千夜千食

第129夜   2014年9月吉日

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京都懐石「飯田」

とうとう、魯山人のうつわで料理をいただくことができた。
魯山人が魯山人を呼んだとしか思えない出会いである。
ここには情熱と技術だけではない美意識が横溢していた。

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 魯山人のうつわでお造りをいただいた。

 三日ほど前、山代温泉で魯山人が魯山人へと目覚めるきっかけとなった物語に触れる旅をしたばかりである。魯山人の創作への情熱とそのセンスについて、あらためて唸ったばかりである。大昔、ふるさとの香川県文化会館で「魯山人展」を見たことがある。展示しているうつわの横にはそのうつわに盛られた料理の写真があり、魯山人のうつわとはそこに料理を盛って完成するようにつくられていることがよく理解できるものだった。使ってはじめて生命を吹き込まれるうつわ。自分が作る料理がいちばん映えるよう、自分でうつわを作った魯山人。制作者と数寄者の幸福な一致がそこにある。だから、一度は魯山人のうつわで料理をいただいてみたいと思うのは、私にとってはきわめて素直な願望であった。

 それが、とうとう実現したのである。

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 場所は京都中京区。姉小路通と富小路通が交差する角を少し入ったところ。茶道具屋の建物をそのまま利用したというその店は、佇まいからしてこだわりの懐石を出す気というものに満ち満ちていた。ごめんくださいと玄関の戸を引けば、そこは洗練された風情の町家。カウンターを抜けて、奥にある座敷に通された。坪庭に面しており、過剰さから引き算した簡素さこそが洗練であることを教えてくれる空間である。残念ながら、料理の写真掲載はNG。店の流儀には従いたいが、せめて、魯山人のうつわだけでもと思い、うつわの端っこだけ載せさせていただく。

 本日のテーマは、どうやら「月見」であるらしい。お軸にも月という文字が見えるし、すすきも生けられている。先付けに出てきたのは、お月見の団子。百合根を裏ごしし寒天で固め団子に見立てており、つるりと端正な出汁を含んでいる。付け合せは雲丹にポン酢仕立ての煮凝りをまとわせている。染付のうつわがまた素晴らしい。日本酒はメニューに鄙願があったので注文した。鄙願もけっこう好きな酒なのである。酒器はオールドバカラ。お椀の中には名月が浮かんでいる。これは、豆乳を葛と卵で月に見立てた一品。凝っている。お造りは、オコゼである。京都でオコゼの造りをいただくのは、はじめてである。それよりもなによりも、枯淡という味わいのうつわに魅せられてしまい、どなたの作かと聞けば、それが魯山人であったのである。薄茶色のざらりとした肌に大胆な筆致ですすきのような線を引いている。そこへおこぜの造りが納まって、なんとも美しい調和である。ため息が出る。もちろん、お造りをいただいた後、裸になったうつわは、舐め回すように眺める。が、やはり皿の中央に造りを盛ってこそうつわも料理も映えるというのは、実際見てみるとよくわかる。

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 織部の角皿に乗って出たのは、さんまの炙り鮨に肝だれを塗ったもの。これを佐賀の一番海苔にはさんで食べる。ううむ。この炙り具合は、秀逸。続いて乾山のような凄い蓋物が出される。大胆な花のうつわである。蓋をあけると、城陽のいちじくにごまだれをかけたもの。なんとも上品で風雅な味である。そして、地味派手とでも表現したい乾山風のうつわのシブいこと。清水六兵衛である。もちろん、かなり古いものであろう。唸る。

 焼き魚はうつわはこれも年代物の青花である。心が震えるほど美しく、枯れている。続いてはメイタガレイを揚げ甘酢あんをかけ白髪ネギを乗せたものとドウマンガニ(ワタリガニの一種)に黄身だれをかけた品。つるむらさきとと梨の生姜漬けが添えられている。そして揚げなすに白ずいきを信田巻きにした煮物。金時草も美味しい。これがまた清朝で使われていたような緑釉の麗しいうつわに入っているのだ。龍がモチーフである。一文字に盛られたごはんは、長野県佐久市のお米。一口いただいた後は、イクラご飯である。ごはんは少なめにと思っていたが、イクラご飯は別腹である。

 もうひとつ別腹のデザート。一品目は、柚子をふったレアチーズケーキに、巨峰のジュレ。二品目は、あらら、懐かしい綿菓子である。これ、重陽の節句にちなんで着せ綿に見立てたものというから、なんとも手が込んでいる。ご主人はこのデザートを作るためだけに、綿菓子製造機を買ったのだと聞くと、しみじみと驚嘆してしまう。綿菓子の下には菊に見立てたきんとんが隠れてい、デザートひとつとってもちゃんと物語があることに気づかされる。最後はお薄をいただき、終了である。

 この店、前々から三浦さんからおすすめだよと聞いていた。その言い方は「京都で僕が知る限り最高やねん」という特別なものであったので、京都へ行く用事ができるたびに予約を試みていたが、ようやく実現したのである。

 茶懐石をベースに、ご主人の創意を高い美意識でプレゼンテーションしている店である。料理の腕はもちろんであるが、うつわも含めたしつらえというものに相当なこだわりを持っている。奥様が「もう、すべてうつわにつぎこんでしまう」とこぼすほどうつわ好きであることは、最初の一品でもわかる。和食、とくに懐石料理は、季節やテーマを受け、細かく使い分けることが前提であるから、いかにうつわを揃えるかは重要なことだろう。最近好きだなと思う懐石の店は、どこも若い修行時代からうつわを集め続けている人が多く、その成果が立派に店の繁盛と人気に結実している。こういう店主の志に触れると、早くから進むべき道が定まっている人は強いし、目標に向かってブレずにまっしぐらであることの尊さを思う。

京都でお気に入りの店が、またひとつ増えた。