苦楽園「はた田」
苦楽園の住宅街にひっそりと佇む和の名店。
こういう店があたりまえのように存在しているのが
関西和食の底力ではないかと思うよ、つくづく。
恒例のお誕生会である。前回は芦屋川の和食(第18夜)に連れてってもらった。今回は苦楽園なのだという。楽しみだな。
その店は、阪急神戸線夙川で甲陽線に乗り換え、苦楽園を降りた高級住宅街の中に突如として出現する。店の構えはあくまでさりげないのだが、灯りの演出といい、入り口のしつらえといい、気配そのものに凛とした研ぎ澄まされたものが漂っており、旨い料理を出す店であることは容易に想像できる。
友人が予約を入れたとき、招待者の職業を問われたそうである。何故かと聞き返せば、同業の方同士重ならないようにという配慮だったという。プライベートであるし、悪企みをするわけでなし、重なったとしてもまったく問題はない。しかし、どれくらいの範囲で同業とするのだろうな。金融関係なら、大雑把に金融全般なのか。もっと細かく分けているのか。銀行同士は避けるとしても銀行と信用金庫は同席できるのか。街金と郵便局はありなのか。いろいろ考えると面白い。どういう基準で線引きしているのか機会があれば聞いてみたいと思う。
さて、本題。最初に出されたのは意表を突くひと品。この白いのは甘鯛と白子のグラタンである。和食好きを標榜しながらも、実はけっこうグラタンが好きなのである。白子とホワイトソース。多層な白に魅惑的な焦げ目のついた香ばしい味わい。これは、馬鹿馬である。第一投は、和食という期待を嬉しく裏切る変化球である。ガツンと一発。こういうので来られると、一気に引き寄せられますな。第二投も出された瞬間、え?何?というひと皿。アワビとブロッコリーを山椒と粒マスタードで和え、そこにどんこ椎茸を加え、銀杏の素揚げを添えている。はじめていただく組み合わせである。これもなかなかイケるのである。日本酒は農口。能登杜氏四天王である農口氏がつくる酒であるが、私はこの旨さを北陸で知った。(第127夜)。なかなか手に入らないと聞いているので、誕生日に出会えるとは運がいい。メインのお椀は、ズワイガニのしんじょ。茶懐石で出されるようなシンプルな黒漆のお椀にさりげなく入れられている。変化球二投が来て、やっと本気でストライクを取りに来たという感じである。スコーン、とど真ん中。しかもきわめて正統で、端正な味である。
お造りは古伊万里のような白磁の皿に盛られた松川鰈とヨコワ。鰈の肝、短冊に切られた山芋と芽葱も添えられている。この盛りつけもたいそう美しいし、色もきちんと計算されている。黒のお椀の深遠から、白の開かれた端正へ。ちゃんと美しい流れがある。お造り、もうひと皿はアオリイカと雲丹。こちらも白と雲丹の色の対比が鮮やかである。どの味も文句のつけようがない。旨い。
続いての皿は、タコとセロリのジュレがけ。菜の花と子持ち昆布。蕗の薹の天ぷらに厚焼き卵。まだ1月であるが、来る春を待ち望むかのような皿である。季節の先取り。これが和食であり、日本の文化なのである。まだまだ寒い季節だからこそ、やがて来るであろう春の気配に恋焦がれる。そこにまだないものの面影を感じる。日本の想像力とはかくも豊かなのである。美しい緑の織部には、笹がれいの若狭焼き。骨やしっぽはパリパリのせんべい状態になっている。若狭焼というのは、もともとはぐじ(甘鯛)などのうろこの細かな魚をうろこがついたまま焼くのをいうらしく、この笹かれいにも軽くうろこが残っている。軽く一夜干ししているのであろう笹かれいのほどよい塩気と絶妙な焼き加減が織りなす若狭の名物。あますことなく、きれいにいただいた。焼き穴子と大根、水菜とお揚げを炊いたので口中を爽やかにした後は、からすみ茶漬けである。賽の目に切られたからすみにあられ、海苔がすでに景色になっている。これをずずいと頂戴して、デザートの伊予柑ゼリーを楽しんだ。
変化球を織り交ぜながらの堂々たる完投ぶり。すべてちゃんとミスすることなく受け止めた。こういう組み立ては、やはり和食でしかできない遊びであろう。まず季節がある。素材がある。そして、主題がある。その枠組みの上に、どんな「図」を載せるかは料理人の裁量であろう。そして、洋の素材や方法を使ったとしても、和食という確固たる「地」の上では、その軸はちっとも揺るがないのである。
日本に生まれて、関西に住めて、ほんとうによかった。