千夜千食

第106夜   2014年7月吉日

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長門湯本「別邸音信」

文楽と萩焼と人の縁・・・。
たまたまが連れてきたセレンディピティ。
「 偶然・必然・陶然 」と出逢った宿であった。

 「杉本文楽」がきっかけとなり、文楽にもとうとうハマってしまった。ちゃんと本文楽も観るようにとの松岡師匠のお言葉もあったし、「曾根崎心中」という演目にもすっかり魅せられてしまった。文楽友の会にさっそく入会した。すると7月に山口県長門市で「曾根崎心中」が上演されるという。しかもドナルド・キーン氏の講演つきである。これは行かずにはいられないだろうて。さっそくチケットを手配した。

 公演があるのは日曜の午後である。金曜の夜は豪徳寺でイベント参加の予定があった。土曜日まる一日あるので移動は何とかなるだろうと高をくくっていたら、東京から長門までは恐ろしい時間がかかることがわかった。さて、どうしよう。いろいろシミュレーションしつつ、羽田から福岡まで飛行機で飛び、福岡から新幹線&在来線を乗り継ぐことにした。ついでにいい宿はないかと探していたら、雰囲気のよさそうなところが見つかった。予約する。

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 移動日当日。福岡から新幹線で厚狭(あさ)という駅まで約40分。ここから美祢(みね)線に乗れば長門までは約1時間。宿はその二つほど手前の長門湯本にある。厚狭駅に降り立ち感動したのは、美祢線が単線でしかも一両だけのワンマンカーだったことである。ローカルのたまらない風情にみちみちている。レールのまわりは草ぼうぼうで、山の中を縫うように走り、ノスタルジーに満ちた鉄道の旅が楽しめるのである。小学生のように運転手の横で飽きもせず立ち尽くし、あっという間に長門湯本に到着した。

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 長門湯本は温泉町。迎えのバスに乗り5分もすると今宵の宿である。大谷山荘の別邸「音信(おとずれ)」。名前がいい。近くに音信川というのがあり、そこから取っている。茶室コーナーに案内され、お菓子とお薄をいただく。すると。お薄の入った茶碗に何やら見覚えというか、手覚え(こんな言葉があるかは知らないけれど)があるのである。どこか懐かしいような感覚。うん、確かにこの茶碗の手触り、質感を知っている。あ。「このお茶碗、陶兵衛さんじゃないですか?」と聞いてみれば、「そうですよ、窯が近所にありますよ」と返事が返って来た。その瞬間、30年も前の記憶がありありと蘇ってきた。

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大昔、萩に取材に行ったときのことだ。取材を終え、せっかくだから何か気に入ったものを探したいと、とある店に入った。そこで出会ったのが田原陶兵衛さんの茶碗である。手にすうっとやさしく添い、枇杷色の肌がなんとも言えずあたたかい。両の掌でつつみこむように抱えていると、自分のものにしたくてたまらなくなった。しかし、店の人が「それは高いですよ」と言うのだ。思わずムッとして「高いって、一体いくらですか?」と聞いたが、本当にその当時の私には高かったのである。よう買わんかった・・・。だけど、その茶碗の肌合いを30年経っても憶えていたのである。萩はここからは遠いと思っていたのに深川窯というのは長門湯本にあるのだそうだ。しかも、田原陶兵衛、坂倉新兵衛、坂田泥華、新庄助右衛門、坂倉善右衛門という錚々たる顔ぶれの窯を擁する。不覚にも、迂闊にも、そのことをまったく知らずに来たのである。

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 早速、深川窯に出かけることにした。そして、田原陶兵衛窯であの懐かしい枇杷色に再会し、一通りほかの窯もまわった挙げ句に、また戻り、とうとうそれを手に入れたのである。当代の陶兵衛さんは個展で不在であったが、奥様とずいぶんお話をさせていただいた。偶然に導かれ、30年という年月を経て再会し、必然となった陶兵衛さんの茶碗。物語はもう30年ぶん、蓄積されている。

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 さて「音信」である。ここのエントランスからロビーへと続くインテリアは和と洋の大胆なミクスチュア。空間の広がりは南国のリゾートホテルの感覚であるが、庭は本格的な和の世界。この微妙なアイダをプレゼンテーションする匙加減がなかなか洗練されていると唸る。ただし、部屋の家具とテキスタイルのセレクトは、私の好みではあんまりない。コルビジェのカウチチェアなんぞ、一度入れるとそうそう交換はできないというのはよくわかるが。

 お待ちかねの食事である。

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 こちらの夕食は三土料理(土産・土法・土食)を基本にしており、大寧寺風典座(てんぞ)料理、一品出しの喰切会席、町家料理という三つのスタイルで供される。大寧寺は曹洞宗の古刹で、ここ長門湯本温泉のシンボルともいえる寺。西の高野山とも呼ばれている名刹でもある。その寺にちなんで典座料理は、黒い塗りの応量器で出される禅宗スタイルの精進料理。『飯』は新蓮根飯、『汁椀』は冷やしとろろ汁、『香皿』は須々保里漬、『坪』は胡麻豆腐、『平皿』はかんな冬瓜。その土地ならではのプレゼンテーションである。一気に気持ちが引き締まる。が、次からはお肴(あて)しだいと名づけられた喰切会席。()の中に献とあるのがうれしいような、楽しいような。もちろんここは山口であるので、獺祭の磨き二割三分がある。うん、満悦至極。前肴(初献)は八寸に相当する皿。鱚の風干し黄身焼、鱧と胡瓜の胡麻酢漬け、菱かにと蓮芋の琥珀寄せ、郷土料理という鯨南蛮煮、水前寺菜のおひたし・・・。獺祭が進むったらありゃしない。吸物(二献)は鱧の葛打ちである。清く、美しい味わい。生もの(三献)はきじはた洗い、焼〆とろ、車海老。また獺祭の杯を重ねる。焼物(与献)は和牛フィレのステーキ、、留肴(五献)は冷やし菊川素麺、そして食事となる。最後に町家料理と称して春巻きも出された。

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 ここでしか味わえないキャラクターと創意工夫。宿において何か大事かをきちんとわかった上での明確な差別化である。また来年、長門文楽のときは訪れたい。なにしろ、名前も音信(おとずれ)だもの。それに、偶然選んだ宿で30年前の必然がかたちとなり、うつわにも料理にも陶然とさせられた。そのうえ、ここのオーナーは二期倶楽部の北山さんとも親しいらしく、山のシューレに参加されたこともあるのだそうで人の縁という意味でもつながった。長く生きているとこんな経験もあるのだと感嘆しながらも、人生、いまだ旅の途中である。