千夜千食

第13夜   2014年1月吉日

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竹清の「ちくわの天ぷら」

おばちゃんの手ワザで揚げる
ちくわの天ぷらは間違いなく世界一。
思わずテイクアウトしたけんね。

ちく清3ちく清1

 高松は故郷だ。ここで生まれ、ここで15歳まで育った。実家は今もここにある。すっかり有名になった「竹清」は、私が小中を過ごした母校の国道はさんですぐ南にある。といっても中学生のときにはその存在を知らなかった。もっとも、その時代にうどんの食べ歩きなどという文化は存在しなかったし、学校帰りの買い食いも禁止されていた。むしろ県庁の東にあった「ごんな」のラーメンの方に興味シンシンであった。うどんがあまりにも日常生活にとけ込みすぎていたせいで、子どもにとってはラーメンの誘惑の方が断然勝っていたからだ。

 高校生のとき高松郊外のうどん屋に連れて行ってもらったのが、うどん外食の初めての経験であったように記憶している(連絡船うどんは例外)。大学生になり、夏休みに三越でアルバイトをする頃には、普通に外でうどんを食べるようになっていた。喫茶アズマヤ、讃岐製麺のセルフ店、名前は忘れたがブティックつねやの隣にあった小さいうどん屋・・・どれも大好きだった。セルフうどんの店が市内で目につくようになったのはその頃からではなかっただろうか。実家の近所にあったうどん屋(卸)も移転し、セルフうどん店として生まれ変わった。四国村には「わら家」ができ、帰省すると家族でよく行くようになった。

 やがて、満を持して「恐るべきさぬきうどん」が刊行された。この本がなければ、これほどのブームは生まれなかったのではないだろうか。読んでみると、知っている店もたくさん掲載されているし、何よりうどんを食べ歩くというスタイルは香川県民でさえも魅了した。私のように県外に住んでいる者にとっては、それはもうたまらなく魅力的な行為であったのだ。

 そしてある日、とうとう「竹清」の存在に気づく。

 母校の南隣。母の実家からは歩いて3分。何十年も目の前を歩いていたはずなのに、まったく知らなかった店。はじめて行ったときはわくわくした。妹は常連である。巧みなネイティブ高松弁でおじちゃんやおばちゃんとやりとりし、卵とちくわの天ぷらを注文する。そして、私はここのちくわの天ぷらにやられてしまったのである。

 うどんに関しては、正直もっと好みの店がある。だが、このちくわの天ぶらはもうどこにもない唯一無二の食感だった。外はあくまでも香ばしくカリカリ、サクッと噛めば中はふわりとどこまでも柔らかい。一本だけでは満足できない旨さなのである。自称うどん評論家の妹は、これは揚げ方に秘密があると言う。

 そこで、注意深くおばちゃんが揚げているのを観察していると、あるスペシャルなワザを駆使しているのに気づいた。ちくわを衣につけ油に投入した後も、おばちゃんは手の指を使って衣をちくわの上から何度も何度も小刻みに振りかけるのである。これによって小さな揚げ玉がちくわ表面にくっつき、独特のカリカリ、サクサクを生み出すのである。有名な半熟卵の天ぷらも同じ要領である。普通の人がやると間違いなく指をやけどするくらいの危険なワザだ。指が揚げ油の中に浸かるんだから。だが、長年天ぷらひと筋のおばちゃんは熟練によってまったく何ともない風である。

ちく清2

 今回は、後悔しないようにと、ちくわの天ぷらを何本かテイクアウトした。揚げたてのレベルには及ばずとも、冷えたのはこれはまたこれで乙なものである。

 おばちゃんの健康と、天ぷら技術の後継者育成を強く強く望む。

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