南森町の割烹「宮本」
新米と新酒の清らかな美味しさに
思わずハッとさせられ、居ずまいを正す。
日本人であることを再認識した夜。
会社のすぐ近所にお気に入りのカウンター割烹がある。が、予約困難であるために、ロケーションは近いけど遠い。行くときは早めに予約しなくてはならない。今回は、久しぶりの訪問である。
先付けに炊きたての新米が出て来てハッとさせられた。水分をたっぷり含んで、つやつや光る新米が一文字に盛られている。口に含むと、甘く、みずみずしい。杯に振る舞われたのも新酒。
そうして、はた、と気づく。新米、新酒の季節なのだ。
新嘗祭は11月23日。一般的には勤労感謝の日ということになってはいるが、戦前まではこの日は新嘗祭だったのだ。
新嘗祭とは、その年に収穫された米を神様に捧げる祭りのことで、天照大神が豊葦原中国(とよあしわらのなかつくに)に降って行かれる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に稲を授けたことを起源とするという。天皇陛下は今でも「豊葦原の瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者として、その年の新穀を天神地祇に供え、収穫に感謝されるとともに、御自らも召し上がっておられる。宮中祭祀のなかでも、新嘗祭は非常に重要とされる祭祀なのである。
そう考えると供された新米と新酒がこのうえなく神々しく有り難みのあるものに思えてくる。新米と新酒。ボジョレーヌーボー解禁などというミーハーな習慣が定着して久しいが、よその国のぶどうの新酒を祝う前に日本人としてすることがあるのではないか。そうなのだ。私たちは新嘗祭が終われば、新米を食し、新酒でその年の豊穣を祝うべきなのである。
折しも和食がユネスコの無形文化遺産に登録された。以下の4点がその特徴である。1・多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重。2・栄養バランスに優れた健康的な食生活。3・自然の美しさや季節の移ろいの表現。4・年中行事との密接な関わり。この4の年中行事との密接な関わりというのに、新嘗祭もぜひ加えたいところである。日本政府も伝統的な社会慣習としての新嘗祭にスポットを当て、「新嘗祭が終わると新米と新酒の解禁日」とするくらいの心意気がほしいし、JAや酒造会社もキャンペーンを大々的にやってみてはどうだろう。
ボジョレーヌーボーの解禁日は11月の第三木曜。2014年は11月20日だ。一方新嘗祭は11月23日。わずか3日違いで、フランスの酒造メーカーを喜ばすのと、「新米&新酒祭り(仮称)」をするのとどっちがよいのか関係者の方はよく考えてほしい。これは文化にも関わってくる話だと思う。
料理は、その新米・新酒に始まり、しんじょのお椀、氷見のぶり、真魚鰹、海老芋の煮物など旬の美味が活きたものばかり。あざやかな紅葉が描かれた乾山写しの向付にハッとさせられ、深まる秋と来る冬の一瞬のあわいを味わうという贅沢を楽しんだ。
宮本さんのような料理人は、新嘗祭をはじめとする年中行事を知悉し、伝統の食文化、食習慣の知識も豊富でなければ務まらないだろうし、日々の仕入れの中で季節の移ろいにも敏感だろうと思う。問題はそこへ出向き、和食をいただく私たちの文化リテラシーがそれについてゆけるかどうかだろう。こういったお店を心底楽しむためには、季節の風物を愛でる心の余裕はもちろんのこと、旬の食材や調理法についての知識、うつわへの理解、見立てを楽しめる素養など、日本文化の心得があればあるほど素敵だろう。何事も「通暁する」というのが文化を味わう秘訣である。ひと昔前の旦那衆というのは、たぶんそういう人たちだったのだろうと想像した。