2015-06

佐島・地魚料理「はまゆう」

 ロケーション撮影のときはたいてい朝ごはんだけで昼過ぎまで頑張って、終了後にみんなでお昼ごはんを食べに行く。葉山や逗子でスペシャルな撮影をしたときちょくちょく立ち寄るのがここ。佐島魚市場で毎日魚介類を仕入れ、調理してくれる地魚の店である。こちらのおじいさんにあたる方が定置網漁を行う漁師だったというから魚の仕入れも見極めもプロである。ご両親が始めた食堂が前身で、今では地魚料理専門店として名を馳せている。

 おじいさんが常々言っていた「お惣菜にするシイラ、メジナ、ボラ、悪食のクロダイ、雑魚を使って商売をするな」が遺言で、それを忠実に守っているのだという。素晴らしい。当然、朝捕った魚しか使わない。マグロは佐島でメジマグロの水揚げのないときは仲買を通して三崎で仕入れるらしいが、それ以外はすべて市場で入札する魚介類と漁師から買う魚だけというから、徹底している。こういう姿勢、大好きだし、地魚と言うからにはこうでなくちゃあいけない。

 魚好きとしては、漁港の近くの地魚は魅力的ではあるのだが、産地で食べる魚が必ずしも旨いかといえばそうでもなかったりするのが面白いところである。刺身といえど、それも料理であると考えると、刺身にしたときにいちばん美味しい頃合いを見極め、包丁を入れ、どういう厚さで切って出すかには、料理人の経験と魚に対する知識やセンスがおおいに関わってくる。腕に覚えのある料理人(鮨職人が多いが)が出す刺身は、産地の新鮮さに勝ることが多い。それは、技術の洗練具合と言い替えてもいいのだが、ただ新鮮なだけならそりゃあ圧倒的に産地のとれとれが旨いに決まっているのだが、そうとも言えないところが、たかが魚でされど魚の奥深さである。

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 そういう意味ではこの店は、新鮮さとそれを料理する技術の両方を兼ね備えており、さすがに魚を熟知しているだけのことはある。地魚を無造作な感じで出しながらも、ちゃんと美味しく食べさせる計算が行き届いている。この日注文したのは、刺身定食。マグロ、イカ、カンパチ、アジなどとれとれのお刺身が8種類も乗っている。どの魚もいい具合に活かっており、魚好きをううむと満足させてくれる。看板メニューの「はまゆう御膳」は、刺身三種盛りに焼魚、揚げ魚にごはんと味噌汁がつく定食だ。こんなのお昼に食べたらバチがあたりそうなゴージャスさ。さすがに撮影ランチでは無理だが、いつかプライベートで来てチャレンジしてみたいと思う。

2015-06-29 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

白金「オー・ギャマン・ド・トキオ」

 10年ほど前に何度か来た店である。オープンキッチンのライブ感とそれを取り囲むカウンターの配置が当時はユニークで、料理もクリエイティブにあふれ、デザートにどら焼きを頼むと目の前の鉄板で皮から焼いてくれるとあって楽しい店だった。が、当時一緒に行っていた人間が、実は信用できないとんでもない野郎だったのが発覚し、なんだか験の悪い店として以来敬遠していたのだった。三年ほど前、偶然にも地下のハナレに友人が連れて行ってくれたこともあり、それなりに年月もたっているのと、移転するという話も聞いたので最後に行ってみようと思い立った。

 ちょうど仕事で会社の女のコたちも上京しているので、皆で一緒に出かけることにした。店のいちばん奥、カウンターの終着点に陣取った。こういう店中を睥睨できる位置は大好きである。いや、別に睥睨しているつもりはないのだが、どうも妙に偉そうに見えるらしく、あえて睥睨と言ってみた。カウンターから料理しているのがすべて見えるのがこの店の特徴で、他の人の注文でもなにやら美味しそうだとあれ何?と聞くこともでき、作る過程すべてがショウケースになっている。今でこそ、こういうスタイルの店は普通になっているが、来始めた頃はそのしつらえだけでもじゅうぶんに新しかった。

