2020-04

萩の宿「常茂恵」

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 初めて萩を旅したのはたしか二十代の終わりの頃、取材の仕事だった。「常茂恵」の前を通った記憶がある。堂々とした門の威風に圧倒され、「いつかはこういうところに臆せず一人で来られるようになりたいな」と思ったことはよく覚えている。そのいつかが、三十何年か後にとうとうやって来たのである。

 萩の街は松本川と橋本川に囲まれた三角州に整然と碁盤目のように通りが配された町で、「常茂恵」はその三角州の東側、松本川沿いにある。橋を渡れば松陰神社や伊藤博文旧宅までそう遠くないロケーションでもある。幕末には、この地から高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋など名だたる明治維新の志士たちを輩出したことでも知られる萩。数々の歴史の舞台となっているのに、中央からの客人をもてなす宿泊施設がないということで、大正14年に地元の名士たちが創業者である厚東常吉に相談したことで生まれたのだという。厚東常吉の常という字を取り、「常」も「共に栄え茂り、恵みがあるように」との願いをこめて「常茂恵」と命名されたのだそうだ。昭和天皇が泊まられたという貴賓室まであるまさに萩を代表する名旅館である。

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 夕食までにはまだ少し時間があったので、館内にある展示室に入ってみた。「常茂恵」の揮毫は人間国宝三輪休和の手になるもので、展示室の奥には佐藤栄作の「明治維新胎動の地」という書も掲げられている。その両脇には、「薩長土連合密議之處」の額と坂本龍馬、久坂玄瑞らの名が書かれた額もあり、文字通りこの地が明治維新の胎動の地であったことを物語っている。

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 案内された部屋は庭に面したくつろげる空間で、食事はもちろんこの部屋でいただける。軽くひと風呂浴びて、いよいよお待ちかねの夕食である。前菜は、竹籠に入った海老芝煮、ズッキーニ田楽、紫陽花に見立てた道明寺、姫栄螺の山椒煮、グラスの中には湯葉ととろろが入っている。酒は長門峡谷の純米吟醸。昼間、この本醸造を飲んだので、きりきりした味わいは知っている。純米吟醸だと、うまみがいっそう引き立つ。お造りは、イサキの焼霜、ヒラマサ、真蛸。そしてお椀は枝豆のすり流しの中に水無月が入っている。枝豆のなんともいえない薄緑色に、旨そうな水無月とのコントラストが素晴らしい一品で、すだちの細切りをあしらっているのも何とも涼しげ。もちろん水無月はお菓子ではなく、豆腐でつくっている。時節の一椀である。

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 焚き合わせは長州鳥団子と青瓜び含め煮、焼き物は穴子の一夜干し、強肴は長萩和牛のしゃぶしゃぶ。酢の物に貝柱に黄味酢をかけたもの、そしてごはんという流れであった。どれもていねいに作っていることがわかる料理ばかりで、それだけでも泊まった甲斐があると納得できる。たいそう満足。後はもう一回、風呂に入って、寝るだけである。

 ちなみに長萩和牛とは、萩生まれ萩育ちの黒毛和牛のこと。長い萩と書いて、ちょうしゅうと読ませる。山口県北部の牧場で近隣農家から出荷される麦わらを食べ、堆肥を返すという自然のサイクルが成り立っていて、地域住民の愛情がたっぷりと注がれ育てられた牛肉であるらしい。こういうのも現地でしか味わえない美味と情報であろう。

 また萩に来る機会があれば、ぜひともまた泊まりたい宿である。

2020-04-01 | Posted in 千夜千食Comments Closed