2015-11
オークションディナー@京都
祇園の若旦那情報である。どうやら京都でもNOMAの宴なるものがあるらしいという情報。平日の夜だったので面白そうやんと参加することにした。
正式にはKYOTOGRAPHIEという写真を中心としたアートイベントの一環としてのオークションディナーである。メインは国際写真祭で、ディナーの後にあるオークションが目玉なのである。このディナーにNOMAを率いるシェフのレネ・レゼピが参加し、しかもオークションにはNOMAのディナーを予約する権利も出るという。
会場はハイアットリージェンシー京都である。会社帰りに超高速で駆けつけ、なんとかスタートには間に合った。ディナーの前にレネ・レゼピによるNOMAのプレゼンテーションが始まった。最初にNOMAの日本上陸に際して、彼らがどれほど周到な準備をし日本の地方でいかに食材を探したかの旅の映像記録が流れる。たしかに日本人である私も知らないようなスパイスやキーウィの原種などが出たものなあ(第189夜)。そして驚くことに、レネ率いるスタッフたちは本当に日本の各地に足を運び、素材を吟味しているのである。これは貴重な映像であり、ちょっとしたドキュメントストーリーで、NOMAファンにはたまらないものであろう。ご本人も登壇し、いかに日本の食材にインスパイアされたかを語ってくれる。
そしていよいよディナーが始まったが、このディナーにはNOMAは一切関与していない。これはハイアットリージェンシーの総料理長によるもので、これはこれでまあそんなに悪くはなかったけれど、NOMAでもNOMAとのコラボレーションでもなく、やっぱりな。そりゃあ、東京のマンダリン以外でも食べられるのなら、意味ないよな。など落胆をひとり心の中で慰めながら、いただいたのである。ま、ホテルのフレンチである。それなりに美味しかったとだけ言っておこう。
食後はいよいよオークションである。新進気鋭の海外フォトグラファーの作品が次々にオークションにかけられる。ハッセルブラッド社のカメラがついてくるなどマニアならたまらないようなおまけまでついている。さすがにオークションの場というのは、もの凄い高揚感があり、興奮のあまり思わずひと声上げそうになるのだが、そこはぐぐっと我慢。そうこうしているうちに、NOMAのオークションが始まった。コペンハーゲンのNOMAディナー予約権利(料理含む)、2名分が2組と4名分が1組。キッチンツアー、NOMAスタッフと一緒にフィールド・トリップ、サイン入りクッキングブックという魅力的なおまけもついている。もちろん、コペンハーゲンまでの旅費と、現地での滞在宿泊費は別途である。
世界でいちばん予約が取れないレストランの予約権利。ううむ、いったいいかほどぐらいまで値がつり上がるのだろう。話のタネとして10万円ぐらいまでなら、競り落とせるかな。と思っていたが、瞬く間に10万超えして、私も「10万!」「15万!」までは声をかけたが、その後はあっさりとあきらめた。2名分2組はそれなりに熱い競り合いとなったが、最後の4名分は2組目の2名分と同じ価格で落札され、4名分を落とした人はずいぶんよい買い物をされたと思う。
祇園の若旦那は、伝説のDJが関西圏ならどこでも出張DJしてくれるという権利を競り落とし、すこぶるご満悦であった。オークションメインのディナー。ま、こういう一夜も、たまになら悪くない。
大阪「トラットリア・パッパ」
漢三人で(トーゼン、私も入ってる)なんだかもやもやしている気分にお疲れ様を言うべく、ちょいと食事でもということになったが、居酒屋だと腰を据えてしまいクダ巻いたり、暴れてしまうかもしれぬ。それはちと具合が悪い。で、いろいろ探していて、はた、と思いついた。イタリアンなので女子率は高いが、ここならおっさんが少々騒いでも、あんまり目立たなさそうだし、そういうグループにも優しく接してくれそうな懐の深さを感じる。よし、ここにしよう。
