2013-12

NY「CAFE SABARSKY」

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 オーストリア料理というのにほとんどなじみがない。ウインナ風カツレツとかザッハトルテくらいしか食べたことはない。

 NY訪問歴もけっこう長いのに、ここを知らなかったのは迂闊としかいいようがない。ノイエギャラリー。グッゲンハイムから歩いて2ブロックのところにある20世紀はじめのドイツとオーストリアの美術品を集めた邸宅美術館である。クリムトの金の時代の代表作「アデーレ・ブロッホバウアー」やエゴン・シーレの作品コレクションで知られているという。知らなかった。

 カフェ・サバスキーはそのノイエギャラリーの中にある。ランチの予約は取らないので、列に並んで順番を待つ。時刻はちょうど昼過ぎ。だが、そんなに待たずにテーブルに案内された。どのテーブルにも、見慣れぬ美味しそうな皿があり、お腹がぐーっと鳴る。メニューはドイツ語(?)と英語の両方で書いてあるので、なんとなくは想像できる。あれこれ悩んで、周りのテーブルも盗み見しつつ、まずはスパイシーエッグのサンドイッチ。カンパーニュ風の田舎パンの上に、スパイスで和えた卵がみっしり乗っている。ピクルスの上にゆで卵、さらにパプリカパウダーがかけられておりかなり美味である。メインにはハンガリアン・ビーフ・グヤーシュというシチューを注文した。これは予想通りの味で、牛のすね肉がごろごろ煮込まれてい、田舎料理の体をなしてはいるがなかなかじんわり旨いのである。この皿にはシュペッツレというパスタのようなものがついてくる。卵麺の一種らしいのだが、イタリアンパスタをイメージすると見事に裏切られる。ひと口食べると歯応えも何もなくゆるい食感で拍子抜けするのだが、食べ続けているとそのふにゃり具合が妙に心地よく、ハーブをからめた味付けもよく、これはこれで味わい深いと思えてくるのだ。

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 シュペッツレについて調べてみた。卵、小麦粉、塩をこね、ゆるい生地の状態で茹でるのだという。ドイツ、オーストリア、アルザス、南チロルなど広い地域で、ソースやグレービーをたっぷり使った肉料理に添えられることが多いのだそうだ。そういう意味ではクスクスなどにも使い方は似ている。シンプルなものだから、塩味だけでなく、フルーツと混ぜたり甘みをつけデザートにすることもあるようだ。乾麺のシュペッツレもあるようだが、こちらは生に比べるとやや固めであるらしい。

 日本でも小麦粉を使う麺はうどんだけではない。私なんぞ、うどん県の生まれと育ちなので、コシのない麺など食べたくはないがコシを求めない麺というのも日本にはいろいろあるようだ。大昔九州大分で「やせうま」という麺を食べたことがある。うどんの5〜6倍もの太さの平たい麺にきなこと砂糖がまぶしてありおやつの一種なのだが、あれを味噌仕立てにすると「だんご汁」になる。山梨の「ほうとう」も食べたことはないが、こちらもほとんど捏ねないので、食感は柔らかいらしい。「すいとん」なども同じような食感だろう。「伊勢うどん」にいたっては太麺を一時間近く煮込んで、あのふにゃふにゃの食感にするらしい。どれも昔からその土地の人に親しまれ残っている麺であるから、それはそれで地域の人にとっては愛すべき食感なのだろう。(私がうどんのコシを愛するように)

 シュペッツレの食感があまりに面白かったので、つい、いろいろ連想してしまった。

 カフェ・サバスキー。来年も行こう。

2013-12-24 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

新地の懐石料理「かが万」

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 かが万本店。ここはもちろんとくべつに連れて来てもらうところである。

 廊下の脇にある戸を引くと、異空間が現れる。もともとはちゃんとした四畳半の茶室だったのだろう、床も躙り口も残されている。異質なのはその空間を半分に割り、真ん中にカウンターをしつらえていることである。客はカウンターに向かい畳に腰掛けられるようになっており、カウンターの向こう側には小さな厨房がある。つまり、この空間はきわめてエクスクルーシブな完全個室なのである。専属の料理人が目の前で料理をつくってくれる。メニューはなく、その日のおすすめの食材や、ゲストの体調などを細かく聞いてくれ、当意即妙で料理を組み立てていくという贅沢さなのである。

