2015-05

ドンペリブランチ@peter

 同窓会の続編である。今度は、中学から東京に行ってしまってそれ以来誰とも会っていないというK君をO君とU君に引き合わせるという主旨である。面子を考えると、絶対に酒は飲むし、騒ぐのは間違いない。40年以上ぶりだから男同士話も弾むであろう。場所が問題である。狭い鮨屋では迷惑をかけそうだ。ううむ。

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 そして、ハタと気づく。ホテルのお昼のブランチ。あれなら女子供がわいわいやってそうだし、少々騒いでも目立たない。ペニンシュラの上にある「peter」がブッフェ式のブランチをやっている。調べると、少しお高いけれどシャンパンとワインお替り自由というメニューがあるではないか。しかも、ただのシャンパンではなく、ドン・ペリニヨンと明記されている。よし、これで行こうと決める。

 男同士の対面はすぐさま時空を超えてあの頃に戻り、非常にフレンドリーなよい雰囲気である。席につき、給仕してくれた人に、「このプラン、本当にドン・ペリニヨン好きなだけ飲めるの?」と聞いてみると「もちろんでございます」と言う。じゃあ、私たちそれでお願いしますと頼んだら、横でK君が「彼らは僕ら(主に私のことであるが)の恐ろしさを知らないからなあ」とつぶやいた。

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 まずは、ドン・ペリニヨンで全員で乾杯。その後、三々五々に好きな料理を取りに行き、合間にドン・ペリニヨンを水のように飲む。いちいち注いでもらうのは面倒よねえ、などと話していたら、気を利かせてボトルをテーブルに置いてくれるではないか。だけど、このボトル、いつものドン・ペリニヨンのラベルとは少し違う。聞けば、オランダ人デザイナー、イリス・ヴァン・ヘルペンがデザインしたスペシャルボトルなのだそう。普通のボトルより華やかで、キラキラしてる。グラスがどんどん空いて、ドン・ペリニヨンがどんどん注がれる。

 酒の上の失敗は、私の場合たいていはシャンパンを飲み過ぎたときに起こる。

 集合は正午であったが時計を見るとまもなく3時になろうかという刻限。明日は松山で仕事があるので、この日は5時の飛行機に乗らなければならない。有楽町から羽田まで・・・うーん、そろそろ行かなくては。だけど男同士で妙に楽しく盛り上がっている。いいな、いいな。しかし、そうも言ってはいられない。意を決して立ち上がり、お金を置いてひとり帰る。しかし、なんだか、やっぱり、昼間の酒は酔っ払う。もうJRにはよう乗らん。たしか、タクシーに乗って羽田まで行ったのであろう。それから松山空港に着陸したときのゴオオオという衝撃で目を醒ますまでの記憶が一切ない。搭乗口でeチケットがどこに行ったかわからなくなり、なんだか係員に文句を言った記憶はおぼろげにある。パソコンを持っているから、空港の保安検査場でスーツケースから出したであろうけど、その記憶はない。どうやって飛行機に乗ったのだろう。機内では爆睡したのであろう。コートも脱がずにシートベルトをしている姿に苦笑する。それにしても。よくもまあ、何事もなくスムーズに乗ったものである。普段経験している手順というのは、酔っ払っていてもできるものなのだと改めて感心する。

 後日、K君から聞いた話では、彼らは「peter」の後、5時から開くというO君行きつけの新宿の居酒屋に移動し、それぞれの飛行機や新幹線の時間までしこたま飲んだという。K君はその後8時過ぎには自宅に帰ったらしいが、奥さんから何でこんな早い時間なのにそんなに酔っ払っているのと叱責されたそうである。

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 そしてそして、これも後から聞いた話であるが、「peter」でドン・ペリニヨンは3本空いたそうである。そのうち、1本半は確実に私が飲んだそうである。が、そんなに飲んだ記憶はない。(写真に写っているデザートもこんなに食べた記憶はない)

2015-05-29 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

同窓会@日比谷聘珍樓

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 不惑を迎えた歳。中学卒業以来25年ぶりに大々的な同窓会が故郷で開かれた。親しい友とはちょくちょく会ってはいても、卒業以来という友も何人もいて、第一40歳ともなると男性の中には少々毛髪が心許ないのもいて、遅れて行った私は最初案内された部屋の扉を開けた瞬間、あ、ここじゃないと、別の部屋に向かおうとしたのだが、ウエイターにここですよと制され、愕然とした記憶がある。小中一貫校であるので、9年間ずーっと同じクラスだったという友も何人かいる。しかも中学の三年間はクラスも担任も変わらない環境であったから、全員がある意味兄弟や従兄弟のようなものである。