予約が取れたので、翌日さっそくやって来た。ここは魚介類オンリーパワフルイタリアンと謳っているのである。魚介類好きのオーナーシェフが毎朝、中央卸売市場で仕入れてきた新鮮な魚をいかようにも料理してくれる、魚好きにはたまらない店なのである。メニューも、決まったものはあるものの、その日の魚介類をどう食べるかいろいろ相談しながら、食べたいものを作ってもらうというのがベストである。こういう店が私は大好きであるし、何より、何でも来いという心構えが男らしい。
まずはイタリアのスパークリングワインを。フランチャコルタのサテン。エレガントな泡立ちに白い花の香りがするシャルドネ100%。おっさんには少々もったいないけれど、私も飲むのでまあいいか。ひと皿めは、本日のおすすめである金目鯛と清水鯖のカルパッチョである。豪勢かつ大胆な切り身は、ほとんどお造りの感覚だ。金目鯛なんて、昔は静岡まで足を運ばないと食べられなかったと記憶しているが、ここ何年かのあいだに鮨屋でも普通に出るし、とうとうイタリアンでも使うようになったのかと感慨深い。そして、日本の流通システムの迅速さとスムーズさを思う。今や、どこの産地の鮮魚だってお金さえあればすぐさま手に入るのだ。イタリアンを食べに来て、日本という国の素晴らしさに気づく。システムがきちんと機能しているだけでなく行き届いているというのは、なんとありがたいことだろう。
前菜二品目は生ハムとモッツレラとトマトのサラダ仕立て。生ハムだって、今やあたりまえのようにどんな種類のものでも手に入るし、作ることもできるのだとまたしても感慨にふける。大昔、生ハムを国内で製造することはご法度であった。輸入されるものもほとんど種類がなく、当然とても高価であった。メロンと生ハムの一皿など、そうおいそれといただけるものではなかったのである。それが今では、バルでも気軽にいただけるようになったし、国内でも志の高い職人たちが、驚くべき味の生ハムを作るようになっている。そんなことをしみじみ思いながらいただく生ハム。普通に美味しい。そういえば大昔、フィレンツェの市場で生ハムや生サラミの塊をしこたま買い込んで、スーツケースの中に隠して帰ってきたことがある。税関で見つかれば没収される。それでも持って帰りたい。最悪のケースを想像して、もし見つかったら「じゃあ、ここで全部食べます」とその場でむしゃむしゃとハムを食べる様子までありありとイメージしていたが、すっと通してくれ拍子抜けしたことがある。その夜は家の近所の天皇バーに塊ごと持ち込んで生ハム祭りを楽しんだ。古き好き思い出である。そうこうしている間にワインは二本目。フランツ・ハースのマンナという白ワイン。しっかりと熟成したバランスのよい味わいである。で、この食べかけ(失礼)の白いのは白子のグラタン仕立てである。たいへんよろしいお味である。ま、白子さえ入っていれば、私は満足。笑。
パスタはカニがたっぷりのスパゲティ。これをするするっと啜った後は、メインのアクアパッツアである。本日の魚はスズキ。そこにムール貝、あさりを加え、たっぷりのトマトと共に煮込んだ南イタリアの郷土料理。ま、イタリアン潮汁であるな。スズキの身はほろりと取れ、ほっくりした白身をガーリックのよく効いたスープに浸していただく。海の恵みをあますことなく味わうひと皿。大満足かつ大満腹である。魚一匹まるごと堪能することについて、私の中で揺るぎないナンバーワンは何と言ってもキンキの煮付けである。続いて、ノドグロの焼き物、鯛の塩焼き、カレイの煮付けあたりの順番になるのだが、和風以外で挙げるとしたらこのアクアパッツアと中華の蒸し物は入れてもいいと思っている。それにキンキの煮付けは、どんなに大きくてもひとりで食べたいが、このアクアパッツアは二、三人でわいわい言いながら、取り合いしながら食べるのが、ダンゼン楽しい。そして、そうやって夢中になって食べている間に、なんだかもやもや気分はすっかり吹き飛んでおり、「もやもや」からいきなり「どやどや」といういつもの気分に戻してくれたのである。パワフルイタリアンに感謝、である。
讃岐うどん「はゆか」
うどん県の生まれと育ちであるが、15歳から県外の学校に出たまま故郷では生活していない。もちろん実家に帰ればうどんを食べに行くが、365日あたりまえのようにうどんが日常にある生活ではない。そこへ行くと妹はほぼネイティブであるので、あいもかわらず毎日のようにうどんを食べている。実に羨ましい環境にいるのである。
