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金襴手の豆皿。

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 古伊万里を集め始めた頃、何度か手を出した金襴手。名前の通り、赤絵や色絵に金彩が施されてい、今となっては自分でも少々悪趣味だったかもと後悔もするのだが、豆皿となるとそれはそれで食卓のアクセントにはなってくれる。

 豆皿は、お手塩(おてしょ)とも言い、薬味や漬け物、ちょっとした銘々皿としても活躍する使い勝手のよい皿で、これだけに絞って集めているコレクターもたくさんいるくらい人気である。京都てっさい堂のご主人のコレクションは有名で、「まめざら」という掌サイズの本にはその垂涎の蒐集がみっしりと掲載されている。眺めるたびにほんとうに涎が出そうになるのだが、小さくても意匠を凝らした形や絵付けなど、どのひと皿もため息が出るようなものばかりである。職人が手塩にかけて作るから、お手塩と呼ぶようになったのかもしれないと思うほどの出来映えである。ま、家にあるのは雑器ばかりだが、普段の食卓で使うには、まあこんなのでもよしとしよう。

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 面白いのは裏に書かれている銘である。「富貴長春」とある。もともと明では富貴長命と描いていたらしいのだが、伊万里などでいつのまにか長命が長春に変わったらしい。意味としては同じであるが、命を春と言い替えたほうが美しいし、冥加を願うにはこちらの方が断然ふさわしい。いつまでも健康で、長く富貴を謳歌できますように。そんな願いがこめられた縁起のよい言葉である。この時代は当然手描きであるので、ひと皿ひと皿微妙に手が違う。字の大きさもばらついているし、ちょっと稚拙な筆致もある。だけれども、命をつなぐ食の場で使うものに、願いをこめて言葉を入れる。言霊というが、昔の人はモノにも魂が宿ると信じて、文字魂ならぬこんな言葉を描いたに違いない。「富貴長春」という文字には、そんな昔の人のやさしい気持ちがこめられているような気がするのである。

アマゾンで「まめざら」を買う

2015-03-31 | Posted in うつわ数寄, にほん数寄No Comments » 

 

「 The Oriental 」のうつわ。

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 バンコックのThe Orientalは憧れのホテルだった。もう三十年近く前のことだが、ノースウエスト航空のマイレージがたまりまくっていたので、ファーストクラスに乗ってバンコクに行くことにした。無料とはいえ、ファーストクラスに乗るのだから、ホテルは「 The Oriental 」に決まってる。いろいろ調べていたら(当時はインターネットなどないので、雑誌ガリバーかエイビーロードだったと思うが)「 The Oriental 」の二泊三日のお得なキャンペーンを見つけたのである。ダンスを見ながらの夕食やアユタヤ観光もついていたので、飛びついた。

 そこで、出会ったのが香水「 The Oriental 」である。もちろん、手に入ることは知っていた。雑誌だか、その当時よく読んでいた森瑤子の小説であったか定かではないが、ぜひ手に入れたいと思っていたのである。それは、格調高いオリエンタルノートでえも言われぬエキゾチックな香りがした。何より私を魅了したのは、セラドングリーンと呼ばれる美しいセラドン焼きのうつわに入っていたことである。

 セラドン焼きとは、タイ中部にあるチェンマイの土で焼かれる磁器。木灰の釉薬に含まれる鉄分が還元され、この美しい翡翠のようなグリーンが生み出されるのである。冷却するときに自然発生する貫入(ひび割れ)も魅力のひとつ。この「 The Oriental 」は、そのセラドン焼きにパゴダのような真鍮製の蓋がついており、なんともアジアンな魅力に満ちていた。

 とっておきの香水「 The Oriental 」は、少しずつ大事に使っていたが、やがてほとんどなくなってしまった。また買いに行きたいと思いながらも時が経ち、十年ほど前にまたバンコックを訪れる機会ができたので、喜び勇んで「 The Oriental 」を訪れた。

 香水「 The Oriental 」は幻と消えていた。

 ただ、うつわだけは、奇跡的にまだあったのである。あるだけ買った。中身は入っていない。なので、今でも、ときどき三十年前のセラドン焼きの蓋をあけ、匂いを嗅ぐ。かすかに、香りがある。往時のオリエンタルノートの残滓を確かめ、また蓋をする。

2015-03-27 | Posted in うつわ数寄, にほん数寄No Comments » 

 

京都懐石「飯田」

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 魯山人のうつわでお造りをいただいた。

 三日ほど前、山代温泉で魯山人が魯山人へと目覚めるきっかけとなった物語に触れる旅をしたばかりである。魯山人の創作への情熱とそのセンスについて、あらためて唸ったばかりである。大昔、ふるさとの香川県文化会館で「魯山人展」を見たことがある。展示しているうつわの横にはそのうつわに盛られた料理の写真があり、魯山人のうつわとはそこに料理を盛って完成するようにつくられていることがよく理解できるものだった。使ってはじめて生命を吹き込まれるうつわ。自分が作る料理がいちばん映えるよう、自分でうつわを作った魯山人。制作者と数寄者の幸福な一致がそこにある。だから、一度は魯山人のうつわで料理をいただいてみたいと思うのは、私にとってはきわめて素直な願望であった。