 以来、不定期に同窓会を重ねてきた。東京の大学に進み、そのまま東京で就職という人たちがけっこう多いので、誰かが上京するとか、誰かの昇進祝いであるとか、いろいろ口実をつけ二三年に一度は会っている。

 その友の中で塩田光喜君というのは、とくべつにユニークな存在であった。中学からの編入組であった彼は、大柄な紅顔の美少年で、ずば抜けた頭脳と博覧強記の知識でもって、社会などの授業中に自身の知識や講釈を披露し始めるともう誰も止められなくなり、まさに独壇場となるのであった。教師すら苦笑しながらご高説に聞き入っていたような記憶がある。運動神経には恵まれなかったのがご愛嬌で、図抜けて風変わりなそのキャラクターはみんなから愛された。

 東京大学に入学したと聞いたときはやっぱりねと思ったし、卒業後アジア経済研究所へ入所し文化人類学者になったと聞けばなるほどねと頷いた。東京での同窓会でまた会うようになってからは、ときたま電話で話したりするようになった。ニューギニア滞在中の経験を本にした「石斧と十字架」は別の友人のすすめもあって楽しく読みその感想を交わしし、大阪に住んでいて文楽へ行かないのはもったいないと、昨年引退した住大夫さんの義太夫を聞くように何度もすすめてくれたのも彼である。

 その彼がこの春に突然逝ってしまったのである。好きな研究ができ本さえ読めればいいという生活人としては偏った環境で暮らしていたことは想像に難くない。好きなように自由に生きて、気儘な独身を貫いて、あっという間に逝ってしまった。

 今回の同窓会はその塩田君を偲ぶという主旨である。幹事が某メガバンクの取締役様であるので、場所は彼の庭である日比谷と指定された。大歓迎である。日比谷や霞ヶ関の夜など、普段わざわざ行くような場所ではないし、お偉いさんたちが日頃どんな場所に出入りしているかを経験するのは悪くない。その店は内幸町。富国生命ビルの28階にある。いかにも、「らしい」場所である。こういうデラックス中華、いや中国料理というべきか。人数がそろわないとなかなか行く機会がないし、同窓会のような集まりにはぴったりの場所である。ましてや今回は偲ぶ会であるし、まことにまことにふさわしい。ユニークだった彼の思い出話をしながら酒を飲み、広州名菜の数々をいただく。こちらは、文明開化と共に日本にやってきた老舗中の老舗。もういちいち、旨いとか不味いとかのレベルにはない店であろう。たいへんにけっこうであったし、こういう場で彼の話を思いっきりできたというのが何よりであった。

◎文化人類学者シオタ。

最後の本となったのが、「太平洋文明航海記」である。あとがきでアジア経済研究所の佐藤寛氏が『 「おわりに」のあとに 』という素晴らしい文章を書かれている。ぜひともご一読いただきたいと思う。

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アマゾンで「太平洋文明航海記」を購入する

2015-05-28 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

深夜の「函館塩ラーメン」

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 夜も深まり、白金あたりで気持よく飲んでいると、決まって「この後、あそこで飲もう」という魅惑的なお誘いがかかり、ついふらふらついて行ってしまうという悪習慣がついているこの頃。そろそろ年末だし、なんだか飲み足りないし、大勢でわいわいやるのも悪くないし。

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 で、恵比寿三丁目あたりの店で飲む(食べもする)のだが、そのうち必ず誰かが(私も言うけど)「この後、チョロる?(第39夜参照)」と言い出すと、もう行かずには済まなくなってくる。であるのだが、この日はちょろりがすでに閉まっていたのである。すると、函館塩ラーメンも悪くないという声があがり、「え〜、もう無理〜」と言いながらもついていくのが我ながら悲しくて仕方がない。この函館塩ラーメンの看板、前々からここにあるのは知っていたし、遅くまで開いていることも先刻承知である。でも、まあ、ひとりじゃ入りにくいので、うだうだ言いながらもついていく。

