2014-12

長門湯本「別邸音信」

 「杉本文楽」がきっかけとなり、文楽にもとうとうハマってしまった。ちゃんと本文楽も観るようにとの松岡師匠のお言葉もあったし、「曾根崎心中」という演目にもすっかり魅せられてしまった。文楽友の会にさっそく入会した。すると7月に山口県長門市で「曾根崎心中」が上演されるという。しかもドナルド・キーン氏の講演つきである。これは行かずにはいられないだろうて。さっそくチケットを手配した。

 公演があるのは日曜の午後である。金曜の夜は豪徳寺でイベント参加の予定があった。土曜日まる一日あるので移動は何とかなるだろうと高をくくっていたら、東京から長門までは恐ろしい時間がかかることがわかった。さて、どうしよう。いろいろシミュレーションしつつ、羽田から福岡まで飛行機で飛び、福岡から新幹線&在来線を乗り継ぐことにした。ついでにいい宿はないかと探していたら、雰囲気のよさそうなところが見つかった。予約する。

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 移動日当日。福岡から新幹線で厚狭(あさ)という駅まで約40分。ここから美祢(みね)線に乗れば長門までは約1時間。宿はその二つほど手前の長門湯本にある。厚狭駅に降り立ち感動したのは、美祢線が単線でしかも一両だけのワンマンカーだったことである。ローカルのたまらない風情にみちみちている。レールのまわりは草ぼうぼうで、山の中を縫うように走り、ノスタルジーに満ちた鉄道の旅が楽しめるのである。小学生のように運転手の横で飽きもせず立ち尽くし、あっという間に長門湯本に到着した。

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 長門湯本は温泉町。迎えのバスに乗り5分もすると今宵の宿である。大谷山荘の別邸「音信(おとずれ)」。名前がいい。近くに音信川というのがあり、そこから取っている。茶室コーナーに案内され、お菓子とお薄をいただく。すると。お薄の入った茶碗に何やら見覚えというか、手覚え(こんな言葉があるかは知らないけれど)があるのである。どこか懐かしいような感覚。うん、確かにこの茶碗の手触り、質感を知っている。あ。「このお茶碗、陶兵衛さんじゃないですか?」と聞いてみれば、「そうですよ、窯が近所にありますよ」と返事が返って来た。その瞬間、30年も前の記憶がありありと蘇ってきた。

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大昔、萩に取材に行ったときのことだ。取材を終え、せっかくだから何か気に入ったものを探したいと、とある店に入った。そこで出会ったのが田原陶兵衛さんの茶碗である。手にすうっとやさしく添い、枇杷色の肌がなんとも言えずあたたかい。両の掌でつつみこむように抱えていると、自分のものにしたくてたまらなくなった。しかし、店の人が「それは高いですよ」と言うのだ。思わずムッとして「高いって、一体いくらですか?」と聞いたが、本当にその当時の私には高かったのである。よう買わんかった・・・。だけど、その茶碗の肌合いを30年経っても憶えていたのである。萩はここからは遠いと思っていたのに深川窯というのは長門湯本にあるのだそうだ。しかも、田原陶兵衛、坂倉新兵衛、坂田泥華、新庄助右衛門、坂倉善右衛門という錚々たる顔ぶれの窯を擁する。不覚にも、迂闊にも、そのことをまったく知らずに来たのである。

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 早速、深川窯に出かけることにした。そして、田原陶兵衛窯であの懐かしい枇杷色に再会し、一通りほかの窯もまわった挙げ句に、また戻り、とうとうそれを手に入れたのである。当代の陶兵衛さんは個展で不在であったが、奥様とずいぶんお話をさせていただいた。偶然に導かれ、30年という年月を経て再会し、必然となった陶兵衛さんの茶碗。物語はもう30年ぶん、蓄積されている。

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 さて「音信」である。ここのエントランスからロビーへと続くインテリアは和と洋の大胆なミクスチュア。空間の広がりは南国のリゾートホテルの感覚であるが、庭は本格的な和の世界。この微妙なアイダをプレゼンテーションする匙加減がなかなか洗練されていると唸る。ただし、部屋の家具とテキスタイルのセレクトは、私の好みではあんまりない。コルビジェのカウチチェアなんぞ、一度入れるとそうそう交換はできないというのはよくわかるが。

 お待ちかねの食事である。

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 こちらの夕食は三土料理(土産・土法・土食)を基本にしており、大寧寺風典座(てんぞ)料理、一品出しの喰切会席、町家料理という三つのスタイルで供される。大寧寺は曹洞宗の古刹で、ここ長門湯本温泉のシンボルともいえる寺。西の高野山とも呼ばれている名刹でもある。その寺にちなんで典座料理は、黒い塗りの応量器で出される禅宗スタイルの精進料理。『飯』は新蓮根飯、『汁椀』は冷やしとろろ汁、『香皿』は須々保里漬、『坪』は胡麻豆腐、『平皿』はかんな冬瓜。その土地ならではのプレゼンテーションである。一気に気持ちが引き締まる。が、次からはお肴(あて)しだいと名づけられた喰切会席。()の中に献とあるのがうれしいような、楽しいような。もちろんここは山口であるので、獺祭の磨き二割三分がある。うん、満悦至極。前肴(初献)は八寸に相当する皿。鱚の風干し黄身焼、鱧と胡瓜の胡麻酢漬け、菱かにと蓮芋の琥珀寄せ、郷土料理という鯨南蛮煮、水前寺菜のおひたし・・・。獺祭が進むったらありゃしない。吸物(二献)は鱧の葛打ちである。清く、美しい味わい。生もの(三献)はきじはた洗い、焼〆とろ、車海老。また獺祭の杯を重ねる。焼物(与献)は和牛フィレのステーキ、、留肴(五献)は冷やし菊川素麺、そして食事となる。最後に町家料理と称して春巻きも出された。

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 ここでしか味わえないキャラクターと創意工夫。宿において何か大事かをきちんとわかった上での明確な差別化である。また来年、長門文楽のときは訪れたい。なにしろ、名前も音信(おとずれ)だもの。それに、偶然選んだ宿で30年前の必然がかたちとなり、うつわにも料理にも陶然とさせられた。そのうえ、ここのオーナーは二期倶楽部の北山さんとも親しいらしく、山のシューレに参加されたこともあるのだそうで人の縁という意味でもつながった。長く生きているとこんな経験もあるのだと感嘆しながらも、人生、いまだ旅の途中である。
 

2014-12-28 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

神戸東灘「生粋」

 神戸の鮨である。ロケーションは神戸ではあるけれど、ここは江戸前スタイルである。銀座とか、銀座とか、銀座にあってもおかしくないレベルであると思う。それが、神戸にあるのである。しかも三宮ではなく、東灘にあるのである。この感覚、東京で言うと、中目黒あたりにある感覚だろうか。

 生粋。何と言ってもネーミングがいい。秀逸である。これを鮨屋の名前にするというのは、よっぽど腕に自信と覚悟がないとなかなかつけられないであろう。神戸には「守破離」という居酒屋もあるらしいが、こちらにはまだ行ったことはない。守破離とはこれまた大胆な名前をつけたものである。だがどうやら守破離から想起されるようなイメージではないらしい。むしろ名前は凄いけど、という文脈で私のまわりでは語られている。さほどに、店のネーミングというもの難しい。そこへいくと、生粋は名前負けしていないし、なかなか唸るネーミングである。実際、唸るにふさわしい内容であると思う。

