千夜千食

第25夜   2014年2月吉日

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「洋々閣」でふぐ三昧

唐津にこの旅館ありと謳われる宿。
中里さんのうつわとふぐにもつられ
とうとう決行の日がやってきた。

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 十年越しである。大昔、有田焼き取材という仕事があり月曜スタートという予定だった。それなら週末を利用して前乗りできる!とばかり洋々閣に予約を入れたが、取材が火曜日からとなったのであえなくキャンセルの憂き目にあった。それからも何度も唐津行きを目論むも、タイミングがなかなか合わなかった。今回、金曜日に博多に入れば、土曜日泊まって日曜余裕で再び博多入りができることに気づき、即メールで予約した。

 条件はなかなか厳しい。まず、この時期にお一人様対応をしてくれるかどうか。ふぐも通常はお二人様からであろう。ところが、お一人様OKといううれしい返事をいただいた。さらに、ひとりでふぐというのは難しいでしょうかと問うたところ、女将さんから「フグは普通はお二人からですが、その日は他にもフグご希望の方がありますので、ご用意いたしましょう」という太っ腹な返事をいただいた。何事も言ってみるものである。

 洋々閣があるのは東唐津。玄界灘をのぞむ唐津湾と松浦川にはさまれた細長い砂州の切っ先に位置し、対岸には唐津城、背後には名勝虹の松原が延々と続く絶好のロケーションである。創業は明治26年、120年の歴史を持つ。

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 外観はその歴史を物語るかのような堂々たる佇まいである。だが、決して居丈高な印象はない。むしろ、おおらかな質実さが滲み出ているような雰囲気がする。石畳が敷き詰められた玄関で案内を請うと、すぐに宿の人が出てき、部屋に案内してくれる。よく磨きこまれた木の廊下。歩くとみしりみしりと宿の歴史が鳴る。長い渡り廊下の下には池があり、鯉が泳いでいる。二階の部屋に通された。窓からは枝ぶりの見事な松が植わった素晴らしい庭が見下ろせる。ほっとひと息つくと、まだ誰も入っていないお風呂をどうぞと勧められた。檜の壁で黒御影の浴槽のお風呂はすがすがしく、誰もいないので少し泳いでみたりする。(余談だが、旅館や温泉では泳ぐ。何歳になっても泳いでしまう)風呂からあがり、浴衣姿で手入れの行き届いた庭を散策する。1600坪の敷地に松は100本近く植えられているそうだ。

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 やがて時分どきになる。いよいよふぐ尽くしである。部屋で腕組みしつつお大尽気取りで待っていると、仲居さんが「お待たせました」と料理を運んでくる。先付けのなんと美しいことか。そしててっさの厚みを見よ。これをひとり占めできるのである。日本酒は佐賀の地酒を選んだ。 すべてのうつわが中里隆さん、太亀さんの手になる。目にも彩な伊万里の色絵や赤絵にくらべると、唐津は質実剛健な武士のような佇まいと表現しようか。その魅力は、余剰を削いだ端正さにあると思う。八寸は潔い白磁の皿。てっさが盛られているのは柔らかな枇杷色になった粉引の皿。青竹の箸が添えられている。ふぐの皮は灰釉の皿に、唐揚げは絵唐津の皿に。どのうつわもふぐの力強さをぐぐっと引き立てている。ふぐは玄界灘の荒波を泳いでいた気の荒い連中である。歯ごたえも向こうっ気もとびきり強く、一筋縄ではいかない魅惑の弾力である。当然のように旨い。ひとりでいるのをいいことに、うはうは、はふはふ、むしゃむしゃ、ぱくぱく、ときどきがぶがぶ。やがててっちりの鍋と素材が運ばれてくるが、この時点でもうかなり満腹である。しかし、てっちりを平らげた後には、ぞうすいも待っているのだ。気を取り直しぞうすいへの準備をする。フィナーレのぞうすいは、仲居さんがだしに米を投入し火加減を調節しつつ、かき混ぜながらつくってくれる。ふぐの滋味をあますことなくはらんだ極上の和風リゾット。その美味なこと。ああ、あかん。全部、平らげてしもうた。

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 冬は、ふぐだけでなく、あら尽くしという名物もあるようだ。次回は、あら尽くし。いや、その前に春から秋にかけてはおこぜが絶品だと言う。一年を通して、魚好き、うつわ好きを惹き付けてやまないコンテンツが充実している洋々閣。しかも時期によっては本家本元の隆太窯より充実しているという隆太窯ギャラリーもある。中里隆さん、太亀さんだけでなく、お嬢さんの中里花さんの作品も展示販売されていた。あれもほしい、これもほしいで、久々に爆発したことは言うまでもない。十年待った甲斐があった。