千夜千食

第119夜   2014年8月吉日

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愛媛内子「かわせみ」

内子の町並みの中でひときわ目を引く端正な店構え。
中も予想した通りのインテリアとしつらえで
こういう店に出逢うと旅はまたいちだんと楽しくなる。

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 4月に金毘羅歌舞伎を観に行ったときに、内子文楽の案内チラシを配っていた。土日開催なので、週末を利用すれば簡単に行けることに気づき早速チケットを申し込む。ついでに母と妹も誘い、家族旅行も兼ねることにした。金曜の夜から実家に帰り、当日の朝高松から松山行特急いしづちに乗る。途中の駅で妹とも合流し、一路松山へ。松山で特急宇和海に乗り継いで約30分。内子の駅はローカルにしては立派な駅舎である。駅前には文楽の幟がはためいている。

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 文楽の前にまず腹ごしらえである。タクシーで八日市護国の町並みへと向かう。ここは江戸時代には大洲と松山をつなぐ街道で、お遍路道や金毘羅参詣道をも兼ねていたという。江戸期には和紙、江戸後期から大正にかけては木蝋の生産で栄え、莫大な富を得た商人たちが建築に競って投資し、その町並みが今も残っているのである。江戸後期、明治、大正とそれぞれの時代の建造物が建ち並び、白壁と浅黄色の壁には大いなる時が刻まれている。海鼠壁(なまこかべ)、虫籠窓、うだつ、鏝絵(こてえ)、懸魚(けぎょ)など伝統的な造形美もそここに見られ、観光客相手の店もあるにはあるがさりげなく古い町並みにとけこんでいる。

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 めざす店は、その通りの中ほどにある浅黄色壁の古民家。やきものや民芸が好きなのだろうことは、置いてある本や調度品を見ればすぐわかる。店内を見渡していたら、吉田文雀さんと竹本住大夫さんの揮毫を発見した。お店の人に尋ねると、最初文雀さんが書かれたものを飾っておいたら、それを見た住大夫さんが「わしも、書く」とおっしゃったのだそうだ。「寿」とある。おおらかで伸びやかな字に、お人柄が重なるような気がした。それにしても、はるばる文楽を観に来て、入った店が文楽の人たちが通っている場所だとはなんという偶然なのだろう。いや、これも必然として呼ばれたということなのだろうと思うことにする。僥倖である。

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 こちらの食事は昼も夜も予約制である。地元の朝市で売っている野菜、自家製のお味噌などを使った素朴な郷土料理というのを出す。うつわも昔はそうそうこんなお皿で食べたよねというような、なます皿や塗りのお椀。近くの川で穫れる鮎の塩焼きや紅しょうがの入ったお寿司、かぼちゃや山菜を炊いたもの、焼き茄子とオクラ。どれも、懐かしくなるようなにほんのお惣菜である。素性のちゃんとわかっている地元の食材を使い、きちんと丁寧に作ったものを食べる。こういうのこそが、今の時代にはひとつの贅沢なカタチではないかと思う。デザートは栗がゴロゴロ入ったきなこのアイスクリーム。これも懐かしい味がした。

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 知らない土地で出逢う食やモノ、そして人との交流がどれだけ旅を豊かにしてくれるだろう。文楽に興味を持たなければ内子という土地を訪れることはなかったかもしれない。旅というもの、何がきっかけになるかはわからない。だからいつもアンテナを全開にし、ぴん、と立てておかなければいけないのである。