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 塩ラーメンというくらいであるから、非常にあっさりしたシンプルなラーメンである。浅蜊ラーメンや味噌ラーメンもあるようだったが、私にあてがわれたのはこの一品。メンマに焼き豚、ほうれん草、海苔、ナルト。絵に描いたようなラーメンらしさがたまらない。

 「オバQ」で小池さんがいつも食べていたラーメンって、こんな感じに違いないと思うような昭和の懐かしい味と佇まい。余談であるが、私の記憶では(勘違いかも知れないが)、小池さんはいつもやかんから直接丼にお湯を注いでラーメンを食べており、まだチキンラーメンが地方にまで流通してなかった当時、なんでやかんでお湯を注ぐだけでラーメンが食べられるのかは長年の疑問でもあった。まあ、どうでもいいことではあるが、この塩ラーメンを食べた瞬間に、その懐かしい小池さんのことを思い出してしまったのである。

 昔の夜鳴きそばというのも、たしかこういう感じだったと思う。うどん県出身なので、そんなに幼少の頃食べたわけではないが、それでも何度か夜に丼を持って買いに行った記憶がある。大人になって東京に行くようになると、今度は支那そばという看板が気になった。ちょうどラーメンブームが来始めていた頃で、それとは対照的なシンプルな支那そばは、小池さんのラーメンや夜鳴きそばをも彷彿とさせ、けっこう好きであった。

 だから、函館塩ラーメンはノスタルジーも含めて、私的にはど真ん中の好みの味であったのだ。うどんで言えば、すうどん。パスタで言えば、ペペロンチーニに近い感覚である。ほとんど具が入ってないからといってカロリーが低いわけではないのだが、大人の夜遊びのシメにこれほどふさわしいものもない。

 ちょろりのワンタンラーメンか、ここの塩ラーメンか。深夜のバリエーションが増えるのうれしいことである。

2015-05-26 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

西麻布ワインバー「ゴブリン」

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 銀ちゃんの出張鮨の会場となったのがこちらのゴブリン。ゴブリンって変わった名前だよなあと調べてみると、ヨーロッパに伝わるイタズラ好きの妖精のことだった。たしかに、ロゴには猫のシルエットのような耳がついてるので最初飼ってる猫の名前かしらんと思っていた。この妖精、日本でいうと天邪鬼的な存在らしく、イタズラだけでなく悪事を好み、人を怖がらせたり困らせたりするらしい。まあ、誰しも酔っ払うとイタズラしたくなるし、人間を困らせることもあるだろう。どんな意味を持たせたくてこの名前にしたのか、今度オーナーに聞いてみたい。

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 平日は深夜3時まで開いていると聞いていたので、ある日打合せの食事の後、一杯飲みに立ち寄ってみた。すでにアルコールも回っていたので、苺を使ったカクテルを頼む。このとき出されたオードブルの味がなかなかだったので、ちゃんと食事をしたくなる。

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 日を改め、今度はカウンターに陣取った。まずは、グラスシャンパンを頼む。ペルネ&ペルネのプルミエ・クリュ。軽やか。黒板メニューをあれこれ物色して、唐津ネタを発見したので早速注文した。唐津あこうのカルパッチョ。はるばる唐津からやってきたとは思えないプリプリぶりにノックアウトされつつ、寒ブリのサラダ仕立てにもとりかかる。こちらは軽く火が入っていて、バルサミコの上品な酸味とよく合う。この二品だけでも、私好みの味である。メインをどうしようか悩みつつ、黒板の下の方に書かれているビュルゴー家シャラン鴨のローストというのが気になってしかたがない。

 シャラン産の鴨はいろいろ出回っているが、ビュルゴー家といえば、はい、あの窒息させた鴨ですね。鴨を屠るとき首の後ろに針をさし仮死状態にし、血を抜かずに処理する。すると鴨はうっ血状態になり、結果血が肉全体にまわり、鴨のあの独特の野生味あふれる風味になるのだそうだ。処理の仕方を聞くとすごく残酷な気がするが、これも美味しく食べるための方法であり、食文化なのである。このビュルゴー家シャラン産鴨を一躍有名にしたのが、かのトゥール・ダルジャンである。(行ったことないけど・・・一回くらいは行ってみたいけど・・・)