 それが、とうとう実現したのである。

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 場所は京都中京区。姉小路通と富小路通が交差する角を少し入ったところ。茶道具屋の建物をそのまま利用したというその店は、佇まいからしてこだわりの懐石を出す気というものに満ち満ちていた。ごめんくださいと玄関の戸を引けば、そこは洗練された風情の町家。カウンターを抜けて、奥にある座敷に通された。坪庭に面しており、過剰さから引き算した簡素さこそが洗練であることを教えてくれる空間である。残念ながら、料理の写真掲載はNG。店の流儀には従いたいが、せめて、魯山人のうつわだけでもと思い、うつわの端っこだけ載せさせていただく。

 本日のテーマは、どうやら「月見」であるらしい。お軸にも月という文字が見えるし、すすきも生けられている。先付けに出てきたのは、お月見の団子。百合根を裏ごしし寒天で固め団子に見立てており、つるりと端正な出汁を含んでいる。付け合せは雲丹にポン酢仕立ての煮凝りをまとわせている。染付のうつわがまた素晴らしい。日本酒はメニューに鄙願があったので注文した。鄙願もけっこう好きな酒なのである。酒器はオールドバカラ。お椀の中には名月が浮かんでいる。これは、豆乳を葛と卵で月に見立てた一品。凝っている。お造りは、オコゼである。京都でオコゼの造りをいただくのは、はじめてである。それよりもなによりも、枯淡という味わいのうつわに魅せられてしまい、どなたの作かと聞けば、それが魯山人であったのである。薄茶色のざらりとした肌に大胆な筆致ですすきのような線を引いている。そこへおこぜの造りが納まって、なんとも美しい調和である。ため息が出る。もちろん、お造りをいただいた後、裸になったうつわは、舐め回すように眺める。が、やはり皿の中央に造りを盛ってこそうつわも料理も映えるというのは、実際見てみるとよくわかる。

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 織部の角皿に乗って出たのは、さんまの炙り鮨に肝だれを塗ったもの。これを佐賀の一番海苔にはさんで食べる。ううむ。この炙り具合は、秀逸。続いて乾山のような凄い蓋物が出される。大胆な花のうつわである。蓋をあけると、城陽のいちじくにごまだれをかけたもの。なんとも上品で風雅な味である。そして、地味派手とでも表現したい乾山風のうつわのシブいこと。清水六兵衛である。もちろん、かなり古いものであろう。唸る。

 焼き魚はうつわはこれも年代物の青花である。心が震えるほど美しく、枯れている。続いてはメイタガレイを揚げ甘酢あんをかけ白髪ネギを乗せたものとドウマンガニ(ワタリガニの一種)に黄身だれをかけた品。つるむらさきとと梨の生姜漬けが添えられている。そして揚げなすに白ずいきを信田巻きにした煮物。金時草も美味しい。これがまた清朝で使われていたような緑釉の麗しいうつわに入っているのだ。龍がモチーフである。一文字に盛られたごはんは、長野県佐久市のお米。一口いただいた後は、イクラご飯である。ごはんは少なめにと思っていたが、イクラご飯は別腹である。

 もうひとつ別腹のデザート。一品目は、柚子をふったレアチーズケーキに、巨峰のジュレ。二品目は、あらら、懐かしい綿菓子である。これ、重陽の節句にちなんで着せ綿に見立てたものというから、なんとも手が込んでいる。ご主人はこのデザートを作るためだけに、綿菓子製造機を買ったのだと聞くと、しみじみと驚嘆してしまう。綿菓子の下には菊に見立てたきんとんが隠れてい、デザートひとつとってもちゃんと物語があることに気づかされる。最後はお薄をいただき、終了である。

 この店、前々から三浦さんからおすすめだよと聞いていた。その言い方は「京都で僕が知る限り最高やねん」という特別なものであったので、京都へ行く用事ができるたびに予約を試みていたが、ようやく実現したのである。

 茶懐石をベースに、ご主人の創意を高い美意識でプレゼンテーションしている店である。料理の腕はもちろんであるが、うつわも含めたしつらえというものに相当なこだわりを持っている。奥様が「もう、すべてうつわにつぎこんでしまう」とこぼすほどうつわ好きであることは、最初の一品でもわかる。和食、とくに懐石料理は、季節やテーマを受け、細かく使い分けることが前提であるから、いかにうつわを揃えるかは重要なことだろう。最近好きだなと思う懐石の店は、どこも若い修行時代からうつわを集め続けている人が多く、その成果が立派に店の繁盛と人気に結実している。こういう店主の志に触れると、早くから進むべき道が定まっている人は強いし、目標に向かってブレずにまっしぐらであることの尊さを思う。

京都でお気に入りの店が、またひとつ増えた。

2015-03-26 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

古伊万里の色絵皿。

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 とても気に入っている皿である。熟練した手ではない。線もゆがんでいるし、同じような図柄を描こうとしているが、微妙にふぞろいである。ある意味稚拙と言ってもいいのだが、それでも全体として見ると調和がとれている。緑や黄の釉薬の色は、古伊万里というよりは、古九谷を彷彿とさせる。

 古九谷は実は伊万里で焼かれていたというのは、現在の陶磁史では定説になっていて、正式には「古九谷様式」というらしいのだが、日常使う分には古伊万里でも古九谷でもどっちでもかまわないし、よしんば違う産地であってもなんら不都合はない。だけど、中央の四角の縁取りの中にびっしりと亀甲や丸を埋め、色を絶妙に変えながらもうまくまとめている絵心というか、その感覚にはなかなかのセンスを感じるのである。色の配分を考え、図柄を工夫しながら、「お、ええ感じや」とにんまりしている。そんなに神経質でなく、どちらかといえば大らかで大雑把、だけど、コーディネイト感覚が優れてる。そんな愛すべき職人の姿を思い浮かべてしまうのである。濁し手風の白の余白も、とてもよい按配だし、これを瑠璃釉の皿などと組み合わせて使うと、食卓がいっきに華やかになる。