 そしてこの空間には、ここだけで使ううつわが棚にずらりと並んでいる。

 この日は永楽善五郎の酒器で日本酒をいただいた。松の絵柄に金を施したおめでたい柄である。向付けは織部に盛られた明石の鯛。ねっとりと弾力のある歯応えである。煮物椀は蛤のおつゆ。磯の香りが馥郁と漲る一品だ。焼物は脂の乗った真魚鰹。唐津に盛られ、懐石風に黒文字の取り箸が添えられている。取り分ける皿も青白磁の牡丹の柄。即全の赤絵に盛られているのは松葉蟹と法蓮草の和え物。こちらは唐津の皿に取り分ける。なまこの酢の物はまだら唐津のうつわに入って。味はもちろんどの一品も素晴らしいが、それ以上にうつわが目を楽しませてくれる趣向となっている。

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 驚いたのは蒸し蚫を盛った大皿も取り皿もバカラだったことである。聞けばすべて春海バカラだという。夏の茶席で使われることもある金の縁取りをした春海バカラの菓子器は有名であるが、こんな皿を実際に惜しげもなくバンバン使っているのを見たのは初めてである。しかもてっきりアンティークだと思っていたら、注文してつくってもらったという。続いて出されたお椀も春海バカラである。ガラスのお椀のふたを取ると中にはしいたけの上に削り鰹をかけたもの。食事のとき雑炊と一緒に出された鰹もバカラの皿に乗っていた。

 なんという贅沢か。季節は冬である。が、奇しくも本日はクリスマスイヴ。クリスタルのきらめきと金の縁取りは、こういう日にこそふさわしいのかも。

2013-12-23 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

鯖街道の鯖ずし「朽木旭屋」

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 鯖街道を初めて車で走った。

 若狭の小浜と京都を結ぶ街道のことをこう呼び、若狭で穫れた鯖を京都に運ぶルートとしてつとに知られている。小浜に伝わる古い文書の中には「生鯖塩して荷い、京へ行き任る」とあるように、昔は生の鯖を塩で締め京まで運ぶとちょうどいい塩梅になったようである。鯖街道はいわゆる総称で一本だけでなく何本かあったようだが、小浜から熊川宿を経由し滋賀県の朽木村を通り大原から出町にいたる若狭街道がもっとも盛んだったという。街道の歴史は古く「延喜式」によれば若狭の国は「御食国(みけつくに)」と呼ばれ、すでに藤原京や平城京に租庸調以外に贄(にえ)を貢いでいた国として記録されている。つまり、朝廷に税として塩や塩漬けした魚介類を納めていた歴史は奈良時代まで遡れ、大和朝廷にとっても特別な意味を持つ道だったのである。

 そういえば、奈良東大寺二月堂の「お水取り」は有名であるが、それに先がけ小浜には「お水送り」という行事があることを思い出した。「お水取り」で使う「お香水」は若狭の遠敷川(おにゅうがわ)から10日間かけて二月堂の若狭井に届くといわれている。これは天平の昔、修二会に参列される神々の中で、若狭の遠敷明神だけが川漁に時を忘れ遅参したので、その詫びをかねて若狭より二月堂の本尊へお香水を送る約束をされた故事にならっているのだそうだ。「お水取り」の由来ひとつとっても、若狭と奈良との関係の深さが見て取れる。

 鯖街道に戻ろう。

 さすがに鯖街道というだけあって、走っていると鯖ずしの看板がやたら目につく。脂ののった鯖ずしはむろん大好物である。京都市内ならやはり「いづう」に軍配があがるとは思うが、せっかく鯖街道を走っているのである。どこかおすすめは?と運転しているMさんに問うてみた。「うーん、有名なのは花折とかやけど、僕のおすすめはここ」と連れて行ってくれたのがこちらのお店。鯖の旨みを出すために大吟熟成仕込みという製法でつくっているそうな。入ってびっくりしたのだが、ランクによって値段の幅がかなり違うのだ。2,808円の「松」から上は12.960円の「真幻」まで。お店の人が初めてなら「朽木」というポピュラーなのでじゅうぶんおいしいとすすめてくれる。しかし、その上の「極」というのは最大サイズの鯖を使用し丸々しており、厚みが違う。そのまた上の「まぼろし」は極厚の極上の脂のりだと言う。最高級の「真幻」にいたっては究極の鯖を使い、あまりもの身の厚さに絶賛する人と抵抗を示す人があるというほど凄いらしい。ホームページでは「極み」クラスを召し上がってからご購入くださいとある。た、食べてみたい。「まぼろし」で値段は「朽木」の倍、「真幻」にいたっては三倍だ。やっぱり、ここは豪勢に「まぼろし」あたりを行っとこうかどうかさんざん手に取り迷ったあげく、やっぱり普及品の味試しをしてからでも遅くはないと気を取り直す。

