2014-10

香川丸亀「永楽亭」

 ご縁があって、歌舞伎役者尾上松也さんと食事をご一緒した。もちろん熱烈なタニマチの方にお誘いいただいてだ。金比羅歌舞伎の後に食事と聞いていたので、琴平にそんな店があるのかと思っていたら、丸亀まで出るという。高松出身の私ではあるが、丸亀へは数回しか足を運んだことがない。子供の頃丸亀城に行ったのと、父がまだ元気だった頃骨董の売り立て会に連れて行ってもらったのと、猪熊源一郎美術館に足を運んだこと、あとうどん。ぜいぜいそんなものだ。だから丸亀の土地柄も知っているようで、実はほとんど知らない。だけど、わざわざ琴平から出向くということは、役者さんをご招待するような店があるということだ。そしてその店は看板を出しておらず、所在を知っているタクシーでしか行けないという。なんだか、わくわくしてきた。

 しかし、道のりはなかなか遠い。タクシーの運転手さんもたしかこのあたりと見当はつけているのだが、看板がないので周辺をしばしぐるぐるとまわり、ようやく到着した。暗くて外観の全容はよく見えなかったが、煤竹を外壁にあしらった和モダンな佇まい。ところが中は完全数寄屋風。通されたのは庭に面した堂々たるお座敷である。

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 松也さんご一行が来るまでに、私たちはシャンパンでも飲みましょうかとタニマチのマダムが誘う。シャンパン?私に異論があるはずがない。イチゴとドライいちじくをアテに、マダムとそのご主人と気分よく盛り上がる大人の時間。と、玄関が開く気配。ご一行が到着したらしい。やがて松也さんが入ってこられる。

 事前にマダムと、私たちはこことそこで、松也さんにはここに座ってもらうのがいいわね、でお弟子さんたちはこのへん、と席決めしていたが、座敷の入り口で正座して挨拶した松也さん、すっと立ち、迷うことなく私たちがここと決めていた席へおさまった。この見極め、さすがだと唸る。普通の人間ならお座敷での席順についてすったもんだするものだが、その場の人数、それぞれの役割を考え、本日の主役である自分の座る位置を瞬時にして判断する。若いのにまったく見事だとしか言いようがない。立ち位置というものがつねに決まっている歌舞伎の人だなと感心してしまう。

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 さて夕餉である。まずは、シャンパンで乾杯しつつ、筍の田楽を。木の芽の香りがすがすがしい。お造りは鯛。瀬戸内海でも四国側でとれたものをいただくのは久しぶりである。お椀は山菜のしんじょに立派な椎茸、ぜんまい。ほのかな旨味を感じるおつゆは関西仕立て。私がいちばん好きな味わいである。焼き物は鰆と筍。筍の瑞々しい渋味とクレソンの苦味を、鰆に使われた白味噌がまったりと和らげる。季節を競わせ、旬を合わせる心憎いアソート。揚げ物は可愛い色のあられを纏った山菜、もろこ、そら豆、シャキシャキの菜っ葉。蒸し物は鯛のしんじょに雲丹のあんかけ。この後シメには鯛ごはんが出た。(さすがに若い松也さんはおかわりを三杯もして、ますますファンになる。私は二杯)

 興行中の金毘羅歌舞伎昼の部で松也さんが演じているのは「菅原伝授手習鑑」<寺子屋>の武部源蔵。ただただ主君への忠義のために、その若君を守るために、まったく関係のない頑是無き子供を非情にも斬るという難しい役どころである。松也さんは源蔵についてはこれという決まった型があるわけではないので、それがやりにくさでもあるしやりやすさでもあるという。なるほど。<寺子屋>は独立して演じられることも多く、源蔵のキャラクター造形の難しさはよくわかる。全体のストーリーを知らず見た人は、なんと恐ろしく、なんと冷酷な、と思ってしまうに違いない。それだけに今日の松也さんの源蔵は、義と誠の間で揺れ動く心情がこちらにもしっかり伝わってきた。来月、文楽で「女殺油地獄」を観ると言うと、「それはとても面白い観劇のしかたですねえ。いいですねえ」と松也さんは文楽にも興味津津だった。歌舞伎では、役者が油を模した液体を威勢よく舞台にまいて、滑りまくるところが見せ場である。人形たちがどうやって滑るのか。「どうするんでしょうね」「想像がつかないですねえ」「まさか舞台に液体はまかないですよねえ」「やっぱり見てみないとわからないですね」エトセトラ・・・。本格的な懐石をいただきながら、歌舞伎について、はたまた同じ演目でも文楽だとどういう演出になるのかなどと役者さんと交わせるとはなんと贅沢なことだろう。

 誘ってくださったU夫妻に厚く御礼を申し上げる。

2014-10-31 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

同心「CHINESE TANAKA」

 ここはもともとマッサージ屋さんだった。親しくしているクライントの女性から「いいですよ〜」と教えてもらい、一度だけ行き、近所だからとすっかり安心していたらある日店はクローズし、その後に入ったのがこの店である。中華と言っても、外から覗く限りはいまどきのイタリアンのようなおしゃれな感じ。窓も大きくてカウンターがよく見える。新しもの好きだし、中華だし、ということで、ある日のランチにチャレンジしてみた。

 うーん。これは何だろう。街場の中華にしては味にパンチがない。だけど、やさしくて、なんだか心惹かれる味である。しばらく通ううちに、それは中華にありがちなケミカルな調味料を一切使っていないことからくるのだということに気づいた。ビオ中華とでも言おうか。

 中華といえば昔はあたりまえのように化学調味料を使っていたらしい。その良し悪しが議論されて久しいが、あの独特のガツンとくる味が街場の中華の本領だった時代もあった。上手い料理人は、さりげなく化学調味料を使うということも料理人自身から聞いたことがある。だけど、今となってはできるだけ自然な状態のものを自然な調味料で食べたいと思うのが多くの人の本音であろう。その流れにこの店は、直球でストライクを取りに行っている。

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 店主である田中さんは、昼も夜もひとりで料理を作っている。カウンター全10席。ランチタイムはいつも混んでいるが、段取りよく中華鍋ひとつで料理を仕上げ、デザート付きの充実したランチを提供している。オープンしてまだ間もない頃、月曜行くと中華麺でその週は毎日麺にしようと思うと言うので、一週間どんなバリエーションで攻めてくるのかと定休日の木曜以外、毎日日替わりの麺を食べに行ったこともある。飽きさせないよういつも熱心に工夫を重ねていて、私はこういう料理人の心意気が大好きなのである。

 夜も一度だけちょっぴりデラックスな残業食をと出かけたことがあるが、このレベルの料理をお腹を満たすだけの用途で使うのはあまりにももったいない。だが、あまりにも会社に近すぎるので、なかなか行けなかったのである。そんなある日、夜の講演に参加することになり一時間ほど余裕があったのでチャンスとばかりに駆け込んだ。

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 紹興酒をまずは一杯。だけどそんなに時間はない。定番の棒々鶏。海老と帆立の炒めもの。蟹チャーハン。どれも文句なしの味である。だが、やはりひとりでは少し無理があった。凄いスピードで食べたのもいけなかったが、やはり丁寧に誠実に作ってくれる料理は誰かと酒を飲みながらゆっくり楽しまなくては・・・そういうわけで、いつかは夜にちゃんと来たい店なのである。だけどあまりにも会社に近すぎるせいで、誰を誘うかが問題である。店の前を通るたびに、誰と行こうかとずーっと悩んでいる。ま、ひとりでもいいんだけれど。

2014-10-30 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

南森町「つるまるうどん」

 銀行へ出かけるというのは私の大切な仕事である。お金をおろしたり、両替したり、税金を払ったり。取引している銀行が南森町の交差点にあった頃から、いつのまにかその銀行の隣にある立ち食いうどんへ行く癖がついていしまい、銀行に行く=うどんを食べるというのがすっかりセットになってしまった。もともと昼時に行くことが多かったせいかもしれないが。
 
 今は銀行が少し離れた場所に移転してしまったので隣はコーヒーショップだが、銀行=うどんとすでに刷り込まれてしまっているので、「銀行に行ってくる」と会社を出て用を済ませると、そのまま自転車で南森町交差点へ向かう。

 めざすは「つるまるうどん」。

 あの高松の深夜カレーうどん店とは別物である。こちらを経営しているのは大阪のフジオフードであるが、ここのうどんはなかなかいけるのだ。

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 その理由は、冷凍うどんを使っているところにある。ちゃんと手打ちうどんの工程で打ってゆがいたうどんを瞬間冷凍。注文が来ると、その冷凍うどんを熱湯でもどすのである。これにより、いつでも釜揚げのあの状態が復元できるのだ。うどん県の人間としては、昔は冷凍なんてと馬鹿にしていた頃もあったのだが、加ト吉の冷凍うどんを食べてからというもの、日本の冷凍技術には感服している。ヘタなうどんを食べるくらいなら、加ト吉の冷凍うどんのほうがずっと美味しい。なので、この店が自家製麺を冷凍していると聞き、試しに入ってみたのが通うきっかけになった。今はだしが少し甘めの関西風になってしまったが、前はいりこの匂いがぷんとする黄金色のだしであった。これなら、いける。なわけで、こちらの店はもう、少なく見積もっても15年以上は通っている。

 この十年ほどの間に店舗は何度かリニューアルしており、現在の店で働いている人はなんとなく顔を見知っている程度であるので安心である。前は、すっかり顔を憶えられており、行くたんびに「まいど〜」と大声で言われるので、ちょっと格好が悪かった。なにしろうどん県の立ち食いとは違って、ここは大阪。立ち食いで食べている女性など私以外にはほとんどいない店なのだ。

 定番はきつねうどん。それにちくわの天ぷらをトッピングする。この日はあいにく、ちくわが売り切れ。そんなときはかき揚げでもよい。茄子の天ぷらというのもあって、それも悪くはない。それに、素材がなんであれ、店頭でおばちゃんが衣をつけ揚げてくれるというスタイルにはやっぱり心惹かれるのである。

 明日あたり、久々に銀行に行かなくちゃ。

2014-10-29 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

京都の割烹

 基本、美味しいものを食べるときは、すべてが吉日であってほしい。若いころのようにそうそう店選びには失敗しなくなったし、初めての店に行くときは人に聞いたりネットで調べたりと、情報を得てから出かける。だけど、こちらの期待が大きければ大きいほど、ちょっとした店の対応でがっくりすることもときにはある。そうなると美味しかったはずの料理まで、なんだか美味しくなくなってくるのである。

 本来であれば、胸を張ってこの店のことを書きたかった。

 訪れたのは三回目である。

 まず、予約の時点でいけなかった。私は8時半を希望した。すると女将さんらしき人がもっと早くならないかと言う。南座が終わるのが8時25分頃なので、やはり8時半になりそうですというと、「なるべく早くおいでください」と居丈高。時間の遅いのに対応できないのであれば、きっぱりと断ってほしかった。それでも、こちらも行きたいと思っているので、我慢する。

 8時半ジャストに入店。最初はそれなりのテンポで出ていたのだが、急に間があいた。ご主人があろうことか「調理場が今日三人も休んでて」と言う。ちょっと待って。それ、私と何の関係があるんでしょ。いつもどおりの対応ができないのであれば、潔く店を休むか客を断るのが筋ではないだろうか。黙って箸を進めていると、今度はまだ食べ終わっていないのに次の皿がやってくる。え?すると折敷の外側にその皿が置かれるではないか。え?それは、ルール違反でしょ。タイミングは?私の食べる速度も、料理の減り具合も、一切おかまいなし。こうもあからさまに店都合の対応が続き、さすがに堪忍袋の緒が切れかけてきた。しかし、我慢。ひたすら我慢。

 この夜、私以外は全員が外国人であった。某ガイドブックを見て来るのだろうが、彼らには和食の間とか作法というものが日本人ほどにはわからないであろう。みな、ひと皿ひと皿にただただ感動している様子が見受けられる。女将さんも、如才なく流暢な英語で食べ方を説明している。そのことに店全体の意識がぐーっと傾いている。せっかく海外から来てくれた人たちに、喜んでもらいたいという気持ちはとてもよくわかる。だけど、ひとりだけそこにいた日本人のことがおざなりになるのであれば、それは浮かれ舞い上がっているただのおっちゃんおばちゃんの店である。

 星付きというのは、料理だけでなく、サービスの質も問われるのではなかったか。
調理場が三人も休むというのは、この手の規模の店ではオペレーション停止を意味する。いや、一流店という矜持があるのなら、ここは臨時休業でもしたほうがずっとよいと思うし、前々からの予約であれば調理場の人間を休ませないか、何らかの策を講じるのが亭主の勤めであろう。

 しかし、「人の振り見て我が振り直せ」である。自分都合を相手に押し付けない。ビジネスでもプライベートでも注意しなくてはならないと、改めて肝に銘じる。いやあ、どんな状況であれ、経験というものを積むことは大事だと思う。

 しかし悲しいことに、見送りに出てきたご主人が「○○さんとこ行ってはる?」ともともとこの店を紹介してくれた店の名をあげたので、思わず「○○さんとこ今日いっぱいやったから」と精一杯のいやきちを言うてしもうた。

 あきまへん。ほんまに、ほんまに、まだまだ修行が足りまへん。

 お互い、コンディションのええときに、ぜひとももう一度お手合わせ、おたのもうしますえ〜

2014-10-28 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

ある昼下がりの「四川」

 またまた「四川」である。

 というか、週末に東京に滞在しているときの80%以上は、四川でランチを食べている。こちらのランチは、小さな前菜とスープ、ごはん、麻婆豆腐にプラスして月替りで4品の中から好きなのを一品選べるのである。普通の人なら充分におなかがいっぱいになるクオリティと量である。日曜、もう後は帰るだけというときには、これに白ワインを一杯プラスする。週末のちょっとした贅沢である。

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 さて。4月のセレクトメニューの中に非常に気になる一品があった。『ホタルイカの豆鼓炒め』これがね、めっぽう馬鹿馬だったのだ。なにより、ホタルイカが惜しげもなくゴロゴロと入ってる。「中華でもこんなふうにホタルイカを使うのね」と給仕してくれる人に言ったら、「シェフが富山出身ですので」と返ってきた。いいよねえ、こういう郷土愛。本場でホタルイカなんて使うのだろうか。きっとこれ、日本人ならではのセンスに違いない。それに生でいただいても新鮮であろうと思われるホタルイカをこんなにふんだんに使っているなんて。

 素材はいたってシンプルである。ホタルイカ。しめじ。白ネギ。ピーマン。それをぴりりと辛い豆鼓という調味料で炒めた一品。豆鼓(トウチ)というのは、大豆を醗酵させ塩漬けにした調味料で、けっこう塩辛い。中華では海鮮系の炒めもので活躍する調味料だが、辛さの中に大徳寺納豆や味噌にも通じる独特の風味がある。

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 この日のスープは酸辣湯(サンラータン)だった。そして定番の麻婆豆腐。ここにホタルイカ豆鼓炒めの辛さが加わって、もう口の中は唐辛子や山椒などの香辛料と発酵した調味料が、醤醤踊りまくっているのである。

 ひとつ。辛くて酸っぱい酸辣湯。
 ひとつ。辛くて舌が痺れる麻婆豆腐。
 ひとつ。辛くてコクのある豆鼓炒め。

 もうこれは、辛さが三つ巴となって襲ってくる四川祭りなのである。

 白いご飯がこれほどありがたいと思ったことはない。

2014-10-27 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

春卯月の「一柳」

 鮨のために働いている。

 なので、月一回は頑張ってここに来る。来たいと思う。

 春卯月の一柳。

 最近は気候そのものが大きく変化しているので、海流も変わるし、漁場であがる魚の種類も大きく様変わりしているとは聞く。だけど、やはり春の到来を何よりも雄弁に告げてくれるのが、貝たちの存在である。年間を通じて築地にないものはない、と言われてはいるけれど、この季節の貝の充実はやはりこの季節にしか味わえない。