 元々は父が所有していたものだが、とても気に入ったので養子にもらった。ステーキなどを、どん、と豪快にのせるのがよく似合う皿である。三枚しかないので、大事に使っているが、すでに縁が少し欠けている。こういうのに金継ぎをすれば、またそれはそれで味が出るだろう。

2015-03-25 | Posted in うつわ数寄, にほん数寄No Comments » 

 

「雪の科学館」でランチ

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 中田宇吉郎を知ったのは、松岡正剛師匠の「千夜千冊」によってである。記念すべき第一夜が、中谷宇吉郎の「雪」なのである。

 師匠が「雪」を読んだのは高校生の頃。雪という主題に一心に向かっているところがロマンティックかつ一途だと思っていたそうだ。ところが、ここを訪れ、少しその印象が変わったという。中谷宇吉郎がいかにダンディズムに富んだ生涯をおくったか。館内に展示されている研究遺品や生活用品のひとつひとつが粋で、その粋が雪の科学に通じる粋だと感じるのである。そして、改めて「雪」を読み、高校の時にはわからなかった「言葉の態度」というものの美しさに気づくのだ。以下、抜粋する。『中谷は地上の雪にはいっさいふれないで、天から降ってくる途中の雪だけを凝視しつづけて本書を書いていたことに気づかされるのだ。〜中略〜 ああ、とてもいい気分だった。読みおわるとそんな気にさせる。こういう読書を一年に二、三度はしたいものである』

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 山代温泉の宿で地図を見ていて、「雪の科学館」が意外に近くにあることがわかった。タクシーで30分くらいの距離なので、出かけることにした。建物は、磯崎新による設計。緩やかなスロープの橋を渡り、雪をイメージしたという六角塔に向かう。中谷宇吉郎の年譜コーナーには、師匠が感動した「粋」が展示されていた。ご本人の写真も確かにダンディ。ベレー帽などを粋にかぶっておられる。恩師である寺田寅彦からのハガキもあった。雪と氷の実験コーナーがすこぶる愉快な体験コーナーだった。ダイヤモンドダストやアイスフラワーを観察できたり、雪の結晶を見せてくれたり、お子様には氷のペンダントなどをつくってくれるのである。久しぶりに小学生に戻ったような気分になった。

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 科学館の中庭は博士が最後の研究をしたグリーンランド氷河のモレーン(氷堆積)の石の原。時間が来ると人口霧がたちこめる。そしてその先にはティールーム「冬の華」がある。このあたりは潟が多いらしく、この科学館も柴山潟に接した場所に建てられており、ティールームの窓の前には潟の風景が広がる。四国、関西周辺で暮らしていると潟というものにあまりなじみがないのだが、いわゆるラグーンというものである。潟から川につながり、その先は海へと続く。日本海近辺の風景の特色は潟に集まると柳田国男も書いているが、沼でもないし、湖でもない自然が作った不思議なかたちである。

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 その景観を眺めながら、マフィンセットで軽めのランチをとった。チーズとブルーベリーにフルーツの小皿とドリンクがついてくる。時間をかけて淹れる珈琲の香りにホッとくつろぐ。ゆるゆると流れる時間。目の前には柴山潟。後ろの石の原にはグリーンランドから運ばれたモレーンの石の原。ときおり、人口霧がシューッという音とともにたちこめる。本来ならありえない自然と自然のマッチング。中谷博士の最後の研究の場となったはるか遠くの土地の石は、今は博士の生まれ故郷にすんなりとおさまっている。

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◎有名な『雪は天から送られた手紙である』という言葉もロマンティックだが、「雪の科学館」ホームページトップで紹介されているこのフレーズも素晴らしい。ここに引用させていただく。

夜になって風がなく気温が零下十五度位になった時に
静かに降り出す雪は特に美しかった。
真暗なヴェランダに出て懐中電燈を空に向けて見ると、
底なしの暗い空の奥から、 数知れぬ白い粉が
後から後からと無限に続いて落ちて来る。
それが大体きまった大きさの螺旋形を描きながら舞って来るのである。
そして大部分のものはキラキラと電燈の光に輝いて、
結晶面の完全な発達を知らせてくれる。
何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、
いつの間にか自分の身体が
静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きてくる。

中谷宇吉郎「冬の華/雪雑記」より

2015-03-23 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

古伊万里の白磁皿。

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 濁し手(にごしで)という言葉をご存知だろうか。古伊万里の純白の素地のなかでも、やさしくあたたかみのある乳白色の肌合いをこう呼ぶ。その代表的なものが柿右衛門様式である。柿右衛門といえば、イコール濁し手と言ってもいいくらい斯界ではつとに知られている。1650年頃には現地の陶石に特別な原料を加え、さらに独自の配合によって、この濁し手が創りだされた。柿右衛門の場合、鮮やかな色絵が映えるようこの乳白色を活かした余白を取るのが特徴で、その絵付けスタイルには日本という方法が横溢している。埋め尽くさずに、あける。あえて、余白、余地を残しておく。それにより、色絵が効果的に引き立つということを陶工や絵付けをする人たちは感覚でわかっていたのだろう。

 佐賀の方言で米の研ぎ汁のことを濁しというのだそうだ。もちろん、柿右衛門の濁し手はその色そのものを指している。精米技術が格段に進んだ今では、米の研ぎ汁が白濁すること自体少なくなったが、それでもあの乳白色には日本人の心を揺さぶるような魂が宿っているのだと思う。