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 夜、さっそくいただいた。普及品とはいえずっしり重く、鯖の厚みもなかなかのものである。まずは一切れ口に運ぶ。う、旨い。身は生の鯖に近いのに、酢の自然な酸味がほどよく染みており、鯖の脂がすうっと心地よく溶けていく。これが例の大吟熟成仕込みのなせる技か。もうぱくぱくといくらでも食べられる。あっという間に一本を完食した。せめてあと一、二本買っておくんだったと後悔。だけど、ホームページを見るといつでも注文できることがわかり、胸を撫で下ろす。次回はひとつ上のランク「極み」を注文しようと心に誓った。

鯖ずしを購入する

2013-12-22 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

京都郊外静原「御殿の昼餉」

 三回會(回會記)の帰路である。

 都合が悪く今回参加できなかった京都の若旦那のお宅に立ち寄りランチをご馳走になることになった。何年か前、京都市内から郊外の静原という処に引っ越ししたとは聞いていたが、その静原がこんな場所にあるとは知らなかった。住所は一応京都市左京区ではあるらしい。全150戸あまりの小さな集落である。さすがに歴史は古く、天武天皇がこの地に赴かれたとき、身も心も静かになったとして、以後静原と称するようになったと伝えられているそうだ。古い歴史のある静原神社をはじめ、愛宕講や烏帽子儀などの貴重な風習、美しい川、田園風景など日本が失ってきたものがたくさん残されており、心が清らかになるような里である。

 めざす御殿は山の中腹に鎮座している。堂々たる平屋の日本家屋である。

 開放的なリビングには心地よい冬の陽射しが降り注いでい、ゆったりとした心地になる。大きなリビングテーブルに腰掛け、ウェルカムシャンパンをいただく。昼間のシャンパンはとてもとても気分をよくしてくれる。若旦那からうやうやしく本日のメニューを手渡される。タイトルは「ヤーヤーヤー 回會が静原にやって来た」である。テーマは「酉の歌を食べる」である。すべてに関係者が関わるイベントなどの暗喩があり愉快な遊び心を感じるし、手書きのメニューにはそれぞれ工夫を凝らしたタイトルがついている。

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 スタートは「ようこそ よろコブカルパッチョ 野菜仕立て」である。鯛の昆布締めにパリパリの水菜がのせてあり、オリーブオイルをたらした一品。木の葉を描いた藍のうつわもセンスがよい。当然シャンパンにもよく合う。続いてパンをトースターで焼きながら、ささっとつくってくれたのは「出会ったス 街道サンド 古漬けは母の味」。鯖サンドである。しめ鯖に大葉、そしてポイントは古漬けたくあんを挟んでいること。お母様が漬けたという古漬けのポリポリした食感がほどよく浸かった鯖と小気味よくマッチして、もういくらでも食べられる。こちらは緑釉あざやかな織部のうつわに盛られて。そして「お得意様ご繁盛 ゑびすパスタ笹入り」。カルボナーラかなと一瞬思うのであるが、実はこの白いのは酒粕である。祇園のゑびす神社の前の酒屋さんで販売されているという縁起物である。これに蕎麦の実をパラパラとふっていただく。ねっとりと甘みのある酒粕がこんなにパスタに合うとは知らなんだ。カルボナーラよりずっと身体によさそうだし、これは自分でも一度試したいと思った。

 聞けば店でのまかないは、若旦那自らがいつも腕をふるうという。キッチンに立つ姿が自然でサマになっているのも、むべなるかな、である。しかも、カウンターの中に立ち、ゲストである我々とシャンパンやワインを飲み喋りながら、ゆるゆると料理していくスタイル。事前の下ごしらえは必要だろうけど、シェフのように目の前で一皿ずつつくってくれるなんて、普段から慣れていないとできないことだ。とくべつさを感じさせずに、とくべつなことをする。こういうもてなしを受けると、気持ちがほっこり、まったりして、とくべつな心地になる。

 こんな旦那、最高やね。奥ちゃまがうらやましい。ご馳走さまでした。

2013-12-21 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

南森町の割烹「宮本」

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 会社のすぐ近所にお気に入りのカウンター割烹がある。が、予約困難であるために、ロケーションは近いけど遠い。行くときは早めに予約しなくてはならない。今回は、久しぶりの訪問である。

 先付けに炊きたての新米が出て来てハッとさせられた。水分をたっぷり含んで、つやつや光る新米が一文字に盛られている。口に含むと、甘く、みずみずしい。杯に振る舞われたのも新酒。