 いま、最高に甘くなるのが、とり貝である。

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 鮨歴もずいぶん長いが、昔は生のとり貝など滅多に口にはできなかった。流通の問題がいちばん大きかったではあろうけど、産地でしか食べられない貴重かつ高価なネタでもあった。それが、あたりまえのように流通しはじめ、食べ慣れるにつれ、このみずみずしい食感をしみじみおいしいと思うようになってきた。そのとり貝が、まさしくただいま旬真っ盛りである。大将が、パン、パンッと俎板にたたきつけ、皿の上に置いてもまだ動いている。その躍動を箸でからめとって、スッと口に入れる。ぷりぷり。しゃきしゃき。いや、しゃくしゃくか。そして冴え冴えと甘い。海の恵みがもたらしてくれるその甘さを噛みしめながら、三千盛のきりりとした辛さをときおり流し込み、春の甘辛をゆっくりと楽しむ。乙だね。至福のひとときである。

 ところで、去年だったか夏真っ盛りにも、たいへんに立派なとり貝がお目見えしたことがある。「え、まだとれるの?どこの?」と聞けば、「京都」という答え。「え?京都???」関西人にとっては京都=京都市なので、アタマの中に???が三つくらい並んだ。「京都の上のほうです」に、ああそうか、宮津とか舞鶴の方ねと合点がいく。厳密に言えば、彼の地も京都府である。

 正式には「丹後のとり貝」と言うのだそうだ。もはや立派なブランドである。丹後のおだやかな海の中で、夏になってもプランクトンをたっぷりと食べどんどん大きくなっていく。普通は大きくなるにつれ大味になっていくものだが、丹後とり貝はどんどん厚くなり柔らかさを増し、独特の甘みをいっそう深めるのだそうだ。漁獲は5月から7月のあいだ。チャンスがあればぜひトライしていただきたい味である。

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 この日のハイライトはもちろんとり貝であったが、ツマミで出された蛤も忘れがたかった。いわゆる煮はまである。昔の関西ではほとんど出てこなかったので、今も煮はまはそんなに好物というわけではないのだが、やはり初っ端に出されると「ああ、春なのね」と巡る季節を思う。ただ、漫然と鮨を食べていてはいけないと思うのはこんなときである。素材のひとつひとつに旬を感じ、季節の移ろいを愉しむ。こういうのこそ本来の日本力の基本の基本だろうけど、鮨のためにはたらいていると嘯いてはいても旬をちゃんとわかっているかと言われれば胸を張れない私がいる。

 まだまだ鮨も、人生も、修行中である。

2014-10-26 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

白金「トリッパのクスクス」

 好き嫌いのない私であるが、いわゆるホルモン系というものを積極的には食べない。だいぶ前に女子のあいだで人気だったモツ鍋も食べたことないし、ホルモン焼きというのにも一二度しか行ったことがない。行けば、それはそれでおいしく食べられる。だけど、選択肢の中にこの分野は完全に欠落しているのだ。

 ところが、気がつけばイタリア料理のホルモン系というのは好んで食べている。その代表選手がトリッパである。昔は、オッソブッコも好物であった。こちらは骨髄であるから厳密にはホルモンとは言わないけれど。トリッパはご存知ハチノスをイタリアンなハーブや調味料でぐつぐつと煮こむ定番料理。イタリアのおふくろの味という感覚だろうか。それにしても、トリッパとかオッソブッコというイタリア〜ンな語感と、モツとかホルモンとかの泥臭〜いニュアンスでは舶来感(古い!)が雲泥の差である。いや、別に舶来のものがいいというわけではないのだが。

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 とある日の白金モレスクで。桜鱒のソテーに菜の花、新ごぼうに小海老のフリット。ブイヤベーススープまではすっと決まったのだが、メインは何にしよう。すると黒板に、トリッパのクスクス添えというメニューを発見。トリッパもクスクスも好物。それがダブルで合体している!

 クスクスが日本上陸して久しいが、初めて食したのはもう三十年近く前のニューヨーク。たしかABCアベニュー界隈の相当にファンキーなモロッコ料理の店だった。ラムの煮込みスープがたっぷりしみ込んだそれは未経験の味わいで、小さなパスタのようでもあり、形状は米と似通っているのにやはり米とは異なるもので、軽く、スムースな食感に夢中になったものである。当時はシチューやスープたっぷりの煮込み料理をかけるというのが一般的な食べ方だったように記憶している。そのうち、サラダはもちろんファルシの中身やフレンチの素材としてもポピュラーになり、タジン鍋が流行りだした頃にはほとんどセットのようになってすっかり日本にも定着した。

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 そのクスクスがトマトソース煮込みに添えられている!わくわくしながら、まずはそのままスプーンで口に運ぶ。よく煮込まれたとろとろのトリッパがトマトソースに溶け込んで、しっとり優しいママン(シェフ?)の味わい。すーうっと優しく胃袋を撫でる感じ。今度は、小皿に添えられているアリッサソースをひと匙加えてみる。するとたちまち、エキゾチックな衝撃が舌にやってくる。ペッパーとにんにく、クミンやパプリカ、コリアンダーなど、異国情緒漂うスパイスが鼻孔にまとわりつく。イタリア料理とモロッコ料理の合体。いや、別にそれを無国籍料理なんて大げさに言わなくても、この手のフュージョン、たらこスパゲティの昔から日本人はごくごく自然に取り入れてきた。そしてこういう料理が、あたりまえのように黒板メニューににあるところがモレスクのいいところ。大好きな理由のひとつでもある。ぜひ、定番化してほしいな。

2014-10-25 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

大阪「Sバー」

 アメリカに住む友人が前から一緒に行きたいと誘ってくれていた店があった。彼女はほとんどお酒を飲まないのにどうしてバーなんだろうと思っていた。連れて行ってもらって、その意味がわかった。きわめて居心地のよい空間なのである。

 まず、店主であるS氏のトークが神業なのである。カウンターに座ると、何を食べて来たのか、どれくらい酒が入りそうかということを問われる。それによって薦める酒が変わってくるからだ。たとえば脂っこいものを食べて来たなら、ジントニックで洗い流してさっぱりしてみては?といった具合。だけど、脂っこいときでも、鮨のときでも、私はここで最初に飲みたいのは断然ジントニックである。初めていただいたときの衝撃は今でもしっかり覚えている。これがジントニックであると言うのなら、今まで飲んできたジントニックはいったい何だったのだろう。そう思ってしまう出来栄えだったのだ。

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 使っているジンは英国ブルームズベリーのジン。ボトルはいかにも本格派という感じでどこの銘柄なのかはよくわからない。あまり追求してはいけない雰囲気も漂っている(笑)。このジンにグレープフルーツのわたの苦味をプラスし、トニックウォーター、ライム、仕上げに杜松(ねず)の実を入れるのである。この杜松の実=ジュニパーベリーこそが、実はジンの正体である。ジンは、これをアルコールに漬け蒸留したものなのだ。そしてそれよりもなによりも、S氏がつくってくれるジントニックの美味しさをなんと表現すればいいのだろう。アルコールを飲んでいるはずなのに、ピュアな清涼さとか爽快さを感じるのだ。「森に散歩に行く感じ」これはS氏の受け売りだ。

 しかも。ジントニックで口中を爽やかにした後、杜松の実を齧る。S氏いわく、口は受け皿であり、その皿でさまざまな要素をミックスさせ、味を完成させるのだと言う。こんなこと、今まで誰も教えてくれなかった。そういうトークがまったくもって神業なのだ。

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 ジンで世俗の脂を落とした後は(笑)、いよいよスコッチタイムである。こちらの二大看板が、スコッチとバーボンの品揃え。店内にはお目にかかったことのないボトルがところ狭しと並んでい、目移りして困るのだが、素直にこの後どうしたいかをS氏に相談するのがいちばんよい。すると、まだ森に入っている感じ?森から出てみたりする?アイルランドの高原を訪れるのもよいね、と神業トークが誘ってくる。で、やっぱりアイラのシングルモルトかなあと言えば、「ああ、一気に岸壁に行ってしまうか」などと言われるのだが、このメタファーだらけの会話の楽しさは格別である。

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 ここに最初連れてきてくれた友人はアルコールが飲めないので、彼女がそのとき飲んでいたのはホットアップルサイダーだった。ひと口飲ませてもらったが、天然のおいしい林檎をふんだんに使うとこうも甘味になるものかと唸る味で、お酒があまり飲めない人にはフルーツを使ったカクテルもいろいろ作ってくれる。写真は酔いざましに頼んだホット金柑。こういうのもたまらない旨さなのである。馬鹿馬。

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 そして、そして。特筆すべきは特製のケーキたち。そのときどきでいろんな種類を用意してくれているのだが、シフォンケーキにしても、チョコレートケーキにしても、素材を吟味して丁寧に作っているのがわかる味で、これがとてもとてもスコッチに合うのである。毎回黒板でケーキを発見してしまうと、ついつい頼んでしまう。

 こちらの店の品揃え、種類によっては世界で限定100本とか、今はもう手に入らない蒸溜所やメーカーのものもたくさんあるという。ワイルドターキーの過去の陶器ボトルのコレクションだけでも垂涎モノであるし、私の好きなラガブーリンのおそろしく高価なヴィンテージものも置いてある。(これは何かスペシャルな記念のときに飲むと決めている)神業トークと、それを支える酒のセレクトとコレクション、料理の腕前、すべてが高次にそろったプレシャス・バー。ああ、次はいつ行けるだろう。

2014-10-24 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

大阪ミナミ「ままごとや」

 「関係者連れてきたらあかんで。ここは僕の隠し球やからな」とA様。

 はい、なので大阪の会社関係の人間とは来ておりませぬ。東京のスタッフとか友人オンリー。それに大阪でもミナミとなると、そうそう来る機会はない。

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 この日は明日の四回會に備えて大阪ホテルステイなので、一緒に泊まる友人とやって来た。昼間にすでに一回目の「杉本文楽・曾根崎心中」を観ている。なので日本酒は迷わず醸し人九平次を選んだ。何故かって?「曾根崎心中」の主人公はお初・徳兵衛であるが、そのふたりを破滅へと追い込むのが敵役の九平次なのである。九平次はあまりにも理不尽な仕打ちを徳兵衛にするのである。友人であったはずなのに、いきなり豹変するのである。「曾根崎心中」の床本を読む限りでは、近松門左衛門がどんな意図を持ってこの悪役を描いたのかは、まったくわからない。物語の発端までにそれなりの意趣があるはずだと思うのであるが、それが原作には見当たらないのである。いろいろ想像、詮索はしてみるのだが、皆目見当がつかないのである。なので、せめて九平次という名の日本酒を飲むことで、溜飲を下げるのである(意味不明・・・)。2012年の純米大吟醸と2013年の別誂純米大吟醸。名前は最悪だが(笑)、味といい香りといい最高の心地がする。

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 こちらではまずは女将さんや板前さんにあれこれおすすめを聞きながらお造りをいただく。瀬戸内海を中心に、日によっては日本全国から揚がった活きのよい魚がそろっている。情報もいろいろ教えてくれる。今年の鱧は、実は淡路のより韓国産の方が格段においしいよという通ネタを囁いてくれたのものここの板前さんであった。本日は瀬戸内海の鰆と鯛。さすがに近海物、よくイカっている。女将さんが「たまにはフレッシュな野菜もね」と出してくださったプチトマトは信じられないほど甘い。これを甘露というのであろう。焼き物はブランド豚のロースト。外はかりっと中はピンク色した絶妙の焼き加減。ここで黒龍の「八十八号」というとっておきをいただく。黒龍の中でも上出来の酒は八十八号というタンクに集められるのだそうで、「石田屋」「二左衛門」に次ぐ名酒である。味もそうだが、ラベルも華やか。続いてフレッシュなイカは、生でサラダ仕立てにするのと天ぷらとのダブルで。イカだけによくイカってる(笑)。天ぷらはほくほく。〆はざくざく切ったうなぎのひつまぶし。二口ほどそのままいただいて、後はだしをかける。美味しゅうございました。

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 こちらのお店は料理方は男性、女将さんをはじめ給仕方はすべて女性という布陣。女性にとってはたいへんに気持ちよく過ごせる貴重な店である。大学時代陶芸を学んでいたという女将さんセレクトのうつわや日本酒もいろいろ楽しく、だからA様の隠し球ということでもあるのだろう。そして、私にとってもカウンターの隅っこで煙草を吸わせてくれるたいへん有り難い店でもある。

2014-10-23 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

回會扇子

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 回會をつくった記念に、せっかくだから何かおそろいのものを持ちたいという声があがった。着物を着るという掟があるので、まずは扇子を作ろうということに。どうせなら松岡師匠に「回會」の文字を書いてもらいたい。具合のよいことに未詳倶楽部の旅が目前だったので、参加メンバーで詰め寄ってお願いした。(文字通り、詰め寄った)

 今回もない藤の若旦那がいろいろと奔走してくれた。まずは扇子にする紙探し。京都中走り回って、何種類かセレクト。その中から選んでくれたのは表から透かすと丸が、裏から透かすと四角が浮き上がるという洒落た和紙。西陣の「かみ添」さん特製。「型押し」という古典的印刷技術で、多種多様の版木を使い、手摺りしてできあがる和紙は、惚れ惚れするほど美しい出来栄えである。これを扇形にカットしたものを、未詳倶楽部の現場へ持って行く。回會という文字を書いていただくためである。が、扇子という小さく繊細なものになるので、その場ではなく後日書いていただくということになった。当たり前と言えば当たり前である。我々から見ればスラスラと書かれるだろうと思われる師匠の達筆も、ご本人にとってはいろいろ吟味されていることは想像に難くない。十枚ほどお預けする。

 出来上がったとの知らせとたまたま東京にいるときが重なったので、メンバーを代表して豪徳寺まで取りに伺った。男持ち用と女持ち用、巧みに文字を書き分けてくださっており、落款にも意匠が凝らされている。折れないよう厚紙で厳重にはさんで持ち帰る。これを再び若旦那に送り返した。

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 これで扇子本体の和紙は完璧。ここからはいよいよ扇子への加工である。請け負ってくださったのは京都の「白竹堂」さん。創業は亨保三年(1718年)。西本願寺前で「金屋孫兵衛」という屋号で寺院用扇子の店を開業。後に一般用の扇子も製造販売するようになり、なんと堂号の「白竹堂」は富岡鉄斎氏よりいただいたものだという。その歴史は290年というから、堂々たる老舗である。期待が高まる。

 そしてついに完成。親骨は漆の溜塗りという本格的な仕様で、惚れ惚れするような出来栄えである。茶席でも使えるようにと茶扇子にしていただいた。茶席で使う扇子は、一般的に男性用は六寸、女性用は五寸とサイズが違う。ご挨拶するときはもちろん、お道具やお軸を拝見するとき、この扇子を膝前に置いて相手への敬いの念を表すために用いるのである。内側と外側の「境」をつくる結界の役目もしてくれる。普段は帯の左側に差しておく。(男性は袴の左側に刀のように差す)

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 扇子というと夏仰ぐために用いると思っている人も多いと思うが、本来の扇子とは儀礼や贈答、コミュニケーションの道具として用いられてきたという歴史がある。源氏物語の「夕顔」の巻で、源氏が白い花を見かけ所望したとき、隣の家の女童が白い花(夕顔)を扇に載せ光源氏に渡すくだりはあまりにも有名である。おまけにその扇には「心あてに それかとぞみる白露の 光そへたる 夕顔の花」という歌まで書かれていたのである。それがきっかけでその歌の贈り主である夕顔との恋愛沙汰にまで発展するのだから、まったくもって扇とは恋の小道具としてもたいへんに有効に使われてきたということである。今でも、お茶の先生へお月謝をお渡しするときには、茶扇子を開いて、月謝袋を載せ、差し上げる。

 そういったコミュニケーションの道具である茶扇子。回會メンバーはまだ、今のところ回會のとき帯に差すくらいしか活用できていないのだが、いずれ本来の使い方も含め、洗練と遊び心に富んだ使いこなしを探っていかねばならんと思ってはいる。

2014-10-22 | Posted in 回會記No Comments » 

 

名物の「梅欄やきそば」

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 話題の杉本文楽にお誘いいただいた。実は別件でも行くことになっていたのだがイシス編集学校のお友だちからの願ってもないお誘い。今年は文楽イヤーにしようとも思っていたし、連チャンで観劇するのも酔狂とばかり、大喜びで飛びついた。

