アジアン食堂「チャムチャ」
30年ぶりの萩焼との出逢いで
強烈な「 記憶・追憶・回憶 」が蘇った。
ここにこなきゃ、そう、なおちゃんの店である。
田原陶兵衛さんの萩焼と出逢って(第106夜参照)、30年前の記憶が鮮やかに蘇ってきた。旅の相棒としてさまざまな場所に一緒に取材に出かけた彼女のことである。当時一緒に仕事していたカメラマン・通称おじいちゃんのアシスタントだったなおちゃんである。アシスタントといってもおじいちゃんが信頼している右腕のような存在で、おじいちゃんの人柄もあって彼がリタイアするまでつねに傍らにいた人である。
当時、我がクライアント様もかなりの太っ腹で、情報誌のためにどこでもいいから海外取材してくれと今では考えられないようなオファーをくれていた。ジャマイカ、スペイン、マルティニーク・・・。そのうち、インドネシア、シンガポール&マレーシアなど近隣諸国にはなおちゃんとふたりで行くようになった。萩行きもその一連で訪れた。行きたい場所を決め、全体構成をつくり、取材して写真を撮る。私が後に自分でも一眼レフカメラを持ち、ひとりで取材に出かけるようになったのはなおちゃんとの旅の経験なくしてはありえなかった。その頃、なおちゃんがプライベートでもよく行っていたのがバリ島である。バリ島取材のとき、インドネシア語も含め、アジアへの知識に舌を巻いたことをよく憶えている。そのうち、インドネシアからインドやネパールにも興味を広げて行ったと聞く。
おじいちゃんがリタイアすることとなり、なおちゃんはそれを機にカレー屋をやりたいと開店の準備を始めた。それからしばらくして店をオープンしたとの案内ももらっていたのだが、本当に不義理をしてしまい長い間訪れることができなかった。それが、萩焼と30年ぶりの邂逅を果たし、急になおちゃんと行ったあの旅のことを鮮明に思い出し、店というよりなおちゃんに無性に会いたくなったのである。
店があるのは西天満。えべっさんで有名な堀川戎神社のすぐ南にある。2年ぶりぐらいに会うなおちゃんは、昔と変わらないノーメイクとヘアスタイル。真剣に調理台に向かう表情はカメラに向かっていた昔と変わらない。変わったのは光を調整する露出計を持つ代わりに、包丁やフライパンを握っているということくらいか。ランチにいただいたネパールカレーは想像以上にスパイシーで美味しかった。一緒についてくる豆のスープをカレーにかけると、また味わいに深い奥行きが出る。ネパールカレーの辛さはひと方向への単調なものだと思い込んでいた私の先入観は、なおちゃんのカレーで見事にくつがえされた。
ランチは、3種類のカレーの中から選べ、野菜のスパイスサブジ、サラダ、自家製ピクルス、ターメリックライスでなんと700円である。夜は、カレーだけでなく、なおちゃんがアジア各地を食べ歩いてこれは、というものを彼女独自のアレンジで食べさせる。インド豆のせんべい、ネパールのポテトサラダ、タイの春雨サラダ、ネパールの小籠包、ネパール風豆のパンケーキ、海老の春巻き、チャウメン…。お酒はネパールのラム酒にインドワイン、マッコリまである。
夜は夜で、ちゃんと来てみたい店である。なにより、露出という光の調整をいつも真剣にやっていた人が、今はキッチンでスパイスや調味料をじつに見事に加減しているのだ。その料理がおいしくないわけないもんね。