千夜千食

第15夜   懐古編

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宇高連絡船の「うどん」

デッキで食べる懐かしいうどん。
ついてくるカモメにも放り投げてやった
あの味はいつまでも心の中にある。

連絡船

 連絡船うどん。

 いったい、どれだけ食べただろう。

 高校は倉敷市のミッション系女子校。寄宿舎に入っていた。土曜日の午前の授業が終わると、岡山を経由して宇野まで在来線で出て、宇野から宇高連絡船に乗り、毎週のように帰省した。約2時間あまり。若い盛りであるから、連絡船に乗る頃には微妙に空腹になっている。いりこだしのぷんといい匂いに誘われ連絡船のデッキに上がると、そこにうどんの販売所があった。

 高校一年のまだ純朴だった私は、最初は遠慮がちにおずおずと注文したように思う。デッキで立ったまま食べるのも、少々憚られた。しかし、そこは場数というものである。毎週のように頼んでいるうちに、連絡船でうどんを食べるのが習慣化してしまったのである。いつしか、乗船しても船室には入らず、デッキに直行。うどんを注文して丼を持ち、甲板の椅子に座って食べることがささやかな楽しみになった。晴れた日の夕刻の瀬戸内海の美しさを発見したのも、うどんを食べながらだ。どこまでも青く晴れ渡った空、おだやかにたゆたう瀬戸内海。夕陽が島なみを少しずつ茜色に染めていく。カモメが啼きながら、連絡船がつくる波しぶきを追いかけるようにずーっとついてくる。ときどきは、うどんの切れっぱしを放り投げてやる。何十年も前の光景は今もありありと思い出せる。

 連絡船といえばうどん。この習慣は、神戸の大学に入っても頻度は極端に減ったがそれでも続いた。連絡船でうどんを販売していたお兄さんは、もちろん私のことをしっかり覚えてくれており、大学生になってからはほとんどただで食べさせてくれるようになった。就職してからはもっと頻度が少なくなったが、あるとき彼は私を見て「ほんま、大きいなったなあ」としみじみとため息をつき、またしてもただでうどんを食べさせてくれた。その後彼は出世してグリーン船室長になり、当然のように私をグリーン船室に乗せてくれた。もう彼の名前も覚えていないし、連絡船が廃止になってからは会ったことすらない。元気でいるだろうかとときどき思う。

写真th_写真[1]写真[3]

 高松駅の構内に連絡船うどんという店ができており、連絡船のあの味を引き継いでいると言うふれこみだったがまったく別物であった。いや、あのうどんはあの状況で食べるからこそ、おいしかったのだろうと思う。連絡船うどん。青春の味である。私のからだのいち部分は、きっとあの連絡船うどんでもできている。