千夜千食

第213夜   2015年4月吉日

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両口屋是清「をちこち」

ひつまぶしの後のデザートにいいねと
名古屋駅で久々に手にした棹物「をちこち」。
これ、昔から大好物なんである。

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 両口屋是清といえば、「をちこち」である。昔、飲み友達だった山ちゃんが、名古屋に出張に行くから土産にをちこちを買ってくるぞおと連呼していたことを思い出す。彼は茶人でもあったので、をちこちの旨さについて大いに語っていた。それよりもずっと前にはコマーシャルで「を〜ちこ〜ち」と歌っていたのもよく憶えている。それに、何と言っても遠近と書いて、「をちこち」と読むのだと学んだのは両口屋是清さんのおかげである。

 万葉集にも「をちこち」は出てくる。

 『〜ももしきの 大宮人も をちこちに しじにしあれば 見るごとに あやにともしみ 玉鬘〜』これは聖武天皇が神亀二年夏、吉野の離宮に行幸した際に笠朝臣金村が詠んだ歌の一部である。大伴坂上郎女が詠んだ相聞歌 『真玉付く をちこちかねて言はいへど 逢ひて後こそ 悔いにはありと言へ』の中にも登場する。

 をちこちとは遠近であり、あちこちでもあり、彼方此方であり、つまりはhere とthereでもあるのだ。なんと含蓄のある美しい言葉であろう。うっとりするほど典雅でもある。

 両口屋是清は、寛永十一年創業。三百八十年の歴史を誇る名古屋の老舗である。銘菓「をちこち」は、はるかな山々の風情をイメージして名づけられたのだという。たしかに見るからに上品な風情である。真ん中に挟まれているのは羊羹に見えるが、これは大納言小豆を使った粒餡村雨である。そのまわりには白村雨、外側にもそぼろ状になった村雨餡。そう、「をちこち」とは村雨を五層にした贅沢な菓子なのである。

 村雨をご存知ない方に説明しよう。村雨とは、小豆と米粉と砂糖で作られた蒸し菓子(だいたいは棹物になっている)で、「をちこち」の外側のようにそぼろ状のつぶつぶ感があるのが特徴。生餡に米粉と砂糖を混ぜ、蒸すことで、この独特の形状になるのだという。村雨とは、にわか雨、通り雨、驟雨をさすが、そぼろになったつぶつぶをぱらぱらと降る雨に見立てたネーミングの妙には唸らされる。もともと和菓子の見立て力というものそうとう凄く、アタマに浮かぶのだけでも、時雨とか、鹿の子、錦玉、金鍔、洲濱、八ツ橋、落雁などなど枚挙にいとまがない。「をちこち」の真ん中は粒餡、白いのと外側はこし餡である。少しずつ村雨の状態を変えることで遠近を表現しているのかと気づくと、これはなるほどと膝を打つ絶妙な計算である。美しく凛とした五層構造でありながら、口あたりはほろほろっとやさしいところが昔から大好きで、世に言う(私の中だけかもしれないけれど・・・)村雨御三家はすべて試して、一等好きなのがこちらの「をちこち」なのである。

 ちなみに御三家のあとふたつは、京にある。鶴屋吉信の「京観世」と俵屋吉富の「雲龍」である。「京観世」はうずまき状にぐるぐると小倉餡と村雨を巻いたもので、こちらも観世水に見立てて京観世と名づけられているし、「雲龍」は巻き方を少し変形にすることで雲に乗る龍の姿を表現している。どちらのネーミングも秀逸であるだけでなく、それぞれの老舗の看板商品となっている。

 名古屋駅で久しぶりにもとめた「をちこち」。家に戻ってさっそく少し切った。抹茶を切らしていたので、煎茶を濃く淹れいただいた。村雨は口のなかで、ほろほろと溶けた。