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 さてと。黒板を見ながらメニューにあれこれと悩む。女三人だと、なかなか決まらない。私はけっこういらちなので、ひとりのときはサッサと注文するが、まあこういうときはおつきあいする。悩んでいる間にシャンパンで乾杯し、再びさてと。ここはモレスクの息がかかっているので(笑)、とうもろこしのムースと生ウニという魅惑的な冷菜がある。まずはそれをもらって・・・みんなで頼んだら、いろいろ少しずついただける。で、カワハギの肝醤油カルパッチョに焼茄子のオカヒジキ和え。カワハギという魚も大好きである。関西ではハゲという。こいつの肝は醤油に混ぜたり、刺身にまぶして食べるのがいちばん旨い。白身ではあるが、コリコリでたいそうよく活かっている。ローマ産プンタレラのサラダは、冬が旬。アスパラガスチコリとも呼ばれ、ほろ苦でシャキシャキした食感は癖になりそうな美味しさ。ラディッキオもそうだけど、けっこうイタリアの野菜って旨い。好物である。続いて、ホタテ貝の湯葉巻き揚げ自然薯アメリケーヌ。これは、まわりのアメリケーヌソースに自然薯を入れたというアイデアが秀逸な一品である。海老と自然薯。普通は思いつかない組み合わせであろう。これが、湯葉のパリパリの皮と絶妙に相性がよいのだ。見た目もたいそう美しい。まわりのソースがネバネバ自然薯だとは食べるまで気づかないだろうて。メイン第一弾はアワビとツブ貝のソテー肝バターソースである。コリコリ具合がたまらない。肝ソース、本日二品めである。どんだけ肝好きなんだろうと、心の中で苦笑する。メイン第二弾は山鶉のロースト。つけあわせは北あかりのグラタン。冬は魚がおいしくなる季節であるが、ジビエの季節でもある。エゾシカやイノシシ、鴨、鶉・・・どれも大好物である。山鶉は小さくても野生味があり、こっくりしている。これを粒マスタードのソースでいただくのだ。このへんでやめておけばいいのだけれど、三人いるので〆にパスタもちょっとだけ。わさびのパスタをいただいたのだが、これ、目の前で見ていると、チューブのわさびでつくるのである。ま、和風ペペロンチーノといった感じである。パスタのゆで具合勝負の一品。これは家でも試してみよう。すぐ作れそうだし。

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 デザートはやはりやはりどら焼きある。目の前の鉄板でふわふわの皮を焼いてくれる。考えてみればホットケーキを焼くのは簡単なんだから、どら焼きだってすぐ作れるのである。他のお客様のデザートを作るのを見ていたから、アイスクリームがあることはわかっている。で、アイスクリームをはさんでもらう。うふふ。スペシャルクリームどら焼きである。

 この店、来年には恵比寿に移転すると聞いている(現在すでに移転済み)。新しい店もカウンター中心でライブな感じになるのだろうな。ときどき泊まる某ホテルのすぐ近所である。場が変われば、そこにくっついているイヤな思い出も消える。機会があれば、行ってみるのはやぶさかではない。うん。

2015-06-21 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

夙川懐石「直心」

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 ああ、また一年が巡り、誕生日ディナーがやってきた。そう、親友と互いの誕生日を祝うお食事会である。この店はいつも候補に入っている。今の場所に移転するまではJR西宮の駅近くの庶民的なエリアにあり、初めて行ったときその端正な料理と店全体の凛とした雰囲気にすぐさまファンになったことはよくおぼえている。そのうち、評判の店になり予約も取りにくくなり、ミシュランが関西に上陸するとあたりまえのように星を取った。今は、夙川の山の手の住宅街のなかに、それとはわからないような風情で佇んでいる。

