかり利用させてもらっていずれ若い人たちを舞台に呼びたい。海老様はきっとそう思っているはずだ。

 たぶん、今はもう少し海老蔵としてやりたいことすべてにチャレンジしながら己れを磨き、精進し、研鑽を積み、満を持して来るべき十三代目の襲名を迎えるのだろう。その日まで、活きのいい海老が跳ねるのを思う存分に楽しみ、味わい尽くしたい。

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◎海老様の本はいろいろ出ているが、村松友視氏のこれはなかなかよい。
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◎茂木さんとの対談集も。
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