 せっかくだからランチをご一緒しましょうということで、「梅蘭」で待ち合わせすることとなった。フェスティバルホールが、えらい立派になっていることにまずは驚く。その名も中之島フェスティバルタワーと言う。最後に旧ホールのコンサートに行ったのは誰のときだっけ。思い出せないほど昔である。そして、タワーと言うくらいだから、中身はホールだけでなく、オフィスはもちろん最上階にはフレンチレストラン、中層には屋上庭園や朝日カルチャーセンター、二階と地下一階にはレストラン街まである。完璧にいまどきのタワービルなのである。

 めざす「梅蘭」はその地下一階にある。横浜の中華街で創業25年。本場の中華料理はもちろんだけど、ここをメジャーにしたのは何と言ってもこの特製やきそばらであるらしい。

 メニューには当店自慢とある。さらには、「カリッと焼かれたやきそばの中には、あつあつのあんかけがたっぷり。今まで食べたことのない美味しさが口いっぱいに広がります」と文言がしたためてある。あつあつの“あんかけ”ではなく、あつあつの“あん”であろうとツッコミを入れたいが、まあ言いたいことはわかる。

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 前菜に蒸鶏をいただき、牛肉入り辛口梅蘭やきそばと海鮮入り梅蘭やきそばを注文し4人でシェアした。焦げ目がついてカリカリになったやきそばは見るからに食欲をそそる。これをフォークとスプーンで四等分。切ったそばから中のあんがとろりと出てきて、パリパリに乾いていた麺が急にいきいきと輝き出す。こういうのワクワクしますね。食感もとてもよろしい。普通はパリパリの麺の上にあんをかけるという常識を、くるりとひっくり返したこのやきそば。アイデアが秀逸である。「ただのやきそばじゃオモロない」という大阪っぽい精神を感じますな。横浜の店だけど。

 こういった逆発想、探せばけっこうありそうだ。すぐに思い浮かぶのは、てっぺんを割ってとろとろのオムレツを逆開きにする近頃流行りのオムライスとか、すでにルーとごはんをまぜまぜしている大阪自由軒のカレーライスとか。いろいろ考えていたら、はた、とおはぎのことを思い出した。祖母がよく作ってくれたおはぎはあんをもち米でくるんできなこをつけるスタイル。長年それがおはぎと思っていたが、大人になっておはぎやさんで見たものは、祖母のスタイルではなく外側をあんでくるんだスタイル。あの中身が何なのか。別のあんが入っているのか、それとももち米が入っているのかは長らく謎だった。食べてみればなんてことはない。祖母のスタイルの逆発想だった。要はおはぎの外見にバリエーションをつけるという手段であろう。調べてみると我がふるさとうどん県ではあんを中に入れるのがおはぎで、外にまぶすのをぼたもちと呼ぶらしい。ふうーん。一説には春の牡丹の季節に食べるのが「ぼたもち(牡丹もち)」で、秋のお彼岸の萩の季節に食べるのを「おはぎ(お萩)」と言うのだそうだ。なんと美しい見立てだろうね。もちろん、あんが外でも中でもおいしいものはおいしいし、どっちでも別に変わりはない。

 あんが中に入っている梅蘭の名物やきそばを食しながら、かようにおはぎやぼたもちのあんのことまで考えてしまった。連想は楽し。

2014-10-22 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

夙川イタリアン「江坂」

 もうかれこれ30年ぐらいになるのだろうか、一世を風靡した店である。夙川でイタリアンと言えばここ、と誰もが名前をあげる店。当時は予約も取りにくいと聞いていた。その後、一度大学のゼミの同窓会でここが指定され、そのときたしか初めて訪れたように記憶している。悪くなかった。というより、確かに美味しかった。だが、おしゃべりに夢中で、どういう味だったか、どんなメニューだったかはほとんど憶えていない。

 以来、ご縁がなかった。名前も場所もよく知っているし、評判もすごくいい。だけど、何となく行く機会が見つからなかった。それがどうしてだか夙川で食事することとなり、携帯のリストの中にその名前を発見したのだった。当日だったが、幸い席は取れた。行ってみると最後のテーブルだったようだ。

 圧倒的に家族連れの常連客でいっぱいである。夙川という場所柄そうであろうことはわかっていたが、長年通っているという感じの人たちばかりである。

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 前菜にはほたるいかのサラダ。オリーブオイルでしんなりしている菜の花とこっくり濃いホタルイカの相性に驚く。くたくたになったパブリカの酸味も効いている。そ、そして、大好物のオニオングラタンがあるとは知らなんだ。ていねいに炒められたたまねぎが絶妙なコクをしっかりと出している。海老とアボカドのサラダも、こちらの期待を上回る味付け。タコのフライはカリカリに揚げられてい、齧るとしこしこ。衣の食感もたまらない。レモンをキューっと絞って味が完成するようちゃんと塩加減が計算されている。パスタは二品。シンプルなクリームソースと写真を撮り忘れたがボンゴレ。どれも、しみじみと懐かしい美味しさであった。

 昔ながらの神戸のイタリアンを彷彿とさせる味である。世の中にパスタというものが出現する前から、神戸には「ドンナロイヤ」や「ベルゲン」など老舗のイタリアンが何軒かあって、きわめてトラディショナルなイタリア料理を出していた。今のトレンドのような軽めのイタリアンではなく重厚な味だったように記憶している。北野にも「イル・コルノ」という店があり、かつて何度か通ったことを思い出す。しっかり重く、食べ応えのある肉料理やパスタ。気軽なイタリアンができるまだ前の話である。系統で言えば、ここ江坂はそんなタイプのイタリアンであるような気がした。少し前に食べたら古くさいと思ったかもしれないが、今はその古さはていねいさを想像させる。長年しっかり修業をした上で、基本に忠実に真面目に誠実につくったイタリア料理。

 デザートにはプディングをいただいたが、卵と牛乳の存在をみっしりと感じるむっちりした味わいで、プディングは蒸し料理であることを思い起こさせてくれた。近頃なかなかお目にかかれないきわめてオーソドックスな逸品である。

 店名の前には小料理とついているが、とんでもない。ちゃんとしたきわめてオーソドックスなイタリア料理である。小料理というのは、家庭的な雰囲気という謙遜だろう。

2014-10-21 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

四川の「海鮮焼きそば」

 あは。また海鮮焼きそばだ。

 シェラトン都ホテルに泊まる理由の80%は「四川」があるからと言えよう。夜はなかなか来る機会がないのだが、ランチはもう常連といっても差し支えないであろう。長らくここのランチにはお世話になっている。メニューも充実しているし、名物担々麺も酸辣湯麺も、もちろん麻婆豆腐も秀逸至極。なので、広東風の海鮮焼きそばは気になりながらも、チャレンジの機会がなかった。

 すでにご承知かとは思うが、かつて地元の店では「海鮮焼きそばクイーン」だった。なので、メニューに焼きそばがある以上、やはり一度は食さにゃいかんだろう。

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 二連泊してチェックアウトの日のランチ。海鮮焼きそばも試してみるか。そんな気分で注文してみた。しっかり太めの中華麺。軽く焼き色がついており、少し固めで独特の食感がある。その上にたっぷりの具。写真では具たちに覆われ麺は見えないと思う。さほどに具材が充実しているのである。ぷりっぷりの海老(バナメイではなかろう)、アオリイカ、姫貝柱、干しアワビ、白身の魚、白菜、きぬさや、人参、しめじ、きくらげ。言うなれば、ハレの日の焼きそばである。そんな豪華な感じが漂っている。その名も海の幸の焼きそばである。

 たっぷりと酢をかける。酢の作用であんがゆるむのである。けっこうじゃばじゃばかけるのが好きである。そうしておもむろに、少しずつ、慎重に食べる。

 かなり薄味の広東風焼きそばである。こちらの名物である麻婆豆腐や担々麺のようにガツンと来る強烈なパンチはないが、仕事し終わった週末の安息日のブランチとしては、おだやかなこの味がしみじみと身体にしみわたる。ここのソービニヨンブランのグラスワインとも、とても相性がよい。

 気持ちにもやさしい焼きそばである。

2014-10-20 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

深夜営業の「銀座ありす」

 銀座の深夜に決め球がない。

 別に普通に食事してまっすぐ帰ればいいのだけれど、根が調子ものなので、やっぱりどこか寄ってみたい。もちろん、素敵なバーは何軒か開拓済みであるが、ちょっと小腹がすいたとき、深夜対応してくれる店はキープしておきたい。

 ねえ、ねえ、どっかいいとこない?と一柳の大将に問うてみると、ここなら深夜営業していてしかも食事もできるとのこと。歌舞伎終演が9時半過ぎのとある日、このところ鮨ばかり食べているので、ちょっと違うもので行きたいしということで、立ち寄ってみた。

 銀座に8丁目があるということを初めて知った。ずっと7丁目の次はもう新橋と思い込んでいたのであるが、それでは奇数で感覚的にも納まりが悪いし、地図にもちゃんと8丁目は表記されている。だが、昭和通りから行くと銀座東7丁目の信号を過ぎるとぐいんと第一京浜の方に曲がるので8丁目はないのである。そしてこの店は銀座というよりは汐留とか築地と言ったほうがわかりやすい立地である。もちろん住所は銀座8丁目ではあるけれど。

 店は銀座東7丁目と蓬莱橋の間の道を入り銀座中学校へと向かう途中にひっそりとある。昼間であれば、吉兆や竹葉亭など名だたる老舗が立ち並ぶエリアではあろうけど、夜間はどうにも暗い。それでもらしき灯りを発見してたどりつく。扉を開けると、中は極めてエレガントな佇まい。まるでフレンチと見紛うばかりの洗練具合。しかもカウンターにはどう見てもバカラにしか見えないグラスやデカンタがずらりと鎮座している。

 さてと。カウンターに座ってメニューを見せてもらう。店の仕立ては洋風であるが、メニューを見ると、限りなく和風の仕立てである。しかも、な、な、なんとカレーそばがある。だが、この店の雰囲気でいきなりカレーそばをずるずるというのは勇気が要りそう。カレーそばねえ・・・カレーそば・・・さんざん迷った挙句、やはりコースを試してみようと注文する。そして遠慮がちにコースの最後のごはんをカレーそばに変更してもらうという変則技をお願いしてみると、快く応じてくれる。そうそう、こういう融通無碍なところがある店って、いい店なんだよねえ。

 しかし、どうやらここは和食とワインを楽しむ店のようで、カウンターにはアンティークも含めてワイングラスがこれでもかとその美しい輝きを放っている。私は最初のシャンパンは別として和食にはやはり日本酒を合わせたいので、店の意には添わないかもしれないが日本酒を頼んだ。

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 一品目はきのこと貝のジュレがけ。土佐酢の香りがきりっと利いて、うん、なかなかよろしい。次の一品は、えんどう豆の豆腐仕立て。薄緑のいろが白いうつわに美しく映えている。たこの柔らか煮も、しっかり仕事がされている。刻みしょうががアクセント。お造りは、鯛とたいらぎ。これはこんな時間の割には、ちゃんとイカってた。お椀はすっきりとシンプルな関西風。底には、しんじょが隠れている。そしてホタルイカと金時草のぬた。関西風の白味噌はまったりと味わい深い。パリパリに揚げた甘鯛の上に白アスパラと菜の花、そして筍をアソートした一品はあんかけ仕立て。おろした柚子が散らされている。全7品。すーっと流れるように終わって、待ってましたのカレーそば。

 しかし、この流れでカレーそばというのは、やはりそうとうに違和感がある。これは、店の問題ではなく、こちらの注文の仕方が悪いのである。端正な和食の最後に、いらんもんを入れてしまったと軽く後悔するも、後の祭り。

 鉄則。和食の店でコースを頼むときは、店の流儀に従うべし。単体で魅惑のメニュー、とりわけカレーなどの個性の強いものを発見したときは、それ単体で頼むか、そんなにカレーが食べたきゃ、その後の店のシメとして注文すべし。

 なわけで、今度は深夜に小腹がすいたとき、ぜひともカレーそばを食べに来たいと思う。

2014-10-19 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

経堂の「美登利寿司」

 松岡師匠のおわします豪徳寺での「蘭座」イベントが終わり、ちょっと小腹も空いているという時間。回會メンバーも集合していたので、もう一名着物姿の姐さんも誘い、軽く食事に行くことに。若旦那が、前々から経堂にええ感じの鮨があると言っていたのを思い出し、「そこ連れてけ」とお願いしてみた。

 鮨って、こんな軽く食べたいというシチュエーションのときにも便利な食べ物。それは江戸ではもともとファストフードだったという出自からしても明らかで、自分の意志で食べる量を調整できるというのが素晴らしい。

 経堂の駅前までタクシーで移動する。こんなことでもない限り、経堂なんて来るチャンスはなかったかもしれない(笑)。めざす店は、駅前のロータリーの真向かいにある。入り口は狭いのだが、一階と二階があって、かなり広い店である。一階のカウンターに四人並んで落ち着いたところで、ビールで乾杯。

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 最初のツマミを食べて、びっくりしたのは、「このあん肝、ゴルゴンゾーラの味がする」という事実。そうなのである。大将特製のあん肝は、ゴルゴンゾーラを混ぜ込んであるスペシャルな味。強烈とも言えるゴルゴンゾーラの個性的な香りと、まったりとろけるあん肝との相性は、意外に悪くない。たまらず日本酒を注文。これをちびちび舐めながら、日本酒を少しずつ。続いて出されたのは、昆布にはさまれた鯖。いわゆる〆鯖よりももっと主張する味わいで、これも大将の手によってどうにかされている感じ。松前昆布の味付けも、濃い目。初めて食べる個性的な味である。三品目に出たのは茶碗蒸し。こちらは卵だけのシンプルタイプかと思いきや、このわたのたれがかかっている。このわたも、もちろん大好物である。たった三品のツマミを食しただけで、この店がかなりオリジナリティにこだわっているということが見て取れる。こういう創意工夫、大好物である。

 本来であれば日本酒を飲みながらもっとツマミをいただきたいところであるが、時間も時間。今日は軽めのお約束。そろそろ握ってもらいましょう。

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 最初はとり貝。これを最初に持ってくるところが、大将の気合か?シャキシャキしていて食べ応えがある。マグロのズケもしっかりした存在感のあるお味。イカは細かく刻まれており、口の中でふわっといい具合。コハダの酢もコクがある。そしてツマミでも出された昆布〆。脂の乗り方が尋常ではない。続いてカスゴ。春子と書いてカスゴと読むのだが、これ関西ではあまりなじみのないネタである。鯛の稚魚であるらしく、文字通り今が旬。軽く酢で〆てある。関西ではむしろ小鯛の押し鮨とか雀鮨などでおなじみかもしれない。そしてこっくり味の濃い馬糞雲丹。新鮮なアジ。このへんでそろそろおなかがいっぱいになってきたので、もう一回だけ昆布〆を所望する。これ、けっこう癖になる味。最後は、やっぱり穴子。こちらのはとろとろの煮穴子で、口のなかでふわりほどけて溶けていった。

 ひとつひとつにしっかりと存在感のある鮨。聞けば創業は昭和2年というから、老舗である。昔からずっと、ここ経堂で愛されてきた店であることは間違いないだろう。東京は関西に比べると巨大な広さだから、さまざまな沿線の駅ひとつひとつにこういった昔から愛されてきた店があろうことは想像に難くない。

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 さて、適度な満腹状態というのは、酒を呼びこむ。せっかくなので(何が?)白金に移動してもう少し飲もうぜ、ということになり、お気に入りモレスクに出向いた。そして、あろうことか、ウィスキー飲みながら本当のシメのシメに、雑穀米のカレーを食してしまう。もちろん、ひとり一人前ではなく、4人で分けたひと口カレーではあったが。これはこれでたまらない美味であった。

2014-10-18 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

大阪福島・鮨処「敏」

 仕事で親しくしている方からのお誘いである。とても食環境の豊かな地に部署が変わったので、秘密の隠れ家に行きましょうとのオファーである。はい、喜んで。会社見学に夕方でかけ、6時前には繁華街に移動。ちょっと待って。こんなまだ明るいうちからお酒を飲むなんていいのかしら。いや、これも仕事のうちなので、いいのである。何も問題はない。

 連れて行かれたのは福島の阪神高速池田線の出入口近く。この辺のエリアは今やうまいもの激戦区である。店構えはなかなか洒落ている。L型カウンターと入り口にはテーブル席。その横には大型冷蔵庫。中を覗くと、ズラリと並ぶ十四代。