 今回は私が招待する番である。自分も楽しみたいので、鮨か和食という狭いセレクトの中でいつも考える。真っ先にここに電話して予約した。こちらは懐石ではあるが、ほとんど魚しか出さない。しかもけっこうストレート勝負で連打する。これが、たまらないのである。

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 季節は12月に入ったばかり。関西でこの季節の蟹といえばせこがに、である。ご存知、ズワイガニの雌で、せこがに、せいこがに、香箱がに、などいろいろ呼び名はあるけれど、まあせこがにというのがこのへんでは一般的である。これはもうズワイガニが解禁になると、真っ先に食べたい海の幸で、わざわざ身をはずし、内子や味噌なども食べやすく混ぜてあり、丁寧なものだと足の身なども一緒に美しく盛ってくれる冬の至宝ともいうべき一品である。これがいきなりカウンターパンチのように出されるのである。まことに、誕生日ディナーにはふさわしいひと皿、アミューズというべきか。

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 お造りもこの店はひと皿では終わらない。まずは、淡路の蛸、北海道の雲丹が渋いうつわに盛られ出されたかと思うと、今度は琵琶湖で穫れたわかさぎの南蛮漬け。お椀は貝柱のしんじょにかぶと若布。この後に、鯖の棒鮨とインドマグロのお造りが出されるのである。色絵のうつわに乗っているのは淡路の石鯛。続いてイクラもやってくる。蛸、雲丹、わかさぎ、貝柱、鯖、マグロ、イクラ・・・通常であればメインのお椀の後に、お造りという順序であろうが、もう何がメインなのかわからないくらいの魚攻めなんである。

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 イクラをいただいた後はブリの幽庵焼きである(写真を失念)。こんなに魚尽くしで、すでに日本酒(こちらも写真を失念)をそうとういただいている。そうこうしていると、今度は白子である。うふふ。あっさりした鍋仕立てにしてあり、これでちょっと休憩。というかほとんどここまででももうじゅうぶんな感じなのであるが、ここから意表をつく天ぷらが始まるのである。しらさ海老。大阪湾でとれる活け海老で、芝海老より大きく、甘みがある。もちろん天ぷらにすると、その甘みがいっそう引き立つ。続いてブロッコリー、立派な椎茸の天ぷらをいただき、そろそろ〆へと向かう。

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 ごはんは、石鯛やあこうのカマの部分を炊いた炊き込み御飯。鯛めしと言ってもいいだろう。鯛の旨味がぎっしりつまっている。一杯だけにしておきたかったが、「おこげもありますよ」と薦められると、断れない。おかわりせずにはいられない。また、そのおこげが旨いのだ。馬鹿馬である。

 ここのご主人、よっぽど魚が好きなのだろう。その季節の旬をいろんな調理法で食べさせてくれる。魚好きとしては、もう喉を鳴らしたいほど幸せにしてくれる店なのである。もちろん、うつわのセレクトも私好みである。

 いつだったか、家の近所のうつわ屋さんと話をしていて、こちらの店の話題になった。ある日評判を聞き食べに行ったら、出されるうつわや棚に並べているうつわに見覚えがあるのである。たしか大昔に売った覚えがあるような・・・そしてご主人の顔を見たとき、はっきりと思い出したそうである。大昔、給料日のたびにうつわを買いに来ていた若い見習い料理人のことを。その料理人こそが、ここ「直心」のご主人だったのである。いい話ではないか。そして、腕に覚えがあって、いつかは自分の店を持ちたいと思っている料理人は、みな若い修業時代から少しずつうつわを集めているのである。こういう心意気も、よい料理人の資質のひとつではないかと思う。これはどんな仕事にも言えることであろうけど、若いときからどれだけ身銭を切って、自分に投資できるかはとても大事なことだと思う。それは、自分の将来をおぼろげながらでもイメージできるかどうかにかかっている。私も思い起こしてみれば、若い頃からずいぶん身銭を切って来た。そうして投資してきたものが今やっと少しずつ身について、だからこそ今があるとも思うのである。