 そうして、はた、と気づく。新米、新酒の季節なのだ。

 新嘗祭は11月23日。一般的には勤労感謝の日ということになってはいるが、戦前まではこの日は新嘗祭だったのだ。

 新嘗祭とは、その年に収穫された米を神様に捧げる祭りのことで、天照大神が豊葦原中国(とよあしわらのなかつくに)に降って行かれる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に稲を授けたことを起源とするという。天皇陛下は今でも「豊葦原の瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者として、その年の新穀を天神地祇に供え、収穫に感謝されるとともに、御自らも召し上がっておられる。宮中祭祀のなかでも、新嘗祭は非常に重要とされる祭祀なのである。

 そう考えると供された新米と新酒がこのうえなく神々しく有り難みのあるものに思えてくる。新米と新酒。ボジョレーヌーボー解禁などというミーハーな習慣が定着して久しいが、よその国のぶどうの新酒を祝う前に日本人としてすることがあるのではないか。そうなのだ。私たちは新嘗祭が終われば、新米を食し、新酒でその年の豊穣を祝うべきなのである。

 折しも和食がユネスコの無形文化遺産に登録された。以下の4点がその特徴である。1・多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重。2・栄養バランスに優れた健康的な食生活。3・自然の美しさや季節の移ろいの表現。4・年中行事との密接な関わり。この4の年中行事との密接な関わりというのに、新嘗祭もぜひ加えたいところである。日本政府も伝統的な社会慣習としての新嘗祭にスポットを当て、「新嘗祭が終わると新米と新酒の解禁日」とするくらいの心意気がほしいし、JAや酒造会社もキャンペーンを大々的にやってみてはどうだろう。

 ボジョレーヌーボーの解禁日は11月の第三木曜。2014年は11月20日だ。一方新嘗祭は11月23日。わずか3日違いで、フランスの酒造メーカーを喜ばすのと、「新米&新酒祭り(仮称)」をするのとどっちがよいのか関係者の方はよく考えてほしい。これは文化にも関わってくる話だと思う。

 料理は、その新米・新酒に始まり、しんじょのお椀、氷見のぶり、真魚鰹、海老芋の煮物など旬の美味が活きたものばかり。あざやかな紅葉が描かれた乾山写しの向付にハッとさせられ、深まる秋と来る冬の一瞬のあわいを味わうという贅沢を楽しんだ。

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 宮本さんのような料理人は、新嘗祭をはじめとする年中行事を知悉し、伝統の食文化、食習慣の知識も豊富でなければ務まらないだろうし、日々の仕入れの中で季節の移ろいにも敏感だろうと思う。問題はそこへ出向き、和食をいただく私たちの文化リテラシーがそれについてゆけるかどうかだろう。こういったお店を心底楽しむためには、季節の風物を愛でる心の余裕はもちろんのこと、旬の食材や調理法についての知識、うつわへの理解、見立てを楽しめる素養など、日本文化の心得があればあるほど素敵だろう。何事も「通暁する」というのが文化を味わう秘訣である。ひと昔前の旦那衆というのは、たぶんそういう人たちだったのだろうと想像した。

2013-12-20 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

ファンキー中華「萬来園」

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 そもそもの話をまずしよう。

 ある夜「なんか、面白くておいしい店ないかなあ」とよく行く白金のビストロでつぶやいた。するとカウンターに入っているMくんが「萬来園っていうのがいいらしいですよ」と言う。「えっ、どんなとこ?」「すっごく汚い店らしいけど、夜は高級中華になるらしいですよ」「あ、その店聞いたことある!」早速次の日に電話してみた。「あのう、○月○日の夜予約できますか」と問うと「ウチのこと知ってます?夜は高いですよ」ときた。「はい、わかっています」と返すと「カードは使えませんよ」とさらに無愛想な物言い。高飛車やなあ。高いですよってどんだけ高いんや。チャレンジ魂がふつふつと燃えたぎってくる。

 高いの上等。お手並み拝見。

 友人と東京を食べ歩く会「松山倶楽部」というのをつくっている。このところのテーマはファンキーである。おいしい高級店はいっぱいあるけど、おいしいだけでなく、辺鄙なところにあるとか、大将がユニークであるとか、なにか面白い落差がほしい。場所は大井町。まさにうってつけのロケーションではないか。しかも昼と夜とのギャップがあるというのも大いに期待できる。

 待ち合わせのメールにはこう書いた。「さてさて、引き続きのファンキーツアーが迫ってきましたが、なかなかファンキーなお店が予約できました。今回は大井町というファンキーな場所にあるほんまにファンキーなお店です」