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 その鴨のロースト、よく血がまわっているだけあってご覧のとおり美しすぎるほどのローズ色である。これぞ、窒息鴨の面目躍如。皿を眺めるだけでごくり、と喉が鳴る。そして味はというと、もうこたえられませんな。濃くて、深い。じんわりと香ばしく、野性味あふれる歯ごたえであるのに柔らかく、噛むとジューシーな肉汁がほとばしる。「逢い戻りは鴨の味」とはよく言ったもので、こういう旨さが何層にもなった複雑かつ深い滋味のことを男女の仲にたとえた先人たちの感覚というのはさすがであるなと、いらぬことすら連想してしまう。さらには、鴨にオレンジやブルーベリーの酸味系ソースを合わせるという食べ方も、この野性味をなだめるための最上の方法なんだろうと思う。きちんとつくったオレンジソースは、見事に鴨の脂を中和させ、まろやかな後味をつくってくれる。実に理にかなっている。

 唐津のあこうとシャランの鴨を前菜とメインに食べるという実に楽しい経験をさせてもらった日仏融合の夜であった。いい店である。かくして、お気に入りがどんどん増えていく。それはそれでうれしいことではあるが、東京滞在は限られているし身体はひとつしかないので、どの店に行くかを決めるのが毎回悩ましいところである。

2015-05-21 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

天神橋商店街「お好み焼 双月」

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 前にも書いたと思うけど、うどん県の生まれなのであまりお好み焼を食べていない。子供の頃はなぜか親から禁じられていたので、お好み焼きをちゃんと食べるようになったのは大学生になってからである。幼少時の舌の記憶にないので、私にとってお好み焼きはソウルフードとは言えない。それが、大阪で長年仕事している身としては、ちょっと悲しくはある。とはいえ、関西に住んでいるといたるところに気軽なお好み焼屋があるので、大人になってからはまあそう頻繁でないにしても、まったく行かないわけではない。(クドい言い訳だな・・・)

 この店は、会社のすぐ近所にある天神橋商店街の中にあり、残業する時ちょくちょく出かける店である。天神橋商店街とは、大阪天満宮から北にまっすぐ伸びる日本一長い商店街で、アーケードのない部分も入れるとその長さは2.6キロに及ぶ。少し前まではお好み焼き屋とリーズナブル鮨屋の激戦区としてつとに知られていたのだが、昨今の韓国系とチャイニーズ系の進出の激しいことと言ったらちょっとない。ラーメン屋もずいぶん増えている。その移り変わりの激しいエリアで、昭和48年の創業以来、しっかとした立ち位置を確保している老舗である。店があるのは、長い商店街のちょうどど真ん中3丁目。赤い看板と提灯が目印である。

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 ガラリと引き戸を開けると、中はテーブルごとに仕切られていて、それぞれにのれんまでかかってる。入り口から眺めると、まるで屋形船がズラリと並んでいるようにさえ見え、なんだか無性にウキウキしてくるのだ。このしつらえ、本当に楽しい。そう、ここでお好み焼きを食べるのは、私にとってはファンキーなエンターテインメントなのである。

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 今回はずいぶん久しぶりである。ここは冬になるとかきを使ったお好み焼きもあるので、迷わずそれにする。かきのデラックス焼き。ふっふ。かきはもちろんだが、牛肉に豚肉、海老、イカまで入った超ゴージャスな一品である。おまけに卵は2個入っている。2個も!一緒に行った連れは基本中の基本豚玉である。お好み焼きは豚玉に決まっとる、それ以外はありえんといつも言う。(余談であるが、お好み焼きにうるさい天皇バーのマスターも、お好み焼き(スジ焼き以外)は豚玉以外は邪道であるという。なんでもかんでもお好み焼きに入れるのは素人のすることらしい・・。いいよ、私はシロウトだもん・・・)

 大阪人は自分で焼く人が多いのだが、ここではお店の人に焼いてもらう。だって、プロに焼いてもらう方がおいしいに決まってる。そもそも、飲食店で、客が自分でお好み焼いて喜んでお金払ってるってお好み焼きぐらいではないか。実におかしい。可笑しい。うどんのセルフとは意味が違うだろう。

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 ここで焼いてと頼むとまずは牛肉や豚肉を鉄板で軽く焼く。その間に他の具材を混ぜ混ぜし鉄板の上に流したら、その上に軽く焼いておいた牛&豚を乗せる。これで底がしっかり焼けるまで約5分少々。底がいい具合になったのを見計らい、ひっくり返して肉サイドを焼く。これで約5分。再びひっくり返して完成である。そしてまずはマヨネーズをたっぷり塗って、その上から辛いタレ、次に甘いタレ。青のりにかつおぶしを乗せたら出来上がりである。

