千夜千食

第130夜   2014年9月吉日

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旅館「くらしき」

経営は変わってはいるが、宿の風情は変わってはいない。
倉敷という地の文化的歴史を今も語る老舗の宿。
民藝好きにとっては、聖地のような場所でもある。

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 私にとって、倉敷というのはとくべつな地である。子供の頃何度か大原美術館には連れて行ってもらったし、高校時代は倉敷の寄宿舎で生活したにもかかわらず、倉敷という町の良さがわかったのはずっと後のことである。

 きっかけは、民藝である。この日本再発見物語の追体験をしているうちに、こんなに近くに、しかも自分とも多少のゆかりある地が、その運動を支えた中心的場であったことを知る。民藝運動に大原孫三郎という実業家が賛同しなかったら、駒場の日本民藝館は建設されなかったかもしれないし、今の倉敷の町のかたちもずいぶんと違ったものになっただろう。

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 エル・グレコで知られる大原美術館だが、私はここへは民藝コレクションを観に行く。バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司、芹沢銈介、棟方志功・・・大原孫三郎との親交によって駒場に匹敵するくらいの名品が展示されている。並びにある倉敷民藝館も、ゆっくりとその世界に浸ることのできる大好きな場所である。そして、長年一度は泊まりたいと思っていた宿が、旅館「くらしき」であった。遠い記憶の中に(たぶん雑誌かテレビだと思うが)、着物を着た臈長けた女将の姿があり、泊まるにはそうとうな経験を積まなければと思わせるような迫力が感じられた。ところが、縁というものはあるもので、二期倶楽部の山のシューレで知り合った女性が旅館「くらしき」の女将であったのだ。しかも彼女は同郷人。今では、高松が誇るあの企業が経営支援をしているのだという。ぐぐっとこの宿が精神的に近くなったのは言うまでもない。いつかは、泊まりに行かなくてはと思っていた。

 その機会は案外早くやってきた。松岡師匠が主宰する秘密倶楽部が倉敷で開催されることになったのである。金曜の夜、前乗りして旅館「くらしき」に泊まろう!というアイデアを早速実行に移す。

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 旅館「くらしき」は倉敷美観地区の真ん中、倉敷川が曲がるところに建っている。入り口の看板は、芹沢銈介氏の手になるもの。もうこれだけで、民藝好きにはたまらないのである。宿は、江戸時代の旧家砂糖問屋の母屋と米蔵三棟を改装しており、問屋時代の本瓦葺、白壁、格子窓、土間、雨戸、欅の柱や梁をそのまま活かしている。手がけたのは倉敷国際ホテルや倉敷アイビースクエア、倉敷市民会館などの建築で知られる浦辺鎮太郎氏である。大原孫三郎、總一郎の父子二代の後ろ盾を受け、当時まだ倉敷レイヨンの営繕部長だった時代の仕事だという。昭和32年完成というから、古民家改装などがポピュラーになるはるか前にこういう改装アイデアがあったということに驚く。古いものを大事にしながら、少しずつ修繕し、次世代につなぐ。高度経済成長時代以前は、そんなものを大切にする精神があたりまえのようにあったのだろう。

 つまりこの旅館は、倉敷という町が観光地化される前の大原孫三郎、總一郎父子の志と尽力、浦辺鎮太郎の才能、そして当時の女将との人的つながりでできあがったといっても過言ではないのかもしれない。

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 そんな宿の歴史を反芻しながらチェックインした。「蔵の間」という部屋に案内される。米蔵の棟をそのまま利用しており、一階は座敷とベッドの置かれた寝室、二階にも座敷がある。何人かで泊まれば楽しそうだが、今回はひとり。部屋がもったいない。いくつか部屋が空いているというので、三部屋続きの「奥座敷」を見せてもらい、そちらに替えていただくことにした。旅館の方では、お一人様だと広すぎて寂しくないかと気を遣ってくれていたようだが、大丈夫。広いところに一人は好きなのだ。

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 夕食は、庭に面したテラス席でいただいた。瀬戸内海の海の幸中心の懐石スタイルである。地元森田酒造の日本酒「荒走り」がなかなかよい。お品書きが行方不明ゆえ料理の説明は省かせていただくが、まだ若いであろう女性が給仕をしてくれた。老舗の手だれの仲居さんというわけにはいかないが、こちらの質問に一生懸命に応えようとするその気持がすがすがしく、好感が持てた。わからないことはわからないから聞いてきますの一言は重要である。ここのスタッフはみんな若かったが、それぞれが真摯に目の前の仕事をしていたように思う。企業経営であるということは、効率も求められるだろうし、スタッフの入れ替えなどもあるだろう。だが、老舗の看板を背負い、名に恥じない接客を心がけようとする気持ちがあれば、名旅館としてこれからも長く愛されるだろう。

 当日女将さんは不在であったが、翌朝、隣の珈琲館で少しだけ話をする時間が持てた。老舗の宿を引き継いで運営していく苦労はさぞや大変だろうと想像するしかないが、倉敷の町や人々に教えられ、助けられているという言葉が印象的だった。大原孫三郎の、そして先代の女将の時代から、この地はそういう場所や人を育てていく懐の深さがあるのだろうと思う。次回は、司馬遼太郎や棟方志功が好んで泊まったという「巽の間」に泊まってみたいと思う。

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◎旅館内のショップで、「匠たちの名旅館」という素晴らしい本を購入した。旅館「くらしき」も、もちろん掲載されている。

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