 神戸の鮨で江戸前のスタイルを取るというのは、二つアドバンテージがあると思う。瀬戸内海育ちで、今も神戸に住んでいると、あたりまえのように瀬戸内海の魚を食べる。だが、長じて行動半径が広がりいろんな土地で鮨を食べるようになると、目の前の海で穫れる魚がいかにクオリティが高くおいしいかということに気づかされる。明石や鳴門の鯛や蛸、穴子。家島の鯵や鯖。由良の赤雲丹。沼島の鱧。枚挙にいとまがないが、こうした播磨灘の精粋の扱いに慣れているというのはこの土地ならではの利点であろう。冬はここにふぐやズワイガニなども含まれる。そのネタを江戸前のスタイルで供するのである。これはもう今の鮨のスタイルとしては全国的なトレンドであろう。実際、赤酢の利いたシャリに慣れてしまうと、関西の甘めのシャリでは物足りなくなってくる。瀬戸内海ネタメインで握る江戸前鮨。この意味において、この店のアドバンテージは揺るがない。

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 本日の抜粋ネタ。まずはもずく。これから出て来るツマミを堪能させるため、口中をリフレッシュさせるという効果がある。あこうと真子鰈の昆布締め。申し分のないイカり具合である。噛むとじんわりと旨みがある。舞鶴の岩牡蠣。つるりと納まり、噛むとミネラルたっぷりの柔らかな滋味が広がる。金目鯛の蒸し物。このネタはこのへんのではないだろうが、料理としての完成度が高い。鮎の一夜干し。こういう発想があったのかと驚く。苦みと旨みがバランスよく主張する味。蒸しアワビには肝ソースをかけて。これには続きがあって、アワビをいただいた後のソースの上に、な、なんとシャリを置いてくれる。肝ソースを最後の最後まできれいに拭い堪能し尽くす工夫である。こういうアイデアにも唸る。ううむ。岩のりとじゅんさい。これで再び口中を爽やかにして、たこ、貝柱、しゃこを。たことしゃこは、もちろん瀬戸内海産。こういうネタを食べ慣れていると、どこへ行っても苦労する(苦笑)。そして、みょうがの海苔巻きで小休止。いよいよ握りである。キスの昆布締め。キスも子供のときよくいただいたおなじみの魚である。昆布締めにすると旨みが増幅される。剣先イカ。マグロのづけ。中トロ。大トロ。このマグロ三連発は、江戸前スタイルである。コハダ。煮あさり。このネタの連打も完全江戸前スタイルであるのだが、逆にそれが神戸ではかえって新鮮に感じる。そして、真打ち、由良の赤ウニ。相当な雲丹好きであるが、由良の赤雲丹に出会っててからというもの、この小粒でたっぷりの旨みを備えた雲丹には参りっぱなしである。で、北海道の紫ウニ。両者の違いは歴然であり、これを食べ比べるという趣向である。

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 東京ではいつも江戸前を食べているし、地方に行けばたいてい一度は鮨にチャレンジする。それでも、やはり地元にこういう店があるのは、なんと心強く有難いことだろう。人気店なので直前の予約はすっかり取りにくくなってしまったが、それでも時間があるときは訪れたい店である。

2014-12-22 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

観音屋「チーズケーキ」

 神戸元町の三丁目といえば、昔はそれなりに賑わっていた。私がまだ大学生の頃だ。「観音屋」という名のなんとも形容しがたいインテリアの喫茶店があった。いわゆるアンティーク調というのだろうか。だけど中には観音様が鎮座していて、そのキッチュさが当時はいかにも怪しげであった。そもそもキッチュという感覚もまだなかったような頃である。名物のチーズケーキというのがあり、一二度口にしたことがあったが、その当時の私には「え?」という味だった。というのも、元町商店街から正反対の東に行けばモロゾフの本店があり、こちらのチーズケーキのリッチ&スイートさに比べると、デンマークチーズケーキの味はチーズの塩気と素っ気ないスポンジケーキの組み合わせにしか思えず、とうてい若い味覚には合わなかったのである。

 ところがである。

 JR大阪駅で久々に目にした観音屋というロゴ。やがて新神戸駅でも売るようになり、やたら赤いパッケージが目につくようになってきた。キャッチフレーズは「すべらない、神戸土産」である。「ふーん、すべらないねえ・・・」と思いながら、長らく買うことはなかった。それが新神戸駅で、ふと、魔が差した。あまりにキャッチフレーズが目につくので、「どれぐらいすべらんか試したろか」的ないちびり根性がむくむくとアタマをもたげてきたのである。

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 観音屋のデンマークチーズケーキは、トースターで3分から5分ほど焼いて食べる。すると表面のチーズがとろ〜りとなり、その熱々をいただくという一風変わった食べ方をするのだ。デンマークの純正チーズ(チーズに純正があるというのは知らなんだ・・・)を使い、ひとつひとつ手作りしているのだそうだ。大昔もそうやって食べたかどうかは定かではないが、家に帰って早速レンジのオーブンで焼いてみた。上に乗っているチーズがとろけて、表面がぶつぶつしてきたのを取り出しいただく。すると。大昔はなんだか今イチだと感じていた味が、妙に味わい深く美味しいと感じるのである。ホームページには「きめ細かくふわふわのやわらかいスポンジケーキに、デンマーク直輸入、最古のレシピを使った純粋の生チーズをオリジナルブレンドしたチーズがとろ〜り。焼きたて特有の芳醇な薫りがふわ〜とあたりに広がります」とある。

 第22夜で浅草「アンヂェラス」のバタークリームケーキについて書いたが、近頃濃厚なスイーツに辟易しているのは事実だ。私自身も年齢を重ね、濃さや甘さがツーマッチすぎるものがしんどくなっているというのもあるのだろう。デンマークチーズケーキ。最古のレシピとある。昔から伝えられてきた素材と素材のシンプルな組み合わせ。今となっては新古の魅力というべきか。味覚の復古というべきか。素直なその味が、今とても美味しい。

◎追記

デンマークチーズケーキだけではない。昔から何ひとつ変えず作ってきたものの美味しさに改めて気づくということが、近頃多くなってきた。シンプルな素材で、奇をてらわず素直に、誠実に作り続けているもの。スイーツでいうと、とらやの夜の梅。泉屋やウエストのクッキー。豊島屋の鳩サブレ。凮月堂のゴーフル。空也のもなか・・・・。地方にはもっと豊かなその土地ならではのスイーツがある。なくしてはいけない昔ながらの味。普段の暮らしの中で何気なく食べ、愛し続けたいと思う。

2014-12-18 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

大阪北新地「サーレペペ」

 ここは大昔にクライアント様に連れて来てもらった大阪は北新地のど真ん中にある店である。場所柄、早い時間帯にはいわゆる同伴スタイルのお客様も散見されるが、なかなかエッジの利いたイタリアンを供している。北新地は仕事上のおつきあいで食事するといったシチュエーションのときしか最近は来ないので、美味しいと知ってはいるがなかなか機会がない。だから、本当に久しぶりなのである。こちらのコンセプトは「素材が呼吸するイタリア料理」。吟味した新鮮な素材を使い、ひと皿の中にいろいろな素材や食感を散りばめる工夫をしているという。