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 具材を混ぜ混ぜする典型的な大阪のお好み焼きであるが、卵がたっぷり入っているので生地のサクサク感に卵の風味とねっとり感が加わって、こたえられない美味しさである。たぶん粉に秘密があると思う。山芋も混ぜてはいると思うが、どうしたらこんなに軽くサクッとした生地になるのだろう。働いているお兄さんに聞いてみても、わからないという。彼もよくは知らないのである。もちろん企業秘密であろうが、その配合を知りたいものである。

2015-05-18 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

四川の「酸辣湯麺」

 大好き四川はすでに四度目の登場である。海鮮焼きそば(第49夜)、山椒&唐辛子尽くしのランチ(第56夜)、翡翠麺(第90夜)に続いて、真打ちの酸辣湯麺である。四川でいちばん有名なのは、何と言っても担々麺であるのだが、私はこちらのほうが断然好みである。

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 見た目はあくまですっきり。具らしき具がほとんど乗っていないので、ある意味素っ気ないと言ってもいいくらい。ところがですね、たっぷりとスープを含んだ細めのストレート麺をひと口すすると、異次元の味覚世界がくっきりと立ち上がってくるのである。それも口中ではなく、脳内のスクリーンにその映像がシャキーンと投影される感じ。まずは辛さがストレートにアタックしてき、一本気な赤のビジュアルが映し出される。その色はあくまでもクリアで、小気味よい感じ。その後、得も言われぬ酸味がからんでき、単純な赤に深い緋のような色がどろどろと螺旋を描きながら複雑に混じり合っていく。と、同時に、黒胡椒が鮮烈な香りとともにスクリーンに黒い粒粒をサッとかけていく。深い赤に黒いドットが溶け、ドドド、ドドドと、やがて脳内トランスが始まるんである。ドクドク、ドクドク。心臓の鼓動がはっきりと聞こえ、額にはじっとり汗がにじみ出す。辛味と酸味の渾然一体。スパイシー&サワーの一味同心。もうただただ夢中で麺をすすり、スープを飲む。当然、すべて飲み干す。

 これね、夏にいただくのも好きなんだけど、少々やっかいでもあるの。だって、汗でメイクはくずれるし、洋服に汗がはりつくし。だから、冬のあたたかな日差しを窓越しに感じながら、この季節いただくのが正解なんである。(といっても、夏でも食べるけどね)

2015-05-14 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

渋谷「ドンチッチョ」

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 Leave the gun. Take the cannoli.

 映画「ゴッドファーザー」でクレメンザが言う台詞である。何?カンノーリって・・・。どうやらマフィアの強面オヤジにとって、欠かせないシチリア菓子であるらしいのだ。だけど、正体がわからない。70年代は、海外旅行にそんなに気軽に行ける時代ではなかったから、海外の文化や生活習慣を知ろうと思うと本や映画に頼るしかなかったのである。その頃、まだシチリア料理店なんてものは関西にはなかったから、それがマフィア映画であろうとも「ゴッドファーザー」はある意味よい教科書だった。

 件のカンノーリに出会ったのはそれから10年後ぐらいである。ニューヨークに行き始め、リトルイタリーのレストランで初めて口にしたカンノーリ。やたら大きくて、甘くて、どちらかといえば相当くどい味だった記憶がある。「ふーん、マフィアのオヤジでも、こんな甘いものが好きなんだ」と驚いたこともよく憶えている。ベタベタのイタリアンというか、シチリアンというか。まだイタリア料理が今ほど洗練されていなかった頃の話である。

 その後、イタリア料理はメジャーになり、リトルイタリーに行かなくても美味しい店がどんどん増える。やがてティラミスブームがやって来て、イタリアンデザートは一気にポピュラーになり、ソーホーのカフェでも食べられるようになった。もうどこの店だったかは忘れたけれど、最後に食べたカンノーリはなかなか美味で、忘れがたい味だった。

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 そしてここドンチッチョで何十年かぶりに出会ったカンノーリ。パリパリの皮の中に、リコッタチーズクリームがたっぷり入ってい、思わず「旨い!」と心のなかで叫んだ。シェフの石川さんとは、夜遊びの不思議なご縁で何度かお会いしており、シチリア料理というのにも興味があったので、行ってみたのである。

