千夜千食

第148夜   2014年11月吉日

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同窓会@日比谷聘珍樓

小中を同じ学び舎で過ごした幼馴染たち。
三年ぶりに企画された東京組を中心とした同窓会は、
この春急逝した友を偲ぶ会となった。

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 不惑を迎えた歳。中学卒業以来25年ぶりに大々的な同窓会が故郷で開かれた。親しい友とはちょくちょく会ってはいても、卒業以来という友も何人もいて、第一40歳ともなると男性の中には少々毛髪が心許ないのもいて、遅れて行った私は最初案内された部屋の扉を開けた瞬間、あ、ここじゃないと、別の部屋に向かおうとしたのだが、ウエイターにここですよと制され、愕然とした記憶がある。小中一貫校であるので、9年間ずーっと同じクラスだったという友も何人かいる。しかも中学の三年間はクラスも担任も変わらない環境であったから、全員がある意味兄弟や従兄弟のようなものである。

 以来、不定期に同窓会を重ねてきた。東京の大学に進み、そのまま東京で就職という人たちがけっこう多いので、誰かが上京するとか、誰かの昇進祝いであるとか、いろいろ口実をつけ二三年に一度は会っている。

 その友の中で塩田光喜君というのは、とくべつにユニークな存在であった。中学からの編入組であった彼は、大柄な紅顔の美少年で、ずば抜けた頭脳と博覧強記の知識でもって、社会などの授業中に自身の知識や講釈を披露し始めるともう誰も止められなくなり、まさに独壇場となるのであった。教師すら苦笑しながらご高説に聞き入っていたような記憶がある。運動神経には恵まれなかったのがご愛嬌で、図抜けて風変わりなそのキャラクターはみんなから愛された。

 東京大学に入学したと聞いたときはやっぱりねと思ったし、卒業後アジア経済研究所へ入所し文化人類学者になったと聞けばなるほどねと頷いた。東京での同窓会でまた会うようになってからは、ときたま電話で話したりするようになった。ニューギニア滞在中の経験を本にした「石斧と十字架」は別の友人のすすめもあって楽しく読みその感想を交わしし、大阪に住んでいて文楽へ行かないのはもったいないと、昨年引退した住大夫さんの義太夫を聞くように何度もすすめてくれたのも彼である。

 その彼がこの春に突然逝ってしまったのである。好きな研究ができ本さえ読めればいいという生活人としては偏った環境で暮らしていたことは想像に難くない。好きなように自由に生きて、気儘な独身を貫いて、あっという間に逝ってしまった。

 今回の同窓会はその塩田君を偲ぶという主旨である。幹事が某メガバンクの取締役様であるので、場所は彼の庭である日比谷と指定された。大歓迎である。日比谷や霞ヶ関の夜など、普段わざわざ行くような場所ではないし、お偉いさんたちが日頃どんな場所に出入りしているかを経験するのは悪くない。その店は内幸町。富国生命ビルの28階にある。いかにも、「らしい」場所である。こういうデラックス中華、いや中国料理というべきか。人数がそろわないとなかなか行く機会がないし、同窓会のような集まりにはぴったりの場所である。ましてや今回は偲ぶ会であるし、まことにまことにふさわしい。ユニークだった彼の思い出話をしながら酒を飲み、広州名菜の数々をいただく。こちらは、文明開化と共に日本にやってきた老舗中の老舗。もういちいち、旨いとか不味いとかのレベルにはない店であろう。たいへんにけっこうであったし、こういう場で彼の話を思いっきりできたというのが何よりであった。

◎文化人類学者シオタ。

最後の本となったのが、「太平洋文明航海記」である。あとがきでアジア経済研究所の佐藤寛氏が『 「おわりに」のあとに 』という素晴らしい文章を書かれている。ぜひともご一読いただきたいと思う。

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