 この白磁の皿も、濁し手の色をしており、なんともいえないあたたかみがある。高台に少し高さがあるので、なます皿というよりは高坏のような趣もある。和菓子はもちろんのこと、写真のようにカラフルなマカロンや洋のスイーツを乗せても似合うし、ちょっとしたお惣菜や酒の肴(からすみの薄切りを大根にはさんだものとか、チーズ盛り合わせとか)を盛ってもよい。

 これが、同じ白でもジノリやウェッジウッドではそうはいかない。和のものを盛るとやはりかなりの違和感があるのだ。ところが、この皿だと、和でも洋でも(中華でも)しっくりとなじむ。米は、和でも洋でも中華料理にも合う。その研ぎ汁を連想して生まれた濁し手というだけあって、ジャパンホワイトには大らかな包容力と懐の深さがあるのである。

2015-03-20 | Posted in うつわ数寄, にほん数寄No Comments » 

 

山代温泉「あらや滔々庵」

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 山代温泉源泉発祥の地である。江戸時代から十八代続く老舗の宿である。何より北大路魯山人と縁が深いということでもよく知られているのである。もちろんそれがやってきた理由のひとつである。

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 宿の玄関に入ると、左手、真っ先に目につくのが「暁鶏の衝立」。魯山人の作品である。お湯で傷を癒やす烏を行基が見つけたというのが山代温泉の始まりであるらしく(行基開湯伝説はけっこういたるところにあるが)、北陸ではいちばん古い湯だという。その烏を迷いなく自由闊達に描いているのが、魯山人らしいといえばらしいのか(酔った勢いで描いたらしい)。

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 魯山人は独学で書と篆刻を学び、朝鮮や中国で修行した後、京都や長浜で看板を彫るのを生業とし、その過程で金沢の数寄者と出逢う。この頃の名は福田大観という。その彫りの腕前に惚れ込んだ金沢の料亭や山代温泉の旅館の主人、陶芸家の須田菁華と知り合い、それをきっかけとして山代温泉での滞在が始まるのである。「吉野家」「須田菁華窯」などの看板をいくつも彫り、ここあらや滔々庵にも「あらや」という魯山人の手になる看板が残されている。仕事部屋として魯山人に与えられたのが、あらやのすぐ近くにある「魯山人寓居跡 いろは草庵」である。地元の旦那衆の庇護の元、魯山人は看板を彫り、旦那衆と書や美術について語らううちに、加賀料理や懐石料理を学び、やがて料理そのものを作る楽しみを覚え、さらには須田菁華(初代)の手ほどきを受け、焼き物に目覚めていくのである。山代温泉を中心とした加賀の文化と旦那衆と巡りあわなければ、あの魯山人は生まれていなかったかもしれないというくらい影響を与えた地なのである。

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 趣味人だったあらやの15代目当主も魯山人と親しく交わり、書画や看板などを注文してその生活を支えたという。宿のフロントの壁に飾られている看板の文字は、その頃に彫られたもので、たしかに並々ならぬ才能を感じる魯山人らしい大胆さがある。ロビーや廊下のそこここにも、部屋の床の間にも魯山人のうつわや書が飾られてい、目を楽しませてくれる。廊下には中川一政の書もあった。魯山人好き、日本美術好きにはたまらない宿なのである。

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 当然、食事も期待できるに違いない。源泉に浸かりながら、浴衣姿でくつろいでいると、そろそろ夕餉の時間である。菊の花びらをちらした地酒をまずはいただいて、先付けである。さすがにうつわが渋い。先付けを何種類か乗せた織部の傾いていることよ。数寄なうつわである。日本酒は「農口」という生原酒。能登杜氏四天王の筆頭と言われるあの農口尚彦氏がつくる旨酒である。お椀にも菊がちらされている。蓋の裏の蒔絵が美しい。お造りは北陸の海の幸。天然の塩を入れた小皿は色鮮やかな九谷。のどぐろの焼き物も、沈んだ色合いの九谷に盛られている。鴨のロースには、マスカットといちじくが添えられている。これを入れたうつわがまた渋い。この貫入だらけの枯れた風情はたまらない。あわびの味噌和えは、乾山写しの紅葉の皿で。夏の名残の毛蟹は、大好きな山本長左さんの藍九谷に乗せられて(加能蟹の本場で毛蟹を食すというのも乙である。ま、まだズワイの季節ではないからね・・)。そして、トマトの入ったすき焼き。食事はとろろごはん。デザートは水ようかん、メロン、きなこのアイスクリーム。若い仲居さんがていねいに運んでくれて、こちらの質問にすらすらと答えるとまではいかなかったが、ひたむきな誠実さには好感が持てた。そう、足りないものを補うのは、一生懸命さなのである。

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 食後は、有栖川山荘という別棟へ。山庭をまたぐ渡り廊下を抜けると、ほのかに明かりが灯る隠れ家のようなバーが現れる。樹齢数百年もの木々に囲まれた風情ある木造の一軒家。明治初期に天皇来館の命を受け、釘を1本も使わずに数年がかりで建てられたという。贅を尽くした意匠に囲まれ、食後のカクテルに酔う。

 北陸の食の旬は、やはり冬であろう。が、今は夏の終わり。タイミングを外した気もするが、それを差し引いても料理はどれも美味しいし、うつわはさすがに素晴らしいものばかりである。何より好きな人にとっては、この宿や山代温泉で語り継がれている魯山人の物語はこたえられない魅力であろう。私ももちろんその一人である。