ある日、その妹から電話がかかってきた。以下「」内は高松弁。
「おねえちゃん、ものすご美味しいうどん屋発見したん。今度帰って来たとき行こ」
「え、それどこにあるん?なんちゅうとこ?」
「はゆかいうん。 今わたしの中ではナンバーワンや」
はゆか。そうこの地名でぴんと来た人はかなりのうどん通であろう。はゆかは羽床と書く。かの名店「山越」はこの羽床と呼ばれる地にあるのである。
「え、はゆか?」
「綾歌のほう、山越の近くや。車でないと行けんとこ」
「え、山越より美味しいん?」
「おねえちゃん。言うとくけど、話にならん」
「なんとな!話にならんとな!」
名店「山越」が話にならんくらい旨いというそのうどん。もちろん、羽床にあるのである。香川のうどんの中でも、旨いうどんは綾歌郡あたりに集中している。地図でいうと高松市と琴平町を一直線に結んだちょうど真ん中へん。このへんはうどんの聖地なのである。
帰省したついでにさっそく連れて行ってもらう。母と妹も一緒である。刻限は昼少し前。幸い、そんなに長い行列はできていない。列の最後尾がちょうどうどんを打っている作業場の前。手前のガラスには食べログのベストランチに選ばれたというポスターが貼られており、古いのは2000年。私が知らないだけで綾歌郡ではすでにポピュラーな店であるらしい。期待は高まる。
さて、何にしよう。妹が肉うどんが旨いというので、肉うどんとちくわ天を2本。さて、どんなんだろう。わくわくしながら、最初の一口。ずずーーーーっ。う、旨いっ。なめらかなのに、強いコシ。噛み切るとぷにぷにの食感。再び、ずずーーーーっ。う、旨いっ。妹を見やり「なに?これ?」と目で合図すると妹もにんまり。ずずーーーーっ。う、旨いっ。うどん歴は妹よりずっと長い母も「これは、たいしたものや」と頷く。ずずーーーーっ。う、旨いっ。いりこがぷんと香る澄んだ出汁に煮込んだ牛肉の甘さが溶け合い、当然のように最後の一滴まで飲み干してしまう。
これは、たまりませんな。どうしてももう一杯食べないと気がすまない。が、すでに正午。行列は店の外まで続いているのだが、おかわりは大丈夫だろう。「あのう、すみません。もういただいたんですけど、おかわりはここで言えばいいですか?」とレジで尋ねる。「あ、いいですよ」と快く注文を聞いてくれる若い男の子。よし、ではカレーうどんにしよう。「カレーうどん、玉子落としてください」それを見ていた妹もおかわりを注文しに来る。母はさすがに無理であったが、タマネギの天ぷらがずいぶんお気に召したようで、それをおかわりする。
よく躾けられた大型犬のようにテーブルに座って(心の中で舌を出しハッハッハッと)「待て」をしていると、カレーうどんができたとの声。待ってました、カレーうどん。じゃがいもゴロゴロ、にんじんざくざく。この見るからに素朴な風情こそが、うどんの聖地で食べるカレーうどんにふさわしい。再びいただきます。ずずーーーーっ。う、旨いっ。ううむ、カレーも馬鹿馬である。お出汁が、またしこしこの麺によくからむの。それにしてもこのコシをなんと表現しよう。嚼むとうどんに歯型がつくような感覚の弾力でありながら、けっして固くなく、すっと喉を通り過ぎて行く。うどんそのものに力強いパワーがありながら、出汁との親和性がきわめてよいのである。
天ぷらさえ食べていなければ、このあともう一杯ぶっかけくらいは行けたかもしれない。が、母がさらにテイクアウトしたタマネギの天ぷらも、カリカリなのに中はむっちりしており、病みつきになる旨さであった。うどんの名店は、旨い天ぷらも揚げる。これは真理である。
ああ、それにしても、綾歌郡。今の私にはそんなに気軽に来られないということだけが、悲しい。
新地割烹「竹膳」
みーさんは、クライアントでありながら我々の兄貴分のような存在である。今は仕事を通じてではなく、思い出したようにときどき一緒にごはんを食べて、情報交換をする間柄である。今回は、僕がちょくちょくひとりで行く肩肘張らないところに連れて行くからということで仕事の相棒とともにやって来た。