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 たとえば、ビシソワーズには桃のジェラートが乗っている。しかもスープの中には桃の果肉が隠れている。じゃが芋の塩気に桃のみずみずしい甘みが利いた絶妙の甘辛具合。カリッと揚げた細切りのじゃが芋が新鮮な食感をプラスしている。前菜は、宮崎のマンゴーにサンダニエーレ産の生ハム、トリュフのブルスケッタにフォワグラのせ、ソルトブッシュラムのソテー、あこう、白アスパラのプレート。サンダニエーレ産生ハムとかオーストラリアのソルトブッシュラムとか、垂涎の素材を使い異なる食感になるよう工夫し、フレンチと見紛うばかりの美感あふれるデコレーションにしている。目で味わい、舌でも楽しむ至福。魚介類は、海の恵みの二大巨頭アワビと雲丹のオーブン焼き。アワビの殻にゴロゴロと豪快に盛ってサーブされる。贅沢と野趣のミクスチュアがよい。パスタはトマトを練りこんだギターラに九十九里のハマグリ。ポピュラーなアサリを使うのではなく、あえてハマグリで勝負しているところにシェフの気概を感じる。メインは、鴨のローストとフォワグラのソテー。トリュフがたっぷりかかっている。もうこの段階になるとおなかがいっぱいなのであるが、鴨とフォワグラの異なる食感を堪能する。食感と美感が、この上ない食の快感を生み出しているコースなのである。

 エッジーなイタリアンやフレンチでは、このような感覚の料理はすっかりポピュラーになってきているように思う。だが、このレベルが大阪のこの店にあるということを評価したい。聞けば、シェフは北新地で一世を風靡した「ジジ」出身なのだそうだ。この店は若い頃によく行ったが、カジュアルで気取らないのに本格的なイタリア料理を出すとあって、老若男女に愛され、いつも行列ができていた名店だった。シェフは「まだ夢ですが、いずれ東京に店を出したいですね〜」と語る。え〜、そんな!なんでも東京に一極集中することがよいとは思わない。だが、腕に覚えのある料理人ならそう思っても仕方のないことなのだろう。願わくば、この地でずーっと頑張ってほしいと思うのはこちらの身勝手か。年に一回来るか来ないかの客が何を言うかということではあるけれど、あのたかじんだって上岡龍太郎だって最終的には東京へは行かなかった。大阪には大阪のよさがあるのである。この店は「ジジ」ほどカジュアルではないが、それでも深夜にパスタだけ食べに来るとかピッツアをテイクアウトするとか、使い方のバリエーションはいろいろある。せいぜい通って、東京行きを阻止しなければ。

2014-12-15 | Posted in 千夜千食Comments Closed 

 

白金「モレスク」

 連泊で上京すると一度は行ってしまう店である。どうしてだかわからないけど、いつも気がつけばふらふらっと立ち寄ってしまう。たいていはひとりである。ひとりの方がなんだか楽しい店なのである。第39夜でこの店に漂う素敵な空気の正体は「feel cozy」だと書いたが、足繁く通ううちにそれだけではない、実に多彩な「気」で満ちているような気がしてきた。

 流行っている店、居心地のよい店にはその場所ならではの活気がある。適度なざわめきと言い替えてもよいのだが、くすくす、わははは、へへへという笑い声、ときにきゃあという嬌声、ざわめいているしゃべり声。ぽん!とシャンパンの栓が抜かれる音、からんと食器にカトラリーがあたる音。じゅっと肉の焼ける音、そして旨そうな匂い。皿と皿がカチッとあたる音。客同士が挨拶したり、ハグしたり、ぎゃあぎゃあ騒ぐ声。グラスとグラスがコン、と挨拶する音。しゅぽっ。煙草に火をつける音。そして煙草の匂い。香水のよい香り。客が入れ替わり立ち替わるたびに新しい音や匂いが生まれ消えていく。カウンターに座っているだけで、自分自身の思考が店の活気によって自在に動き、臨機応変にその場の空気になじんでいくのがわかる。大人が集うパリのカフェって、こんな感じなのだろうか。(残念ながら、パリは2回しか行ったことがないが・・・)

 この活気を生み出している張本人は、もちろんオーナーである福島さんではあるけど、それだけではない。シェフも一応料理担当ではあるが、ときに接客もするし、酒をついでくれることもある。福島さんも、積極的に皿を下げたり、酒を注いだりと、いつも縦横無尽に立ち動いている。役割が固定されていないのである。接客する側が自在に立ち働いているというだけで、店全体にライブな動きが生まれている。彼らが醸し出す接客へのめくるめく才気と、常連客たちが放つさまざまな分野の才気がぶつかりあい、融け合って、この空間ではいつも「モレスク」にしかない景気をつくっている。料理も会話も素晴らしいけれど、私はきっとここにあふれているこのエクスクルーシブな景気というものに魅せられているのだと思う。

 こんな店はなかなかない。美味しい黒板料理を食べに行くビストロとして。シャンパンやワインを楽しむサロンとして。ウィスキーをちびちび飲るバーとして。ナイトクラビングの仕上げととして。予期せぬ出会いを期待する社交場として。この奥行き、ちょっとはかりしれないアナログなソーシャルネットワークを生む場所である。クラブとサロンというものについては師匠松岡正剛の千夜千冊第1502夜を読んでもらうとして、まあここからいろんな面白いコトがどんどんディスチャージされればいいなと思っている。

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 おっと、本題の千夜千食に入ろう。今宵は、冷製グリーンピースのポタージュとコンソメのカクテルからスタート。こういったアミューズ的な一品はいつも充実しているが、季節的にも目に涼しい。豆の独特の香りとコンソメのゼリーのマッチングが絶妙である。いさきのカルパッチョゆずドレッシングとレンコンと海老の焼きテリーヌはいつものようにハーフ&ハーフにしてもらう。そしてなんと、カウンターに丸のまま置いてあった加茂茄子はグラタン仕立てになった。白金で加茂茄子を食べられるなんてね。メインは、牛ステーキをサッと焼いてもらった白アスパラ添え。こういう美味しい料理を食べながら、ワインだけでなく泡もスコッチも飲めて、食後にはウォッシュ系チーズなどもいただける店。そのうえ、煙草も吸い放題。

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 白金のサロンといえばちょっと上品な感じであるが、私は「モレスク部」に入れてもらって、たまに遠方から部室に遊びに来る準部員って感じかな。この場は一見は閉じられているかのように見えるけど、ひとたび中に入ってしまえば限りなく開かれている。

2014-12-13 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

銀座鮨「一柳」

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 こちらは、ホテル西洋銀座撤退のあおりで、移転を余儀なくされたのであるが、明日でちょうど新装開店一周年となる。ホテルの中から路面店へ。「真魚」から「一柳」へ。前の店でも休みはお盆明けや連休明けとか数えるほどしかなかったが、大将の一柳さんは店をオープンするにあたり、ひとつ決め事をした。

