千夜千食

第32夜   2014年2月吉日

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石屋川の鉄板焼「里味」

ここの店構えやロケーションに
惑わされてはいけない。
独創の鉄板焼きはまさしく鉄板。

 大昔、アメリカに住む友人と彼女の高校時代の友人何人かでこの店を訪れたとき、彼女は「なんで日本って何でもおいしいの」とため息をつきながら「美味しすぎる、お皿なめていい?」と全員の取り皿に残っているソースを本当にきれいになめた。うーん、ちょっとお行儀は悪いのだけど、彼女がそうしたかったことはとてもよくわかる。ここはそういう店なのである。

 いちおう、鉄板焼きの店である。だが、普通の鉄板焼きではない。

里味1里味2里味3

 たとえば、海鮮野菜を注文すると、アルミホイルで四角い鍋をつくってくれ、そこに透明のスープを入れてくれる。新鮮な海鮮とたくさんの野菜は大皿に。鉄板の上でつくる簡易鍋なのであるが、これがめっぽう旨いのだ。スープをちゃんととっておくと、後でおじやもつくってくれる(らしい)。地鶏の盛り合わせを注文すると、七輪に炭をおこしその上に金網をのせてくれる。新鮮な鶏のいろんな部位は大皿に。これを好きなように焼くのである。もちろん神戸牛のステーキもあるし、冬の定番としては白子焼きというのもあり、これはメニューにある限り絶対に注文する私のお気に入りである。外はカリカリ、中身はとろとろの白子のムニエルで、たっぷりの白髪葱と青葱がトッピングされている。カウンターには大きな鉄板。だけどカウンターの奥にはもうひとつ小さな鉄板があり、スペシャルな技のいる料理は大将がそこでつくってくれる。その鉄板から繰り出される料理の数々が、あまりにクリエイティブでいつも驚かされるのである。鉄板の横には、古い怪しげな甕があり、そこにどうやら秘密がありそうなのだ。中に入っているのは察するところ秘伝のたれのようなもの。長年継ぎ足して使っているという老舗の鰻屋的なあれだ。聞いたことはないが、たぶんそうとうこだわって作っているのではないか。

里味4里味5

 今回は、まず地鶏の刺身を注文。新鮮であるのはもちろんだが、特製たれやオイルでいただくその味は奥深い。部位による味や食感の違いも、口に入れた瞬間にくっきりと立ち上がってくる。神戸牛のステーキは、たっぷりの野菜と一緒に供される。上質の肉ならではの甘みと旨味を味わいながら、神戸に住んでいる幸せを噛みしめる。そして定番の白子。あいかわらず蕩けるような食感である。続いていつも〆に注文する二品。和牛のスジが入ったネギ焼きと山かけ焼きそば。どちらにも例の甕に入ったたれがたっぷりと使われる。ほかにも食べてみたいお好み焼きやおそばはあるのだが、悩んだ末、結局いつもこの二品は外せずこれ以外を食べたことがないのだが、充分に満足する。

 私は、お好み焼きに詳しくないし、そんなにしょっちゅう食べないので、あまり評論する立場にないが、神戸生まれ神戸育ちによると、ここのお好み焼きは慣れ親しんだ神戸の下町タイプなのだそうだ。どうやら独特のねっとりと柔らかな食感がその典型的な味わいであるらしく、彼に言わせると大阪の縁が切り立ったホットケーキのようなお好み焼きなんぞ食べられたもんではないのだそうだ。天皇バー(29夜参照)でもときに地元で生まれ育った人たちのあいだでお好み焼き談義になることがあり、「やっぱりお好み焼きは、縁が流れているものでないと」とか、「だいたい生地に卵入れること自体邪道や。俺生まれてこのかた、卵入れてくれなど一回も言うたことないわ」などなど、それはもうかまびすしい。みなさん大阪のお好み焼きに対して敵意むき出しで面白いったらありゃしないのだ。この感覚はわからないでもない。うどんのコシやだしの話をさせれば、私も大阪うどんに対してはきっとそれくらいのことは言うだろう(笑)。ただ、お好み焼きに対しては門外漢なのでただただ興味深く聞いているだけであるが。

 私にとってはあのふっくらとした大阪のお好み焼きも悪くはないのだけど、ここのを食べ慣れるとこの食感に夢中になるのはたしかである。いわゆる昔ながらの神戸の下町のお好み焼き。ねっとり、とろとろで、縁が流れたお好み焼き。

 どうです?一度食べたくなってきたでしょ?

 ただし。ここはあくまでも鉄板焼きのお店。聞くところによると、大将はお好み焼き屋とは呼んでほしくないそうである。(と、聞いたことがある)