にほん数寄 『うつわ』その3   

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微塵唐草の古伊万里。

th_くらわんか

 古伊万里の蕎麦猪口を手に入れてから、どうも古伊万里の染付が気になるようになった。雑誌「緑青」や「太陽」などを読み漁り、京の新門前や古門前の骨董屋をのぞいたりし始めた頃、中島誠之助氏の本に出合う。まだ「なんでも鑑定団」で世に知られるずっと前のことだ。中島氏は蛸唐草の名品をたくさんお持ちでグラビアページを眺めているだけでクラクラしたが、すでに江戸期の蛸唐草には高価な値段がついていて到底手が出ない。それに蛸唐草は柄の個性が強烈過ぎて、大事に飾っておくなら別だろうけど日常使うには難しいように思えた。花唐草や萩唐草というのもあったが、私が目をつけたのはみじん唐草である。みじんはあの木っ端微塵の微塵である。江戸も少し時代が下がってくると、花唐草を単純化した文様として出回ったらしい。この記号のような文様はたぶん幕末から明治にかけてのものであろう。これだったら普段に楽しむにはうってつけのように思え、なます皿や猪口などを少しずつ揃えていくことにした。

 手前のなます皿と呼ばれるサイズのものは、小ぶりではあるが、それなりの深さがある。なます皿というネーミングからもわかるように、なますを入れるのにちょうどいいのである。江戸の庶民たちが気軽に使っていたカタチというのがよい。私も食卓でおひたしとか、冷奴などを盛るのに愛用している。カステラとかケーキ、和菓子などを盛ってもなかなか具合がよろしい。なにしろ、このカタチ、別名「くらわんか」であるからね。

 くらわんか。食らわんか。

 そう、このなます皿は別名くらわんか皿とも呼ばれている(茶碗状のものはくらわんか椀)。伊万里やその隣の波佐見でうつわが大量生産され始めると庶民にも出回って、挙句の果てには淀川の飯屋が小舟で川を渡る客に「飯、くらわんか。酒、くらわんか」と呼び込みながら、こういったカタチのうつわに酒や餅などを入れ売っていたのである。客は、食べ終わるとその皿をどぼんと川に捨てるのである。今で言う使い捨ての感覚であろう。まったく、なんという大らかさであろうか、皿を川に捨てるなんて。ひと昔前まで、淀川の川底をさらえばこのくらわんか皿がざくざくと出たこともあるらしい。

 ま、このみじん唐草はいちおう唐草であるので、さすがにくらわんか手ではないだろうが、そういった使い方の歴史を知ると、たしかに江戸時代と平成の今も日本は地続きなのである。淀川の底には今もまだ少しはこの手の皿は埋まっているのだろうか。