2015-03-19 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

山代温泉「蕎麦処上杉」

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 蕎麦といえば茶色っぽい蕎麦色というイメージがあるのだが、蕎麦の実の中心部分だけを使うと真っ白になるのだそうだ。それを教えてもらったのが、ここ蕎麦処「上杉」である。その純白の蕎麦を「御前そば」と言う。

 蕎麦の実を断面にしてみると、中心はもろくて白い部分、そのまわりに固く茶色い部分、甘皮、そして外側に蕎麦殻がある。蕎麦の実を挽くとき、通常は製粉能力の高い臼で挽くわけだが、これを弱めて挽くと中心のもろくて白い部分だけを粉にすることができ、これが一番粉と呼ばれる白い蕎麦粉である。「御前そば」はこの粉だけを使う。蕎麦の名称については、地方によっても、店によっても微妙に違いがあり、いちがいにこれだとは言えないのであるが、東京の更科系有名店によると御前そばと更科そばが同義であったり、更科のなかでも厳選された御前粉だけを使うものを御前そばと呼んだり、実にまちまちなんである。

 蕎麦粉専門のメーカーのホームページをのぞいてみると、蕎麦粉の種類の多さに驚いてしまう。挽きぐるみ、二八蕎麦粉、超粗挽き粉、石臼挽き、韃靼そば粉、アメリカ産玄蕎麦、御前粉・・・エトセトラ。御前粉は御前という名前がついているくらいだから、元々は「御前」と呼ばれるような身分の高い人に献上するためのスペシャル蕎麦だったのではと類推される。黒黒とした太い蕎麦のことを田舎蕎麦と言う。それはそれで風味豊かで旨いのだが、さすがに貴人には田舎蕎麦は出せない。せめて、できるだけ白く精製した一番粉でつくる蕎麦でもてなすというのが、当時の礼儀であったことは想像に難くない。

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 おすすめの「ふたみそば」というのにした。おろし蕎麦も食べたい、とろろ蕎麦も食べたい。天ぷらも食べたい。そんな人向けに、二つの味を少しずつ。で、「二味(ふたみ)」蕎麦というのである。おろし蕎麦は少し色のついた玄そば、こちらはワイルドな蕎麦の風味を感じさせながらも、端正な仕上がりで文句なしに旨い。御前そばにはとろろがかかっている。初めて食べた御前そばの味は、雑味がなくすっきり爽やか。つなぎには地元の葛を使っているらしく、独特のコシがある。どちらの蕎麦も、なかなかのレベルである。うどん県出身なので、蕎麦の味を云々するほど食べてはいないし、これだという基準も自分の中にはない。あくまで、自分の舌がおいしいと感じ、また食べたいと思うかどうかだけである。で、「また食べたい」と思った。

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 こちらでは、つゆは北海道利尻の昆布に上質なかつお節、秘伝のかえし醤油で仕上げているのだそうだ。塩は能登地方で伝統的な製法で作られる天然塩、天ぷらの一部は店主自らが採りに行く季節の山菜。お茶やそば湯に使う水は地元の山奥で湧き出る天然水。こだわりの蕎麦屋であることは間違いない。

 山代温泉に来るときは、また寄りたいと思う。

2015-03-16 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

六甲道「アムアムホウ」

 オープンしたときから、六甲ではちょっとした評判であった。「あそこは旨い」「四川系のピリ辛が最高」「特製XO醤が馬鹿馬」「香港系デザートも捨てがたい」エトセトラ。元々は香港系点心で人気が出て、裏メニューで出していた四川系も評判となり、メニュー化されたと聞く。実際何度か行って、その味のレベルにも、メニューの多彩さにもまいってしまった。店があるのは三宮とか梅田とかのマチナカではない。六甲道ローカルの駅近く。席数も少ないので、当日の予約を取るのはほとんど無理と言っていい。早めに予定を立てないと行けない店なのである。で、しばらく足が遠のいていた。

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 久しぶりである。何年かぶりである。店のインテリアも雰囲気も何も変わらない。メニューにはおすすめ料理と辛さの段階が丁寧に書かれている。昔からこんなメニューだったっけ。だけど、おすすめが親切に明示されているのは非常によろしい。名物よだれ鶏の旨辛ソースをまずは注文。四川省瀘州(ろしゅう)名物の蒸鶏であるらしい。これを食べなきゃアムアムホウは始まらないし、これを初めて食べるとその味にきっとノックアウトされることだろう。秘密はやはり、旨辛ソースか。おすすめだけあって、ちゃんと瓶に入れられ持ち帰れるように販売もしている。察するところ、XO醤を軸に胡麻、花椒、山椒くらいが入っているのは何となくわかる。しかし、何だろう一体全体この味は。旨味と辛味と深味と滋味とが渾然一体のカオスとなって、舌を複雑に痺れさせ脳幹をエロティックに刺激するのである。骨抜きになるとはこの感覚であろう。よだれ鶏もしっとり柔らかい。ふうう。

