金沢「小松弥助」
やさしく、あたたかな気配に満ちている。
それは取りも直さず大将が醸し出す人柄のせいである。
予約はいつも取りにくいが、この店があるから金沢に行く。
噂はいろいろ聞いていた。どんな鮨を出すのか、それがどんな風に旨いのか、なぜアパホテルの中にあるのか。行ったことのある人からは、大将のさまざまな伝説がいろいろ脚色されて面白いように語られた。初めて行くとき金沢の駅からタクシーに乗り行き先を片町のアパホテルと告げると、運転手さんに「弥助」さんに行かれるの、とも聞かれた。雑誌の鮨特集でもいつも常連である。こんなふうに、行く前から詳細な事情やプロフィールが語られる店などあまりない。(次郎もそうかもしれない)
だけどはじめて伺ったとき、ああなんだかんだと言われてはいるけれど、結局みんなこの人柄に惹かれて来るのだということがよくわかった。とにかく、この店には何かとてつもなくやさしい気配が満ちているのだ。開店直後の一回めだったせいもあり、全員が席について大将の登場を今か今かと待っており、するとお職の登場とばかりに大将がカウンターに入るのだが、それがちっとも嫌味じゃない。いつも微笑みをたたえている人っているけれど、大将もそんな感じの柔和さ。そしてひとりひとりに親密な様子で声をかけていく。「どこから来たの〜」とか「今日はお天気がいいね〜」「おいしい鮨食べていってな〜」てな具合。そうしてひとりひとりにどう食べるかを聞いていく。基本はおまかせである。この時点で、全員が笑顔になるのである。
やっぱり度肝を抜かれたのは、噂に聞いていた口の中でふわりほどける握りである。あらかじめネタに切り込みを入れたり、細かくしているので、口の中に入れるとシャリとネタがすぐさま渾然一体となるのである。なかでも、吃驚したのはすでに切るだけの状態になっているイカをカウンターで三枚におろすのである。そのおろして薄くしたイカを今度は細かく刻み、それを掌に適量とり握るのである。こんなイカの握りははじめてであった。(このイカの三枚おろし、金沢では流行っている。若い鮨職人や料理人がこぞって真似るのである)このイカを幸せそうに頬張っていると、大将に「おいしそうな顔して食べてくれてるなあ」と言われたことがある。そういうコミュニケーションも含めて、口福だけでなく、降伏させられる店なのである。
今回でもう足かけ7年くらいになるのだろうか。昼間だけれど、加賀鳶の純米大吟醸をまずはちびりちびり飲る。最初のアテはざくざくと切ったマグロにこのわたをかけたもの。これね、あきまへんのよ。マグロだけだったら、普通で終わってしまうところだけど、これにこのわたをかけようという発想がさすがに手だれ。お昼ということを忘れそうになる。続いて、鯛、バイ貝、中トロ。これもご覧のように、鯛も食べやすいように切り込みが入っているし、中トロもざくざく切っている。この一見無造作にやっているように見える作業が、実は口の中で繊細な味を引き出すための巨匠が行き着いたテクニックなのかもしれない。ここでもう少し何かいる?と聞かれたので、もう少し、と言うと、例のイカと雲丹が出る。お昼の日本酒は一瓶と決めているので(それでも300ml入ってる)ほんとうに、ちびちびと飲る。
そして握り。まずはマグロのズケ。こちらもお約束の切り込みがちゃんと入っている。そして、今回はテーブル席だったので、盛り合わせで例のイカ、甘エビ、バイ貝、煮はまぐり、大トロの炙り。そしてトロにとろろをかけ雲丹を乗せた小どんぶり。シメはうなきゅうの手巻き。ここまでが一人前の握りである。これで足りなきゃ、追加でお好みを言うシステム。穴子とネギトロでシメた。
昼だけの営業で11時半スタート、終了は4時頃。御年80を超えていると聞く大将がこのサービス精神でお昼三回転もしたら、たしかにとてもじゃないけど夜の営業はできないだろう。カウンターの中にいるのは大将とお弟子さんひとりだけだし。このお弟子さんがまた、非常に段取り良くてきぱきと下ごしらえなどを仕切っていて、いつも見ていて気持ちがいい。大将にはいつまでもお元気で握りつづていただきたいと切に願う。
◎追記 その1
こちらのテイクアウト鮨がとても楽しい。その名も「弥次喜多」というばくだん鮨おにぎり。細かく刻んだネタを醤油で和え海苔で包んだものを具に握るおにぎりで、関西に帰る日に立ち寄ったときはいつもお願いする。サンダーバードの中で、これを頬張っているとホントに弥次喜多道中しているみたいで、無性に愉快な心持ちになってくる。
◎追記 その2
私はこちらで使っているうつわもとても好きで、作家さんを奥様に教えていただき何年か前にその作品を手に入れた。ただし、この握りが乗っているのは、今はもう焼いていないと言われあきらめていたのだが、今回この写真をうつわ屋さんにしつこく見せるとオーダーできるということになり、ついに念願の弥助皿(勝手にネーミング)が手元にやってきたのである。別に家で鮨は握らないけど・・・買ってきた鮨をこの皿に盛るだけで気分が違うやね。