新地の堂島よりのビルの奥まったところ。店はカウンターにテーブル席、そして奥に小上がりがある。そこに陣取って、まずは日本酒を注文する。おすすめは、小左衛門の特別純米美山錦、しぼりたての生。長野県産の美山錦を使い、岐阜で仕込んだ旨酒である。しぼりたては季節限定。杏やりんごのようなほのかな香りがするそうだが、たしかにやさしい酒である。くいくい行けてしまう。私もたいがい酒のペースは早い方だけど、みーさんと来たらもうぐいぐい、ぐびぐびという感じ。
こういう店はコースではなく、その日のメニューを見て、食べたいものを手当たり次第ジャンジャン注文する。日頃は吟味されたひと皿ひと皿いただくおまかせスタイルが多いので、こういう店でたくさんのお皿をテーブルに並べ、あれもこれもといただくのは楽しいし、相棒と好きなものを奪い合いするのも愉快である。
しかし、男性というのはポテトサラダが好きだな。私が知る限り、それがメニューにあれば、ほとんどの人が注文している。あれは一体なんであろう。上は団塊世代から、下は20代まで、みんな大好きである。あれもおふくろの味なのか。そして今夜もみーさんは当然のように、ポテトサラダを注文する。そこへ魚好きの私が、お造りの盛り合わせを頼む。こういうときの暗黙のルールは、それぞれが食べたいものを2〜3品注文するというスタイル。なので、お造りに続いてはふぐの唐揚げと白子焼きも頼む。するとみーさんは、ぬたと蓮根のはさみ揚げ、牡蠣フライと続く。「魚ばっかりやないか」と相棒が文句を言いながら、出汁巻きに、サラダ、ローストビーフを追加する。結果的に、魚も肉もバランスよくテーブルに並ぶことになるのである。
どの皿も板前さんがしっかり作った料理なので美味しいのであるが、小上がりで畳の上に座り、日本酒を飲んでいるうちに、どんどん座はくだけていく。もちろん最初は仕事の話を真剣にしているのであるが、ぐいぐいぐびぐび酒が進むにつれ、話はどんどん与太っていき、しまいにぬたをつつきながら、ぬたはなんでぬたというのか、などという馬鹿バナシへと展開していく。ぬたの話は以前にも酒席で話題になったことがあるのだが、まず語感がなんともいえずこの料理の印象をうまくいい当てている。しかも、見るからにぬたっとした風情。ぬたぬたしたその雰囲気からそう名づけられたとか、味噌のどろっとしたビジュアルがいかにも沼を連想させるからとか、そいうえばぬたくるという動詞(ないけど・・)にはのたうちまわる感じもあるなあとか、酔っぱらっているので好き勝手いうのが楽しいし、こういう与太話から思いがけないアイデアというのも生まれたりする(いや、実際仕事のアイデアはこのところほとんど雑談から生まれている)ので、私はこういう時間をこよなく愛している。
さて、ぬたである。語源由来辞典で調べてみると、ぬたはやはり、味噌のどろりとした見た目が沼田を連想させるからこの名がついたとあり、ああやっぱりなあと再び盛り上がる。そういえば、以前浅草の天丼で有名な店でぬたを注文したことがあって、真っ黒い一品がやって来たので、「これ何ですか?ぬたを注文したはずだけど」と言うと、「それがぬたです」と言われたことを思い出す。関西でぬたと言えば、白味噌と相場が決まっているので、真っ黒いぬたには正直魂消てしまったのである。かの地では白味噌ではなく、八丁味噌を使っており、味もかなり濃いめであった。しかしネタがマグロであることを考えると、このケースはやっぱり八丁味噌のほうが正解なのだと思う。というようなことも口にし、ぬたネタだけで一時間盛り上がる。そして、シメはちりめんじゃこをかけたごはんに、お吸い物。
まことに、こういうスタイルは気取らなくって、馬鹿言えて、実に楽しいのである。こんな店を何軒かキープしておきたいものである。
神戸三宮 鮨「栄美古」
長年タイミングが合わずフラれ続けた店である。やっと互いのスケジュールが合った。ご縁ですね、こういうの。
三宮駅と中山手通に挟まれたエリアは、震災以降、風景がすっかり様変わりした。昔のようにブラブラできる繁華街というよりは無国籍の歓楽街の様相を呈しており、もう十年ほど足が遠のいている。だが、さすがに20年も経つと、少しずつ昔の姿を取り戻しつつあるのはうれしいことである。北野坂に向かう道をまっすぐ上がっていき、ちょっと西に入って、山側に折れたところ。もう店構えからして、旨い鮨屋の雰囲気に満ち満ちている。