 一年間、一日も休まず昼も夜も握り続けること。

 365日フル稼働である。もちろん、従業員には交代で休みをとらせたというが、本人は本当に一日も休まずカウンターに立ち続けた。健康でなければ務まらない。その日の天気や海の状態によってネタは変わる。毎日築地に仕入れに行き、その差異を自分の目と舌で見定め、下ごしらえするだけでも大変なことである。日々が真剣勝負である。風邪なんてひいてはいられない。気合と根性も必要だろう。いつも同じ肉体と精神のコンディションを保つことの難しさを、彼は軽々と超え、あくまでも軽妙である。たまに、羽目を外したい日もあっただろう。ゆっくり朝寝したい日もあったに違いない。元高校球児で、出身高校は甲子園の常連校である。ピッチャーだったと聞いた。その経験は、たぶん今に活かされているだろうと想像する。試合でよいピッチングをするためには、それまでの調整というものが大事だと聞く。肩の筋肉やインナーマッスルを鍛えるように、ネタを見極める。シャドウピッチングの要領で、日々下ごしらえをする。そうして、店のオープンと共にカウンターに立つ。

 正直、心配していた。身体が持つだろうか。風邪とかひかないだろうか。だけど、それは杞憂に終わった。本当に彼は、365日昼夜、通算730回登板して、完投したのである。

 「もう、ここまで来たら、店によってそんなにネタとかって変わらないと思うんですよ。となれば、あとはいかに技術を磨いていくかと、握る人間の気合いとか根性だけじゃないですか」その言葉に、自分自身を振り返る。頭が下がる。一度決めたことを継続する。精神状態もつねに一定に持続させる。そうしたものだけが、存続できるということなのだろう。彼の姿勢に学ぶものは、実にたくさんある。

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 一周年のツマミは、じゅるっと飲み干すじゅんさい。コリコリの真子鰈。舞鶴の牡蠣。勝浦のカツオ。特製あん肝。たこのやわらか煮。桑名の焼き蛤。余市の馬糞雲丹と紫雲丹。千葉白浜のアワビ。毛蟹。全10品。握りは、真子鰈。縞鯵。いさき。ヅケ、中トロ、大トロのマグロ三連発。アオリイカ。コハダ。アジ。キスの昆布締め。函館の紫雲丹。車海老。穴子。トロたく。

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 あいかわらずツマミは充実しているし、握りの連打も申し分がない。この先、どんなふうになっていくのか、大将からも鮨からも目が離せない店である。

 夏休みには、大峰山に修行に行くらしい。

2014-12-11 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

京都祇園「千ひろ」

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 祇園に名店はいろいろあろうけど、ここがいちばんと決めるのはなかなか難しい。だが、初めて行っていいなと思えば、しばらく通ってみるということは必要だと思う。和食の場合はとくに季節ごとの素材によって都度都度印象は変る。ただ、ファーストインプレッションでいたく感動した店はだいたいいつ行っても、その感動をキープできる確率は高い。前はそうでもなかったのに、突然よくなるということはほとんどない。

 ここの煮物椀をはじめていただいたとき、その味に驚いた。限りなく水のようで(厳密には白湯だが)、ほのかに旨味を感じる絶妙の味。これが京都の出汁か、としみじみと思ったことはよく覚えている。京都が好きな母をはじめて連れて行ったとき、「あ〜私長い間生きているけど、こんなおいしいおつゆは生まれてはじめて飲んだ」と言わしめた味である。カウンター割烹のつねとして、ほとんどの下ごしらえは奥の厨房でなされ、最後の盛り付けや造りだけを目の前のカウンターでご主人がさばく。だが、煮物椀の出汁だけは、目の前で何度も吟味しながら実に細かくつくっている。母が「あんなに何度も味見して、あの味になるんやね」と言ったが、まさしく季節やその日の温度や湿度、前後の料理に合わせてその加減を微妙に変えているということだろう。丁寧かつきめ細かな微調整は、いつもぎりぎりまで行われる。

 この作業を見るたびに、煮物椀がいかにその店を代表する一品であるかを思い知らされる。そして今のところ、私はここの味がいちばん好きである。いちばん好きということは、他の店に行ったとき、ここの味が基準になるということでもある。

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 さて、初夏の「千ひろ」である。広島のじゅんさいの上に雲丹が乗っている。じゅんさいの中にはデラウェアが隠れている。デラウェアというのに驚くだろうが、こちらは葡萄とか桃とか果物をうまく使う。美しい藍の皿には白バイ貝。堂々たる歯ごたえがある。中国童子が踊っている絵皿には蛸のやわらか煮。織部に盛られているのは鳥貝の酢味噌和え。先付けがひと皿ずつ出てくる趣向である。三つの小皿は上からはまぐり、白味噌に漬けた鯛、一寸豆。造りは、鯛、たいらぎ、マグロである。マグロの下にはとろろと海苔が重ねてあり、お好みで一緒に食べる。細かく切った塩昆布は、鯛によく合う。

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そして、本日のお椀は間人(たいざ)の夏すっぽん。すっぽんが種なのでいつもの出汁ではないのだが、間人ものをいただけるのであれば文句はない。口福にくらくらしつつも、最後の一滴までずずいと飲み干す。焼き物は時不知(ときしらず)。春から夏にかけて穫れる貴重な鮭で、脂が乗っているのにすーうっと舌の上で溶けていく。たっぷりかけられた白いのは生湯葉を擦ったもの。下にはキイウィとレッドグローブという葡萄が隠れている。果物第二弾。笹の葉が描かれた角皿には安曇川の稚鮎。琵琶湖の鮎はやはり京都では最上とされる。なんとよい苔の香りなのだろう。付け合せがバナナというのもこの店ならでは。最後は名物の焼き茄子。白胡麻たっぷりのたれでいただく。お椀がすっぽんだったので、最後はすっぽん雑炊。おなかがパンパンなのに、これも食べずにはいられないし、全部きれいに平らげてしまう。なんとも贅沢な初夏のコースであった。デザートはおなじみのリンゴとオレンジのジュース。

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 京都では新しいカウンター割烹も増えており、機会があれば行ってみたい名店も何軒かはまだあるのであるが、やはり一軒というなら私はこちらである。まだ、この店を超える煮物椀の味を私は知らない。

2014-12-10 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

風間商店の「カステラ」

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 この店は煙草を売っている。夜に何度か買ったことがある。看板自体が強烈な下町感を漂わせており、大きく<手づくりの和菓子 自家製のカステラ>と書いてある。そうとう年季が入っている。昔の下町にあったような風情なのだが、中はわやくちゃである。写真からもわかるように、ダンボールがところ狭しと積み上げられてい、肝心のお菓子が入った陳列ケースは外からは見えない。

 中に入り陳列ケースを覗いてみると、どら焼き、カステラだけでなく赤飯も売っている。どれも、実直に作っている感を漂わせており、たしか試しにどら焼きを買ったことを覚えている。シンプルな美味しさだった。しかし、煙草と和菓子ねえ・・・なかなかファンキーな昔ながらの商店である。