 店があるのは渋谷。といってもガチャガチャしたお子様サイドではなく、青山学院のすぐ近く。どちらかと言うと南青山に近いエリアで、店内も昔ながらのイタリアンという感じでありながら、適度にざわめきがあり、大人になった今としては実にくつろげるインテリアと雰囲気である。

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 スプマンテをボトルでいただいて、まずは前菜を。ツブ貝と赤玉ねぎ、ズッキーニなどが入ったサラダにブラッドオレンジソースがかかってる。メリハリのある好きな味。二品め、これメニュー名を失念してしまったのが残念。とても美味しかったことだけは憶えているのだけれど・・・(写真でご想像ください)。パスタはワタリ蟹とトマトのスパゲティ。こちらもシンプルなんだけど、一本気な感じでガツンと脳天を刺激する旨さ。メインはメカジキマグロのパレルモ風炭火焼き。文句なしに美味しいと思う。こういうのが、シチリアの郷土料理というわけか。本来の素材を大事に活かしているのがよくわかる味。で、気取ってなくって、大らかで、カジュアルなんだけどデリシャスな感じ。何より、サーブしてくれる人も、調理する人も、お店全体がまるでここはシチリアか?というくらいライブな空気で満ちている。

 聞けば、この店日本のシチリア料理の草分け的存在なのだそうだ。日本のイタリアンの名店で修行を積んだ後、シチリアを中心にイタリアでさらに修行。帰国後何店かのシェフを務めて、2000年に独立し、この店は二軒目にあたるのだそうだ。

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 デザートは連れがリンゴのタルト、ジェラート添え。私はレモンのプリン。その後店の外側にあるテラスへ移動して、カンノーリとリモンチェッロをいただいた。気分は完全にシチリア〜ン。かの島を訪れてみたくなったし、ここへもまたカンノーリを食べに何度でも来たい。あ。もちろん料理も全メニュー制覇したいわ。また、通いたい店が増えた。

2015-05-13 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

西麻布の秘密倶楽部「案庵」

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 「案庵」では夜な夜な秘密の会合が開かれているらしい。

 企業経営者や幹部の方々だけでなく、IT起業家や経営コンサルタントはもちろん、ミシュランシェフに、政治家やトップアスリートの方々まで、綺羅星のような面々がさまざまな情報を交わし、次なるビジネスの芽を探したり、コラボレーションのきっかけが生まれたりする。そういう場なのである。

 オーナーは岡島悦子さんという女性である。凄腕で、人と人をつなぐ天性の技を持ち、あまたの経営者から頼りにされている。女帝と呼ばれているとも聞いたことがある。そういう冠だけで想像すると頭脳切れまくりのちょっとコワめの女性をイメージするのだが、実際はほわんと柔らかな雰囲気でとても可愛らしい人なのである。キュートな観音様という感じか。観音様であるから、当然人たらしである。いつもにこにこ微笑みを絶やさないし、気遣いも半端ではない。だけどそれがけっしてお仕着せがましくない。だから、きっとみんなやられるのだろうなと思う。私もやられた一人である。

 彼女とは松岡正剛師匠のハイパーコーポレートユニバーシティという企業塾でご一緒したのが縁で、仲良くさせていただいている。幹事をされているので、何かとお世話にもなっている。そのうえ、「案庵」の名付け親は松岡正剛師匠なのである。おまけにハイパー塾での合宿の夜、枕を並べながら、私が第二夫人(いちおう年の功で)で岡島さんが第三夫人ということにしてもらおうとお馬鹿な妄想をした仲である。しかも翌朝よく考えて、「やっぱり私が第三夫人で岡島さんが第四夫人、第二夫人はもう少し若い人が入れるよう空けておこう」などと勝手なことを取り決め、それを師匠に報告すると「おまえたちが第三と第四にいたら、誰もおそろしくて入って来られないよ」と実に名誉なお言葉までいただいている。ハイパー塾が続く限り、私も頑張って留年し続けようと思っているので、岡島さんが幹事をされているのはとても心強いのである。

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 さて、11月のとある夜。「案庵」に名付け親である松岡師匠をお招きするという会が催された。自称第三夫人としてお声がかかったのは、何ともうれしい限りである。サロンの壁には師匠が揮毫された「案庵」という筆文字が額装されている。案という文字の中には「女」という文字があり、その部分にだけ上から朱がなぞられているのが何とも粋な師匠のはからいであるし、ANANというアルファベットも書かれている。まことに、岡島さんの場にふさわしい。