2015-06-16 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

歌舞伎座「吉兆」

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 歌舞伎座の幕間でゴージャスに食事するなら、やはり吉兆であろう。昔は事前に頼んでおけば、桟敷席に幕間の5分ほど前になると持ってきてくれていた。二席ずつ個室仕立てになった桟敷席の扉をあけるとちゃんとお盆を置けるスペースがあって、そろそろ幕間という頃合いに耳をすませているとぎいいと遠慮がちに扉が開き、料理を置いていってくれるのである。幕間が始まると同時に、その料理を桟敷のテーブルの上に置き食事を楽しむ。ちょっとしたお大尽気分が味わえるとあって、桟敷で観劇するときはよく頼んだものである。

 ところが新しくなった歌舞伎座では、この桟敷席への出前というか配達を中止してしまった。いろいろ事情があるのだろうが、とても残念である。だから、吉兆で食事がしたいときは、三階まで移動しなければいけないのである。これが非常に面倒くさいし、最近の幕間は最大でも30分しかないことが多いので、往復で5分は時間をロスする。化粧室にも行きたいし、煙草の一服もしたい。となると、実質の食事時間は20分である。

 幸い、早食いが常であるので、次の幕に間に合わないということはないのであるが、それでもやはりあせる。時計をにらみながらの食事は忙しないし、せっかく松花堂弁当をいただいているのに、なんだかもったいない気がしてならないのである。

 事前に予約するシステムなので(当日でも席が空いていれば対応してくれる)、幕間のタイミングに合わせ料理を仕上げてくれ、自分の名前の札が立ててある席に行けばすぐ食べられるようにはなっている。だが、歌舞伎観劇はお年を召された方も多い。ゆっくり懐石を楽しみたくても、これではちょっと時間足らずという感じだ。この日も私の隣には老夫婦らしきカップルが座っていたが、とうてい次の幕には間に合いそうにないスピードだった。いくら松花堂とはいえ、そこは「吉兆」であるから、本格懐石風の四品にプラスして、お椀にデザートまでついている。メニューはこれ一品だけである。が、もう少し量を減らすとか、メニューにバリエーションを持たすとか、30分で楽しめる工夫をしてほしいと思う。

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2015-06-13 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

再びファンキー中華「萬来園」

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 第一夜でこの店を紹介してまる一年が経ってしまった。実は9月に一度予約チャレンジをしたのであるが、どうもお母さんの機嫌がよくないらしく、電話をしてもはかばかしい返事が得られないと友人がいう。女性の方があたりが柔らかいかもと、私から今一度電話してほしいとのことである。早速、電話したのだが、やっぱり、あかんのである。どうも、お父さんと喧嘩をしているようである。それもそうとう激しく。で、その腹いせにお父さんに聞こえるように客を断っているのではないか、という推量もあながちはずれてはなさそうである。やっぱりこの店はファンキーなのである。完全個人経営であるから、家庭内のいざこざがしっかり店に持ち込まれ、予約すら取りにくい状況をつくっているのである。だがあの味に魅了された者としては、どんなにつれなくされても、突慳貪に対応されたとしても、お父さんのあの味が恋しいのである。

 友人が再チャレンジしてくれ、ようやく12月の予約が取れたのであるが、やはり様子が今までと違うという。お母さんの愛想のなさがどうもマックス状態にあるらしい。お父さんとの喧嘩が長引いているのだろうか。ま、行ってしまえばなんとかなるでしょう。

 一年ぶりである。今まで二回とも貸切状態の恩恵にあずかったのだが、今回は我々を入れて3組である。さて。お母さんは普通である。いや、むしろ、愛想がいい。あれは何だったんだろう。ま、お父さんと仲直りして円満ならば、めでたし、めでたしであるけれど。