 向かいのビストロ「アトリエ・ド・アイ」で、この店の話題になった。ご主人がコワいので興味はあるが誰も行ったことのない店なのだという。別に誰でも入れるけどと返すと、いっときテレビで取り上げられたとかで、人が集中した時期があって「へんこ」なご主人に売ってもらえなかった人がたくさんいると言うのである。これは、まあ一種の都市伝説的な流言であろう。だけど、そういうのを聞くと、まさかそんなと思うのと同時に、私にはよもや売らんとは言わんやろうなとむくむくと根拠の無い自信のようなものが頭をもたげてくるのである。「やめといたほうがいいですよ」との助言を無視し、早速、「アトリエ・ド・アイ」で勘定を済ませた後、迷わず店に入った。

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 深夜に近い時間だったので、一切れずつ個装したカステラしか残っていなかった。「ホールはないの?」「ないよ、あるだけ」と言われたので、5切れほど買った。少々ぶっきらぼうではあるけれど、別に普通の対応である。ほらね。噂というもの、だいたいこんなもん。売ってるのに、売らないなんてありえない。翌日家に持ち帰り、珈琲と共にいただいた。卵のほのかな風味が香るやさしい味がした。

 この店は白金北里通り商店会というのに属している。昔からある豆腐店や青果店だけでなく、今も残るレトロな建物をうまく改装したバーやレストランなども参加し吸引力のある通りになっている。すぐ近くにはプラチナ通りがある。あちらはスノッブさがウリであろうが、こちらは親しみやすい庶民感覚。新旧がうまくミックスされた土地は、人を惹きつける魅力にあふれている。私のお気に入りの蕎麦も鮨も、深夜御用達マッサージも、ときどき行くバーも、全部この通りにある。

2014-12-09 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

白金「アトリエ・ド・アイ」

 ここは昔「シェトモ」というフレンチだった。野菜を少しずつプレートに乗せたプレゼンテーションが当時としては革新的で、そのうえプリフィクスメニューの値段が驚異的にリーズナブルだった。店のある白金界隈でいつもうろうろしているので、ある日思い出し電話してみた。すると、名前が「アトリエ・ド・アイ」になっているではないか。

 店自体の経営は変わっていない。名前を変え、サービスのスタイルをアラカルト形式にしたのと深夜2時過ぎまで営業するようになったのだという。いいではないか。何度か訪れるうちに、ニソワーズとクスクスのファンになってしまった。ニソワーズは野菜をあまり積極的に摂らない私が唯二注文するサラダのひとつである。(もうひとつはシーザーズサラダである)

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 ニソワーズ。それはニース風サラダのこと。トマト、オリーブ、ツナ、いんげん、じゃがいも、ゆで卵。そこへアンチョビにオリーブオイルを加えたソースで和えるというサラダで、ニューヨークの「バルサザール(上の写真)」でこの美味しさに目覚めた。野菜がゴロゴロ入ってい、このひと皿だけでおなかがいっぱいになるくらいのボリュームがあり、当然ツナはフレッシュを使っている。その味とボリュームに遜色がないくらい、「アトリエ・ド・アイ」のニソワーズもいけるのだ。こちらもツナは自家製。なので、これは外せないメニューになっている。半分にしてというオーダーも聞いてくれる。

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 もう一品のクスクスは、クスクスロワイヤルという(野菜だけでも作ってくれるらしい)。羊や豚、鶏肉のプロシェットに野菜がたっぷり。これにフォンドボーのスープがついてくるので、クスクスにじゃばじゃばかけていただく。アリッサソースで、自分でいろいろ味を調整できるのもうれしいのだ。(残念ながらクスクスの写真がない・・・)伺ったのは限りなく深夜に近い時間帯。ニソワーズのハーフ。牛肉のカルパッチョハーフ、クスクスをあきらめ、鴨肉のローストにした。と言いながらも、デザートは別腹である。最近、少し閉店時間が早くなったらしいので、行く機会がめっきり減ってしまったのだが、また久々に伺いたい。

 お気に入りの一品、名物の一品がある店というのは、しばらくご無沙汰していてもまた行かなきゃという気になる。「あの店のあれでなきゃ」と思わせられるかどうか。それが店のキャラクターや魅力ということなのだろうし、これは料理だけでなく仕事でも同じことだと思う。

2014-12-08 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

駅カレーLOVE

 駅カレーが好きである。どうしてなのかはわからない。ある日、はた、と気づいたら、あたりまえのように駅カレーを食べていた。いちばんよく通ったのはJR大阪駅構内にあった「インド倶楽部カレー」である。長いコの字型カウンターを囲む典型的なスタンドカレーで、照り焼きチキンカレーごはん少なめというのが定番だった。そのうちおばちゃんにすぐ顔を憶えられ、「あ、いつものね」と大声で言われるのには閉口したが、さんざん通い詰めた。が、駅の改装に伴いある日忽然となくなってしまった。新大阪駅の端のほうにどうやら系列らしき同名の店があるので、一二回行ってはみたがどうも勝手が違う。なので、現在は大阪駅を出たところにある「ピッコロ」というカレー屋に行っている。ここは就職したての頃は東梅田駅に向かう地下街の中にあり、5席しかない名店で知られたが、いかんせんカレーとしてはかなり甘めの欧州風。かろうじてチキンカレーもあるのだが、そう頻繁に通うにはいたってない。

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 品川駅構内には、大阪駅の「インド倶楽部カレー」と同じようなスタンドタイプのカレーがあって、こちらは入り口で食券を買うスタイルだった。ここのタンドリーチキン黒カレーというのも好きで、日帰り出張が入ると、このカレーを食べる時間を逆算して新幹線に乗っていたものである。ところがここも品川駅の改装でいつのまにかなくなってしまった。リニューアルするかと楽しみにしていたがその願いはかなわず、代わりに出現したのが「野菜を食べるカレーcamp」である。いわゆる駅カレーという意味では少々毛色が違うのであるが、野菜たっぷりというのとキャンプ場で食べるようなしつらえが愉快なので、ここも時間調整して通っている。こちらでのお気に入りは、たまねぎときのこのチキンカレー。それに温泉玉子をトッピングしてもらう。

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 東京駅からカレーどきに新幹線に乗ることはめったにないのだが、92夜〜96夜まで過ごした二期倶楽部の帰りに久々に行ったのは「ドン・ピエール」という店である。東北新幹線の出口から近いキッチンストリートにあるのは知っていたので、この日は妙にカレーが恋しくなっていたのである。こちらも基本は欧風カレーだが、タンドリーチキンカレーというのがあるのである。駅カレーにしては堂々の1000円超えというのが少々気に食わないが、スパイスがしっかり利いた黒カレー系の好きな味である。

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 改めてこうして書いてみると、カレーはカレーでもビーフではなく圧倒的にチキンカレーが好きなことに気づく。ナイルでもムルギランチはチキンだし。あ、新大阪駅でときたま食べる「たむらのカレー」だけはチキンがない。食べるのは「焼き肉カレー温泉玉子のせ」である。それと最近発見した新神戸駅の自由亭でもステーキカレーを食べる。要は駅にあるカレーだったら、何でも好きっていうことか。それにしても行きつけのカレー屋がいろんなところにあるのは楽しい。

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 あ、駅カレーではないけれど、もう一軒おいしい店があった、昨夜食べちゃった「モレスク」のスパイシーカレー。これはスープタイプの大人の味であるので、深夜の〆にはちょうどいい。