 19時現地集合。少し早めに着く。外観は昔から商店街にあるような古びた佇まい。ギューザやラーメン、ニラレバ炒めが美味しそうな雰囲気。だがお世辞にもきれいとは言い難い。本当に大丈夫だろうか。噂に踊らされたのではあるまいか。とても、とても、心配になってくる。意を決して「こんばんは」と中に入る。10人ほどが座れるカウンターのみ。いちばん奥に座る。店内もかなり殺風景である。

 お店は大将と奥さん、息子さんの三人でやっている。料理の鉄人に出演したせいで大忙しとなり、無理しすぎた大将は少しの間入院していたという。復帰したばかりであまり予約も取っていない状態なので、この日は私たち以外誰もいないという。おう、いぇい。偶然とはいえ、貸し切りという贅沢なシチュエーションとなったのである。

 ほどなく友人登場。期待通り、店の雰囲気にびっくりしている。この人はいつも社用車で来るのだ。運転手が本当にここですか?と何度も問うたそうだ。さもありなん。

 二人そろったところで、本日の食材についての説明がある。今日使える野菜や海の幸、山の幸を示し、調理法のアイデアを披露してくれるプレゼンテーション。こうしてほしいと言えば、その通りに料理してくれるのだ。好きなものを好きなだけ好きなように料理してもらうなど、中国の皇帝にでもならない限りなかなか叶うものではない。

 前菜の盛り合わせからスタートする。ひとつひとつていねいな仕事をしており、しょっぱなから味覚中枢をぐいっと鷲掴みされる。瓶入り紹興酒が進む、進む。

 そして、いよいよ大将の華麗なる中華鍋シリーズが始まった。

 シャキシャキのインゲン豆。旨い。黄ニラと卵の炒め。旨い。海老の唐辛子炒め。旨い。衣笠茸の中に金華ハムを入れ煮込んだもの。旨すぎる。マコモダケを和牛で巻き揚げたものをあんかけで。旨い。旨すぎる。友人は行儀悪いけど汁吸っていい?とあんを飲み干す(笑)。いしもちの中華風蒸し。旨い。骨をちゅうちゅうと吸う。蚫と野菜の煮込み。旨い。シラスと青菜のあんかけ。旨い。またしてもあんを奪い合って吸う。上海蟹。まだ少し細いけど旨い。蟹ごはん。旨すぎる。海苔そば。旨い。全12品でお腹がパンパンになった。ただし、デザートの杏仁豆腐は別腹である。こちらも旨い。

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 あまりの旨さと、あまりもの矢継ぎ早攻撃に、完全にノックアウトされた。それに大将のチャーミングなことと言ったら!旨いものをつくり食べさせてあげようという気持ちにあふれてる。それを絶妙のタイミングでフォローする息子さんも素敵だし、ときどき茶々を入れる奥さんもいい味を出している。三ヶ月後の予約をして帰る。なんで三ヶ月後かというと、カロリーと値段の高さで早々は来れないと判断したためである。

 三ヶ月後。

 またしても偶然が重なり、貸し切り状態となる。今日は少しずつねと念は押してはみるが、張り切る大将のプレゼンテーションが凄い。もうおまかせで、どんどん出してちょうだいとあえなく降参だ。前菜。あいかわらず旨い。筍の蒸し物。旨い。菜っ葉を煮たもの。旨い。ぴちぴちのやりいかとアスパラガス炒め。旨い。金華ハムと菜の花の炒め。旨い。酒で蒸した海老。う、旨い。岩のりと豚肉の煮込み。旨い。汁もきっちり半分こして吸う。水餃子。旨い。蚫の炒め。旨い。ごぼうときのこの炒め。旨い。酢豚。旨い。ホタテの蟹あんかけ。旨い。あんは当然吸う。全13品プラス杏仁豆腐。ふう。前回より一皿頑張れた。

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 「ああ、死にそう」とお腹をさすると「もう!そんなに食べられないのに、どんどん作って」と奥さんは少し大将に怒っていた。いえね。大将だけが悪いんじゃない。こちらも、あれ食べたい、それ食べたいとワガママ言ったのだから。

 それにしてもこういう店を知ることが幸福かといえば、この年になるとそうとも言えないのである。とにかく旨い。旨すぎる。食べ過ぎてしまう。厳選された素材を目の前で料理人につくってもらうという最高の贅沢も味わえる。なにより、大将や息子さんと素材や調理法について、さらには料理の味に関する応酬をカウンター越しにできるというのが無上の喜びだ。なにしろ中国皇帝スタイルだからね。レベルが高い。カロリーも高い。値段も高いの三高だけに、そうしょっちゅうは来られない。そのことが、知ってしまった今となっては、とてつもなく不幸とも言えるのである。

2013-12-08 | Posted in 千夜千食1 Comment »