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 まずは、さんまを燻製にしたものが出された。茴香と干しエビで香りづけされているちょっと不思議な味。前菜はいつものように大皿に少しずつ盛られている。これがまた瓶入の紹興酒によく合う。ちびちびとやりながら、お父さんのプレゼンテーションを聞くのだが・・・今日は凄いぞ。アオリイカ、車海老、兵庫の牡蠣に、白子、蟹・・・もちろんどの素材もとびきりの一級品である。

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 モロッコいんげんをジャっとXO醤で炒めたの。これは前回もいただいたが、何気なく炒めだだけの野菜がこれほどの味になるとは、と心の中で唸る。湯葉とマコモダケの煮込みは、湯葉のとろとろ具合が何ともいえずやさしく、そこへ絶妙に歯ごたえを残したマコモダケの食感がからみあう一品。黄ニラはいろいろお父さんのプレゼンがあったけど、やっぱり卵とチャッと炒めるのをリクエストした。前にも同じのをいただいたけど、この組み合わせは盤石。アオリイカはシンプルに葱ショウガ風味で。イカの食感が素晴らしい。そして本日のメインは車海老。調理する前に見せてもらったけど、まだピチピチと跳ねている。これを一気に炒めるのである。シンプルな料理ではあるが、素材のよさを活かしきるお父さんの絶妙な火加減なくしてはこの料理は成立しないと思う。唐辛子とショウガ、にんにくのバランスもさすがとしか言いようがない。兵庫の牡蠣はスパイシーなスープ仕立て。こちらも立派な牡蠣である。瀬戸内の海のエキスがぷりぷりの身にたっぷりとつまっていた。再びリクエストしたのは、マコモダケを和牛で巻き揚げた一品。やはりこれもいただかないとね。この味、もはやこちらの定番になっている。さらに本日は白子があるという。それを山ごぼうやうどと一緒に天ぷらにして、上から葱ソースをかける。うーん、白子をこのようにしていただくのは初めてである。悪くない。というか、あの白子も手をかけられるとこういうふうに変貌するのかという驚きがある。キノコの炒めものは食感の微妙に異なるキノコを手早く炒めた一品。ヤナギ松茸のシャキシャキ具合に魅了される。新種のキノコっていろいろあるのね。そろそろシメなければと思っていると、豚の角煮がやってくる。いや、正確には勝手にやってきたのではなく、注文しているからやってきたのではあるけれど。シメは蟹チャーハン。立派なずわい蟹をその場でむしり身をとって具にするという贅沢な一品である。

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 蟹チャーハンがあまりに旨く、野良猫のように(心の中で)唸りながら夢中で食べていると、連れが他の二組に向かって「みなさんもよろしかったらひと口いかがですか」と言う。その瞬間心の中で「チッ」と思った私。やんごとなき淑女であれば、連れに続いて「本当に美味しいですよ。どうぞ、ご遠慮なく」とさらに後押しするのであろうが、意地汚い私は完全無視。むしろ心の中で「なんてこと言うんだ!」と怒りを抑えていた。もちろん、他のみなさんは、それじゃあいただきます、というようなことを言い出す図々しい人たちではなかったので、私の蟹チャーハンは事なきを得た。

 それにしても。美味しいものを人々とシェアしたいと考える友人は立派だとは思う。そこに素直に賛同できなかった己の小ささと食い意地の張り方がとても悲しかったが、どうしようもない。それほど、蟹チャーハンは美味かったのである。

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 今回も、全13品。うーむ。ふたりではこれが限度であろう。あ、デザートの杏仁豆腐もここのをいただくと、ちょっと他の店のが食べられなくなると付け加えておこう。