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 大将は若い。が、大阪のリッツカールトンの和食の鮨コーナーで修行したという。一度だけお昼に鮨をいただいたことがある。それよりも何よりも、こんなに若いのにこんなに良さげなお店を持てるなんて凄いに決まっている。期待が高まるではないか。

 そして、酒。すでに冷蔵庫を覗いて凄いのがいっぱいあることを知っている。「十四代いろいろ行きまひょか」というお誘いに、「もちろん」と元気よく応える。

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 ツマミはのれそれと雲丹が仲良くデュエットする一品。生の無濾過、中取り純生の十四代というのをいただく。うーん、水の如し。ぐいぐい。ぐびぐび。肴は血の色をしたマグロとさっと炙ったカツオ。もずくトマトは、「ふーん、こんな取り合わせがあるのね」と驚く旨さ。海の酸味と里の酸味の合体。続きまして、鯛と鯖。それぞれなかなかのイキですぞ。ここで備前雄町の米でつくった十四代。あらら、生のホタルイカとよく合う。ぐびぐび。と、中入りの茶碗蒸し。なかなかこの間の取り方が心憎いやね。そしてままたくまに三杯目の十四代、こんどは本生酒のおりからみ、槽垂れというスペシャル。アテにと出されたのは、ねっとりした白味噌に金山寺。あら、これだけでもう何杯も進んじゃう。

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 ぼちぼち握っていいですかに、頷きながら、まあ、なんてきれいなイカでしょう。ここで、東一を薦められる。これもキリキリした旨い酒。だけどさ。それよりもなによりも、ちょっとみーさん、凄いペースなんですけど。ほとんど水を飲んでるみたい。ペース早すぎゃあ、しませんか?瞬く間に東一もなくなってしまう。お鮨の方は、肝を乗せたカワハギ、炙った金目鯛、コリコリのぶり、車海老と続く。「十四代も美味しいけど、私いま新政のナンバーシックスというのにハマってて」と言うと、大将「あるよ」だって(正確には「ありますよ」とちゃんと言った)。ナンバーシックスのR-type。このシリーズ大好物なんです。そしてイクラは小さな丼仕立て。楽しい!美味しい!愉快!そして真打ちの大トロ登場。これに対抗できるのは真打ちの黒龍しずく。もう、ここまでですでに日本酒、6種類。味わうというより、もうぐいんぐいん飲んでる。最後にコハダをいただいて、なんだかもうお腹がいっぱい。

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 あっという間に店を出て、タクシー拾って「帰ろ」。「今日わあ〜有難うおおお、ございましたあああ〜。ご馳走ううううさまでえええしたあああ〜」と梅田で降ろしてもらうも、心なしか(いや、確実に)酔っ払ってる。凄いペースで日本酒飲んだし。べろんべろん、で気持ちがいいわ。へべれけで何だか気も大きくなっている。ういっ。早い時間の阪急電車は、ノンストップで新開地まで行く、ということを認識できないほど酔っ払っている。電車に乗ったはいいけれど、次に、はた、と気づいたときには、なんだか見慣れぬ駅のタイル貼り。「ここはどこ?」アナウンスが「新開地〜新開地〜」わーお。思いっきり爆睡してこんなところまで来てしまった。とはいえ、時間はまだ9時前。引き返すったって、時間はたっぷり。余裕しゃくしゃく。

 酔い醒ましのカクテルを飲みに、天皇バーに立ち寄ったのは言うまでもない(あんまり覚えてないけど)。

 何やってるんだ。

2014-10-17 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

六甲「クアン・アンゴン」

 一時期ベトナムにハマっていたことがある。もうかれこれ17年くらい前のことである。カタログ情報誌を発行するのに旅の記事が欲しいというオーダーで、いきなりベトナム取材という仕事が舞い込んだ。仕事ではあるが、コーディネーターなし、カメラマンなしのひとり取材。予算も限られている。だが、そんな状況になればなるほど、人間力というものが問われるのだ。ようがす。行きやしょう。

 それをきっかけにベトナムに恋してしまったのだ。取材の後、プライベートで二度ほど行った。もちろん食事にもハマったのは言うまでもない。

 ベトナム料理の特徴は、この国がたどってきた歴史そのものでもある。古来は中国文化の洗礼を受けてきた。19世紀から20世紀にかけては仏領インドシナ、つまりフランスの植民地であった。食文化には中国とフランスが不思議にミックスされており、それが近隣のアジアの国々とは一線を画する強烈なベトナム料理の個性となっている。それにつけくわえ、自給率の高いこの国ならではの肉(牛、豚、鶏、鴨、山羊・・・)や魚(海老、蟹、イカ、雷魚などまである)、新鮮な野菜をふんだんに使用し、調味料には小魚を塩漬けにして発酵させたヌクマム(魚醤)などを使う。でもって調理方法には、中国のように炒める、蒸す、焼く、煮ると多彩な手法があり、さらにはコリアンダーをはじめとする香草もふんだんに用いる。そしてなにより、米食文化でもあるのだ。食料自給率はなんと160%。米は年3回とれる。

 なんと豊穣な食文化だろう。

 庶民の気軽な食堂であるコムをのぞけば、おかずを何品かごはんの上に乗せて食べる定食には肉や野菜がたっぷりでスープまでついているし、フォー(ライスヌードル)やチャオ(お粥)だってさまざまな具が入っていて、野菜はほとんど食べ放題という感じだった。屋台で売っているサンドイッチ(バインミー)は、バゲットにハム、ソーセージやレバーなどのパテ、そこにたっぷりの野菜、ハーブをはさんでヌクマムをかける。バインセオというお好み焼きは、米粉とココナツミルクを混ぜた生地を薄くパリパリに焼いたものに、肉や海老、たっぷりの野菜、ハーブを乗せ、二つ折りにして食べる。どの一品も肉、魚、野菜がバランスよく入っていて、食生活のベースそのものが、豊かなのである。

 日本でもいっときベトナム料理ブームだったから、何軒か行ってはみたが、とりわけ野菜やハーブ類に違和感があった。どちらも日本だと割高な素材だから、量も現地のようにふんだんというわけにはいかない。

 この店は別である。きわめて現地のコムに近い感覚の店である。ベトナムにハマっていた当時はよく通った。カジュアルかつリーズナブルなので、六甲近辺の学生たちや若い人も多かった。シェフは日本人だが、大量の注文をいつもひとりでさばいて、手早くちゃちゃっと作るのが印象的だった。

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 ほとんど7〜8年ぶりの訪問だったが、メニューもシェフも店も変わりがない。夕食時で混んでいたにもかかわらず、慌てず騒がず相変わらずダンドリよく、料理を次々とつくっていく。ゴイクォン(ベトナム生春巻)、ネム(揚げ春巻き)。この二品ははずせないのだが、野菜がたっぷりで昔と変わらない美味しさ。こういう定番の味を長年キープするというのは、できるようでなかなかできないと思うのだがまったくブレていない。そこにとても心打たれる。ベトナム風フライドチキンは、野菜をたっぷりと乗せた上に砕いたピーナツを散らし、そこにヌクマムベースのたれをかける。チキンがしんなりしたところが食べ頃である。醤油鶏の炒めものにはしいたけときのこがたっぷり。香菜とも相性がとてもよい。

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 ここまででかなり満腹になってしまったが、ここはベトナム風田舎焼き飯もフォーも旨い。デザートも本格的なベトナムスタイルだし、ベトナムの焼酎も置いている。多くのファンに支えられ、これからもきっと健在であろう。ときどきは忘れずに行かなければ。

2014-10-16 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

天皇バー「カレー揚げソバ」

 かつての天皇バーで「海鮮焼きそばクイーン」という異名を持っていた。正確には、今の天皇バーではなく、多士済々なチャイニーズメニューが充実していたレストランバー時代の話である。

 金曜の深夜、終電近く。帰り道にその店があるものだから、あたりまえのように立ち寄り酒を飲む。もちろん深夜12時過ぎであるから、おなかはすでにぐーぐー鳴っている。まずは金曜スペシャルのヨコワのサラダを注文する。これはヨコワとブロッコリー、トマトをざくざく切って特製中華ドレッシングで和えた一品で、ヨコワのフレッシュな脂とトマトの酸味に、にんにくが利いたドレッシングがからみ、シンプルなのにきわめて奥の深い味だった。真人間ならここでとどまれるが、すでに悪魔の領域に入っている私はその一品が引き金となり、「マスター、海鮮焼きそばも〜」と注文してしまうのだ。そうしたらマスターがまた「卵は?」と聞くのさ。そうしたら「目玉焼き乗せでね」と言わずにはおられないではないか。しかし、その海鮮焼きそばこそまさしく魔王の味で、私は魅入られたようにほとんど中毒になっていた。

 中華麺を中華鍋で焼いて、焦げ目をつけパリパリにする。その上に、海老、いか、貝柱の中華三鮮に白菜、きくらげ、たけのこ、人参がたっぷり入ったとろとろのあんをかける。じゅっ。そしてマスター特製の焼豚の厚切りを二枚。私のスペシャルオーダーはその上にさらに目玉焼き(半熟で)を乗せるのだから、察するにこれだけで3,000カロリーはあろうかという贅沢さであった。このリッチな海鮮焼きそばにどぼどぼ酢をかけ、パリパリの麺をあんで少しずつ柔らかくしながら口に運ぶときの至福といったら、もう身悶えするほどの口福であった。箸休めに齧る特製焼豚は、八角の香りが上品に利いていて噛むとほのかな甘みがあった。

 マスターがその店をオープンさせたとき、二人いたコックの一人は後に「料理の鉄人」に出演し、史上最年少で陳健一に勝った天才的な料理人である。マスターの料理はその天才の直伝なのである。旨いに決まっているのだ。

 このあいだマスター(計算好き、統計好き)と話していたら少なくともその焼きそばを週2回は食べていた計算だから年100食。10年以上通っていたから1000食は食べているはずだと言う。千夜千食ならぬ、千夜千そば(笑)。我ながらあっぱれだ。

 現在の天皇バーは中華を作れるキッチンではないのと、特製焼豚を作るのには専門のオーブンが必要なので、今や海鮮焼きそばは幻の一品になってしまった。しかし、しかし、メニューは幻となったがその幻を作っていたマスターは健在なのである。

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 カレー揚げそば。

 また、なんちゅうおとろしもんを作るんや〜。

 中華麺の揚げたヤツ。そこへキャベツ、人参、たまねぎ、豚肉のあんがかかっている。一見シンプルなんだが・・・。ところがですよ。ここにカレーの風味がからんだら、一体どうなる?

 鼻腔にカレーの香ばしさがぷん、と来るのである。まとわりつくのである。ああ、カレーとは香辛料であったのだ、ということを再認識する。

 だが、このカレー揚げそば、まだ二回しか食していない。さすがの私も少しは真人間に近づいたのか、深夜の放縦を控えるくらいの自制心はついてきたようである。

2014-10-15 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

滋賀・比良山荘「月鍋」

 京都の三浦さんが、今「比良山荘」が抜群にいいと言う。冬はなかなか予約が取れないから、僕のスケジュール優先で部屋は押さえたから、3名参加なら決行しようと誘われた。もちろん行きますとも、比良山荘。だけど「回會」のお約束である着物はどうする?三浦さんいわく「比良山荘の浴衣で今回はよしとしよう」よし、よし。浴衣も着物には違いない。よし。

 決行日は12月吉日。1泊2日の小旅行である。12時京都駅八条口集合。今回の面子は、京都からは三浦さんと三浦さんがオーナーだったお店の女の子でいずれは小さな旅館をやりたいという野心を持つこみちゃん、そして東京からは東さんの4名。

 まずは、三浦さんとこの三角屋さんの仕事である建物見学の前に、腹ごしらえ。蕎麦か、うどんか、蕎麦か悩んだあげく、三浦さんに案内されたのは、上京区西陣にある「鳥岩楼」。二階のお座敷に上がるなり、自動的に親子丼とスープが出てくる。お昼はこれ一品ということらしい。丼は小さめなのだが、持つとずっしり重みがある。そして親子丼の味はというと、こんな親子丼は初めて食べたという感動ものの旨さである。何、これ?馬鹿馬やんか。

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 鶏肉と卵だけでつくった親子丼。

 真ん中にうずらの卵がのっており、すでに半熟状になった丼にさらにうずらの黄身を混ぜる。卵好きにはこたえられないダブル卵責め。こっくり濃いめで甘みもほどよい出汁がしっかり底まで染み込んでおり、最後の最後まで濃厚な卵と出汁がごはんにからむ。あっという間にぺろり。このまま砂ずりやきもの造りで一杯やりながら、水炊きに突入したくなるのを押さえ、再び来ようと心に誓う。

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 さて、三浦さんの仕事見学だが、個人のお宅は外からしか見られないので、店舗である「45」へ向かう。す、すると、回會メンバーで京都在住のない藤の若旦那が奥さんと一緒にいるではないか。別に示し合わせていた訳ではない。なんという偶然か。しばしお茶をいただき、歓談。それにしても木を使った建築や店舗というものは古くなっても、それが味わいになるということがこの店にいるとよくわかる。結局それが木の魅力ということでもあるのだ。へらへらしているうちに、夕刻が迫ってくるが、もう一軒三浦さんの大好きな場所でもある八瀬の「蓮華寺」へ寄り道。閉門直前だったので、誰もおらず、まだ紅葉の残る庭の景色をたっぷりと堪能することができた。

 いよいよ、比良山荘へと向かう。

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 比良山荘は、琵琶湖の西に位置する比良山系のふもとにある料理旅館。京都市内からは車で約40分ほどの距離である。大原を抜け、鯖街道と呼ばれる国道367号を北に向かう。到着した頃には雪が舞っていた。宿はまさしく山荘と呼ぶにふさわしい簡素な佇まいであるが、それがきわめて洗練されている。部屋に案内され、まずはひと風呂。高野槙のすがすがしい風呂である。そして、「回會」のルールでもある着物(今回は浴衣)に着替えて、いよいよ夕餉である。

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 案内された和室には絨毯がしかれ、独特の角度のついたテーブルが置かれている。日本酒を吟味して注文すると、ほどなく八寸の猪肉、うるか、鮎のなれ鮨が出た。日本酒がぐいぐい進む。造りは、琵琶湖の鯉、鹿。続いてもろこの塩焼き。山の恵みを少しずついただく。

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 そして真打ちの熊が登場した。一同から歓声があがる。なんと美しいのだろう。白い脂身は清々しく透き通り、大皿の模様がうっすら透けて見える。熊というから猪のような野性味あふれる姿を想像していた。だが、実際の熊の肉はただ美しいだけでなく、とても清らかな印象があった。聞けば比良山に生息する70キロ級の月の輪熊で、信頼している猟師から入手するのだという。「この二三日、いい熊が入っています」とご主人の太鼓判。土鍋には澄んだスープがあたためられてい、ご主人が熊肉を箸でつかんでしゃぶしゃぶの要領でスープの中にくぐらせる。すると、あの美しい脂身はしゅるしゅると丸まって、それでもなおどこか遠慮がちな風情。口に入れると予想とは違いまったく脂っこくなく、獣臭さなどみじんもない。甘く、柔らかく、清々しく口のなかで溶けていく。なんと清楚な味だろう。山の恵みの滋味がする。スープにくぐらせ食べ進むにつれ、熊が一生懸命どんぐりや椎の実を食べている姿が浮かんできた。比良山の天然のおいしい木の実だけを食べた熊。冬を乗り切るためにせっせと脂肪をつけまさに冬眠しようとする直前にしとめられたいのち。その貴いいのちを、今まさにいただいている。そう思うと、食べる方もとことん最後までしっかり味わい尽くさねばという気持ちになる。いたいけない熊にこころの中で合掌しながらも、山の滋味をたっぷりと頬張った。

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 この熊鍋、比良山荘では「月鍋」と呼ばれている。葱や芹と一緒にシンプルに食べた後は、特製のうどんを入れスープを最後まで味わい尽くす。コラーゲンたっぷりの脂身のせいで、翌日はお肌がぷるぷるになるという。たしかに、翌日はお肌の調子がいつもより良いように感じた。気のせいではないだろう。熊のエナジーをもらったのだから。

 比良山荘が掲げるのは「山の辺料理」。冬の「月鍋」だけでなく、春は山菜、夏は鮎、秋は松茸という趣向で一年を楽しめる。冬には再び「月鍋」を食べに来たいけど、夏の鮎づくしというのも実に魅力的である。

◎追記

 翌朝は、三浦さんの会社三角屋さんが持っている朽木の工場を見学に出かけた。比良山荘からは車で30分ほどの場所である。広大な敷地には膨大な木や石がストックされている。それらを管理し、最適な状態にしてから大工に渡す。その作業の主が朝比奈親方である。三浦さんいわく「建築の骨格」ともいうべき作業を一手に引き受けておられる偉大な親方なのである。敷地には東大寺の礎石やウィンザー城に敷かれていたという石畳の石とかがごろごろとしており、ひとつひとつに壮大な物語がくっついている。怖い人と聞いていた朝比奈親方は、終始機嫌よくその物語を語ってくれる。工場に保管している大きな板は、ああこれ磨いてリビングのテーブルにしたらどんなに素敵だろうとか、やっぱりいつかは土地を買って朝比奈親方に素材を選んでもらって三浦さんに家を作って欲しいとか、もういくらでも妄想がふくらんでいくのである。

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 そういえば、比良山荘も、ひなびた中に味わいのある堂々たる日本建築だった。

2014-10-14 | Posted in 回會記No Comments » 

 

銀座鮨「一柳」

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 再び「一柳」である。今回は第11回松山倶楽部である。(第1夜参照)

 こちらの店主一柳さんにはひそかな野望がある。最初聞いたときとてもびっくりしてしまった。ええー?