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 くらげの和えものはタスマニア産粒マスタード風味。しかし、これはよだれ鶏より先に食べるべきであった。連れは、旨いと言ってくらげにもよだれ鶏の旨辛ソースをつけて食べる始末。店側もそこんところをちゃんとわかっていて、よだれ鶏の皿を下げたあと、ソースを最後の最後まで味わい尽くせるよう別のお皿に入れて持ってきてくれるのである。そうこうしていると、上海蟹入りフカヒレスープがやってくる。蟹の味噌がちょこっと入っているだけで、スープのコクがまるっきり違う。そして、海鮮と季節野菜の塩味炒め。これは典型的な広東系。ストレートに美味しい。酢豚は酢豚だが、なんとイベリコ豚の干しいちじく入りである。ほのかな甘みに心地よい酸っぱさが加わり、またしても味覚がカオスの淵に立つ。小籠包は黒トリュフ入り。これがまたなんとも言えないよい香り。地鶏と揚げ豆腐の土鍋煮は中国アンチョビ風味。餡のなかにくったりじんわりまったり浸かっている鶏と揚げ豆腐の肢体のセクシーなこと。これもこたえらない味なのだ。シメはおこげの海鮮あんかけ。このゴージャスな海鮮を見よ。徹頭徹尾、馬鹿馬の連打である。デザートは、香港竜沙包(ラウサーパオ)という、中にとろとろの卵バター餡の入ったおまんじゅう。これもこちらの名物である。

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 香港飲茶系、四川系、広東系。各地の中国料理のいいところだけをうまい具合にピックアップして、日本だからこそ調達できる贅沢な食材に現地の香辛料などを組み合わせたアムアムホウならではの方法。こんなにエッジの効いた編集ができる料理人が六甲にいるというだけで、妙に嬉しくなってくる。意外に知られていないが、六甲界隈はチャイニーズの激戦区。だけど今のところ、私にとっては、ここがダントツである。

2015-03-13 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

恵比寿「リュ・ファヴァー」

 9月に入った。今月から少し気合を入れて軽めの食事制限、そしてウォーキングをしようと誓いを立てた。ご存知のように、日々好きなものを、気のおもむくままに食べるという生活をしている。時間帯は夜から深夜に集中している。それがどういう結果をもたらすかは身を持って知っている。知っているにもかかわらず、そういう生活がやめられない。過去二度ほどつらい食事制限で10キロ以上痩せたが、結局食生活が変わらないのでゆるゆるとリバウンドしている。このままでは本当にいけない。

 が、過去にはダイエットに失敗もしているが、成功もしているのだ。やると決めれば半年くらいは集中できる。だが、食事を制限すると、絶対にその反動が来るのは自分の性格上よくわかっている。なので、腹八分をめざし、そしてガンガン歩くということを課してみた。

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 この日は昼から打合せ。いつもだったら、午前中はへらへらしてしまうのだが、水と林檎を持って、恵比寿4丁目から目黒川まで下り、川沿いに中目黒まで歩いて、再び恵比寿まで帰ってきた。全長10キロ弱。途中で水は飲んだが、異常に空腹である。とりあえずホテルに戻ってシャワーを浴びて林檎を食べよう。そう思いながら信号待ちしていると、目の前にこのカフェがあった。いや、あるのは昔から知っている。が、店の前を通るのはたいてい深夜だし、デザートに二度ほどケーキを買ったことはあるのだが、ここで食事するというイメージはまったくなかった。

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 横断歩道をまっすぐ渡り、ランチメニューの黒板に吸い寄せられた。よし、ノルウェーサーモンのポワレにしよう。パン抜きで。意を決して店に入る。一階はケーキの入ったショウケースのみで、二階三階がテーブル席である。座ってみて気づいたが、ここのインテリアはなかなかガーリッシュでセンスがよい。パリの下町にある小粋なカフェというイメージだ。窓からは街路樹が見え、通りを行き交う人の姿を眺められる。左は恵比寿ガーデンプレイス、右は加計塚小学校。

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 スープとパンが運ばれてきた。じゃがいもとカブの冷たいスープ。ああ、美味しい。汗をかいた後の身体にしみわたる。パンは我慢。メインはノルウェーサーモンのポワレである。一口食べてみて、驚いた。なんと絶妙な塩加減。サーモンもしっとりとしており、底に敷いたキャベツもくったりしながらちゃんとキャベツの香りを放っている。パセリと、サフランなどが、さりげなく散らされた盛り付けもなかなかの心憎さである。時間をかけてゆっくりと楽しんだ。デザートは涙をのんでパス。ランチメニューは魚、肉、パスタ、ご飯物、プレートの5種類。シェフのおすすめプレートというのを気にしながら、ホテルに戻った。

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 翌日は日曜である。今日は南青山まで歩く。なので、シェフのおすすめプレートぐらいは食べてもいいだろう。と、連チャンで店の階段を上がる。プレートは4つに分かれてい、昨日と同じサーモンのポワレ、豚ヒレのソテー、キッシュ、サンマときのこのスパゲティが少量ずつ。こういうアソートは楽しい、嬉しい。この後歩くので、デザートのプチティラミスもいただいた。

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 ひとりでランチするのもいいけれど、このレベルなら夜は夜でそれなりに楽しそう。気のおけない友人や、スタッフの女の子たちとごはんを食べるのにちょうどいい雰囲気。一階にはケーキのショウウィンドウがあって、ケーキだけでも買えるというから、デザートのおいしさは折り紙つきに違いない。携帯の食事グループに、電話番号をしっかりインプットした。夜は予約したほうがよさそうだ。きっと、人気店だろうし。

 タクシーで移動していると見過ごしてしまいがちな小さな店。だけど、自分の足で歩いていてふと出逢うと、記憶にしっかり刻まれる。この店の前はしょっちゅう通っていたのである。灯台下暗し。ウォーキングには、そんなささやかだけど、素敵な発見がいっぱいあるのである。

