京都祗園「千ひろ」
京で食べる筍もいろいろあるけれど
これは超スペシャルな白子筍。
四月に運のいい人だけが食べられるんですって。
筍をしみじみ美味しいと思うようになったのは、ごく最近である。若竹煮を筆頭に、土佐煮や筍のお吸い物などをいただくと、春の滋味が五臓六腑にしみわたる。ふきやうど、わらびなどの山菜や、わけぎのぬた、あるいは卯の花など、若い時分には年寄りくさいと敬遠していたものが無性に好きになるのは、やはり年を重ねたせいかもしれない。
卯月の京。とっておきの筍をいただいた。いつもの店である。
まずはアスパラと菜の花の黄身酢がけ。上にはお出汁のジュレが乗っている。目の覚めるような緑に生命力漲る卵の黄色。自然の色というものの強さに目を瞠る。普段積極的に野菜を食べないのに、こういう一品だとがぜん前のめりになるのが我ながら可笑しい。続いては琵琶湖の鮎。この清楚で気品のある姿といったらどうだろう。琵琶湖産と聞くだけで、有り難みを感じるのがスノッブかしらん。この皿にもみずみずしい緑のいんげんが春を演出している。続いて、鯛の白子のポン酢仕立て。春の鯛のふくふくした命をいただく口福。
お待ちかねの小皿アソート。左からサヨリのカラスミ和え、鯛の白味噌漬けを軽く炙ったもの、鯛の子ゼリー寄せ、一寸豆、真ん中はホタルイカをたたいたものである。こちらは、これも楽しみで、酒飲みにはうれしい肴オンパレードである。菊姫のぬる燗をちびちび飲りながら、少しずつ旨肴をついばむ。お造りは、鯛に赤貝、マグロである。いつものようにお醤油だけでなく、細く切った塩昆布も出る。鯛などはお醤油より、ダンゼン塩昆布で食べたほうが旨い。
そして本日のメインの登場である。お椀の蓋には扇と短冊。蓋をあけると、ふわりと春の香気が立ち上った。蓋の裏には蒔絵の竹林が、お椀の中にはたっぷりの筍としんじょ。この香りと柔らかさは尋常ではない。これ、大原野の朝掘りで白子筍というらしい。大原野のある京都洛西地域の山林には、テンコと呼ばれる白い粘土質の土壌があり、炭酸カルシウムやミネラルなど栄養分が豊富に含まれ、最上の筍が育つのだという。しかも穂先が土からほとんど出ていない状態で掘るので、ほとんど陽を浴びていない。真っ白で繊維質が細かく柔らかいのはそういう育ちであるからなのだ。まさしくこれは筍界の深窓のご令嬢。季節も4月のほんのわずかなときしか出まわらないのだそうだ。こんなに厚切りなのに、びっくりするほど柔らかい歯ごたえなのである。こういうのを、妙味というのだろうか。
筍の余韻まだ冷めやらぬ間に、今度は小さなお椀。蓋をあけると、小さな雲丹丼である。天草の赤雲丹。ため息が出る。こんな贅沢を貪っていいいのかという後ろめたい気持ちになりながらも、心のなかで(せっかくだから、いいのだ)と思いながらいただく雲丹の旨さよ。
さ、後半戦だ。藍のうつわに入っているのは、小浜の桜鱒。ほろりと上品な身離れ。これも絶品である。おまけに、うつわは竹虎。これ、真ん中に虎が描かれているのだ。実に楽しい。白いのは湯葉をすり下ろしたもので、中には焼きバナナ。フルーツをうまく湯葉と組み合せるのは、千ひろさんところの得意技である。季節によって、桃やぶどうなどを使われるが、本日はバナナなんである。魚はめひかり。名前の通り、目に尋常ではない力を感じたので、アタマからがぶりとやる。揚げ物は、富山の白海老のかき揚げである。すだちをキュッと搾って、塩でいただく。
最後にもう一度、白子筍のごはんが登場。すでに満腹であったが、こんなものを出されては食べないわけにはいかない。人が手をかけた自然のやさしさから生まれた、しみじみと優雅な味わい。いやさ、こんなの知ってしまうと、この先困ってしまうではないか。
さすがは、京都の名店。垂涎ものの仕入れルートを持っている。
◎追記
三月に続いてまたこの店に来れたのは、海老様のおかげである。南座での特別舞踊公演。幕間には、立礼の茶席が出ていたので、桜を模したきんとんとお薄で一服。この日は、先斗町ご連中の総見であった。食事どきまで時間があったので、先斗町をぶらり。舞妓さんの後ろ姿があまりに可愛らしくて、後ろから写真を撮らせてもらう。芸妓さんの後ろ姿は、やっぱり粋。