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 食事はフィンガーフード中心で、ちゃんとブラックタイを着た男性がサーブしてくれる。飲み物は泡が気前よくばんばんと抜かれる。こういう場をしつらえるのが岡島さんならではというか、実にこなれたもてなしかたである。しかも、スペシャルケータリングにプラスして岡島さんお手製のおでんが用意されている。日々忙しくされているだろうに、こういうひと手間をプラスするというのが、さすがに「案庵」の女主人の面目躍如である。仕事においても、人との関係づくりにおいても、自らの労を惜しまないのが大切ということを身を持って教えてくれる。

 この日の会には「案庵密夜」というタイトルがついていたので、杏の餡蜜を手土産にした。「杏餡蜜や」というシャレであるが、さすがに岡島さんはそれに気づいて喜んでくれた。

2015-05-08 | Posted in 千夜千食No Comments » 

 

唐津「銀すし」@西麻布

 すっかり魅了された唐津の銀すし(第26夜)ではあるが、唐津はそうおいそれと気軽に行ける場所ではない。銀ちゃんところで食べようと思うと、金曜夜に博多入りし翌朝移動して昼にするか、土曜に博多経由でダイレクトに行って夜の鮨を楽しむか。いずれにしても、博多か唐津で一泊しないといけない。もちろん、唐津には魅惑的な窯がいっぱいあるので、どうせいくなら泊まりがけで楽しみたいとは思う。が、なかなか機会が見いだせない。

 ところがである。運よく西麻布で出張鮨をやるとの連絡をもらった。1月に唐津の店に行ったとき、隣に座っていた人が偶然にもこの西麻布の店のオーナーであった(実際に店を切り盛りしているのは娘婿にあたる方であるが)。そんな縁も手伝って、銀ちゃんの鮨を味わいに出かけた。昼、夜同じ内容だというので、昼を予約した。

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 めざす店は西麻布交差点から少し入ったビルの二階。カウンターのある洒落たワインバーである。西麻布感満載である。ほんまにここで鮨が食べられるの?と思いながら、カウンターの中を見るとズラリと名酒が並んでいるではないか。よし。そうこうしているうちに、一斉スタートである。銀ちゃんが出てきて、挨拶してくれる。その瞬間に、西麻布のおしゃれな空間が、唐津の銀すしになる。

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 最初にすっと出されたのは、唐津の牡蠣。まだ小ぶりであるが、海の滋味をたっぷり含んでしみじみ深い味。もちろん唐津からネタと一緒にやってきた中里隆のうつわに盛られている。ワインバーなので、最初の一杯こそシャンパンをいただいたが、すぐに日本酒をお願いした。マスターのおすすめは角右衛門。秋田の特別純米は馥郁とした旨酒である。片口も盃も中里隆。思わずにんまりとする。鮨は、あこう、ハリイカ、マグロ赤身と続いて、今度は伊勢の寒紅梅をいただく。うーん、これも美味。海老の握りの後は、おひたしをいただいて、こういう鮨と一品のかわるがわるは楽しいねえ。ぐびぐび酒が進んで、今度は松の司。ふっふ。五島列島の鯖を軽く〆たのは、何とも言えない脂の乗りかた。口福である。大トロも、ほっほ、とろとろである。軽く炙ったのどぐろもたまりませんな。コハダ、ぶりと来て、再びあこう、ハリイカ。あら、リピートしてる。美味しいからいいか。

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 中休みで小さな茶碗蒸し。のどぐろの炙り、コハダ。こっちもリピートしてるんだけど、いいよ、許すよ、美味しいから。でもって、穴子は立派。お口の中でふわりとほどけます。そうこうしていると、カッパ巻きと赤出しが出され、ええ〜もう終わりなの〜と文句を言うと、銀ちゃん苦笑い。サービスで中トロを出してくれました。

 はるばる唐津から、仕入れたネタと中里隆のうつわを携えて東京までやってくるのである。自分の店じゃないから勝手も違うし、唐津の店と同じ条件ではないだろう。それでも、あの、銀ちゃん独特のまったりとして、口のなかでほろりほどける鮨は健在である。もちろん、握っているのは同一人物だからね、当たり前だけど。

2015-05-05 | Posted in 千夜千食No Comments »