 しかし、カレーもそうとう好きだったんだな、私。

2014-12-07 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

二期倶楽部の「海鮮丼」

 山のシューレのシンポジウム終了後、遅めのランチを食べて帰ろうとガーデンレストランを訪れた。メニューを見ていると、そこに海鮮丼というのがあった。正確なネーミングは憶えていないが、二期倶楽部ならではの海鮮である。だけど、この海鮮丼がすこぶる美味で驚いてしまった。去年のことである。

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 鱒が入っている。アボガドが入っている。生野菜も入っている。そう、これは那須という土地柄を生かした海鮮丼なのである。イクラや海老は、少し遠いところから来るのかな?山の中でいただく海鮮丼。この意外性が最高だと思い、ひと口食べて、いやこれはやっぱりここでしか食べられないオリジナルだわとその味に感嘆する。

 今年もチェックアウトした後は、こちらで海鮮丼ランチを食べることは当然のように予定に入っている。私は、しつこい粘着質の女なのである。好きなもの、気に入ったものは、何度でも繰り返し食べる。好きになったら、めったに飽きない。

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 しかし、万が一、メニューの刷新が行われていたらどうしよう。去年、これは通年メニューですかと聞いただろうか。聞いたような、聞かなかったような。不安になりながらメニューを見ると、あった!ほっと胸を撫で下ろす。ま、昼間とはいえ、今日は帰るだけだから、ワインも一杯行っちゃおう。

 一年ぶりの海鮮丼は相変わらずのゴージャスさであった。来年の山のシューレでも、最終日にいただこう。なじみのメニューをなじみのスタイルで食す。こういう習慣をいっぱい作っておくと、人生はどんどん楽しくなっていく。うん。

◎追記

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二期倶楽部は豊かな自然の中にあるスモールラグジュアリーな滞在型オーベルジュ。自然と建築が一体になった施設そのものも素晴らしいし、インテリアも素敵だし、食事ももちろん良いのだが、ここのいちばんの魅力はやはり「人」であると思う。本当に心地よいサービスとは何か、滞在しているとそんなことをいつも考える。オーナーの北山ひとみさんがこんな素晴らしい本を書かれている。どんな経営にも明確な哲学というものが大事であることを気づかせてくれる一冊だ。

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2014-12-06 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

二期倶楽部の「ディナーⅡ」

 二期倶楽部には1986年のオープン時に建てられた本館と、コンラン&パートナーズがデザインしたモダンな別荘スタイルのパビリオン東館のふたつの宿泊施設がある。それぞれにレストランがあるのだが、去年は本館のメインダイニング“ラ・ブリーズ”しか体験出来なかったが今年は2泊するので、今夜はその東館のガーデンレストランでのディナーである。

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 泊まっている部屋は、本館の竜胆。東館に行くには少し歩くのだが、渓流にかかる木の橋を渡るとアッと言う間に到着するのだ。森の近道。初めて滞在したとき敷地内をいろいろ散策したおかげですでに大好きな場所がいくつかあって、この橋へ降りて行くルートはとても気に入っている。雨の音、せせらぎの音。階段を下りるトントンという足音を自然のリズムに同調させながら、歩く。(露天風呂へと続く道は、夜遅くだとちょっとした肝試しもできてもっと大好きだ)

 ガーデンレストランへ入ると、左サイドは全面ガラス窓。昼間は素晴らしい風景が見渡せるのだが、夜は夜で雑木林の中に点在する東館のパビリオンの灯りが見える。レストラン内も映りこみ煌めいている。こちらのコンセプトは、シンプルでヘルシーなモダンキュイジーヌ。自家菜園「キッチンガーデン」からは毎朝新鮮な無農薬野菜が届けられ、魚介類や肉などはグリル料理が中心だという。

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 ソーヴィニヨンブランの白をいただきながら、アミューズを待つ。小さなコンソメスープとカツオのスモーク、ベビーコーンのグリル。素材の味がしっかり生きている。オードブルは、春野菜のカラフルテリーヌ。どうです、この彩りと盛り付け。あまりにも美しいので、この千夜千食のイメージ画像として使わせてもらっているひと皿である。野菜のピューレとハーブのドレッシングがまた利いているのだ。目で愛でて、舌で味わって、心が震える。まさしくそんな一品だ。パスタは春野菜とからすみのスパゲティー。これはパスタ、スープ、寿司からセレクトするのだが、からすみと書かれてあるのを見ると迷わない(本当に、卵という卵、卵巣も、精巣も、肝も全部好き)。魚は鱒と茸、蓮根と白身魚をムースにしたものを春キャベツで包んでいる。これがね、おいしいのなんのって。頬っぺたが落ちるとはまさしくこういうことね。ベルモット風味のバターソースをきれいに、きれいにパンで拭う。メインは65度の低温調理で仕上げた幻のポーク“梅山豚”。日本にたった100頭しかいない原種豚と言われているらしいけど、それはそれはきれいなピンク色のお肉。ポークの下にはキノコのソースが隠れてる。デザートはピスタチオのムース、桜ヨーグルトソルベ添え。もう少し、ストレート勝負なのかしらと思っていたけれど、素材を活かしつつもひと手間かけた料理は、見た目も味も大満足できるもの。洗練カジュアルという言葉を料理に使うことを許してもらえるなら、まさしくそんな印象であった。

 いやあ、これは本館のラ・ブリーズと甲乙つけ難いわあ・・・41室しかないのにこんなレストランがふたつもあるなんて、二期倶楽部恐るべし。

2014-12-05 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

二期倶楽部「バー ラジオ」

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 山のシューレの会場となる二期倶楽部・歓季館の傍らに、そのバーはある。毎年夏のシューレの開催期間だけオープンするバー。世界広しといえども、こんなスタイルでやっているところはほとんどないだろう。

 カウンターは、どっしりした分厚い一枚板。これは、かつて神宮前にあった「バー・ラジオ」のカウンターを移築したものだという。オリジナルの「バー・ラジオ」の誕生は1972年。70年代後半から80年代にかけ、東京の文化人が集まる夜のカルチャーサロンとして知られ、杉本貴志さん率いるスーパーポテトによる初期の傑作としても名高いまさしく伝説のバーなのである。そのオーナーかつバーテンダーの尾崎さんといえば、バー業界では神様のような人。残念ながら神宮前のバーは2002年に休業となったが、30年間活躍してきたカウンターは神宮前の喧騒の時代を終え、那須の自然の中にゆったりと納まっている。

 昨年、歓季館でのシンポジウムを終え、隣にバーがあることに気づいたので、部屋にチェックインする前にこちらでカクテルでも飲もうと入ったのが最初である。料金を部屋付けするお願いをして苗字を名乗ると、バーテンダーが私の下の名前を諳んじているので驚いてしまった。珍しい名前だったので、チェックインのリストを見て覚えていたのだという。それにしても凄い記憶力。いや、こういうのもスタッフの能力の高さであろう。こういう出来事は、宿泊客にとってはたまらない魅力である。かくいう私もそのホスピタリティ精神にすっかり参ってしまったのだから。

