六甲「クアン・アンゴン」
手早く段取り良くつくる
街場のイケてるベトナミーズ。
本場のコム(大衆食堂)顔負けの実力。
一時期ベトナムにハマっていたことがある。もうかれこれ17年くらい前のことである。カタログ情報誌を発行するのに旅の記事が欲しいというオーダーで、いきなりベトナム取材という仕事が舞い込んだ。仕事ではあるが、コーディネーターなし、カメラマンなしのひとり取材。予算も限られている。だが、そんな状況になればなるほど、人間力というものが問われるのだ。ようがす。行きやしょう。
それをきっかけにベトナムに恋してしまったのだ。取材の後、プライベートで二度ほど行った。もちろん食事にもハマったのは言うまでもない。
ベトナム料理の特徴は、この国がたどってきた歴史そのものでもある。古来は中国文化の洗礼を受けてきた。19世紀から20世紀にかけては仏領インドシナ、つまりフランスの植民地であった。食文化には中国とフランスが不思議にミックスされており、それが近隣のアジアの国々とは一線を画する強烈なベトナム料理の個性となっている。それにつけくわえ、自給率の高いこの国ならではの肉(牛、豚、鶏、鴨、山羊・・・)や魚(海老、蟹、イカ、雷魚などまである)、新鮮な野菜をふんだんに使用し、調味料には小魚を塩漬けにして発酵させたヌクマム(魚醤)などを使う。でもって調理方法には、中国のように炒める、蒸す、焼く、煮ると多彩な手法があり、さらにはコリアンダーをはじめとする香草もふんだんに用いる。そしてなにより、米食文化でもあるのだ。食料自給率はなんと160%。米は年3回とれる。
なんと豊穣な食文化だろう。
庶民の気軽な食堂であるコムをのぞけば、おかずを何品かごはんの上に乗せて食べる定食には肉や野菜がたっぷりでスープまでついているし、フォー(ライスヌードル)やチャオ(お粥)だってさまざまな具が入っていて、野菜はほとんど食べ放題という感じだった。屋台で売っているサンドイッチ(バインミー)は、バゲットにハム、ソーセージやレバーなどのパテ、そこにたっぷりの野菜、ハーブをはさんでヌクマムをかける。バインセオというお好み焼きは、米粉とココナツミルクを混ぜた生地を薄くパリパリに焼いたものに、肉や海老、たっぷりの野菜、ハーブを乗せ、二つ折りにして食べる。どの一品も肉、魚、野菜がバランスよく入っていて、食生活のベースそのものが、豊かなのである。
日本でもいっときベトナム料理ブームだったから、何軒か行ってはみたが、とりわけ野菜やハーブ類に違和感があった。どちらも日本だと割高な素材だから、量も現地のようにふんだんというわけにはいかない。
この店は別である。きわめて現地のコムに近い感覚の店である。ベトナムにハマっていた当時はよく通った。カジュアルかつリーズナブルなので、六甲近辺の学生たちや若い人も多かった。シェフは日本人だが、大量の注文をいつもひとりでさばいて、手早くちゃちゃっと作るのが印象的だった。
ほとんど7〜8年ぶりの訪問だったが、メニューもシェフも店も変わりがない。夕食時で混んでいたにもかかわらず、慌てず騒がず相変わらずダンドリよく、料理を次々とつくっていく。ゴイクォン(ベトナム生春巻)、ネム(揚げ春巻き)。この二品ははずせないのだが、野菜がたっぷりで昔と変わらない美味しさ。こういう定番の味を長年キープするというのは、できるようでなかなかできないと思うのだがまったくブレていない。そこにとても心打たれる。ベトナム風フライドチキンは、野菜をたっぷりと乗せた上に砕いたピーナツを散らし、そこにヌクマムベースのたれをかける。チキンがしんなりしたところが食べ頃である。醤油鶏の炒めものにはしいたけときのこがたっぷり。香菜とも相性がとてもよい。
ここまででかなり満腹になってしまったが、ここはベトナム風田舎焼き飯もフォーも旨い。デザートも本格的なベトナムスタイルだし、ベトナムの焼酎も置いている。多くのファンに支えられ、これからもきっと健在であろう。ときどきは忘れずに行かなければ。