 何だと思います?

 それは、オリンピック出場。

 いや、選手として出るのではない。鮨職人として出場するのである。最上級の野望はVIPのために鮨を握ること。それがかなわないなら、選手村でもかまわない。うーん。こんなことちょっと思いつかなかった。だけど、東京で飲食に携わっている人なら、かなわない夢ではないのかもしれない。聞けば、彼のお父上も帝国ホテル時代、前の東京オリンピックに出場したのだそうだ。そういうことであればその野望も野望ではなくなるし、彼が本当にオリンピックで鮨を握ることができれば、親子二代で東京オリンピックの料理人が生まれるということでもある。2020年の時点で彼は働き盛りというか、鮨職人としてはいい脂が乗りまくった大トロ状態であろう。

 あたりまえのことだけど、たしかに出場するだけがオリンピックではないのだ。そもそも企画立案から誘致にいたるまでの運動に関わった人、これからの建築に携わる人、サービスやセキュリティを担当する人などなど、オリンピック開催にいたるまでにどれだけ多くの人がそこに向けて尽力するか。いかん、ちょっと想像力が欠けていたと気づかされる。一柳さんは、どこにどうして働きかければ実現するのかはわからないけど、こうして握りたいといろんな人に言い続ければ、縁あって近づくことができるかもしれないと思っているのだそうだ。

 てなわけもあり、だけど鮨屋としても一度紹介したかったので、友人をここに連れてきた。オリンピックに近づけるかどうかはわからないが、いろんな人に紹介しておけば可能性がないわけではない。ま、こういうのは本当にご縁。一柳さんに運があればご縁はきっとつながるでしょ。

 それにしても、つくづく思うのは、美味しいものを食べ歩く相棒の条件はただひとつ。好き嫌いがなく、何でも美味しく食べられること。当たり前といえば、当たり前のことなのだが、今や好き嫌いがまったくないという人は貴重な存在なのである。そして酒もいけるとモアベター。このふたつを兼ね備えているのが松山倶楽部の相棒である。行けない店がない。最強なのである。さて、ここのツマミはどうだろう。

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 まずはのれそれ。たっぷりの酢味噌でいただく。イカった鯛のこりこりしたところは、昆布で締められている。軽く漬け込んだホタルイカは、三千盛の辛さと絶妙なコンビネーションだ。さっと炙ったのどぐろの脂をおろしポン酢で中和させる。それでも脂がじんわり。大ぶりの牡蠣はレモンを絞ってつるりと飲み込む。口中にこっくりと海のミルクが広がっていく。たこの柔らか煮も相変わらずの丁寧な仕事がしてあって、むにゅりと柔らかい。たいらぎは、シコシコ。そして、こんがり焼いたフグ白子!今や禁断のとらふぐは下関で毒を持つ内蔵部分をしっかり除去され築地にやってくるのだ。その香ばしさととろけ具合と言ったら!お次ぎは馬糞雲丹。甘い。そして、そして、待ってました鮟鱇の肝。ああ悪魔の味だ。軽くシメた鯖の旨さは、どう表現したらいいのだろうね。毛蟹は大胆に甲羅を半分ごっこ。全12品。ほとんどものも言わず、黙って淡々と食す。ときおり、「旨い」とか「馬鹿馬〜」くらいしか交わさないのであるが、それはお互いじゅうぶんに満足しているということでもある。

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 それにしても、大将、このたたみかけるようなツマミ攻撃ってまさしくオリンピック級だよ。

 と、言いながらも、鮨も9カン食べた・・・
 

2014-10-14 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

ロケの「ばくだんおにぎり」

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 年10回ほど撮影の仕事がある。昔に比べると立ち会うことはめっきり減ったが、それでも行っておかないといけない現場もある。ロケの場合は移動に時間がかかるので、だいたい出発するのは早朝。朝ごはんはバスの中でスタッフと一緒に食べる。

 たいていはおにぎり、卵焼き、鶏のからあげ、胡瓜の漬け物あたりが定番である。ロケバスさんや撮影するカメラマンによっていろいろ店の好みがあるようだが、ここ最近はだいだい2〜3店のローテーション。業界用に炊きたてのごはんでおにぎりを結ぶ店がいくつかあって、どの店も具にもいろいろ工夫していておいしいのだ。やはり、ちゃんとごはんを炊き、人の手でていねいに握っているからだと思う。

 今回は、カメラマンのM(4)くんたってのリクエストでロケバスさんが築地の場外まで買いに行ったというスペシャルおにぎりである。ロケバスさんがおにぎりの入ったビニール袋を開きながら「このばくだんおにぎりがM(4)さんのスペシャルリクエストなんで、ひとつは取っといてあげてくださいね」と念を押す。リョーカイ。よし、ばくだんおにぎりは隠しておいて、彼が来たらもう全部食べちゃったよと意地悪したろ。

 カメラマンのM(4)くんは車を運転するのが大好きなので、どんなに遠方ロケでもロケバスには乗らず、自慢のマイカーを飛ばしてやってくる。到着したら、せっかくリクエストしたおにぎりがもうなくなっているという状況は、どんなにか彼をがっくりさせるに違いない。(私もほんまに意地が悪い・・・心底意地悪・・・)

 さて、現場に自慢の愛車で現れたM(4)くん。「おはようございます」の挨拶の後、おにぎりの袋を探っているので・・・「あ、ばくだんおいしかったわ。全部食べちゃった」と言うと、「え、・・・」と目が一瞬点になり、半泣きになっている。すぐ可哀想になり「嘘、嘘、ちゃんと取ってあるよ」というと、今度は満面の笑み。彼は超お子ちゃまなのだ。いちびったりして悪かった。

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 さて、このばくだんおにぎり。中には半熟卵の醤油漬けが一個丸ごと入っている。そのまわりにはみっしりとごはん。ごはんだけで2膳分ぐらいありそうなボリュームである。大きな口をあけかぶりつくと、まず塩気をしっかりまとったごはんの中ににゅるると半熟卵の食感。ゆるすぎず固すぎないこの半熟の具合がなかなかよろしい。やがて醤油味がごはんに溶け出し、口中で塩、醤油、黄身が複雑に混ざり合い、そこへごはんが中和を図る。ううむ。この味わい、癖になるわ。普段はほとんど朝食を食べないのだが、たまのロケで早朝起きると7時頃には猛烈な空腹感をおぼえてしまう。この日もそうだったから、このガツンと凄いボリュームのおにぎりもぱくぱくと食べ、しっかり胃袋に納まったのである。

 このシリーズ、ほかにもいろいろバリエーションがあるらしい。サケの身とイクラのカップリングとか。こういうの食べると力が出るね。築地のお店も一度行ってみたい。

 

2014-10-13 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

目黒の「八雲茶寮」

八雲

 この店の存在を知ったのは、カメラマンのM(1※)さん情報によってである。「銀座に和のアフタヌーンティーをやっている店があってかなり素敵。同じオーナーが世田谷の八雲というところにも一軒家レストランをやっているよ。きっと好きだと思う」

 さっそく偵察にでかけた。銀座のポーラビルの二階。よく前を通っていたが今まで気づかなかった。和のアフタヌーンティー。四種類の日本茶、紅茶などから飲み物を選ぶと二段になったスタンドがやってくる。スタンドと言っても、あのイギリス式ではなく、木でできたトレーを二段に重ねた和のしつらえである。上の皿には上品なサイズの羊羹、饅頭、カステラなどの和スイーツ、下の皿には季節のご飯物と香の物。さすがにサンドイッチやスコーンとは違い、そうぱくぱくは食べられないのが残念。だけど、アイデアは秀逸。こういうの女性に人気だろうなあと思う。店内では南部鉄器や波佐見焼きのプレートなど、日本のいいものも販売されている。オーナーの数寄のテイストがよくわかる品揃えである。

 どういう人が経営しているのか調べてみると、同じオーナーが南青山で和菓子屋さんを開いており、目黒の東山には和風レストランがあることもわかり、早速訪れてみた。ますます数寄になる。そして、いつかは本丸である八雲茶寮に行かなければと思っていたのだが、そこにはとても大きなハードルがあった。

 夜は紹介制。

 会員制ほどエクスクルーシブではないのだが、それでも紹介制となるとそれなりのハードルである。さて、どういうルートで行き着くか。回會メンバーの三浦さんは行ったことがあるという。そこを突破口にするか?うーん。そりゃあ少々安易。ところが、ところが、すっごく近いところにその入り口はあったのである。

 松岡師匠が開催するイベントで「蘭座」という知的遊びの会がある。これは資生堂名誉会長福原氏と松岡師匠によるきわめて粋な勉強会で、その何回目かの会場が八雲茶寮になったのである。昼間ではあったが、ブッフェ式でのパーティー料理もふるまわれ、邸宅内のインテリアもうつわもすっかりお気に入りになってしまった。このとき感激したのはドリンクとして出された抹茶シャンパンである。抹茶茶碗に抹茶を入れ、お湯のかわりにシャンパンを注ぎ、茶筅で点てるのである。シャンパン好きとしてはこの発想にすっかり降伏してしまったのである。そしてその場でオーナーの緒方慎一郎氏が「蘭座」に参加したと伝えていただければ夜もぜひどうぞ、と嬉しいスピーチをしたのだった。やった。とうとうフリーパスが手に入ったのである。

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 さて、誰と出かけるか。美味しいもの好きは基本条件であるが、せっかくなのでうつわ好きのカメラマンM(3※)氏を誘う。ちょうどギャラリーのような待合で、ダイニングのメインで使っている岡信吾さんのうつわが展示されており、ふたりでいいよねといろいろ鑑賞。この作家は初めて知ったのだが、唐津でかなり広範囲にいろいろなタイプのうつわを焼いている。どれも骨董かと思うほどの渋く枯れた味わいで、相当な手だれであろう。いいなと思うものはとても素敵なお値段で、なかなか手は出せない。だけどどれも素晴らしく洗練されている。

 三浦さんからカウンターがいいよと聞いていたので、あらかじめリクエストしておいた。こちらの店長とはすでに蘭座や松岡師匠のイベントで顔見知りである。

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 食事の前に、本日使う食材のプレゼンテーションがある。細長い三方のような木の盆に海の幸山の幸を乗せ、説明してくれる。こういうしつらえはわくわくするね。三月弥生は、甘鯛や蛤、赤貝。ドリンクには日本酒のスパークリングというのを注文してみた。「水芭蕉 ピュア」という発泡性清酒でシャンパンと同じように瓶内二次発酵させている。これ、日本酒好きとシャンパン好きにはたまらないマリアージュである。一杯だけのつもりだったが瓶ごともらう。

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 最初のひと皿に度肝を抜かれた。大胆に櫻を描いたうつわの真ん中に蛤のリゾットが乗っている。一瞬、花を皿の上に散らしているのかと思うくらいのインパクト。うつわも和食にとっては重要な食材。そんなことを語りかけてくる皿である。何より、料理だけでなく、うつわとのコーディネーションもしっかり楽しんでくださいと言わんばかりの暗黙の、しかしながら強いメッセージを感じる。続いては繊細な縁に削られた木のうつわに入った和えもの。そしてお椀。こっくりした白味噌のお椀から顔をのぞかせているのは、白子。雑煮のように香ばしく焦げ目がついてい、口に入れるとふわりと甘やかに蕩けていく。ねっとりとした甘鯛の造りは、目の前で丁寧にさばいてくれる。こちらも古伊万里かと思うような時代を感じる岡慎吾氏のうつわに盛られている。白醤油でいただく。赤貝の焼き物は串に刺され、備前のような土を感じる野趣たっぷりのうつわに乗っている。甘鯛の煮物に餡をかけた一品は、八雲茶寮のロゴが描かれた白磁のうつわで。メインはすき焼きである。こちらはシンプルな白いうつわで供され、すき焼きなのになぜか端正。

 ひと皿ひと皿に、どう盛ると料理が美味しそうに見えるのかがしっかり計算されている。いやその前に、その時期の食材をどのようにセレクトしてきて調理し、どんなうつわにどう盛るか。そのあたりを吟味しつつ、月ごとのテーマに落とし込む。その精神は限りなく茶事に似通っているように感じた。

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 デザートの和菓子は目の前で職人さんが作ってくれる。こなしと呼ばれる白あん、よもぎの入ったあん、そして粒あんの塊をまずはプレゼンテーションし、最初は粒あんのまわりに白いこなしを網で漉し、瞬く間にきんとんを作ってくれる。その風情は、もはやデザートというよりは主菓子である。作りたてのきんとんはやさしく口のなかでほどけていく。ほんのり甘く、清らかな美味。続いて桃の節句にちなんだ愛らしい桃のかたちのお菓子。いただいた後は薄茶が出される。濃茶こそないが、この一連の流れはまさしく茶事ではないか。そういう意味では、この主菓子と薄茶こそが、こちらの店のクライマックスかつメインとも言えよう。

 ロケーション、インテリア、季節、うつわ、メニューの組み立てと流れ。それらすべてをトータルに五感で感じながら、クライマックスのお茶へと期待感を高めていく。そんな楽しみかたのできる店である。一緒に行く人を選ぶ店だ。

※カメラマンM氏はなんと4名もいるのである。知り合った古い順からM1、M2、M3、M4とさせていただく。

2014-10-12 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

慈慈の邸「マクロビごはん」

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 2012年夏まで「マクロビ」が正確には何をさすのかよくわかっていなかった。何となく理解したのは、エバレット・ブラウンさんと中島デコさんが主催する「半断食デトックス」というプログラムに参加してからだ。
 
 エバレットさんとは松岡師匠イベントの喫煙スペースで仲良くなった。千葉いすみ市でブラウンズフィールドと慈慈の邸(じじのいえ)という施設を奥様とやられているとは聞いていたが、フェイスブックで「半断食デトックス」の告知があり、ちょうどダイエットしなければと思っていたし興味津々で参加した。そのときの体験は、また別の機会に披露したいが、奥様であるデコさんにも私はすっかり惚れてしまったのである。

 今回は、翌日撮影でお借りするので、そのロケハンと当日の準備段取りのため、ひとり前乗りである。慈慈の邸は宿泊施設でもあり、ちゃんと一泊二食付きで泊まれるのである。食事は、マクロビ(正式にはマクロビオテック)料理である。独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法で、玄米や野菜などが中心となる。「身土不二」「一物全体」「陰陽調和」がその三大理念らしいのだが、これはこれで突き詰めていくと理にかなった思想だと思う。(私のような怠惰な人間はとてもじゃないがようやらんが・・・)

