学芸大学「チニャーレ」
天才シェフというのは
まったくどこに隠れているかわからないものである。
ここは、美味しいだけでなく予約の取りにくい店でもある。
学芸大学にすっごく美味しいイタリアンがあるの。一度行きましょう。ここ数年仕事を一緒にしているスタイリストのナカちゃんがいつも熱っぽく語る店。店自体がすごく狭いので入れる人数に制限があるうえ、めっぽう旨いらしいので予約を取るのが非常に困難なのだという。そして、何年か前、やっと予約が取れ出向いたのだが、さすがに噂に違わず素晴らしい料理の数々であった。こんな店が家の近所にあったらもうほとんど入り浸り状態になるであろうクオリティで、近くに住んでいるナカちゃんが羨ましいなと心底思った。
その後、何度も予約にチャレンジして、2回ほど伺った。ところが、シェフの腕前をほしいと思う人はやはりちゃんといるもので、品川あたりにできる大きな店のディレクションをするとか、こちらをたたんでそっちに行ってしまうとか、いろいろな噂を聞いた。その準備のため、店を閉めている日も多いという。ナカちゃん情報によると、直接シェフに電話してOKな日を確認してからでないと行けなくなってしまったのである。しかし、これくらいのことであきらめたりはしない。何度も日程を調整しつつ、やっと久方ぶりにお邪魔することができたのである。
こちらの店はカウンター5席のみである。かなりぎゅうぎゅうになって座る。花が活けられたカウンターにはキャンドルが飾られ、所狭しと野菜や果物、生パスタなども置いてあり、壁面の棚にはグラスや旅の本が無造作に並んでいる。シェフがたまたま彼氏で、その彼氏のアパートのキッチンに遊びに来ている。そんな感じの隠れ家然としたコージーなインテリアなのである。そのうえ女性率がきわめて高く、わいわいやっているうちに仲良くなってしまう。いつだったか、私のことを知っているという女性がいて、私も見覚えのある顔だったので、誰だったかしらといろいろ思い出していたら、ここ数年ハマっているブティックに勤めている人だった。そういう偶然もある。実に楽しい。
その日のおすすめは黒板に書いてある。いろいろ料理の内容を教えてもらいながら、注文していく。今夜は、まずは青森産平目と鯛のカルパッチョからスタートである。ぷりぷりである。またこの付け合せの野菜が美味しいのである。空豆、菜の花、小さなクワイ。すでに皿の中には春が満ちている。二皿目はのれそれのアヒージョ。大好きなのれそれがオイルの中にたっぷりと閉じ込められている。ワインは「MOLIN」2012 LUGANA CaMaiol。すっきりしたアロマの辛口である。続いてはホワイトアスパラのソテー、カルボナーラ仕立て。たっぷりのパルミジャーノがかかっている。これをすっきり辛口で流し込む。ううむ。まっことシェフは天才である。シンプルなのに奥深い味。卵好きを唸らせるカルボナーラ仕立てとは。参る。参りまする。そして、黒板に書いているときから気になっていた毛蟹のセビーチェ。セビーチェとは魚介類のマリネで、柑橘系の果汁を絞っていただく一品。イタリアではなくペルーの郷土料理であるらしいが、ここは東京目黒区。北海道の毛蟹なんだから、もう日本のイタリアンになっている。それに、付け合せにわらびを持ってくるというセンスに唸る。で、本日のメインは、和牛のイチボステーキにした。この美しい立方体。カリカリのポテトチップスが肉の食感に軽快なオノマトペをプラスしてくれる。普段あまり赤を飲まない私も、これにはブルゴーニュの赤を合わせてしまう。
大満足であるが、ここに来てパスタを食べないわけにはいかないので、雲丹のペペロンチーノを。ふふふ。これをペペロンチーノって言うのだろうかねえ。盛り沢山雲丹のパスタ、でいいのではないだろうか。それほど贅沢な雲丹の嵐である。当然、馬鹿馬である。パスタを堪能したら、どうしてリゾットも食べたくなって、空豆、菜の花、トマト、ゴルゴンゾーラのリゾットを注文した。春のエキスで炊いたお米。香りも、味わいも、鮮烈である。
このレベルであるから、これからイタリアンレストランを経営しようかという人が目をつけるのは当然であろう。だけど、カウンター越しに料理の相談をし、調理する姿を見ながら手際のよさに驚き、出来上がった料理を食べてその旨さに仰天する。そんなライブな感覚は、やはりこの規模だからこそ楽しめる特別なエンターテイメントだと思う。できれば、いつまでもここでお店をやってほしいな、と願うのは私だけではないだろう。次はいつ来られるかな。後ろ髪を引かれながら、店を後にした。