煤竹でできたシブい引き戸を引き、こんばんはとカウンターに座る。旨い鮨の匂いがする。うん、まずは正解。しかも三千盛があるではないか。日本酒のラインナップは、男山、三千盛、黒龍、萬寿、獺祭、八海山。ワインも充実している。カウンターにはかのケンゾーエステイトがつくるrindoも並んでいた。私は和食、とくに鮨のときには、時と場合によってはグラスシャンパンくらいはおつきあいで飲むことはあっても、ワインは絶対合わせない。生の魚に発酵させたブドウ酒はいくらなんでも合わないだろうと思っているからである。日本の魚や酢飯に合うのは日本酒に決まってる。誰がなんと言っても日本酒なのである。
であるので、当然三千盛である。まず出てきたのは、ふぐ。関西の鮨屋では冬は普通にふぐが出るということをしばらく忘れていた。ありがたや。ポン酢でいただく。コリコリの身。やっぱりふぐは冬の王者の三盆指に入るな・・と一人悦に入る。出足は上々である。続いては、平目の握り。うん、これもよくイカっている。小皿は、ハリイカに納豆醤油をかけたもの。なかなかのお味である。四角い物体は、アコウの煮こごり。すっと舌の上で溶けていく。小さな呑水に入っているのは、生穴子のタタキ。ううむ、これは初めて食べたぞ。馬鹿馬だ。赤貝のお造りも、申し分のないイカり具合。コリコリである。三千盛がどんどん空いていく。
次の平目のヅケはちょっと辛かった。そのせいかどうかは知らないけれど、ここで青のりの赤出しが出る。ナマコとこのわたは、酒飲みにはたまらないアテになる。ちびちびやるつもりが、三千盛をぐいぐい。こりゃ戦略だな。のどぐろの焼物は、こんがり焼かれた皮の下においしい脂がたっぷり隠れてる。握りは連子鯛。こちらはレンコと呼ばれる鯛の仲間。すっきりした旨味がある。小皿はカツオのたたきにタマネギをのせている。萩の小皿には平目の明太子和え。ここで茶碗蒸しが出され、中入りである。
小皿攻撃のアイダに握り。テンポよく美味しいものが少しずつ出されるスタイルは、通常の鮨屋のダンドリを楽しく裏切って次は何が来るのだろうかとわくわくさせてくれる。好きだな、このプレゼンテーション。さて、中入りの後はいよいよ握りだな。まずは中トロ。非常に美しく、ほとんど全身トロになりかけている中トロである。お次ぎは何の握りかなと思いきや、もう一品変化球。自家製カラスミである。このなめらか、かつ美しい切り口を見よ。中はしっとりと生の状態になっている。小さな手巻きは、根室の雲丹。海苔で包んでさっと巻いてくれる。赤いのは煮イカ。こんなの鮨屋で初めて食べた。ここでまたしても小皿攻撃。ふぐの白子を塩焼きにした一品。握りを食べて、小皿を堪能して、また握り。リズムは完全に店側に牛耳られている。うふふ、悪くない。このこんがりしたのは、なんとマグロの脳天のヅケ。旨いっ。旨いよ。そしてまた小皿。今度は煮ダコである。しっとり柔らかく、噛み締めるとほんのりまだ磯の香りがする。
コハダでちょっとさっぱりした後は、煮ハマグリ。甘めの煮切りがハマグリの柔らかさに、やさしく寄り添う。ああ、旨い。にんまりしていると、またしてもおつゆ。今度は大貝のスープである。ここからは握りの連打。穴子。柔らかく煮た後、香ばしい焦げ目をつけた一級品。ああ、もう一貫おかわりしたいが、我慢して次を待っていると、この美しい色はマグロのつら身だという。ほっぺのあたりのいちばん美味しいところ。そして酢できゅっと〆た平目。ラストは、ヨコワの腹身。もう、脂が乗りまくっていて、ほとんどトロと変わらない。デザートに玉子をいただいて、めくるめく鮨コースが終わった。
ネタにひと味工夫を加え、飽きさせることなく食べさせる。たとえば、平目はシンプルな握りだけでなく、ヅケに明太子和え、酢〆と四回登場。マグロも中トロ、脳天のヅケ、つら身と部位の違うのが三種類。アイダに小皿や違うネタをうまくはさんでいるので、同じものを食べているという感じはしないし、この構成を職人芸のように見せかける域に持っていっているのが上手い。こういう流れもあるのだなと頷ける非常に楽しい時間であった。
また、タイミングが合いますように。