宮島岩惣の「会席料理」
威風堂々の老舗の宿で
酒はアトなのか、サキなのか
獺祭をがぶがぶ飲みながら考えた。
松岡正剛師匠を塾長とするハイパー企業塾の合宿。最初案内を見たとき小躍りした。宿は宮島の岩惣である。創業は安政元年。道行く人の憩いの場としてもみじ川に橋をかけ渓流に茶屋をもうけたことから始まり、厳島神社に参拝する人々のために明治時代には旅館となったという。大正天皇や昭和天皇、今上陛下だけでなく、朝鮮李王世子殿下、英国コンノート殿下、愛新覚羅溥儀満州国皇帝などのやんごとない方々、明治には伊藤博文、西園寺公望、桂太郎、後藤新平、大隈重信などの錚々たる政治家や夏目漱石、森鴎外などの文学者、昭和になってからは山本五十六や吉川英治、岸信介、池波正太郎、はたまたヘレンケラーなども宿泊しているというではないか。まさしく老舗中の老舗である。宿の風情も周辺の景色も、そして何より夕食がとても楽しみになってきた。
しかし、その考えは少々甘かった。
宿に着き、旅装を解いて一服した後、大広間に集合すれば、それはそれは期待感満載の宴のしつらえである。ところが、ハイパー企業塾とネーミングされていることからもお分かりのように、食後には再び講義があるのである。当たり前といえば、当たり前ではあるのだが、酒は講義の後の夜の部までお預けとなったのである。がっくりとうなだれる。恨めしそうに師匠の方に視線を送るが遠すぎて気づいてももらえぬ。わかっている。よくわかっている。遊びに来ているわけではないのだから。夜の部にはしこたま飲める。ちょっと順番が違うだけ。うん、うん。と自分で自分に何度も言い聞かす。
それにしても、さすがに広島である。さわらの造りや穴子の白焼き、山盛りになった焼き牡蠣など、瀬戸内海の幸がズラリと並んでいる。宿の料理長による本格懐石はさすがというべきレベルで、たしかにここに酒があったらなし崩し的に杯が進んでれろれろになってしまうことは一目瞭然である。気を取り直し、“おちゃけ”で誤魔化しつつ、久しぶりに食事そのものを楽しんだ。不思議なもので酒がないと、造りも天ぷらもそのまま単独で食べるというよりは、やはりかたわらにはごはんが欲しくなる。醗酵させた酒であれ、炊いたものであれ、和食にはやっぱり米が合うということか。カタチを巧妙に変えた同じ素材が、食のオープニングとフィナーレを分担している面白さ。
素面でみっちり講義をこなした後、今度は離れである「錦楓亭」に場を移し夜咄が始まった。外は雪がちらつきはじめた。よい風情である。食事のとき飲まずにいい子にしていたご褒美だろうか。大好きな「獺祭」が供された。山口の隣の県だけのことはある。ひとりでうはうはしながら、部屋が暗いのをいいことに、茶碗にどぼどぼ注いでぐいぐい飲む。しかし、やっぱり私にとっては日本酒は食前酒であり食中酒である。食後に飲むと少々勝手が違う。
酒やごはんほど、食べるアトサキ(順番)が嗜好によって分かれるものもない。別に厳然とした飲み方、食べ方のルールがあるわけではないから、家族構成や家族の嗜好によって好みはまちまちだと思う。私はどちらかといえば、おかずを楽しみながら飲みたいタイプ。そして最後はごはんでシメる。人によっては、ごはんを食べながらでも酒が飲めるという人もいるし、酒を飲んでいるときはまったくごはんを食べないという人もいる。一方で酒を飲まない人は、最初からごはんがないとおかずが食べられないという。
作法に縛られる茶懐石では、最初の飯(だいたいひと口)と汁が終わるやいなや、向付を食するためにすぐさま酒が供される。酒は三献といって、向付、焼き物、八寸それぞれに対応して出される。最後にはもういちど飯と香の物で茶漬けにするのが一般的だ。ごはんは最初、その後酒が振る舞われる。逆に会席料理は、出発点からして饗応料理であるため、酒は先付けとセットのように出される。こちらは最後にごはんが出てくる。かように同じ和食の世界でも、どういったシチュエーションかによって酒とごはんのアトサキが変わっていくというのがなかなか面白いと思う。それにしても今回のアトサキは、やっぱりそうとうにハイパーだった。