にほん数寄 『うつわ』その6   

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蛸唐草の地図皿。

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 このファンキーな伊万里も父のところから我が家にやって来た。本来は皿であるので使うべきであるだろうが、今のところこれに何を盛るのがふさわしいのか考えあぐねているので、もっぱら飾り皿としてのみ存在している。正式には「蛸唐草の地図皿」という。いちおう、憧れの蛸唐草の入った皿ではある。

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 江戸天保年間には、こんな日本地図が描かれた地図皿がたくさん作られた。真ん中に簡略化された日本地図。まわりの海は蛸唐草でびっしりと埋め尽くされている。地図の部分は型押しによりぽっこりと盛り上がっており、そこに国名が描かれている。この絵柄は19世紀の典型的な流行だったらしく、寺子屋の普及や伊勢参りなどの流行によって大衆文化に勢いがあったこと、さらには伊能忠敬による日本地図の完成などを背景としておおいに流行ったのだという。当時の庶民たちはこういうのを見ながら国の名前とだいたいの位置を知ったのだろうかと思うと、実に興味深い。

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 絵付けした職人も実際にその地に行っているわけではないだろうから、地図あるいは先に作られた地図皿を見ながら描き写したに違いない。当時は「行基図」という最古の地図があり、どうやらそれに倣ったらしいのだが、「小人国」とか「女護国」などありもしない国名がありもしない位置に描かれている。薩摩の横に突如として現れる大和。これはどう考えても大隅の間違いであろう。京都の場所には平安城、江戸には戊辰城とあるのも、どういう基準で描かれているのだろう。デフォルメされた四国のカタチや微妙にズレている加賀と能登の位置、淡路島と三宅島の大きさがほぼ同じだったり、八丈島にいたっては淡路島より大きい。細かく見ていくと間違いやあれれ?というのがいっぱいあって、眺めていて飽きないし、そのアバウトさが微笑ましく、それゆえに惹きつけられる皿である。

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 まわりの蛸唐草も典型的な19世紀の描き方で、ぐるぐるっと渦を描いた後、ちょんちょんと蛸の足を簡略化している。私が憧れている伊万里初期の蛸唐草ならば、蛸の足にきちんと輪郭を描き足の中は少し薄い色で塗りつぶす濃淡があり、それはそれは美しいのである。それが、100年、150年経つとこのように簡略化されていくというのも面白い。それだけ大量生産され始めたということでもあるし、ま、空いたスペースとりあえずぐるぐるで埋めとこか、てなイージーさで描いたのではないだろうか。

 なんとなく作業場のおおらかな雰囲気と職人たちの能天気さまで想像でき、実に愉快な皿である。

参考サイト
「戸栗美術館」学芸の小部屋