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 食後にここを訪れることも、山のシューレに参加する楽しみのひとつとなった。ここでスコッチやカクテルを振る舞ってくれるのがチーフソムリエの金子さんである。物腰柔らかく、正統派バーテンダーという空気をまとっている。今年は、ストラスアイラというスペイサイドの最高に旨いスコッチを二晩続けて楽しんだ。その金子さんに伝説のバー・ラジオの話や尾崎さんについていろいろ伺えるのも楽しく贅沢な時間なのである。今年は「バー・ラジオ」のカクテルブックというのを見せていただいた。これが凄い本なのである。世界中のカクテルのレシピだけでなく、尾崎さんがつくったカクテルのレシピも載っている。しかもグラスはすべて尾崎さんの私物、写真のカクテル制作はもちろん、コーディネイト、アートディレクション、フラワーアレンジメントまでご本人の手になるもの。写真は大輪眞之さんと繰上和美さん、ブックデザインは細谷巖さんである。当代随一のビジュアルブックである。関西に帰るやいなや、アマゾンで取り寄せたことは言うまでもない。

◎追記

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 伝説の「バー・ラジオ」は休業しているが、86年には青山にセカンド・ラジオ、98年にはサード・ラジオができ、現在もサード・ラジオは健在である。しかも、私はサード・ラジオにそれとは知らず連れて行かれ、伝説の尾崎さんにもお会いしていたのである。これがまた話せば長いが、たしか青山スパイラルでの連塾の帰り道である。回會メンバーにくっついて行ってカクテルを二杯ほど飲んだことをはっきりと思い出した。そのとき尾崎さんは、もうしばらくしたら京都に戻るのですとおっしゃっていたような気がする。この歳になると、いろいろ出会う人との不思議な縁を感じてしかたがない。どんな出会いも、けっしてそれだけでは終わらない。それが、セレンディピティというものなのかもしれないけれど。

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2014-12-04 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

二期倶楽部の「朝食」

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 普段はめったに朝ごはんは食べない。だが二期倶楽部のようなリゾートに来ると自然と早起きになるし、何よりここは朝食だって素晴らしいのである。昨年の山のシューレで一度だけいただいたが、那須の野菜のみずみずしさと卵かけごはんが秀逸だったことが忘れがたい。むろん、今年も朝ごはんが楽しみである。

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 昨夜ディナーをいただいたメインダイニング“ラ・ブリーズ”。この時期は庭とのガラス窓が開け放たれ、自然と一体になるかのようなシチュエーションで朝ごはんがいただける。残念ながら雨が降ってはいたが、それでも高原の空気はみずみずしいご馳走だ。まずは、野菜ジュース、宇和島川村農園のみかんジュース、八坂特産完熟リンゴジュース、こだわりの豆乳の中から好きな飲物を選ぶ。旬の採れたて野菜も好きなのを選んで、好きなドレッシングをかける。小さな大根やラディッシュも葉っぱつきである。いがいがのついた胡瓜は金山寺味噌につけ、ポリポリ食べる。もうこれだけで、高原に来ているという感満載である。普段めったに食べない野菜に心なしか身体も喜んでいるような気がしてくる。

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 朝食にメインがあるのかどうかわからないけれど、やっぱりこのお重はメインという感じがする。「朝餉のにき菜重」。ふたをあけると、焼き魚、野菜の煮物、出し巻き卵、自家製豆腐。これに、二期倶楽部の滋養卵“純”は食べ放題(笑)。去年は、この卵で卵かけごはんをなんと二杯もいただいた。お漬物、焼き海苔、南高梅の梅干しもたっぷりついている。そしてお味噌汁に大田原産コシヒカリの炊きたてごはん。ひとつひとつのお菜が実にていねいに料理されていて、さらにはそれをこんな素敵なお重に入れてくれるのである。味と素材とうつわの三位一体。こちらも、ゆっくり時間をかけて、ていねいにいただこうという気持ちになる。

 食後のデザートは、季節のフルーツにヨーグルトのゼリー。ジョセフィンファームのヨーグルトも一緒にいただく。

 ご馳走様でした。さて、これから部屋に戻って一服した後、山のシューレ2日目だ。

◎追記

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 部屋に戻って出かける準備をしていたら、屋根の上でどんどんと音がし、目の前の庭にあった日よけの大きなパラソルが倒れた。何事かと外を見ると、サルが二匹いる(一匹は小ザルを抱いている)。那須に住む野生のサルたちだろう。ガラス越しに見ると、やはり野生の動物というのは、神々しく堂々としており、思わず見入ってしまった。後でスタッフの人に聞くと、山の方からときたま降りてくるらしい。ま、ホテルの通路とかではあんまり遭遇はしたくないけど、ここは高原。山の方では餌が少くなっているのだろう。それはそれで切ないことである。

2014-12-03 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

二期倶楽部の「ディナー」

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 二期倶楽部の北山ひとみさんとは、松岡師匠のイベントでお近づきになった。その後、「山のシューレ」のご案内をいただいて興味津々だったのだが、スケジュールが合わずに断念していた。やがて一年がたち、再び「山のシューレ」の季節がやって来た。行こうと思えば行ける。3日全日参加は無理だが土日ならなんとかなりそうだ。尊敬する原研哉氏の講演もある。迷っている私の背中を押してくれたのは松岡師匠のハイパー企業塾でご一緒している山口氏である。毎年奥様と参加されていると言う。なにより、「あそこは、食事がいいですよ」と言うではないか。食事がいい!そのひと言で、即、申し込んだのであるから、我ながら笑ってしまうほど現金である。食べ物に釣られている。

 そうして参加した去年の二日間があまりにも充実しており、イベントとしての用意周到さや、きわめて真っ当な内容にも感動したが、二期倶楽部そのもののホスピタリティにもすっかり参ってしまったのである。なので、今年は一日休みをとって、全日参加することにした。

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 山のシューレとは、二期倶楽部を舞台に毎年夏の三日間開かれるサマーオープンカレッジ。シューレとはドイツ語で学校を意味する。山の中で自然に耳を傾けながら、哲学、経済学、生物学、文学、デザイン、建築学、音楽、日本学などさまざまな物ごとについて学び、領域を超えて交差し語り合い、思想を深めあうという催しである。なんと壮大かつ魅惑的であることか。昼間はシューレ。夜は宿泊施設としての二期倶楽部のホスピタリティを堪能するという、きわめてエクスクルーシブな大人のイベントなのである。

 もちろん舞台の中心となるのは、二期倶楽部。4万2000坪という広大かつ豊かな敷地の中にある部屋数わずか42室の滞在型ホテル。一流ホテルのしつらえでありながら、上質のオーベルジュでもあり、リゾートホテルでもあり、日本流旅館のホスピタリティも持ちながら、自然の光や風を感じることのできる希有な場所である。

 はじめてここのディナーをいただいたとき、ワインリストを見せてもらったが、その分厚い充実ぶりに驚いたことをよく憶えている。膨大なストックがあるということはそれを注文する顧客が継続的にいるということでもある。料理もたしかな味であった。何より、那須近郊や栃木で取れる素材ベースの地産地消でありながら、きわめて洗練されていて、実に見事で美味なるフレンチなのである。今回もそれを楽しみにやってきた。

