千夜千食

第44夜   2014年3月吉日

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天皇バー「カレー揚げソバ」

いったいソバのバリエーションを
どれだけ隠し持っているのだろうか。
恐るべし、いや畏るべし、天皇バーの底力。

 かつての天皇バーで「海鮮焼きそばクイーン」という異名を持っていた。正確には、今の天皇バーではなく、多士済々なチャイニーズメニューが充実していたレストランバー時代の話である。

 金曜の深夜、終電近く。帰り道にその店があるものだから、あたりまえのように立ち寄り酒を飲む。もちろん深夜12時過ぎであるから、おなかはすでにぐーぐー鳴っている。まずは金曜スペシャルのヨコワのサラダを注文する。これはヨコワとブロッコリー、トマトをざくざく切って特製中華ドレッシングで和えた一品で、ヨコワのフレッシュな脂とトマトの酸味に、にんにくが利いたドレッシングがからみ、シンプルなのにきわめて奥の深い味だった。真人間ならここでとどまれるが、すでに悪魔の領域に入っている私はその一品が引き金となり、「マスター、海鮮焼きそばも〜」と注文してしまうのだ。そうしたらマスターがまた「卵は?」と聞くのさ。そうしたら「目玉焼き乗せでね」と言わずにはおられないではないか。しかし、その海鮮焼きそばこそまさしく魔王の味で、私は魅入られたようにほとんど中毒になっていた。

 中華麺を中華鍋で焼いて、焦げ目をつけパリパリにする。その上に、海老、いか、貝柱の中華三鮮に白菜、きくらげ、たけのこ、人参がたっぷり入ったとろとろのあんをかける。じゅっ。そしてマスター特製の焼豚の厚切りを二枚。私のスペシャルオーダーはその上にさらに目玉焼き(半熟で)を乗せるのだから、察するにこれだけで3,000カロリーはあろうかという贅沢さであった。このリッチな海鮮焼きそばにどぼどぼ酢をかけ、パリパリの麺をあんで少しずつ柔らかくしながら口に運ぶときの至福といったら、もう身悶えするほどの口福であった。箸休めに齧る特製焼豚は、八角の香りが上品に利いていて噛むとほのかな甘みがあった。

 マスターがその店をオープンさせたとき、二人いたコックの一人は後に「料理の鉄人」に出演し、史上最年少で陳健一に勝った天才的な料理人である。マスターの料理はその天才の直伝なのである。旨いに決まっているのだ。

 このあいだマスター(計算好き、統計好き)と話していたら少なくともその焼きそばを週2回は食べていた計算だから年100食。10年以上通っていたから1000食は食べているはずだと言う。千夜千食ならぬ、千夜千そば(笑)。我ながらあっぱれだ。

 現在の天皇バーは中華を作れるキッチンではないのと、特製焼豚を作るのには専門のオーブンが必要なので、今や海鮮焼きそばは幻の一品になってしまった。しかし、しかし、メニューは幻となったがその幻を作っていたマスターは健在なのである。

写真

 カレー揚げそば。

 また、なんちゅうおとろしもんを作るんや〜。

 中華麺の揚げたヤツ。そこへキャベツ、人参、たまねぎ、豚肉のあんがかかっている。一見シンプルなんだが・・・。ところがですよ。ここにカレーの風味がからんだら、一体どうなる?

 鼻腔にカレーの香ばしさがぷん、と来るのである。まとわりつくのである。ああ、カレーとは香辛料であったのだ、ということを再認識する。

 だが、このカレー揚げそば、まだ二回しか食していない。さすがの私も少しは真人間に近づいたのか、深夜の放縦を控えるくらいの自制心はついてきたようである。