2015-03-11 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

目黒の「八雲茶寮」

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 前回、訪れたのは三月だった。茶事のような洗練された流れで供されると書いたが、夏葉月はどういうしつらえで楽しませてくれるのか。期待が高まる。

 食事に誰かと行くとき、私はたいてい現地待ち合わせ、というスタイルにする。約束の時間に遅れることは滅多にないが、あまり遅れてしまうと店にも相手にも迷惑をかけてしまうので、その歯止めになるということもある。何より、時間を逆算して現地に向かうときから、仕事であれプライベートであれ、食事の時間は始まっているのである。

 もともと茶事では、「待合」という場が整えられており、客はそこで定刻の15分ほど前に待ち合わせる。連客全員がそろったところで亭主側に知らせ、白湯や香煎をいただいた後、腰掛け待合へと進む。つまり、周到な二重の待合というものが用意されているのだが、それはたった一度しかないその機会を気持ちよく過ごすためのノウハウともいえる。一座建立というのはまさしく、この段階から始まっているのである。

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 こちらには、そんな待合のような空間がある。相客がそろうまでここでお茶などをいただけるのである。そろったところで席に案内されるという段取りである。こういう場があると、現地待ち合わせは格段に心地よくなる。海外のレストランにもウェイティングバーというのがあるが、あれも意味としては同じだろう。残念ながら、日本の和食空間で待合のある店は料亭をのぞけば限られてしまうが、一軒だけ鮨屋なのに待合があるという店を知っている。(これは回會メンバーである三浦さんところの仕事なので、当然茶室風の待合をつくるなんぞお家芸ではあろうが、スペースのゆとりがないとなかなかできないことである。発注した側の志が高いのであろう)そして、ここ八雲茶寮も茶寮と名付けられているくらいだから、志はそうとう高い。

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 席入りした後は、本日の食材のプレゼンテーションである。季節は晩夏。来る秋の象徴である松茸の顔見世である。涎が出る。太刀魚も巨大である。茄子やアスパラガス、みょうがもぴちぴちでみずみずしい。

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 しょっぱなのお皿は、茄子とアスパラガスである。ほとんど新鮮な状態のものをスペシャルなソースに漬けていただく。(残念なことに、写真を撮ったはいいが、料理の詳細の記録を失ってしまった・・・ディテールは割愛させていただく)。続いて鱧三種。落とし、押し寿司、パリっと炙って唐墨をふりかけたもの。こういうアワセ・キソイ・ソロエは紛れもなく日本の方法である。日本酒は特別純米酒「姿」。時代を経た色絵のように見えるぐい呑でいただく。こちらのうつわのほとんどを作っている岡慎吾さんの作品である。お椀のかわりに出てきたのは、すっぽんのスープ。どこまでも澄んでいるのに、滋味深い。お造りは鯛。関西では状態のよいものを活かってる(イカッテル)と言うが、まさしくそう。痺れるほど枯淡な味わいの白磁の皿がまたよい。二皿目はマグロ。赤身、中トロ、大トロとこちらも三種盛り。芥子でいただくというのも乙である。日本酒の杯が進む。辛口純米の「真野鶴」。マグロ独特の味を、すっきり流してくれる。そして、豪快にも松茸の天ぷらが登場した。魚の姿造りというのはあるが、松茸の姿揚げは初めてである。厳密には天ぷらではなくフライであるが、すだちをきゅっと絞って、さくっと噛めば麗しい香りが立ち昇る。続いてのお肉も火の入れ方が絶妙。桃の練乳がけで口直しをした後は、太刀魚のしゃぶしゃぶ仕立て。たっぷりのねぎとミョウガと一緒に出汁にくぐらせて。これ、家でも試してみたい。太刀魚をこんなふうにいただいたのは初めてである。食事はそのしゃぶしゃぶを卵でとじたものと一緒に。二回目も非常に満足である。

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 食後のデザートは、茶房と呼ばれる空間に移動して、その場でつくってくれる和菓子を味わう。まずはきんとん。続いては、瞬く間に桔梗が形作られた。職人さんの手わざを見ているだけで楽しいし、何よりできたての和菓子をいただく贅沢さよ。抹茶をいただいて、ゆっくりと茶寮を後にした。

 こちらでは、四季折々の和菓子を紹介する「和菓子の愉しみ」、「茶歌舞伎」という遊びを体験できるイベントや、私が待合と(勝手に)呼んでいるサロンでも陶芸などを中心にした企画展が行われている。夜は紹介制だが、朝餉、昼懐石、ティータイムは誰でも入れるとのこと。時間や場面に合わせて、いかようにもスタイルを替えることのできる融通無碍な場である。

2015-03-09 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

伊予灘ものがたり

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 九州のクルーズトレイン「ななつ星」が話題になっている。豪華鉄道の旅といえば、オリエント急行を思い浮かべる世代であるが、日本では「カシオペア」以降久々の豪華鉄道である。しかもその豪華の度合が半端ではないところが、たまらなく旅情と憧れをかきたてる存在になっている。が、ゴージャスすぎるゆえ、「ななつ星」に乗るのは狭き門である(いつかは乗ってみたいとは思うけど)。

 ところが、今回内子行きを計画しJRの時刻を調べていたら、四国にも「伊予灘ものがたり」という鉄道が走っていたのである。区間は松山・八幡浜間。お値段も1,930円とリーズナブル。これなら、内子から大洲に移動して観光した後に、松山まで乗れるではないか。車両は2号のみで、全席グリーンシートである。路線は4つあって、それぞれ時間は決まっている。松山に夕方につく道後編というのを購入した。他の路線は昼頃の運行なので、予約しておけば土地の有名レストランの豪華弁当が食べられるらしいのだが、残念ながら道後編は時間が遅いので弁当はなし。だけど、まあ何かあるだろう。

