千夜千食

第212夜   2015年4月吉日

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名古屋「あつた蓬萊軒」

ある日、無性に食べたくなったひつまぶし。
そうか、名古屋で途中下車すればいいんだと気づき、
松坂屋までサッと行って、ちゃっと食べる。

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 仕事柄、東京日帰り出張というのがちょくちょくある。時間に余裕のあるときは、東京で食事して帰ることも多いのだが、この日、突然に、無性に、鰻が、それもひつまぶしが食べたくなった。そういえば、昔、名古屋で食べたひつまぶしはやはり美味しかったよなあと思い出す。思い出したとなると、もうアタマからその映像が離れない。ご丁寧に匂いの記憶までついている。

 そうなると、もういてもたってもいられなくなり、スマホで名古屋の松坂屋の営業時間を調べる。営業時間は22時まで、ラストオーダーは21時。時刻は18時過ぎ。今だったら、楽勝で行ける。よし、決行だ。結構だ。

 名古屋で途中下車となると、品川から名古屋まではあっという間である。勝手知ったる名古屋駅を飛ぶように走ってタクシーをつかまえ、一路松坂屋へ。たしか、あそこの「あつた蓬萊軒」はけっこう並ぶんだよなあと逸る気持ちをなだめながら、それでも小走りで向かう。すると、意外にすいており、あっけなくスッと席に案内された。

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 ふっふっふ。急に気が大きくなってきた。酒だ、酒だ。春の宵である。純米国盛というのをぬる燗にしてもらう。で、う巻きを注文する。鰻が食べたくて来ているが、卵は別腹である。ついでにきも焼も言う。忘れてはいけないので、一緒にひつまぶしも注文する。よしと。これで、心置きなく、ゆっくりできる。

 う巻きやきも焼をアテに国盛をちびちび楽しもうと思っていたら、いきなり女のコがひつまぶしを持ってくる。えっ。なんで今なの。思わず、「あのね、まだお酒飲んでるから、もう少し後に持ってきてくださるとうれしいんだけど・・・」とお願いする。うーん。お酒や肴を注文しているのだから、いつお持ちしましょうかのひと言があってもよさそうなものだ。居酒屋じゃないんだし。それよか、隣に座っているおじさん、ひつまぶし注文したよ。(と、心の中でつぶやく)私の予想では、私用に運んで来たひつまぶしをいったん引っ込め、それなりの時間を置いてそれを隣のおじさんに持って行くのだろうなと思っていた。それなら、合理的だし、誰も損しない。ところがである。あろうことか、その女のコ。私のひつまぶしを、何の躊躇もせず、隣のおじさんのところに置いたのである。いや、たしかに、私の分のひつまぶしが最終的に隣のおじさんに出されるとしてもだよ。それは見えないところでやらないといけない。隣の人用に出されたひつまぶしを、後にしてと言われたからと言って、じゃあ、これお隣さんに、はないだろう。おじさんにはすべてのやりとりが聞こえているのだ。いくら手を付けていないといっても、気は悪い。私がおじさんだったら、「あ、それじゃ、それ私がもらいます」と言うかもしれないけど。

 こういうのには配慮というものが必要であろう。ちょっとした機転さえあれば、店も、隣のおじさんも、聞いている私だって、気持ちよくなれるのに。隣のおじさんは、何も気にせず、置かれたひつまぶしを食べている。「すみませんね。こちらのが行ったみたいで」と言うと、「いやいや」と実におおらか。心のなかでアタマを下げる。

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 そうこうしているうち、お酒も残り少なくなったので、改めてひつまぶしをお願いする。小さなお櫃に、ぎっしりと鰻の蒲焼きが隙間なく並べられている。うんうん、これを食べたくてわざわざ途中下車したのだよ。まずは、見た目を楽しむ。ひつまぶしという名称は、ここあつた蓬莱軒の登録商標であるらしい。名前の由来で有力なのは次のふたつ。ひとつは、お櫃のごはんに鰻の蒲焼きをまぶしているからという説。もうひとつは、関西での鰻の呼び名まむしからなまったという説。前者のほうが、なんとなく気分ではあるな。

 食べ方は基本は好きなように食べてもちろんいいのだが、店は次のような食べ方を推奨している。まず。お櫃のごはんに、十字ですじを入れ、四等分する。一膳目。四分の一を茶碗によそい、鰻ごはんとしてまずは味わう。二膳目。四分の一をよそい、薬味のネギ、わさび、海苔などをかけて食べる。三膳目。また四分の一をよそい、薬味を盛り出汁をかけ、うな茶漬けにする。四膳目。いちばんお好みの方法で食べる。

 食べ方のスタイルを少しずつ変えるというだけで、鰻ごはんを食べる行為ががぜんエンターテイメント性を帯びる。ひつまぶしは、ひとりでも遊べるその典型のようなものだと思う。私がいちばん好きなのは三膳目に推奨されているうな茶漬け。なので、二膳目の途中から出汁をかけて食べる。三膳目も四膳目もうな茶漬け。ふふふ。

 あつた蓬莱軒の本店は、熱田神宮の門前町にある。この地は東海道の陸と海の分岐点であると同時に、東海道からだけでなく、美濃路、佐屋街道からも交通と文化の集まる場所で、江戸時代には東海道五十三次の四十一番目の宿場町として東海道随一の賑わいを見せていたそうな。創業は明治六年。当初は料亭としてスタートし、出前が多かったため、大きなお櫃に数名分の鰻丼を入れるようになり、それが今のひつまぶしのカタチへと発展した。備長炭で香ばしく焼いた鰻に、140年継ぎ足しているという秘伝のタレがからんだひつまぶしは、間違いなく名物といえるだろう。

 松坂屋店にしか行ったことがないので、いつかは熱田神宮参拝に帰りに本店にも行ってみたいと思う。