回會扇子
端正かつ、貴重なご真筆の扇。
いかなるコミュニケーションに使っていくかが
目下の最重要課題である。
回會をつくった記念に、せっかくだから何かおそろいのものを持ちたいという声があがった。着物を着るという掟があるので、まずは扇子を作ろうということに。どうせなら松岡師匠に「回會」の文字を書いてもらいたい。具合のよいことに未詳倶楽部の旅が目前だったので、参加メンバーで詰め寄ってお願いした。(文字通り、詰め寄った)
今回もない藤の若旦那がいろいろと奔走してくれた。まずは扇子にする紙探し。京都中走り回って、何種類かセレクト。その中から選んでくれたのは表から透かすと丸が、裏から透かすと四角が浮き上がるという洒落た和紙。西陣の「かみ添」さん特製。「型押し」という古典的印刷技術で、多種多様の版木を使い、手摺りしてできあがる和紙は、惚れ惚れするほど美しい出来栄えである。これを扇形にカットしたものを、未詳倶楽部の現場へ持って行く。回會という文字を書いていただくためである。が、扇子という小さく繊細なものになるので、その場ではなく後日書いていただくということになった。当たり前と言えば当たり前である。我々から見ればスラスラと書かれるだろうと思われる師匠の達筆も、ご本人にとってはいろいろ吟味されていることは想像に難くない。十枚ほどお預けする。
出来上がったとの知らせとたまたま東京にいるときが重なったので、メンバーを代表して豪徳寺まで取りに伺った。男持ち用と女持ち用、巧みに文字を書き分けてくださっており、落款にも意匠が凝らされている。折れないよう厚紙で厳重にはさんで持ち帰る。これを再び若旦那に送り返した。
これで扇子本体の和紙は完璧。ここからはいよいよ扇子への加工である。請け負ってくださったのは京都の「白竹堂」さん。創業は亨保三年(1718年)。西本願寺前で「金屋孫兵衛」という屋号で寺院用扇子の店を開業。後に一般用の扇子も製造販売するようになり、なんと堂号の「白竹堂」は富岡鉄斎氏よりいただいたものだという。その歴史は290年というから、堂々たる老舗である。期待が高まる。
そしてついに完成。親骨は漆の溜塗りという本格的な仕様で、惚れ惚れするような出来栄えである。茶席でも使えるようにと茶扇子にしていただいた。茶席で使う扇子は、一般的に男性用は六寸、女性用は五寸とサイズが違う。ご挨拶するときはもちろん、お道具やお軸を拝見するとき、この扇子を膝前に置いて相手への敬いの念を表すために用いるのである。内側と外側の「境」をつくる結界の役目もしてくれる。普段は帯の左側に差しておく。(男性は袴の左側に刀のように差す)
扇子というと夏仰ぐために用いると思っている人も多いと思うが、本来の扇子とは儀礼や贈答、コミュニケーションの道具として用いられてきたという歴史がある。源氏物語の「夕顔」の巻で、源氏が白い花を見かけ所望したとき、隣の家の女童が白い花(夕顔)を扇に載せ光源氏に渡すくだりはあまりにも有名である。おまけにその扇には「心あてに それかとぞみる白露の 光そへたる 夕顔の花」という歌まで書かれていたのである。それがきっかけでその歌の贈り主である夕顔との恋愛沙汰にまで発展するのだから、まったくもって扇とは恋の小道具としてもたいへんに有効に使われてきたということである。今でも、お茶の先生へお月謝をお渡しするときには、茶扇子を開いて、月謝袋を載せ、差し上げる。
そういったコミュニケーションの道具である茶扇子。回會メンバーはまだ、今のところ回會のとき帯に差すくらいしか活用できていないのだが、いずれ本来の使い方も含め、洗練と遊び心に富んだ使いこなしを探っていかねばならんと思ってはいる。