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 訪れた日はぽかぽか陽気で、すでに庭には見事なしだれ梅が咲いていた。さっそくブラウンズフィールドのカフェで玄米カレーをいただく。まともに玄米を食べるのは半断食のとき以来であるが、この噛みしめれば噛みしめるほど滋味の出る玄米というもの、この歳になるとしみじみと美味しいと思うのである。きのこのカレーとの相性も抜群。アッという間にぺろりと平らげる。夕方まではロケハンを兼ね、あちこち歩いたのですでに夕刻にはおなかがぐーぐー言い始めた。

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 お待ちかねの夕食。エバレットさんがとっておきの赤ワインをあけてくれる。大切なコレクションからの一本である。イタリアのモンテプルチアーノ・ダブルッツオ2005年。作り手はエミディオぺぺ。ビオワインである。ここ最近赤はあまり飲まないのだが、このワインには驚嘆した。なんだろうね。この豊穣な香りと奥行き。デキャンタージュしたそれをグラスに注ぎ、エバレットさんはまるで神の滴をいただくようにうっとりした表情でゆっくりと味わう。いつもならワインだってぐいぐいともったいない飲み方をしてしまう私もそれに倣う。至福とはまさにこういう時間のことを言う。

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 そして珠玉のマクロビディナー。前菜は上から右回りに大豆のフリッター、アーモンドの醤油焦がし、木戸泉酒造の酒粕焼き、いじちく、おからの海苔巻き、豆腐。これを少しずつ齧って、ワインと一緒にゆっくり、じっくり、味わう。イラチの私は食べるのも早いのだが、マクロビはやはり噛みしめることが大事なのだ。次なる一品は、カシューソースをかけたペンネのグラタン。オーブンでこんがり焼かれ、きつね色の焦げ目がついている。ペンネもブラウンズフィールドでとれた小麦でつくったもの。スープはレンズ豆としめじのブラウンスープ。畑の豊かな味がする。メインは慈慈の邸の刻印が押されたプレートに乗って。手前から時計回りに、酒粕クリームコロッケ、じゃがいもののひじきメースと和え菜の花添え、トマトと玄米のリゾット、野菜のミルフィーユ、切り干し大根とみかんのサラダ。使っている素材ひとつひとつに物語がある。すべての素性がわかっている。食においてこれほど贅沢なことはないだろう。デザートはチョコレートのムース。たっぷりかかったナッツが香ばしい。食後はなおもチーズをいただきながら、ワインをゆっくりと楽しんだ。

 マクロビが提唱する「身土不二」というのは、暮らしているその土地で穫れる旬のものを食べるという考え方だ。最近良く言われる地産地消と似ているが、結果的に収穫されるものが食べごろなわけだから地産地消ならごく自然に旬のものを食べていることになる。「一物全体」は、米なら玄米で、野菜なら皮も葉もできるだけ丸ごといただくという考え方。そういえば、長生きのすすめを提唱している某医師もめざしや干物などはアタマからしっぽまで全部バリバリ食べようと言っていた。なるほど。さらに、マクロビではすべての食材に「陰」と「陽」があると考え、これをバランスよく食べる「陰陽調和」も大事にしている。たとえば、夏の胡瓜(陰性)は身体から熱を取る作用があり、冬のごぼう(陽性)は冷えた身体をあたためてくれるといった具合。厳密には調理法にもこの陰陽のバランスを取りいれるらしい。私たちに厳密なマクロビ生活は無理だとしても、なるべくその土地の旬のものを丸ごと食べるくらいは、普段の意識を少し変えればできそうな気がしてくる。

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 翌日の撮影ランチもデコさんにお願いした。スペシャル注文である。このズラリ並んだプレートをご覧あれ。ボリュームはあるが、こちらもすべてマクロビ料理である。こんなの毎日食べていたら、どんなに健康になるんだろうか。絶対やせるだろうしなあ。ああ、デコさんところに一ヶ月くらい入院したいというと、友人に「無理、無理。絶対夜中脱走して、鮨食べに行くって」と言われた。おあいにくさま。ここは房総半島。脱走したって、歩いて行ける鮨なんて近くにないんだよ。

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2014-10-11 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

深夜の「モレスクちょろり」

 お気に入りビストロ「モレスク」。この店の心地よさを愛するのは私だけでないらしく、本当にいつ来てもいっぱいである。店自体はそんなに新しくはない。インテリアにそれほどこだわっているわけでもない。だけど、いつも満席状態で座れないので、グラス片手に立ったままカウンター越しに会話する常連さんもいる。ほどよいざわめきと熱気ある賑わい。これを作り出しているのがオーナーの福島さんである。一見さんでも常連さんでも分け隔てなく会話を交わし、空になったグラスのタイミングを逃さない。親しみやすく、お茶目で、動作は機敏。ときに真摯に語り、洒脱に冗談を言い、絶妙な間で相槌を打つ。カウンターを福島さんと一緒に切り盛りしている前田くんも、いつも軽妙かつリズミカルに動いている。軽口をたたくのも上手い。料理方であるシェフたちも、下ごしらえは奥にある厨房でしているだろうが、たいていカウンターの横にあるキッチンで最後の仕上げをする。調理の過程が見えるのだ。オープンキッチンというほどでもないのだが、作り手とも会話できるというしつらえはあるようでなかなかない店の雰囲気をつくるのに一役買っている。

 「コージー」という言葉がここにはきっといちばんふさわしい。そう、この店に漂う素敵な空気の正体は「feel cozy」なのだと思う。

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 ここに来ると、さほど空腹でなくても黒板メニューが気になって仕方がない。この日は、適度におなかがすいていた。前菜は海老と筍の焼きテリーヌと桜鱒と菜の花のソテー。私はいつも一皿ずつでも充分なのだが、福島さんに「半分ずつでいいね」と言われ抵抗できず従ってしまう(変なところで弱気)。メインは白アスパラとホタテのソテー。これも福嶋さんによって自動的に半分の量にされる。別に半分でもいいのだが、本来なら一皿まるまる食べられるものが自分の意志とは関係なく半分にされた、ということを視床下部は明確に記憶する。脳が満足しないので、〆にパスタが食べたくなる。桜えびとそら豆のパスタ。これも、半分にされる。ちょっと文句を言うと、「えっ、ちょろるんでしょ」と返される。

 「ちょろる」とは、恵比寿にある深夜ラーメン店「ちょろり」に帰りに寄ることをさす。モレスクで食べる料理が少なかったり、少し早めに帰ろうとすると必ず福島さんか前田くんに「あ、ちょろるなあ」と茶化されるのだ。「ちょろらないって」と言いながらも、私の脳には「ちょろり」の字がインプットされ、まるで洗脳されたかのように「ちょろり」に向かってしまうという悪習慣がついてしまっているのである。

 この夜は、シェフまでが半人前のパスタをサーブするときに「ちょろり用に半分ね」などと恐ろしいことを言うではないか。さんざん「ちょろり」というワードを刷り込まれ、軽く酔っ払っていた私は、もちろんモレスクを出た後、「ちょろり」に直行したのである。

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 「ちょろり」は悪魔のラーメン屋である。スープはきりりとシャンタン系。私のお気に入りはワンタンメン。二軒目の時はさすがに麺は半分にしてもらう。

 しかし、ええ年をして、いちびってこんなことをしている場合ではないことは理性ではよくわかっている。いつか、「ちょろり」には二軒目ではなく、夕食のメイン店として堂々と訪ね、正規のワンタンメン一人前を食したいものである。

2014-10-10 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

神戸の江戸前「生粋」

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 実はしばらくの間、地元神戸で鮨難民であった。

 しょっちゅう行っていた近所の鮨が凄いレベルで、私にとってはすべての鮨の基準となる得難い店だったのだが、ある日忽然と消えたのである。10年以上のつきあいだったのに、何の前触れもなくなくなってしまったのである。伝手をたどっていろいろ聞いてみたりしたが、誰もその行方を知らず、電話ももちろんつながらない。堅実で、金銭面でもしっかりしていたように見えた骨柄から想像しても、トラブルに巻き込まれたとも思えない。最上の瀬戸内海ネタを信じられないような良心的な価格で出すとあって、普段の鮨だけでなく、冬はふぐ尽くしやぶりしゃぶ、蟹なども楽しませてくれた店だった。その店がなくなることは、私にとってはほとんど死活問題だったのだ。

 打ちひしがれているそんな私に飲み友達のヨシヒコがここはなかなかだよ、と教えてくれた。

 生粋。

 名前がいいやね。洒落ている。

 なかなか予約が取れなかったが、ある夜期待に胸をふくらませ出向いた。神戸市東灘区。2号線に近い住宅街のなかに、あくまでもひっそりとその店は佇んでいる。入り口に近づくと「生粋」という表札が。店内には白木のL型カウンターが鎮座しており、小さな個室もあるようだ。この感じ、うん。旨い鮨の匂いがする。まずは、ツマミから。出るわ出るわ。瀬戸内海。鯛や鮃の舞い踊りである。うれしいことに香箱蟹も出され、以来すっかりファンになった。

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 今回は久しぶりの訪問である。ここは、毎回季節の葉っぱをカウンターの上にはらりと散らし、その上にツマミを置いてくれる。風情のある演出である。まずは、鮃。コリッとイカってる。脂ノリノリのよこわは辛味大根でいただく。ここで羹登場。はふはふ言いながら楽しんだ後は、大好きな鮟鱇の肝。白磁のうつわの上に、恥ずかしげに乗っている。ふっふ。ちゃんと仕事がされており、山椒がぴりりとアクセント。これがほんま絶品なのだ。焼き物は太刀魚。皮のパリパリ具合が絶妙である。切子のグラスに入っているのはのれそれ。ずずっと贅沢に飲み干す。織部に鎮座しているのは柚子。ふっふ、これは柚餅子ではなく、釜に見立てて中身は鱈の白子。もうたまりませんのよ、ほんま。そして大根や大葉をザクザク切ってくるりと手巻きし胡麻をたっぷりかけたシャキシャキサラダでちょっとブレイク。こういうアイデアもなかなか秀逸である。

 そしていよいよ鮨。まずは鯛。瀬戸内海を泳いでいた子。スミイカ。大トロ。コハダ。煮蛤。サヨリ。すべて江戸前の仕事がきっちりとなされている。シャリには赤酢が利いている。本日の雲丹は馬糞。季節によっては淡路島由良の赤ウニも登場する。ぶり。この子は氷見からやってきた。肝と一緒に和えたカワハギは小さな丼仕立てにしてくれる。こういう変化は大好き。食べながら小躍りしたくなってくる。そしてまたもや秩序正しい鮨の連打。赤貝。さっと炙ったのどぐろ。車海老。ふわふわではらりと口の中で崩れる蒸し穴。ううむ、旨い。そして〆はネギとろの手巻き。美味しすぎる。

 シャリを少し小ぶりにして握ってもらったので、もうぱくぱくいくらでも食べられる。ここのシャリ、好き嫌いがはっきりと分かれるようであるが、私はこの赤酢がきりりと利いてるのは嫌いじゃない。かつては関西風の甘めのシャリもよく食べたが、味覚の好みは変わるもの。今は、やっぱり江戸前の気風のよいシャリにすっかり身体がなじんだということか。さて、デザートは玉子。毎回ダブルでリクエストしたいが、我慢する。そして赤だし。最後にほおずきが出てくることもある。

 こちらでは日本酒はたいてい「生粋」というお店の名前のついたのをいただく。「生粋」で「生粋」。ああ、私「生粋」の神戸っ子だったら、「生粋」トリプルで悦に入れたのに。

2014-10-09 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

冷やし担々麺「龍天門」

 ホテル中華はここ、と決めているところがあるので、こちらには滅多に来ない。が、ときにたまらなく食べたくなって遅めのお昼にこっそりと食べに来るものがある。

 恵比寿ウェスティンホテルの龍天門。こちらで裏メニューといえば、あれしかない。

 あれ。
 そう、冷やし担々麺である。

 いちおう、裏メニューであるからメニューにはいまだに載っていない。だが、季節を問わず注文できる。どうです。この彩り。

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 顔を近づけるとまずは胡麻の香ばしい香りが立ち上がってくる。この香りにいやがおうにも食欲が増してくる。胃袋がぎゅうっと反応する。唾がしゅるしゅるわいてくる。ラー油のオレンジとネギの緑、その上に肉味噌がのっかり、そしててっぺんには白髪ネギ、さらにその上にパウダーのようにかかっているのは花山椒。もうこれだけで、ちょっとした食べる芸術品である。まずは、スープをひとくち。甘辛いスープにこっくりした胡麻の味わいと香りが混ざって、うーん至福のひとときなんである。辛さはスープを飲んだ後から少々控えめにやってくる。お次は麺をすする。冷たいスープの中できゅっと引き締まった歯ごたえのある細麺である。こんどは、散蓮華で肉味噌をすくう。う、旨い。椎茸と挽き肉の幸福な結婚。白髪ネギも小気味よいくらいにシャキシャキ。で、次はスープだけをじっくりと味わう。気がついたら、夢中になってこの繰り返しをオートマティカルにやっている。いかん、いかん、と思いながらも、スープは最後まできれいに飲み干してしまう。

 冷たくても、やはりそれなりに汗は出るし、最初は控えめな辛さだと思っていても気がつけば口の中が真っ赤っ赤になっているような感じになる。だけど、やっぱりこれ食べたさに年何度かはやってくる。やって来ずにはおられない。

 今のところ、私にとっての「冷やし担々麺」の東京ナンバーワンである。うん。

2014-10-08 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

白金の割烹「こばやし」

 東京での定宿はほぼ決まっているが、そこに向かう道すがらタクシーの中から発見した新店である。なんだか、私の嗅覚を刺激するものがあったのですぐさま屋号をチェックし、スマホで検索した。あったあった。店の名前は「こばやし」という。

 日曜日も営業しているというのに気をよくし、予約をしてみたのだが、たまたま臨時休業にあたってしまい、最初のチャレンジは失敗してしまった。そうなると、何が何でも近いうちに行かねばという気になってくる。二週間後、今度はすんなりと予約が取れた。

 場所は白金台。パンが美味しいことで知られる店の小さな公園をはさんだすぐ真向かいにある。店の外からは、ちらりちらりとカウンターが見える。幸い、客はまだ誰も入っていないようである。カウンターは八席。かなりゆったりしたつくりである。奥には秘密めいた個室もあるようだが、やはりこの手の店の最初はカウンターがよい。

 お店はご主人と奥様のふたりで切り盛りしている様子。開口一番「関西の方ですか」と言われてしまう。私の変なイントネーションは、普通にしゃべっているつもりでも必ず気づかれてしまうのだ。「神戸です」と答えると、なんと。ご主人は神戸で長年修行されている方だった。つまり、ここはまるっきり関西の店なのである。それだけで、なんだが妙にくつろいだ心持ちになる。

 そもそも東京で懐石とか割烹には数えるほどしか行っていないが、過去の経験からするとたいてい煮物椀の味が濃く、美味しいと思った試しがないのだ。ここは関西ではないから、と思っても何かが違う。板前の個性として料理そのものにオリジナリティがあれば別だが、たいていはかつお節の風味が強すぎたり、醤油の味を塩辛く感じたり、ということが多かった。関西でならいやというほど口に合う懐石があるのだから、何もわざわざ東京に来てまで食べる必要はないし、第一東京には他に美味しいものがいっぱいありすぎる。和食に関してはずーっとそう思っていた。

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 でも考えてみれば、東京にだって関西で修行した板前の店はたくさんあるだろうし、私が探していないだけだ、ということに気づく。

 そして、こちらの煮物椀は、予想通りまるっきりの関西の味であった。

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 しかし、味のベースは関西風ではあるが、ここはここだけのオリジナリティを表現するのにとても努力している。たとえば、おつくりには醤油のムースをつける。これはけっこう一般的になっているトレンドではあるが、このムースの出来栄えはなかなかのものである。そして宍粟牛の上に雲丹を乗せたお鮨がこちらのハイライトである。宍粟、これは「しそう」と読む。兵庫県姫路の奥にあった郡で、現在は市になっている。これで分かる人はピンと来たかもしれないが、あの但馬牛の産地にとても近いのだ。つまり但馬牛の血統を受け継ぎ、自然の豊かな宍粟の地ですくすく育った和牛なのである。この宍粟牛と雲丹という組み合わせは、店のオリジナリティをアピールするのには絶好のアイデアだと思う。

写真写真[6]

