千夜千食

第151夜   2014年12月吉日

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讃岐うどん「鶴丸」

思わぬ天候アクシデントにより
ふるさとへと導かれてしまった。
こんな僥倖の夜は、もちろんうどんを食べに行く。

 ふるさと高松の同窓会(第148149夜)に東京で参加し、その足で四国今治(第150夜)に移動した。翌日仕事を終え、いったん神戸の自宅に戻り、その翌日は朝から東京出張というかなりタフ&ハードなスケジュールを抱えていた。ところが、今治から神戸に帰るのに、特急しおかぜに乗ったはいいが、強風のため瀬戸大橋線がストップしているとのアナウンスがあった。瀬戸大橋を渡るJR、風速計が規制値の25メートルを超えると運転を見合わせるのである。自然のこととて、風がいつ止むのかは、誰にもわからない。先行列車も立ち往生しているらしい。こういうときの判断は難しい。が、本州に戻ることができずとも、高松に行けばいい。実家がある。ひと晩泊まって、翌朝東京までは飛行機を利用すればいいことに気づき、特急しおかぜも終点を高松に変更したので、そのまま高松へ向かうことにした。週末わざわざ東京に行き、高松時代の同窓会に参加したのである。やはり、ふるさとが呼び寄せてくれたのであろうか。

 高松に到着したのは7時半少し前である。ふっふっふ。まもなく、讃岐うどんの深夜店、「鶴丸」がオープンする時間ではないか。いったん実家に荷物を置き、食事を済ませてはいるが母もつきあうというので、一緒にタクシーで鶴丸に向かう。運転手さんに鶴丸へと言うと、たちまちうどん談義が始まり、そこへお調子者の母が乗る。讃岐人は、それぞれ好きなタイプのうどんがあるものだから、鶴丸のコシがどうしたこうしたとかまびすしい。こういう会話を聞くと、ふるさとに戻ってきたという実感がある(笑)。

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 8時5分前に鶴丸に到着した。オープン待ちである。1分前にはあかりがついて、暖簾がかけられた。すぐさま入店する。この時間帯に来るのは初めてである。深夜のシメではなく、晩ごはんを食べに来ているのである。その軽い興奮状態でもって、あろうことか牛しゃぶカレーうどんに卵を落としてもらい、ちくわ天を乗せる。おでんも、豆腐と平天、すじにこんにゃくと、食べたいものを注文する。母はビールグラス一杯とおでん少々しか無理だというので、ほとんどひとりで食べる。

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 後悔したのは牛しゃぶカレーうどんである。つい、欲張って注文したが、やはりカレーうどんは通常のカレーうどんでじゅうぶんである。牛しゃぶカレーにするなら、ちくわ天はいらんかった。つまり、かなりツーマッチな組み合わせだったのである。注文した以上は全部平らげたが、かなりしんどかった。それでも、焦がれている鶴丸に、予期せぬ事情で来られたのである。じゅうぶん満足である。

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 翌朝は、母が高松空港まで車で送ってくれた。この空港に来るのは初めてである。関西に住んでいると新幹線経由で1時間半くらいで帰れるので、飛行場には用がない。最後に乗ったのは35年ほど前で、まだYS-11が飛んでいた時代のことである。飛行場も今とは違う場所にあった。到着してびっくりしたのは、国際空港になっていたことである。国際線といっても、ソウルと上海、台北だけではあるが、それでも海外には変わりない。出発ロビーに上がると、うどん屋があった。またしても、急にうどんが食べたくなる。母はいらないというので、ひとり店に入って、きつねうどんにちくわ天を乗せてもらう。とりたてて特徴のあるうどんではなかったけれど、それでもふるさとのうどんというだけで格別なのである。

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 空港の売店にはおみやげのさぬきうどんがところ狭しと並んでい、思わず買いかけたが、これから東京出張である。予期せぬ偶然によって、うどんを食べることが出来ただけでもよしとしなければ、と気を取り直す。離陸した窓からは、美しいふるさとの風景が見えた。なんとおおらかで、おだやかな土地に育ったのだろうと、なんだか涙が出そうになった。