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 大洲のホームで待っていると、定刻通り黄金色の車体が滑りこんできた。2号車である。「伊予灘ものがたり」の列車は二両編成。1号車は伊予灘のクライマックスである夕日をイメージした茜色、2号車は太陽と愛媛の柑橘類の輝きを表す黄金色。その2号車に意気揚々と乗り込んだ。車内は海を向いた展望シートと、食事ができるボックスシート、一段高くなった2名用の対面シートである。母と妹は向かい合わせの対面シートに、私は在来線と間違えて大洲から乗ってしまったおじいちゃんと一緒である。そりゃあ列車が来たら、知らずに乗ってしまう人もいるだろう。こういう人にも車掌さんがやさしく接しているのが、微笑ましい。1号車との間にはバースタイルのカウンターがあり、ここでちょっとしたオードブルやアルコールも注文できるのである(しかもアテンダントがテーブルまで持ってきてくれる)。時刻は5時に差しかかろうかというトワイライトタイム。適度なアルコールは、ロマンティックな夕日を眺めるのに不可欠であろう。

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 まずは日本酒「梅錦」が作っているビールに、内子豚のハムや燻製卵、チーズのオードブルを注文。ビールのボトルには、列車がデザインされているし、ビールグラスにもロゴが入っている。新幹線の食堂車(帝国ホテル派だった・・・ビーフシチューがお気に入りであった・・)が大好きだった身としては、ちゃんと列車の中でアルコールやおつまみが供されるのはたまらないのだ(自分で買って持ち込むんじゃなくてね)。車窓の風景を眺めながら、ゆっくりと味わう。メニューにはスイーツもあって、母たちはそれを注文していたが、私は魚肉ソーセージというのも発見してしまった。なにしろ、このあたりは「じゃこ天」の本場である。魚肉ソーセージも旨いに決まっている。で、梅錦と魚肉ソーセージというなかなかファンキーな取り合わせも注文した。列車に揺られながらいただく日本酒と酒の肴は最高である。目の前には伊予灘のおだやかな海景がある。心地よくならないわけがない。

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 「伊予灘ものがたり」は途中何箇所かで、走る速度を落とし風景をゆっくり見せてくれたり、駅に一時停止したりする。アテンダントと呼ばれる乗務員による沿線紹介のアナウンスもある。さらには、途中の駅で駅員さんやご近所の人たちが手を振ってくれるというサプライズもある。それに勇気をもらい、今度は車窓から沿線にいる人たちに手を振ると、田んぼで作業している人や車に乗っている人が手を振り返してくれる。走る列車に向かって手を振る、振り返すというそれだけの行為が、なぜこうも胸を熱くするのだろう。昔は鉄道に手を振る光景はよく見られたものである。だけど、見知らぬ者同士が触れ合うこと自体がどんどん少なくなっている。電車に乗っていても隣に座っているのは赤の他人。挨拶もしないし、口も聞かない。そのほうが安全だし、厄介事も起こらない。そんな時代だからこそ、見知らぬ者同士のいっときの交歓が、こちらの琴線にぐーっと触れ、なんだか涙ぐみそうになるのである。

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 わずか1時間半あまりであったが、見知らぬ人と触れ合う旅情というものを感じさせてくれる旅だった。おまけに酒が飲める。ちょっとしたおつまみやスイーツも食べられる。おだやかな伊予灘の風景も堪能できる。移動することそのものを楽しむ鉄道の旅。ときには急がずに、ゆっくりのんびり行こう。それも旅の醍醐味である。

2015-03-04 | Posted in 千夜千食Comments Closed 

 

オーベルジュの朝食

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 オーベルジュの朝ごはん。

 すがすがしい空気を吸いながら、ダイニングルームへと歩く。目覚めのジュースは、トマトにセロリ、小松菜にリンゴ、バナナをミックスしたもの、そして愛媛のみかんの三種類。どれもしっかりと濃い。それを適量グラスに入れて出す。これなら全部おいしくいただける。朝どれの野菜や果物をすべて味わってほしいという心配りであろう。

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 パンも枇杷の葉、くるみ、トウキビ、もち麦、ジャバラと内子の素材を使った焼きたてが出され、どれにしようか悩んでしまう。もち麦の入ったトーストの美味しさは格別だし、昨夜シャーベットでいただいたジャバラはパンに入るとまた独特の果実味が味わえる。野菜のコンソメスープの後は、これも地元の新鮮な野菜やキノコのサラダに、内子豚のベーコン、有精卵のポーチドエッグ。野菜ひとつひとつに本来の味があって、もともと野菜ってこういう味だったんだと改めて驚く。都会に住む野菜嫌い(嫌いというわけではないが、あまり積極的に自分では買わない)は、こういうとき素直に感動するのである。毎朝、こんな食事をすると、きっと身体も変わるのだろう。

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 朝食の量もちょうどよく、その配慮にも感心する、旅館などに泊まると食べきれないほどの量を出されることが多いが、今は質の時代。美味しく食べられるちょうどよい量の見極めも大事なことだなと思う。

 けっして過剰ではない。押し付けがましくない。だけど、控えめな中に、ちゃんと自分たちの哲学のようなものがある。それがさりげなく、施設のそこここに、感じられるオーベルジュである。来年も文楽の時期にまた来たい。

2015-03-02 | Posted in 千夜千食No Comments »