 この日は、奥様のおすすめに従いまずは石川の「閃」、そして目ざとく見つけた黒龍の「しずく」をいただいた。非常に大満足である。

2014-10-07 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

猩花

20・2014年3月19日・猩花

【猩】ショウ(シャウ) セイ しょうじょう
声符は星(せい)。[説文]に「猩猩、犬の吠ゆる聲なり」と犬のなき声の擬声語とするが、その用例はない。猩猩は人面長髪、端正で酒を好み、善く舞うとされる想像上の獣。1・しょうじょう。2・あかいろ、赤毛。3・犬のなき声、遠なきの声。4・またしょうに作る。小児のなく声。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

幻花

19・2014年3月18日・幻花

【幻】ゲン まどわす まぼろし
予の倒文。相幻惑することをいう。金文の字形は意図の上端にほつれの見える形。もし予の倒文とすれば、予は杼の形。その倒文は、経緯が乱れ紛乱する意となる。それより、幻惑・変幻、また幻化・幻術の意となったのだろう。1・みだれる、まどわす、たぶらかす。2・かわる、真幻のほどが知られない、まぼろし。3・眩と通じ、まどう、てじな。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

嬉花

18・2014年3月17日・嬉花

【嬉】キ たのしむ たわむれる
声符は喜(き)。喜は鼓楽して神を楽しませる意。嬉嬉は笑うときの擬声語。そのように興じて戯れることをいう。1・たのしむ。2・たわむれる、あそぶ。3・うつくしい。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

琳花

17・2014年3月15日・琳花

【琳】リン たま
声符は林(りん)。[説文]に「美玉なり」とあり、[書、禹頁]に「球琳・琅玕」の名がみえ、よう州の頁する美玉の名。また琅玕は玉声。玉のふれて鳴る擬声語である。1・たま、美玉の名、青色のたま。2・琳琅は、たまのふれて鳴る音。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

洸花

16・2014年3月13日・洸花

【洸】コウ(クヮウ) 
声符は光(こう)。[説文]に「水湧きて光るなり」とあり、水のゆれる光るさまをいう。[莊子]の端倪しがたい文を、[史記、老荘申韓伝]に、「其の言、洸洋自恣」と評している。人の激しい怒りを形容することもある。1・水のゆれ光るさま、自在にゆたかに流れるさま。2・もののゆたかなさま、広大なさま、ほのかなさま。3・人の怒るさま。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

朧花

15・2014年3月12日・朧花

【朧】ロウ おぼろ
声符は龍(竜・りょう)。[説文新附]に「朦朧なり」とあって、月光の朧なさまをいう。朦朧、どう朧など、いずれも畳韻の連語である。1・おぼろ、さだかでないさま。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

絢花

14・2014年3月10日・絢花

【絢】ケン ジュン あや うつくしい
声符は旬(じゅん)。旬にけんの声がある。[儀礼、聘礼]「絢組」の注に「采、文を成すを絢と曰ふ」とあり、目をおどろかすような文彩の美をいう。1・あや、あやあるさま。2・うつくしい。3・じゅんと通じ、うちひも、まるうちひも。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

朗花

13・2014年3月7日・朗花

【朗】ロウ(ラウ) あきらか ほがらか
声符は良(りょう)。良は風箱留実、風を通して殻をよりわけ塵を除くもので、よく通る意がある。[説文]に正字をろうに作り、「明なり」という。月光のよく澄徹する意である。その光の朗々たることから、朗悟の意となり、また朗読、朗吟のように、淀みない意に用いる。1・あきらか、あかるい。2・ほがらか。3・たかい、よくとおる。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

精花

12・2014年3月5日・精花

【精】セイ ショウ(シャウ) しらげよね くわしい きよい こころ たましい
声符は靑(青・セイ)。[説文]に米を択ぶ意とする。[山海経、中山経]に「よし(供米)には五種の精を用ふ」とあって,よしとは神に供えるため、しらげた穀米をいう。のちすべて精美・精良のものをいい、精神をもいう。1・しらげる、しらげよね。2・くわしい、あきらか、きよい、うつくしい。3・正しい、もっぱら、専一、よいもの。4・ひかり、はれる、もと。5・こころ、たましい、まこと。6・もののけ、ちみ、おにがみ、たま。7・晴と通じ、ひとみ。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

渦花

11・2014年3月1日・渦花

【渦】カ(クヮ) ワ うず
声符は咼(カ)。咼はかと声義近く、まるくくぼんだ形のものをいう。水がはげしく渦まくとき、その形となる。1・うず、うずまく。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

襲花

10・2014年2月11日・襲花

【襲】シュウ(シフ) かさねる つぐ おそう きる
声符は龍。金文の字形は衣上の左右に龍を加えており、龍はこん竜の文様であろうと思われる。即位嗣襲のときに服するものであるらしい。儀礼用に上からこの衣を着用することから襲ねる意となった。襲用の意から、襲取、襲撃のように用いるが、本来は嗣襲継体の儀礼を意味する字である。1・かさねる、衣をかさねる。衣をかさねて着ることが、嗣襲の方法であった。2・つぐ、うける、うけつぐ、およぶ。3・おそう、はいる、一体となる、とる。4・きる、衣をきる。5・死者にきせる衣、おおう、おさまる、おさめる。6・習と通じ、かさねる、ならう。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

蝶花

9・2014年・蝶花

【蝶】チョウ(テフ) ちょう
声符はよう。ように喋・牒(ちょう)の声がある。ようは葉の初文。ように薄くてひらひらするものの意がある。1・ちょう。2・字はまたちょうに作る。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

燐花

8・2013年11月10日・燐花

【燐】リン おにび
声符はりん。りんは金文の字形によると聖所に人性として磔されている者の形。[説文]りん字条に「兵死し、及び牛馬の血、燐ち為る」とし、また[淮南子、氾論訓]に「久血、燐と為る」とみえる。[論衡、論死]に「人の兵死するや、世に言ふ、其の血、燐と為る」とあって、戦場に鬼火を見ることが多かった。熱無くして光るので、また蛍火をいう。1・おにび。2・ほたるび。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

妖花

7・2013年11月8日・妖花

【妖】ヨウ(エウ) あでやか あやしい
[説文]一に曰く、女子の笑ふ兒なり」とし、「詩に曰く、桃の妖妖たる」と[詩、周南、桃夭]の句を引く。今本は「夭夭」に作る。夭(笑)は手をあげて舞う巫女の形。その姿態を夭という。巫が神がかりの状態になって神託をのべることを若といい、これをまがごととすることもあって、神怪のことをいう。人の妖艶なるものも、衒媚のおそれがあるというので、また妖という。1・あでやか、なまめかしい。2・あやしい、まがごと。3・もののけ、地の怪。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

馨花

th_6・2013年10月17日・馨花6・2013年10月17日・馨花

【馨】ケイ キョウ(キャウ) かおる
声符は搖(よう)。缶(ほとぎ)の上に肉をおく形。何かを祈るときの行為であるらしい。[説文]に「動くなり」とあり、ゆり動かすような、不安定な状態をいう。1・かおる、かおり、酒や花のかおり。2・こうばしい、うまいにおい。3・徳聞、ほまれ。4・語末につける助字。晋代の語。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

揺花

5・2013年10月15日・泳花

【揺】ヨウ ゆれる うごく
声符は搖(よう)。缶(ほとぎ)の上に肉をおく形。何かを祈るときの行為であるらしい。[説文]に「動くなり」とあり、ゆり動かすような、不安定な状態をいう。1・ゆる、ゆれる、ゆらぐ。2・うごく、うごかす。3・おこす、のぼる、あがる、はやい。4・遙かと通じ、はるか。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態No Comments » 

 

白金の絶品蕎麦「三合菴」

写真[4]

 長らく蕎麦とは縁のない人生だった。うどん県の生まれということもあり、大人になってからは関西で生活しているので、蕎麦はさほど身近なものではなかった。当然、旨い蕎麦の基準もわからない。蕎麦の世界は妙に哲学的で、「蕎麦を打つ」とか聞くとなにやら隠遁者の崇高な趣味のようでもあり、そのせいもあっていささか敷居も高かった。池波正太郎の随筆でだったか、蕎麦はたぐると表現されていたのも妙に気になっていた。

 そう、蕎麦はどうやらたぐるものであるらしいのだ。食べるでも、すするでもなく、たぐるという動詞を使う。【手繰る】とは両手で代わる代わる引いて手元へ引き寄せるという意味だ。転じて、蕎麦を交互に箸で持ち上げる動作をさし、こう言うことはわかったが、それにしても不自然な気がする。ザイルを手繰るならわかるのだが、蕎麦は片手で食べるものだしなあ。しかも、江戸前の蕎麦に限ってこのようにいうらしい。なんだか、ちょっといやらしい(笑)。スノッブ臭がぷんぷんするではないか。

 察するに、江戸っ子にとっての蕎麦は粋に食べなければいけないものらしい。長っ尻で、ゆっくり食べるのは野暮。店に入ったら「盛り」を注文し、ささっと手繰って、さっと店を出るのが粋なんだそうだ。もちろん、よく言われることだけど蕎麦をつゆにどぼっとつけるのもご法度である。うーん、江戸っ子の粋を体現するには私はまだまだ修行が足らぬ。それに、あまのじゃくなので、どう食べようがええやないの、という気もしてくる。ま、私は、江戸っ子でも粋でもなくただの食いしん坊なので、蕎麦だって自分が食べたいようにじっくりと味わいたいと思う。
 
 この店は、十年ほど前に知人から白金ならここがいいですよ、と教えてもらい、以来ときおり通っている。そして蕎麦を心底おいしいと思ったのは、ここの蕎麦を食べてからである。蕎麦というものはきわめて素朴な食べものだという先入観を持っていたのだが、ここの蕎麦は「端正」というにふさわしい非常に洗練された味わいなのである。
  
 東京には更科系、藪系、砂場系という厳然たる蕎麦の御三家というものがあるようで、そこに新興系と呼ばれるトレンド勢力が台頭してきて、今はそれらがほどよくミックスされた状態にあるらしい。(あくまでも聞いた話)こちらの店もあえて分類すれば、藪系の流れを組む新興系ではあるらしいが、ま、旨い蕎麦を食べるのに能書きなどどうでもいい。

 ここが大好きなのには三つの理由がある。ひとつは、もちろん「端正」な蕎麦そのものの旨さである。ふたつめは三千盛の純米を置いていること。最後に、うつわにもなみなみならぬこだわりが感じられること。

写真写真[1]写真[2]

 いわゆる挽きぐるみの十割蕎麦である。蕎麦の殻を取り除いたものをすべて製粉したものを挽きぐるみという。その蕎麦粉だけを100%使ったものを十割蕎麦という。これを打って、切って、茹でるのだが、そこに職人のちょっとしたこだわりや好みが入り、その店ならではのオリジナリティが生まれる。この店は少し細めの蕎麦なのだが、いつも蕎麦のよい香りと粉の微妙な食感がこたえられない逸格なのである。

写真[3]写真2

 三千盛は、何と言っても若い頃心酔した作家・立原正秋氏が愛した酒である。立原氏のご子息が経営していた懐石料理の店で初めて口にして以来のファンである。が、私の知る限り置いてある店がなかなか少ないのである。だから、ここでは私はこの銘柄一本をしつこ〜く楽しむことにしている。

 そしてうつわ。ここのセレクトとコーディネイトも私は大好きなのである。最初に、お通し三種が出てくるのだが、毎回持って帰りたくなるほどセンスのよい古伊万里や唐津のうつわに入ってくる。ぬたやおひたしが中里隆さんのうつわに入って出たかと思うと、玉子焼きはカジュアルな印判手の皿に載っている。このハイ&ローの取り合わせの妙もなかなかのものであるといつも痺れているのである。

 酒飲みにとっては、蕎麦屋の流儀はなかなか楽しいということもこの歳になって発見した。いきなり蕎麦、ではなく、日本酒をちびちびと飲りながら、ぬたや天ぷら、玉子焼きなどをやる。蕎麦はシメなのである。そして、最後はざるそばやせいろなどシンプルなものでシメるのが粋であることは重々承知していながらも、ついついとろろそばを頼んでしまうのだ。今日は一枚だけにしておこう。いつもそう誓うのだが、最初のひと口で、「すみません、お蕎麦をもう一枚お願いします」と言ってしまう。

 ああ、それにしても、ここのとろろ蕎麦。絶品である。馬鹿馬なのである。(しかし写真を撮り忘れている・・・)

2014-10-06 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

猫の日の鮨「一柳」

 2月22日は猫の日だ。にゃーにゃーにゃーと2が三つそろうのでそうなったらしい。

 二月花形歌舞伎・夜の部に息つく暇もないくらい熱中していたので、終演と同時におなかがグーグー鳴っている。にゃーの口になりながら、今年お初の「一柳」ののれんをくぐった。

 銀座で鮨といえば、私はここである。ほかにもいろいろ行っていた店はあるのだが、歌舞伎が終わった後でも対応してくれるのと、つまみのこれでもか攻撃と、大好きな三千盛があるのと、そして何より店主の心意気が好きで通いつめている。

 もともとは一度だけ行ったことのある銀座の店から、ホテル西洋銀座の中に新しい店を出したとの案内をもらい、おまけに店のプロデュースはあの海老さまによるものというふれこみにも釣られ訪れたのがきっかけだった。「真魚」というその店の名は、真の魚という文字通りの意味だけでなく、ご存知空海の幼名で、そのネーミングにまず惚れた。店内には海老さまの隈取りが飾られていたり、海老蔵襲名記念の海老紋入りバカラのグラスや麻でできたコースターなど、海老さまファンにはたまらない小道具でも満ちていた。

 遅い時間なら終演が九時半過ぎのときもある歌舞伎の後に、ゆっくり鮨が楽しめる隠れ家として、歌舞伎に行っている間ホテルのクロークで荷物を預かっていてくれるサービスも含めて、大のお気に入り店としてつねに歌舞伎とセットになっていた。

 その「真魚」がホテル西洋銀座クローズに伴い、閉店するという。ホテルの中にあるのだから、仕方のないこととはいえ、車寄せにいつも待機しているホテルスタッフや支配人とも親しくなり、居心地のいい空間を堪能していただけに、これからどうしようという戸惑いがあった。

 今日で終わりというその日、海老さまの公演もあり、終演後最後の「真魚」を訪れた。すでに、近所の銀座一丁目に新しい店を出すことは決まってはいたが、それでも慣れ親しんだ店がクローズするというのは切ないものである。最後の鮨を堪能し、三千盛をしこたま飲み、後ろ髪を引かれながら店を後にした。

 それから何ヶ月かして新たにオープンしたのが「一柳」である。店の場所と内装が少し変わったことをのぞけば、何も変わらない。

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 さて、名物つまみ攻撃だ。まずはのれそれ。つるつるっと爽やか。氷見のぶりのこの脂を見よ。わさびをたっぷり乗せそのままでいただく。ぷっくりと豊かな牡蠣は炙って。鳥貝も絶品の甘さ。この日は珍しくイカが出た。そしてヨコワ。蒸しアワビはいつ食べても安定した旨さ。こんな大きなサイズである。(つい大きさ比較で煙草の箱を追いてしまう)大好きな鱈の白子焼き。三千盛が進む。車海老。平ら貝も軽く炙って。海老のアタマがやってきた。ガリガリ丸ごと食べる。そして真打ち、鮟鱇の肝。流通がよくなったおかげで、ほぼ一年を通してあるのでアンキモ好きにはこたえられない。ひらめの縁側。ポン酢でいただく。本日の焼き魚は金目鯛。上品な脂がのっている。全14品。ああ、もうおなかぽんぽんかも。と言いながら、握りも少々。

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 まぐろ三連発。この日は撮り忘れてしまったが、赤身のづけ、中トロ、大トロのめくるめく競演。アジ、さより、ウニ、煮蛤も充実。そして絶対に欠かせない穴子は蒸しと焼きの両方を楽しむ。大満足である。毛づくろいしたくなるほどの心地である。

 にゃむ、にゃむ。

2014-10-05 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

福島2番街「Giulio」

 ある日「あきません、記録が破られましたわ〜」と一通のメール。

 記録とは、家の近所のイタリアンで私が食べた金額の記録である。はじめて訪ねたときさんざん頼んで食べまくり、お勘定のときにシェフから「ひとりでこんだけ食べてもろうたんははじめてですわ」と言われ、調子者かついちびりの私はすっかり悦に入ってしまったのである。なのに、それを上回る強者が現れたのだという。そのメールをもらった日の夜、さっそく記録を奪い返しに行ったのは言うまでもない。

