千夜千食

第53夜   2014年4月吉日

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大阪「Sバー」

知る人そ知る一見さんお断りのバー。
ここがいかようにプレシャスな場所なのかは
実際に飲んで、食べてみないとわからない。

 アメリカに住む友人が前から一緒に行きたいと誘ってくれていた店があった。彼女はほとんどお酒を飲まないのにどうしてバーなんだろうと思っていた。連れて行ってもらって、その意味がわかった。きわめて居心地のよい空間なのである。

 まず、店主であるS氏のトークが神業なのである。カウンターに座ると、何を食べて来たのか、どれくらい酒が入りそうかということを問われる。それによって薦める酒が変わってくるからだ。たとえば脂っこいものを食べて来たなら、ジントニックで洗い流してさっぱりしてみては?といった具合。だけど、脂っこいときでも、鮨のときでも、私はここで最初に飲みたいのは断然ジントニックである。初めていただいたときの衝撃は今でもしっかり覚えている。これがジントニックであると言うのなら、今まで飲んできたジントニックはいったい何だったのだろう。そう思ってしまう出来栄えだったのだ。

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 使っているジンは英国ブルームズベリーのジン。ボトルはいかにも本格派という感じでどこの銘柄なのかはよくわからない。あまり追求してはいけない雰囲気も漂っている(笑)。このジンにグレープフルーツのわたの苦味をプラスし、トニックウォーター、ライム、仕上げに杜松(ねず)の実を入れるのである。この杜松の実=ジュニパーベリーこそが、実はジンの正体である。ジンは、これをアルコールに漬け蒸留したものなのだ。そしてそれよりもなによりも、S氏がつくってくれるジントニックの美味しさをなんと表現すればいいのだろう。アルコールを飲んでいるはずなのに、ピュアな清涼さとか爽快さを感じるのだ。「森に散歩に行く感じ」これはS氏の受け売りだ。

 しかも。ジントニックで口中を爽やかにした後、杜松の実を齧る。S氏いわく、口は受け皿であり、その皿でさまざまな要素をミックスさせ、味を完成させるのだと言う。こんなこと、今まで誰も教えてくれなかった。そういうトークがまったくもって神業なのだ。

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 ジンで世俗の脂を落とした後は(笑)、いよいよスコッチタイムである。こちらの二大看板が、スコッチとバーボンの品揃え。店内にはお目にかかったことのないボトルがところ狭しと並んでい、目移りして困るのだが、素直にこの後どうしたいかをS氏に相談するのがいちばんよい。すると、まだ森に入っている感じ?森から出てみたりする?アイルランドの高原を訪れるのもよいね、と神業トークが誘ってくる。で、やっぱりアイラのシングルモルトかなあと言えば、「ああ、一気に岸壁に行ってしまうか」などと言われるのだが、このメタファーだらけの会話の楽しさは格別である。

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 ここに最初連れてきてくれた友人はアルコールが飲めないので、彼女がそのとき飲んでいたのはホットアップルサイダーだった。ひと口飲ませてもらったが、天然のおいしい林檎をふんだんに使うとこうも甘味になるものかと唸る味で、お酒があまり飲めない人にはフルーツを使ったカクテルもいろいろ作ってくれる。写真は酔いざましに頼んだホット金柑。こういうのもたまらない旨さなのである。馬鹿馬。

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 そして、そして。特筆すべきは特製のケーキたち。そのときどきでいろんな種類を用意してくれているのだが、シフォンケーキにしても、チョコレートケーキにしても、素材を吟味して丁寧に作っているのがわかる味で、これがとてもとてもスコッチに合うのである。毎回黒板でケーキを発見してしまうと、ついつい頼んでしまう。

 こちらの店の品揃え、種類によっては世界で限定100本とか、今はもう手に入らない蒸溜所やメーカーのものもたくさんあるという。ワイルドターキーの過去の陶器ボトルのコレクションだけでも垂涎モノであるし、私の好きなラガブーリンのおそろしく高価なヴィンテージものも置いてある。(これは何かスペシャルな記念のときに飲むと決めている)神業トークと、それを支える酒のセレクトとコレクション、料理の腕前、すべてが高次にそろったプレシャス・バー。ああ、次はいつ行けるだろう。