2015-06-11 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

讃岐うどん「鶴丸」

 ふるさと高松の同窓会(第148149夜)に東京で参加し、その足で四国今治(第150夜)に移動した。翌日仕事を終え、いったん神戸の自宅に戻り、その翌日は朝から東京出張というかなりタフ&ハードなスケジュールを抱えていた。ところが、今治から神戸に帰るのに、特急しおかぜに乗ったはいいが、強風のため瀬戸大橋線がストップしているとのアナウンスがあった。瀬戸大橋を渡るJR、風速計が規制値の25メートルを超えると運転を見合わせるのである。自然のこととて、風がいつ止むのかは、誰にもわからない。先行列車も立ち往生しているらしい。こういうときの判断は難しい。が、本州に戻ることができずとも、高松に行けばいい。実家がある。ひと晩泊まって、翌朝東京までは飛行機を利用すればいいことに気づき、特急しおかぜも終点を高松に変更したので、そのまま高松へ向かうことにした。週末わざわざ東京に行き、高松時代の同窓会に参加したのである。やはり、ふるさとが呼び寄せてくれたのであろうか。

 高松に到着したのは7時半少し前である。ふっふっふ。まもなく、讃岐うどんの深夜店、「鶴丸」がオープンする時間ではないか。いったん実家に荷物を置き、食事を済ませてはいるが母もつきあうというので、一緒にタクシーで鶴丸に向かう。運転手さんに鶴丸へと言うと、たちまちうどん談義が始まり、そこへお調子者の母が乗る。讃岐人は、それぞれ好きなタイプのうどんがあるものだから、鶴丸のコシがどうしたこうしたとかまびすしい。こういう会話を聞くと、ふるさとに戻ってきたという実感がある(笑)。

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 8時5分前に鶴丸に到着した。オープン待ちである。1分前にはあかりがついて、暖簾がかけられた。すぐさま入店する。この時間帯に来るのは初めてである。深夜のシメではなく、晩ごはんを食べに来ているのである。その軽い興奮状態でもって、あろうことか牛しゃぶカレーうどんに卵を落としてもらい、ちくわ天を乗せる。おでんも、豆腐と平天、すじにこんにゃくと、食べたいものを注文する。母はビールグラス一杯とおでん少々しか無理だというので、ほとんどひとりで食べる。

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 後悔したのは牛しゃぶカレーうどんである。つい、欲張って注文したが、やはりカレーうどんは通常のカレーうどんでじゅうぶんである。牛しゃぶカレーにするなら、ちくわ天はいらんかった。つまり、かなりツーマッチな組み合わせだったのである。注文した以上は全部平らげたが、かなりしんどかった。それでも、焦がれている鶴丸に、予期せぬ事情で来られたのである。じゅうぶん満足である。

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 翌朝は、母が高松空港まで車で送ってくれた。この空港に来るのは初めてである。関西に住んでいると新幹線経由で1時間半くらいで帰れるので、飛行場には用がない。最後に乗ったのは35年ほど前で、まだYS-11が飛んでいた時代のことである。飛行場も今とは違う場所にあった。到着してびっくりしたのは、国際空港になっていたことである。国際線といっても、ソウルと上海、台北だけではあるが、それでも海外には変わりない。出発ロビーに上がると、うどん屋があった。またしても、急にうどんが食べたくなる。母はいらないというので、ひとり店に入って、きつねうどんにちくわ天を乗せてもらう。とりたてて特徴のあるうどんではなかったけれど、それでもふるさとのうどんというだけで格別なのである。

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 空港の売店にはおみやげのさぬきうどんがところ狭しと並んでい、思わず買いかけたが、これから東京出張である。予期せぬ偶然によって、うどんを食べることが出来ただけでもよしとしなければ、と気を取り直す。離陸した窓からは、美しいふるさとの風景が見えた。なんとおおらかで、おだやかな土地に育ったのだろうと、なんだか涙が出そうになった。