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 メインダイニング“ラ・ブリーズ。高い天井と大きなガラス窓のインテリアが心地よい空間である。まずは、”筍の洋風茶碗蒸しアオサのコンソメスープ、桜海老のガレットを添えて。筍やアオサとかの食材に驚いてしまうのだが、れっきとしたフレンチになっている。和の食材を使いながらも、コンソメがブレずにくっきりと立ち上がっていてそれだけでシェフの力量と遊び心を感じるひと品である。“春宵の富貴寄せ”旬鮮魚と山菜のマリネ 東風薫るクレソンのソースも、アソートを吹き寄せに見立て、さらには吹きと素材の富貴さを重ねているのが心憎い。盛り付けは完全にフレンチのテイストである。クレソンの香りと味はこっくりと濃い。鮮魚のポアレとホワイトアスパラガスには、軽くグラチネした白ワインソースがあしらわれ、山菜のフリットが添えられている。香ばしさと芳醇なソースとの相性に唸る。ううむ。メインは酵素熟成“ドライエイジング”。今やすっかり定着しつつある熟成牛である。肉の滋味を噛み締める。新じゃがのピュレとトマトのダッチオーブン焼きもシンプルにして奥行きのある味わい。那須の山の恵みがひと皿の中に凝縮されている。 デザートはミルフィーユ。チョコレートとキャラメルソースがたまらない。食後の珈琲をいただきながら、本日のシューレについて思いを馳せる。

 オープニングは「聖なる場所の力」というお題で宗教人類学者植島啓司先生による講義であった。倭人というのは実は海の民だったという仮説から龍神信仰へといたる話が面白く、そもそも一体龍とは何なのか、想像がふくらんでいく。伊勢と諏訪はたしかに龍神信仰でつながっているのだ。パート2はその植島先生とランドスケープデザインのハナムラチカヒロ氏、美術史の伊藤俊治さんの鼎談。那須という聖地で、そもそも聖地とは何なのか展開していく。人間の移動の記憶をひとつの場所に封じ込めたものが聖地ともいえるし、共同の磁場としてとらえる未来的アプローチもあった。伊勢神宮は人工的な聖地であるという指摘は腑に落ちた。夕方からは安田昇さんによる開き舞台、イタリア能「オルフェオの冥界下り」。ギリシャ神話の物語をベースにした創作能は能管だけでなく、オペラ歌手、チェンバロや狂言、コンテンポラリーダンスとのコラボレーション。異界をめぐる話もまた、精神の聖地を探す作業なのかもしれない。

 アタマも、こころも、胃袋も、新しい刺激と満足で満たされる三日間。その幕開けにふさわしいオープニングシンポジウムと、ディナーであった。

2014-12-02 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

えび千両ちらし

 本日は東北新幹線に乗る。東京駅の東北新幹線コーナーなどそう頻繁にはいかないので珍しくてしかたがない。弁当売り場を物色していたら、「えび千両ちらし」というのを発見した。値段も駅弁にしては少しだけ高め。これは・・・旨いに違いない・・・なんだか、ピンとくるのである。

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 動き出した新幹線で朝昼兼用の食事とする。わくわくしながら弁当を手に取る。えび千両ちらしと書かれたカードのイラストがシブイですな。ひっくり返すとこれ、そのままハガキとして使えるようになっている。心憎い心配りである。そしておしながきまでついている。

すし飯・・・・・新潟米の精進合わせ
うなぎ・・・・・蒲焼きのたれ仕込み
こはだ・・・・・薄切り〆、わさび醤油からめ
蒸し海老・・・・酢通し醤油からめ
いか・・・・・・塩いかの一夜干し
厚焼きたまご・・出汁入り
海老・・・・・・むき海老のおぼろ
ガリ・・・・・・甘酢漬け

 どうです。この堂々たる書きっぷり。丹精こめて、真心こめて、ちゃんと作っているという自信にあふれている。フタを開けると、見るからに美味しそうな厚焼きたまごがびっしりと敷き詰められている。真ん中にはピンク色のむき海老のおぼろ。この色のコントラストだけで、すでにファーストインプレッションは満点である。

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 玉子をどけて中をのぞくと、うなぎ、こはだ、蒸し海老、塩いかがゴロゴロ。わあお!WOW!と心の中で歓声を上げる。うなぎは蒲焼き、しっかり弾力があって、たれも甘辛の具合がちょうどよい。こはだも〆た後にわさび醤油をからめており、これもなかなかいけるのだ。酒がないのがとても残念である。エビもいかも、それぞれ醤油味、塩味で、4つの具材ごとに味が違って飽きさせない。すし飯の上にはおぼろ昆布が敷かれている。新潟米の精進合わせというのは、クルミやかんぴょうが入っているからか。新潟は米どころ、あえて品種は書いていないが、たぶんコシヒカリであろう。素材のよさを最大に活かした上品な薄味。これは、鮨好きにも、駅弁ファンにも、いやそもそも弁当としても群を抜く旨さ。こたえられない、たまらない。

 「千両ちらし」というネーミングも秀逸である。うなぎ、こはだ、えび、いか、玉子。鮨ネタの千両役者がそろったこの顔見世弁当。新潟の新発田三新軒というところが作っていて、東京駅では東北新幹線の入り口の売り場でしか販売されておらず、販売時間も決まっている。たしか、夕方4時とか5時までだったか。品川駅を利用することが多いのと、東京駅を使ったとしてもなかなか夕方4時頃に来れないので、食べたのはこれ一回である。そのせいもあって、今やアタマの中で「えび千両ちらし」は神格化され、妄想も手伝ってどんどん肥大化している。ああ、もう一度食べたい。

2014-12-01 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

四川の「翡翠麺」

 またまた四川である。メニューをパラパラ見ていたら、夏限定というのを発見した。「四川特製胡麻風味 酢辛冷やしそば」とある。バンバンジー風味であるらしい。

 トーゼン、注文せずにはいられない。

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 やがてうやうやしく運ばれて来たのはきれいなグリーンの翡翠麺。まわりにはこちらも鮮やかなイエローの錦糸卵、そしてもやし、しいたけ、焼豚がいずれも千切りになって麺を取り囲んでいる。し、しかも、別皿できゅうり、鶏肉、くらげ、トマトがついている。胡麻だれもたっぷりガラスのうつわに入って一緒に出される。

 なんという具沢山。なんという椀飯振舞。なんという豪勢さ。

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 ふっふっふ。ひとりほくそ笑みながら、小皿から鶏肉、きゅうり、くらげ、トマトを取り、翡翠麺の上にのせてたれをかける。清楚な翡翠麺が、たちまち手だれの年増のように誘いかけてくる。ごくり。さっそくいただいてみれば、胡麻だれのコクが口いっぱいに広がり、少し遅れて辛みがやってくる。年増も年増、大年増、いやほとんど遣り手の手練のよう。もう夢中になって食べる。汗を流しながら食べる。いつまでも食べ続けていたい。終わらないでほしい。口の中が痺れてきたら、やさしい錦糸卵やみずいずしいきゅうりで一休み。そして再び胡麻だれをかけ、味の変化を楽しむ。痺れ地獄に入ってく。

 これ、夏だけしか食べられないなんて・・・。通年ある裏メニューにならないかな・・・

2014-12-01 | Posted in 千夜千食No Comments »