千夜千食

第38夜   2014年2月吉日

  • icon_14px
  • icon_14px
  • icon_14px
  • icon_14px

神戸の江戸前「生粋」

豊かな瀬戸内ならではの
ツマミの充実と
正統派江戸前の仕事に痺れる。

写真[1]写真

 実はしばらくの間、地元神戸で鮨難民であった。

 しょっちゅう行っていた近所の鮨が凄いレベルで、私にとってはすべての鮨の基準となる得難い店だったのだが、ある日忽然と消えたのである。10年以上のつきあいだったのに、何の前触れもなくなくなってしまったのである。伝手をたどっていろいろ聞いてみたりしたが、誰もその行方を知らず、電話ももちろんつながらない。堅実で、金銭面でもしっかりしていたように見えた骨柄から想像しても、トラブルに巻き込まれたとも思えない。最上の瀬戸内海ネタを信じられないような良心的な価格で出すとあって、普段の鮨だけでなく、冬はふぐ尽くしやぶりしゃぶ、蟹なども楽しませてくれた店だった。その店がなくなることは、私にとってはほとんど死活問題だったのだ。

 打ちひしがれているそんな私に飲み友達のヨシヒコがここはなかなかだよ、と教えてくれた。

 生粋。

 名前がいいやね。洒落ている。

 なかなか予約が取れなかったが、ある夜期待に胸をふくらませ出向いた。神戸市東灘区。2号線に近い住宅街のなかに、あくまでもひっそりとその店は佇んでいる。入り口に近づくと「生粋」という表札が。店内には白木のL型カウンターが鎮座しており、小さな個室もあるようだ。この感じ、うん。旨い鮨の匂いがする。まずは、ツマミから。出るわ出るわ。瀬戸内海。鯛や鮃の舞い踊りである。うれしいことに香箱蟹も出され、以来すっかりファンになった。

写真[2]写真[3]写真[4]写真[5]写真[6]写真[7]写真[8]写真[9]写真[10]写真[11]写真[12]写真[13]写真[14]写真[15]写真[16]写真[17]写真[18]写真[19]写真[20]写真[21]写真[22]写真[23]写真[24]写真[25]

 今回は久しぶりの訪問である。ここは、毎回季節の葉っぱをカウンターの上にはらりと散らし、その上にツマミを置いてくれる。風情のある演出である。まずは、鮃。コリッとイカってる。脂ノリノリのよこわは辛味大根でいただく。ここで羹登場。はふはふ言いながら楽しんだ後は、大好きな鮟鱇の肝。白磁のうつわの上に、恥ずかしげに乗っている。ふっふ。ちゃんと仕事がされており、山椒がぴりりとアクセント。これがほんま絶品なのだ。焼き物は太刀魚。皮のパリパリ具合が絶妙である。切子のグラスに入っているのはのれそれ。ずずっと贅沢に飲み干す。織部に鎮座しているのは柚子。ふっふ、これは柚餅子ではなく、釜に見立てて中身は鱈の白子。もうたまりませんのよ、ほんま。そして大根や大葉をザクザク切ってくるりと手巻きし胡麻をたっぷりかけたシャキシャキサラダでちょっとブレイク。こういうアイデアもなかなか秀逸である。

 そしていよいよ鮨。まずは鯛。瀬戸内海を泳いでいた子。スミイカ。大トロ。コハダ。煮蛤。サヨリ。すべて江戸前の仕事がきっちりとなされている。シャリには赤酢が利いている。本日の雲丹は馬糞。季節によっては淡路島由良の赤ウニも登場する。ぶり。この子は氷見からやってきた。肝と一緒に和えたカワハギは小さな丼仕立てにしてくれる。こういう変化は大好き。食べながら小躍りしたくなってくる。そしてまたもや秩序正しい鮨の連打。赤貝。さっと炙ったのどぐろ。車海老。ふわふわではらりと口の中で崩れる蒸し穴。ううむ、旨い。そして〆はネギとろの手巻き。美味しすぎる。

 シャリを少し小ぶりにして握ってもらったので、もうぱくぱくいくらでも食べられる。ここのシャリ、好き嫌いがはっきりと分かれるようであるが、私はこの赤酢がきりりと利いてるのは嫌いじゃない。かつては関西風の甘めのシャリもよく食べたが、味覚の好みは変わるもの。今は、やっぱり江戸前の気風のよいシャリにすっかり身体がなじんだということか。さて、デザートは玉子。毎回ダブルでリクエストしたいが、我慢する。そして赤だし。最後にほおずきが出てくることもある。

 こちらでは日本酒はたいてい「生粋」というお店の名前のついたのをいただく。「生粋」で「生粋」。ああ、私「生粋」の神戸っ子だったら、「生粋」トリプルで悦に入れたのに。