 みなちゃん(BENちゃんが実は正しい)と私が呼んでいたそのシェフは、私が料理を夢中でたべていると必ず「おいしい?」と聞いてくる。そこで必ず「なんで、こんなにおいしいの〜」と答えないといけないのだ。なぜなら、その後必ず彼は「そりゃあ、愛情こもってますから〜」と続けるお約束になっていたのだ。この馬鹿げた愛すべき儀式を、毎度毎度やれるものだとすっかり安心していたら、残念ながら店をやめるという。え〜。

 その後みなちゃんは三宮や御影で新しい店を出したりシェフを続けていたが、あるときから音信不通になった。もうあの味やあの儀式を楽しむことはできないのかとひそかに悲しんでいた。ところがフェイスブックのおかげで、今は大阪福島でイタリアンをやっていることがわかったのだ。

 ある日、突然にそのことを思い出し、衝動的に店を訪ねた。7年ぶりである。

 少しだけふっくらと大きくなったみなちゃんが、満面の笑みでカウンターの中から出迎えてくれた。店は初めてでも、シェフが知り合いだと、くつろぎ度が違う。

 さてと。何から注文しようか。

みな1みな2みな3みな4みな5みな6

 まわりの人がなんだかおいしそうなものをパンにつけて食べている。それ何?と聞くと、たまねぎをとろとろになるまで炒めたペーストだという。さっそくそれをバゲットの上に載せる。う、旨い。そして茄子ときのこの炒めたの。ガーリックがほどよく利いている。本日の鮮魚のカルパッチョ。鯛である。そしてひらめのソテー。これにもたっぷりのきのこのガーリック炒めが載っている。ワインがガンガン進んでしまうのと、どうしてもみなちゃんの顔を見るとたくさん食べて期待に応えなければ、という悪い習慣を思い出す。ここまででもけっこうお腹いっぱい。だけど、やっぱりみなちゃんのパスタは食べなきゃ。で、アマトリチャーナを注文。

みな7

 ガラガラガラ。カウンターの向こうの厨房でフライパンを振る音に聞き覚えがある。フライパンの底と五徳が当たる独特の音だが、とても懐かしい。昔よく聞いたみなちゃんのフライパンの音である。あの六甲の店にいるような気がしてきた。店や場所が変わっても、料理人のちょっとしたしぐさや調理の段取り、立てる音というのは変わらないもんだ。変わらないものが、ここにもある。なんだか、とても、とても、うれしくなる。

 もちろんパスタの味も硬さも昔と同じ、かなりハードなアルデンテ。前の店のときも、もう少し柔らかくならないのという要望が多かったにもかかわらず、頑として曲げずこの硬さを通してきたみなちゃんの流儀だ。夢中になって食べていると、カウンターの向こうからみなちゃんが、にやにやしながら近づいてきた。

 「おいしい?」
 「おいしいよ〜懐かしい味やわ〜なんで、こんなにおいしいの〜」

 「そりゃあ、愛情こもってますから〜」

 みなちゃんには、いつまでも彼なりの流儀をくずさず、頑張っていってほしい。

2014-10-04 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

石屋川の鉄板焼「里味」

 大昔、アメリカに住む友人と彼女の高校時代の友人何人かでこの店を訪れたとき、彼女は「なんで日本って何でもおいしいの」とため息をつきながら「美味しすぎる、お皿なめていい?」と全員の取り皿に残っているソースを本当にきれいになめた。うーん、ちょっとお行儀は悪いのだけど、彼女がそうしたかったことはとてもよくわかる。ここはそういう店なのである。

 いちおう、鉄板焼きの店である。だが、普通の鉄板焼きではない。

里味1里味2里味3

 たとえば、海鮮野菜を注文すると、アルミホイルで四角い鍋をつくってくれ、そこに透明のスープを入れてくれる。新鮮な海鮮とたくさんの野菜は大皿に。鉄板の上でつくる簡易鍋なのであるが、これがめっぽう旨いのだ。スープをちゃんととっておくと、後でおじやもつくってくれる(らしい)。地鶏の盛り合わせを注文すると、七輪に炭をおこしその上に金網をのせてくれる。新鮮な鶏のいろんな部位は大皿に。これを好きなように焼くのである。もちろん神戸牛のステーキもあるし、冬の定番としては白子焼きというのもあり、これはメニューにある限り絶対に注文する私のお気に入りである。外はカリカリ、中身はとろとろの白子のムニエルで、たっぷりの白髪葱と青葱がトッピングされている。カウンターには大きな鉄板。だけどカウンターの奥にはもうひとつ小さな鉄板があり、スペシャルな技のいる料理は大将がそこでつくってくれる。その鉄板から繰り出される料理の数々が、あまりにクリエイティブでいつも驚かされるのである。鉄板の横には、古い怪しげな甕があり、そこにどうやら秘密がありそうなのだ。中に入っているのは察するところ秘伝のたれのようなもの。長年継ぎ足して使っているという老舗の鰻屋的なあれだ。聞いたことはないが、たぶんそうとうこだわって作っているのではないか。

里味4里味5

 今回は、まず地鶏の刺身を注文。新鮮であるのはもちろんだが、特製たれやオイルでいただくその味は奥深い。部位による味や食感の違いも、口に入れた瞬間にくっきりと立ち上がってくる。神戸牛のステーキは、たっぷりの野菜と一緒に供される。上質の肉ならではの甘みと旨味を味わいながら、神戸に住んでいる幸せを噛みしめる。そして定番の白子。あいかわらず蕩けるような食感である。続いていつも〆に注文する二品。和牛のスジが入ったネギ焼きと山かけ焼きそば。どちらにも例の甕に入ったたれがたっぷりと使われる。ほかにも食べてみたいお好み焼きやおそばはあるのだが、悩んだ末、結局いつもこの二品は外せずこれ以外を食べたことがないのだが、充分に満足する。

 私は、お好み焼きに詳しくないし、そんなにしょっちゅう食べないので、あまり評論する立場にないが、神戸生まれ神戸育ちによると、ここのお好み焼きは慣れ親しんだ神戸の下町タイプなのだそうだ。どうやら独特のねっとりと柔らかな食感がその典型的な味わいであるらしく、彼に言わせると大阪の縁が切り立ったホットケーキのようなお好み焼きなんぞ食べられたもんではないのだそうだ。天皇バー(29夜参照)でもときに地元で生まれ育った人たちのあいだでお好み焼き談義になることがあり、「やっぱりお好み焼きは、縁が流れているものでないと」とか、「だいたい生地に卵入れること自体邪道や。俺生まれてこのかた、卵入れてくれなど一回も言うたことないわ」などなど、それはもうかまびすしい。みなさん大阪のお好み焼きに対して敵意むき出しで面白いったらありゃしないのだ。この感覚はわからないでもない。うどんのコシやだしの話をさせれば、私も大阪うどんに対してはきっとそれくらいのことは言うだろう(笑)。ただ、お好み焼きに対しては門外漢なのでただただ興味深く聞いているだけであるが。

 私にとってはあのふっくらとした大阪のお好み焼きも悪くはないのだけど、ここのを食べ慣れるとこの食感に夢中になるのはたしかである。いわゆる昔ながらの神戸の下町のお好み焼き。ねっとり、とろとろで、縁が流れたお好み焼き。

 どうです?一度食べたくなってきたでしょ?

 ただし。ここはあくまでも鉄板焼きのお店。聞くところによると、大将はお好み焼き屋とは呼んでほしくないそうである。(と、聞いたことがある)

2014-10-03 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

由比缶詰所の「ツナ缶」

 飛行機に乗る楽しみのひとつが機内誌を読むことだ。JALの「SKYWARD」、全日空の「翼の王国」どちらも編集、デザイン、執筆陣ともに優劣つけがたいクオリティがある。アートディレクターでありエディトリアルデザイナーでもある木村裕治氏の大ファンなので、かつては「翼の王国」を定期購読していた。バックナンバーは今も会社の本棚の奥にちゃんとキープしてある。有名なところでは「ミセス」「和楽」そして朝日新聞の日曜版に挟み込まれている「GLOBE」も木村さんの手になる。そんな理由で「翼の王国」ばかりを読んでいたのだが、メイン航空会社をJALにするようになってから岡本一宣さんアートディレクションの「SKYWARD」も読むようになった。岡本一宣さんも敬愛するアートディレクターであり、彼の赤本、黄本は私のデザインバイブルでもある。

  その「SKYWARD」(今はこちらも担当アートディレクターは変わっているようだ)を、正月NYから帰ってくる飛行機のなかで読んでいてすごく気になる記事に出会った。「旅するパン名人の贅沢サンド」という連載ものである。パン名人という松野玲子さんが毎回おいしいサンドイッチを紹介するというシリーズらしいのだが、この記事で紹介されている由比缶詰所のツナ缶に釘付けになったのである。

写真[3]写真[2]

 静岡県中部は知る人ぞ知るツナ缶の里で、国産ツナの9割をまかなう生産地なのだそうだ。知らんかった。そして由比缶詰所は、普段は委託製造でツナ缶を作っているらしいのだが、月に数日だけ自社ブランド「ホワイトシップ」のツナ缶を作っているという。その味は「一度食べたらやめられない」のだそうだ。本当にやめられなくなるかどうか、これは自分の舌で試さなくてはならないという気になってきた。

 日本に帰ってしばらくツナ缶のことは忘れていたのだが、深夜にパスタをつくろうと思い立ち、ナショナルブランドのツナ缶を手にした瞬間に由比缶詰所のことを思い出した。早速ネットで調べる。トップ画面に出てくるのは港町、由比の地元の人たちだろうか。おばあちゃん、漁師らしきおじさん、子供たち、ご近所のみなさんの素朴で、飾りけのない笑顔がそこにあった。失われつつある地元の匂いのようなもの、そんな郷愁に満ちたホームページ。たちまちハートをわしづかみにされ、ウェブショップに行く。

 由比缶詰所のこだわりは三つある。まずは、最高級の原料。鮮度のよい上質な夏びん長マグロ、その脂ののりのよい春から夏にかけて獲れたものだけを使うのだという。二つ目には質の高い綿実油とオリーブ油を使っていること。三つ目はじっくりと熟成させていること。まぐろの油漬けは熟成させるほど油となじんでまろやかさと風味が増すらしい。由比缶詰所では、製造後半年は出荷せず味わいが深まるまでじっくり寝かせて熟成させるのだそうだ。

  缶詰の賞味期限は三年と長い。大量に注文しても大丈夫だ。大型缶のツナ2号(200g)のファンシー缶を24缶。ギフトセットA(ファンシーとフレークの詰め合わせ15缶入り)。そしてレトルトパウチまぐろ水煮(100g入り×5袋)をまとめて注文した。

ツナ缶2ツナ缶1ツナ缶3

 届いたその日の深夜、さっそくファンシーを一缶使ってパスタを作った。オリーブオイルをいつもの半分にして、缶の綿実油も全部入れる。フライパンの中でぱちぱちと綿実油の爆ぜる音がする。ビーターでツナのかたまりを適当につぶす。具は茄子とズッキーニ、そしてツナ。仕上げはトマトソース。わくわくしながら口に運んだ。旨い!ゴロゴロとしたツナのかたまりが存在をしっかりと主張している。自分で適当につくる深夜のパスタの出来としては、近頃の出色である。ツナ缶ひとつでこうも変わるものなのかと感嘆。シンプルにスライスたまねぎと一緒にレモンを搾る。ガーリックトーストにのせる。最新のFacebookでは、そうめんつゆにツナを入れるアイデアも紹介されていた。家ではめったにつくらないが、いろいろな応用を楽しみたいと思った。何より、保存がきくというのも今の時代には合っていると思う。なわけで、由比缶詰所のツナ缶は我が家のパントリーのレギュラーとなったのである。

由比缶詰所のツナ缶を買う

2014-10-02 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

南森町「すし芳」

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 会社を設立した頃であるからもう17年も前である。有名なグルメ評論家が関西で江戸前の鮨が食べられるとして絶賛していたのがこちらである。会社の近所なので早速でかけ、気に入ったので10日ぐらいのあいだに3回もでかけた。3回目にはあまりに気持ちよく酔っ払ってしまい、当時会社で捕獲していた子猫を酔った勢いで家に連れ帰ってしまった。その猫は我が家の二匹目となり、三年ほど前に天寿をまっとうした。何かと因縁のある鮨屋でもあるのだ。それからは、時折思い出してはぽつぽつ行くという関係がずーっと続いている。だけど、行くたびに前とは違う新鮮な遊び心があるのでいつも驚かされ、目が離せない。

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 久々の訪問である。最初に低温でゆっくり熱を入れた半生の白子。新鮮さが生きている。この低温調理、最近いろんなところで出合うが、分子料理につぐトレンドとなりつつあるようだ。化学の方法を使い、旨味と食感をキープするということか。だいだいを軽く絞るというのも新鮮である。こりこりのヒラメの薄造りは九条ネギと。酒は磐城の寿という純米酒でスタートし、静岡の正雪。そうこうしているうちに大将がかつおの切り身を持ち、店の外へと向かう。店の前でかつおを藁でいぶすのである。

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 大阪市北区。堀川戎へと続く参道でもあり公道でもある町中で堂々と七輪で炭を熾し、煙もうもうするのである。なかなかシュールな光景である。(この作業、今やこの店の名物となっている。今回はじめて大将の後を追い、いぶす作業を見学した)それにしても、いぶしたてのかつおのたたきは絶品である。藁の香りがほどよく乗った脂にまとわりつき、口中に入れるやいなや蕩けていく。その香ばしさはずーっと後を引く。いつまでも余韻にひたっていたいが、すぐさま車海老が出る。向こう側の笹の中にも車海老の鮨が入っている。ひとつの素材で調理法を変えたり、産地別に出したりと、二種類のプレゼンテーションをするのがここの真骨頂。刻んだハラペーニョを乗せた牡蠣が出されたかと思うと、はい手を出してと言われ手のひらを差し出すとツメを塗った牡蠣の鮨がのせられるといった具合。カウンターとそこに座る人を立体的な舞台に見立て、縦横無尽なアイデアをめぐらせる。そのパフォーマンスがいつやってくるかわからないので、毎回どんな手を使うのかと期待する楽しさがあり、まったくもって愉快ったらありゃしないのである。

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 本日の真打ちは生のクロマグロ。山口県仙崎で穫れた126キロ級だ。これはもう素材そのもののストレート勝負。ねっとり旨く、まったり口中にまとわりつく。赤身は小気味良い血の味がする。血気盛んに勢いよく泳いでいた生きのよい一尾だったのだろうと想像する。酒は備後の天寶、出雲の天穏。ほたるいかのジュレがけの後、再びほたるいかを串にさし炙ったのが出る。酒がどんどん進んで、赤貝のサラダ仕立てと貝柱のリンゴ和えを秋田のまんさくの花で楽しむ。そして炙った貝柱を海苔で無造作にくるんだ手巻き鮨。赤貝のひもと胡瓜の細巻。ここで炙った鯖の登場である。続いて鯖の押し鮨。これはここでは初めて食べたが、脂ののり具合に痺れ、唸るしかない旨さである。最後は、生のマグロのトロ鉄火。ほとんどマグロ巻きといった豪快さに圧倒され、その威勢のよい味わいにまたしても唸る。マグロと海苔はほんとうに相性抜群だなと思う。

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 かつて江戸前と絶賛された鮨は、もはや江戸前ではない。斬新な趣向と遊び心あふれる目くるめく前衛鮨だと私は思っている。大将の中ノ上さんは、うつわにもそうとうこだわりがあり、店には河井寛次郎の書や北大路魯山人のうつわなども飾られている。日本酒の銘柄が変わるたびに替えてくれるグラスは、どれもアンティークのバカラやサンルイ。鮨よし、うつわよし、で、すし芳か。良いではなく芳しいというネーミングが今やぴったり来る店になっている。

 総てヲ出ス 出し切ル オシミナク出ス

 カウンターに掲げている河井寛次郎の言葉どおりに、総てを惜しみなく出し切って日々変貌し続けている店である。

2014-10-01 | Posted in 千夜千食No Comments »