千夜千食

第67夜   2014年4月吉日

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南森町の割烹「宮本」

五感を総動員して楽しみたいカウンター割烹。
清々しい空間にはいつだって季節の移ろいがある。
こんな店が近所にあるのが、嬉しく誇らしい。

 今年二回目の宮本である。今回は会社の女の子を連れてきた。勤続二十年。御年大台に乗っかった祝いも兼ねてである。フレンチと宮本、どっちがいい?と聞くと、間髪入れず「宮本」と帰ってきた。いいね、いいね。ナイスなセレクトだ。

 四月の宮本は、春の峻烈な香りで満ちている。

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 先付けは、ゆずを纏った赤貝の白味噌和え。これがはまぐりのうつわに入って出てくる。味覚と視覚で愉しむ貝の競演。もちろん日本酒はお気に入り新政のナンバーシックスである。お椀はアブラメ。葛打ちされて、ぷるぷると出汁のなかで震えている。下に隠れているのは蓬豆腐。木の芽の香りが春の野に誘う。お造りは鯛とすみいか、鮪。どれも最高の状態にキープされており、とくに鯛は心地のよい歯ごたえである。ナンバーシックスの後は同じ新政の杉樽貯蔵酒なまざけをいただく。焼き物は見事な筍である。いい状態のものが入った時しか使えないという京の筍。この時期、継続的にと努力はしているけれど、自然のものゆえにずーっとあるとは限らないという。出会えるかどうかは、まさしくご縁。こちらにもたっぷりの木の芽が添えられている。筍と木の芽。春にはこの取り合わせに勝るものはないと思う。視覚、嗅覚にまで訴えかけてくる季節のご馳走である。八寸は可愛らしいお重に入ったお寿司やお豆、玉子焼き、和え物。手前の桜の香合に入っているのは、筍の木の芽和え。春の風情を視覚と嗅覚で満喫する。そして歓声をあげたのが、ふつふつと煮えているしゃぶしゃぶ。上にたっぷり乗っかっているのは実山椒である。ぷちぷちが口の中ではじけ、ピリリとした辛さが、しゃぶしゃぶたれの甘さに喝を入れ、こたえられない美味を生む。

 木の芽と実山椒。知らなかったのだが、木の芽は山椒の若芽を摘み取ったものなのだそうだ。使う直前に軽く叩いて葉の細胞をつぶすことで香りが増す。いっぽう実山椒はちりめん山椒などに使われることが多く、こうして料理にスパイスとして使っているのははじめていただいた。同じ山椒でも、収穫時期とどこで取れるかによって成長の度合いが違うので同時に料理に使うということができるのだろう。狭いようで、南北に長い日本。桜前線のように魚も野菜も産地によって成長の度合いが違うというのはとても面白い。それに、それだけ流通が発達し、ありとあらゆる季節の素材を調達できるようになったということでもある。

 それにしても和食というもの、やはり四季のある日本という風土からしか生まれなかった料理であるとつくづく思う。今や、食のシーンにおいて、五感すべてを動員して感じられる春夏秋冬はここにしかないかもしれない。そして、四季の移ろいの狭間にある食材をいかに効果的に使い、来る季節と往く季節を楽しませるか。そこに料理人の資質のようなものが現れるような気がする。

 まだまだお若いご主人である。今後がもっともっと楽しみであることは言うまでもない。メニューは月ごとに変わるらしいので、頑張って毎月訪れたいと願うのだが、なかなかままならない。