千夜千食

第82夜   2014年5月吉日

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祇園「にしむら」

定番的名物があるというのは強い。
絶品の胡麻豆腐とこたえられない鯖鮨。
そこに大将のキャラクターが加わると盤石の店になる。

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 京都の、いわゆるカウンター割烹ではじめて行ったのが、こちらの店である。その頃ちょくちょく行っていた神戸の和食の大将推薦である。もう二十年前以上のことだ。以来、何度か通ったのだが、どうもタイミングが合わず、そうこうしているうちに京都のベスト、という店ができてしまったので、本当にこちらは久しぶりなのである。

 長い間ご無沙汰だった店というのは、自分の中のイメージと実際の誤差が意外とあるもので、あれ、こんなレイアウトだったっけと記憶の曖昧さに驚くのだが、それでも大将の顔や雰囲気はしっかりと覚えている。ここはミシュラン関西版ができたとき掲載拒否したとも聞いた。いい意味で“へんこ”の大将、嫌いじゃない。

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 この日の先付けは、定番の胡麻豆腐から。なめらかで端正な味にまったりした胡麻ソースがからむ。一匙で昔もたしかに美味しくいただいたことを思い出す。お椀は鱧と細かく叩いたオクラ。朱のお椀の中で、白と緑が美しく映える。京都らしい水のようなお椀である。この味が大好きなのである。ほっと一息つく。お造りは明石の鯛、そして雲丹。大昔、明石の最上の鯛を仕入れているという大将の自慢話(笑)を聞かされた記憶が蘇ってくる。その自慢をきちんと裏づける歯ごたえの素晴らしい鯛の状態であった。そしてここで、またしても名物鯖鮨が出る。これはもう絶品である。(秋から冬にかけては、たしか千枚漬けで巻くのである。今ではすっかり有名になってテイクアウトもできるらしい)八寸は、トウモロコシと空豆の天ぷら、厚焼き玉子。たこの梅酢。白ずいきとたいらぎの和えもの。奥は、山芋とろろに海苔。小さな盃に入れて出されたのはアワビの肝。これが、旨いのなんのって。焼き物は、鯛のお頭。魚はアタマが大好物。もう目玉の回りのゼラチン質には目がないのだ。骨までしゃぶりつくす。そう、私は猫またぎの女なのである。続いて、白味噌仕立ての炊き合せ。上に乗っているのは煮鮑である。日本酒は、純米大吟醸の桃の雫。これ一本。シメは豆ご飯。といっても、贅沢にも錦糸卵を散らし、その上にはローストビーフが乗っている。取り合わせが実にユニークである。デザートは苺のジュレがけ。

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 いわゆる京都の正統的な懐石の流れから行くと、こちらは少々個性が強く、いわゆる“アク”を感じる店かもしれない。すーっと流れていかないコース構成や、時折投げられる変化球がいろいろあるからである。だが、それも食のお楽しみの一部であると思うし、胡麻豆腐も鯖鮨もここでないと食べられない味になっている。独特のオリジナリティ、私はけっこう好きである。久しぶりに来て、改めてそう思った。

 大将は昔の印象のまんま、軽妙で饒舌な人である。ほとんどの料理の下ごしらえは奥の厨房でなされ、最後の仕上げだとか、お造りを切るという見せ場だけがカウンターでプレゼンテーションされる。その間も、素材の話、うつわの話、祇園の噂話など、途切れることなくトークサービスしてくれる。はじめて訪問したらしき若いカップルが二組いたが、祇園のそれなりのしつらえで普通だったら緊張するであろう空間である。その緊張を解きほぐす柔らかでフレンドリーな対応はこたえられないだろうし、佳き思い出として残るであろう。こういう肩肘張らない対応の積み重ねが長く愛される店づくりには欠かせないのだろうと思う。名店が立ち並ぶ祇園も、今や飽和状態である。味にさほど差がないのであれば、大将の人柄や対応が丁寧だったり、楽しかったり、心がこもっていると感じるほうに行きたくなるのは自然な感情であろう。また、機会をつくり、訪れたい店である。