2015-06-05 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

今治「弥生寿司」

 149夜がまだ続いている。爆睡(泥酔?)したまま松山空港に着陸した。これから今治に移動する。アタマがちゃんと正常に働いていれば、空港バスなどに乗る冷静な判断をしていただろうが、まだほろ酔い状態にある。妙に気が大きくなっているのと、羽田から都内へ行くような感覚でついタクシーに乗ってしまう。ところが、松山から今治というのは特急でも35分はかかるのである。タクシーは夜道を走りに走って1時間。ようやっと今治に到着した。タクシー料金も腰が抜けそうな金額である・・・少しずつ正気に戻りながら、冷や汗をかく。後の祭りである。

 ホテルにチェックインして、さてと。シャンパンの酔いが醒めてみると、それなりに空腹である。チェックインカウンターに置いてあった近隣の店ガイドというペーパーを見ると、歩いてすぐのところに何軒か鮨屋がある。よし。

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 外に出てみると駅近というのに、町は閑散としている。夜のネオンもぽつり、ぽつりとしかついておらず、ああ悲しいかな、これが地方の現状なのである。いくつか角を曲がると、やがて前方にネオンの看板と提灯が見えてきた。ガラリと戸を引くと、カウンターの先客は一組だけ。カウンターいいですか?と許しを得て、端っこに陣取った。

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 まずは大関の特選特別純米酒・山田錦。酔いも醒めているので、これぐらいならいいかと300ミリの瓶を注文。今日のおいしいとこ、適当にお願いしますと、まずは刺身を。瀬戸内海ですからね、まずは鯛。大好きなお腹のコリコリしているところ。続いてハマチ。愛媛は養殖ハマチの本場。こちらもゴリゴリすぎるぐらいの活かり具合である。そして赤貝。シャキシャキである。さっと炙ったゲソも強靭な歯ごたえ。日本酒300ミリなど、あっという間である。

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 ここからはもう握ってもらう。ブリになりかけているハマチ。鯛。平目の縁側、車海老の踊り、雲丹。アジに大トロ。江戸前と違い、地元の魚を大胆に切り豪快に握ってくれる。さすがにお腹がいっぱいになってきた。そろそろシメに茶碗蒸しでももらおうかと思って目の前の貼り紙を見ると、「センザンキ」という文字を発見した。

 ザンキ。

 そう、それはこのへんのスペシャル唐揚げの呼び名である。なぜ知っているかと言うと、大昔天皇バーでアルバイトしていた新居浜出身のF君がいつもこのザンキを話題にしていたからである。「ああ、おかんのザンキが食べたい」「おかんのつくるザンキは旨い」とさんざん聞かされていた。その「ザンキ(正確にはセンザンキ)」が目の前のメニューにあるではないか。

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 もちろん注文してみた。ただし、半分の量で。何のことはない、鶏の唐揚げである。下味はしっかりついている。愛媛県の観光サイト「いよ観ネット」で調べると、「センザンキ」とは鶏のさまざまな部位を使う骨付きの唐揚げである、とある。醤油や生姜、にんにくをすり下ろした漬け汁に漬けこんだ後、片栗粉と卵をあえた粉をもみこんで揚げる。鶏をまるごと千に斬って小さく切るため「千斬切(センザンキ)」と呼ぶとも、中国語の清炸鶏という発音がなまって「センザンキ」になったとも諸説あるようで、真相は定かではないらしい。そして新居浜では「ザンキ」と呼んで、骨なし肉で作るそうである。

 凄いネーミングである。千斬切とはね。もともと「ザンキ」と聞いていた頃から、私のアタマの中では慙愧に堪えないの慙愧とか、斬鬼とか、おどろおどろしいイメージがあったから。千斬切なら、あながちその印象は外れていない。そして、初めて食べたご当地の「ザンキ」はしっかり醤油味のついたなかなかにイケる唐揚げであった。

 今治では、焼き鳥は「皮」に始まり「センザンキ」で終わるのが通の食べ方であるらしい。では、鮨のシメに「センザンキ」というのは、通中の通なのか、邪道なのか。誰か、教えてほしいものである。

2015-06-02 | Posted in 千夜千食No Comments »