千夜千食

第127夜   2014年9月吉日

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山代温泉「あらや滔々庵」

山代温泉は魯山人ゆかりの地である。
宿に残る看板や行灯にも、飾られているうつわにも
足跡が感じられ、とくべつな雰囲気で満ちている。

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 山代温泉源泉発祥の地である。江戸時代から十八代続く老舗の宿である。何より北大路魯山人と縁が深いということでもよく知られているのである。もちろんそれがやってきた理由のひとつである。

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 宿の玄関に入ると、左手、真っ先に目につくのが「暁鶏の衝立」。魯山人の作品である。お湯で傷を癒やす烏を行基が見つけたというのが山代温泉の始まりであるらしく(行基開湯伝説はけっこういたるところにあるが)、北陸ではいちばん古い湯だという。その烏を迷いなく自由闊達に描いているのが、魯山人らしいといえばらしいのか(酔った勢いで描いたらしい)。

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 魯山人は独学で書と篆刻を学び、朝鮮や中国で修行した後、京都や長浜で看板を彫るのを生業とし、その過程で金沢の数寄者と出逢う。この頃の名は福田大観という。その彫りの腕前に惚れ込んだ金沢の料亭や山代温泉の旅館の主人、陶芸家の須田菁華と知り合い、それをきっかけとして山代温泉での滞在が始まるのである。「吉野家」「須田菁華窯」などの看板をいくつも彫り、ここあらや滔々庵にも「あらや」という魯山人の手になる看板が残されている。仕事部屋として魯山人に与えられたのが、あらやのすぐ近くにある「魯山人寓居跡 いろは草庵」である。地元の旦那衆の庇護の元、魯山人は看板を彫り、旦那衆と書や美術について語らううちに、加賀料理や懐石料理を学び、やがて料理そのものを作る楽しみを覚え、さらには須田菁華(初代)の手ほどきを受け、焼き物に目覚めていくのである。山代温泉を中心とした加賀の文化と旦那衆と巡りあわなければ、あの魯山人は生まれていなかったかもしれないというくらい影響を与えた地なのである。

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 趣味人だったあらやの15代目当主も魯山人と親しく交わり、書画や看板などを注文してその生活を支えたという。宿のフロントの壁に飾られている看板の文字は、その頃に彫られたもので、たしかに並々ならぬ才能を感じる魯山人らしい大胆さがある。ロビーや廊下のそこここにも、部屋の床の間にも魯山人のうつわや書が飾られてい、目を楽しませてくれる。廊下には中川一政の書もあった。魯山人好き、日本美術好きにはたまらない宿なのである。

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 当然、食事も期待できるに違いない。源泉に浸かりながら、浴衣姿でくつろいでいると、そろそろ夕餉の時間である。菊の花びらをちらした地酒をまずはいただいて、先付けである。さすがにうつわが渋い。先付けを何種類か乗せた織部の傾いていることよ。数寄なうつわである。日本酒は「農口」という生原酒。能登杜氏四天王の筆頭と言われるあの農口尚彦氏がつくる旨酒である。お椀にも菊がちらされている。蓋の裏の蒔絵が美しい。お造りは北陸の海の幸。天然の塩を入れた小皿は色鮮やかな九谷。のどぐろの焼き物も、沈んだ色合いの九谷に盛られている。鴨のロースには、マスカットといちじくが添えられている。これを入れたうつわがまた渋い。この貫入だらけの枯れた風情はたまらない。あわびの味噌和えは、乾山写しの紅葉の皿で。夏の名残の毛蟹は、大好きな山本長左さんの藍九谷に乗せられて(加能蟹の本場で毛蟹を食すというのも乙である。ま、まだズワイの季節ではないからね・・)。そして、トマトの入ったすき焼き。食事はとろろごはん。デザートは水ようかん、メロン、きなこのアイスクリーム。若い仲居さんがていねいに運んでくれて、こちらの質問にすらすらと答えるとまではいかなかったが、ひたむきな誠実さには好感が持てた。そう、足りないものを補うのは、一生懸命さなのである。

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 食後は、有栖川山荘という別棟へ。山庭をまたぐ渡り廊下を抜けると、ほのかに明かりが灯る隠れ家のようなバーが現れる。樹齢数百年もの木々に囲まれた風情ある木造の一軒家。明治初期に天皇来館の命を受け、釘を1本も使わずに数年がかりで建てられたという。贅を尽くした意匠に囲まれ、食後のカクテルに酔う。

 北陸の食の旬は、やはり冬であろう。が、今は夏の終わり。タイミングを外した気もするが、それを差し引いても料理はどれも美味しいし、うつわはさすがに素晴らしいものばかりである。何より好きな人にとっては、この宿や山代温泉で語り継がれている魯山人の物語はこたえられない魅力であろう。私ももちろんその一人である。