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慈慈の邸「マクロビごはん」

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 2012年夏まで「マクロビ」が正確には何をさすのかよくわかっていなかった。何となく理解したのは、エバレット・ブラウンさんと中島デコさんが主催する「半断食デトックス」というプログラムに参加してからだ。
 
 エバレットさんとは松岡師匠イベントの喫煙スペースで仲良くなった。千葉いすみ市でブラウンズフィールドと慈慈の邸(じじのいえ)という施設を奥様とやられているとは聞いていたが、フェイスブックで「半断食デトックス」の告知があり、ちょうどダイエットしなければと思っていたし興味津々で参加した。そのときの体験は、また別の機会に披露したいが、奥様であるデコさんにも私はすっかり惚れてしまったのである。

 今回は、翌日撮影でお借りするので、そのロケハンと当日の準備段取りのため、ひとり前乗りである。慈慈の邸は宿泊施設でもあり、ちゃんと一泊二食付きで泊まれるのである。食事は、マクロビ(正式にはマクロビオテック)料理である。独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法で、玄米や野菜などが中心となる。「身土不二」「一物全体」「陰陽調和」がその三大理念らしいのだが、これはこれで突き詰めていくと理にかなった思想だと思う。(私のような怠惰な人間はとてもじゃないがようやらんが・・・)

マクロビ1

 訪れた日はぽかぽか陽気で、すでに庭には見事なしだれ梅が咲いていた。さっそくブラウンズフィールドのカフェで玄米カレーをいただく。まともに玄米を食べるのは半断食のとき以来であるが、この噛みしめれば噛みしめるほど滋味の出る玄米というもの、この歳になるとしみじみと美味しいと思うのである。きのこのカレーとの相性も抜群。アッという間にぺろりと平らげる。夕方まではロケハンを兼ね、あちこち歩いたのですでに夕刻にはおなかがぐーぐー言い始めた。

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 お待ちかねの夕食。エバレットさんがとっておきの赤ワインをあけてくれる。大切なコレクションからの一本である。イタリアのモンテプルチアーノ・ダブルッツオ2005年。作り手はエミディオぺぺ。ビオワインである。ここ最近赤はあまり飲まないのだが、このワインには驚嘆した。なんだろうね。この豊穣な香りと奥行き。デキャンタージュしたそれをグラスに注ぎ、エバレットさんはまるで神の滴をいただくようにうっとりした表情でゆっくりと味わう。いつもならワインだってぐいぐいともったいない飲み方をしてしまう私もそれに倣う。至福とはまさにこういう時間のことを言う。

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 そして珠玉のマクロビディナー。前菜は上から右回りに大豆のフリッター、アーモンドの醤油焦がし、木戸泉酒造の酒粕焼き、いじちく、おからの海苔巻き、豆腐。これを少しずつ齧って、ワインと一緒にゆっくり、じっくり、味わう。イラチの私は食べるのも早いのだが、マクロビはやはり噛みしめることが大事なのだ。次なる一品は、カシューソースをかけたペンネのグラタン。オーブンでこんがり焼かれ、きつね色の焦げ目がついている。ペンネもブラウンズフィールドでとれた小麦でつくったもの。スープはレンズ豆としめじのブラウンスープ。畑の豊かな味がする。メインは慈慈の邸の刻印が押されたプレートに乗って。手前から時計回りに、酒粕クリームコロッケ、じゃがいもののひじきメースと和え菜の花添え、トマトと玄米のリゾット、野菜のミルフィーユ、切り干し大根とみかんのサラダ。使っている素材ひとつひとつに物語がある。すべての素性がわかっている。食においてこれほど贅沢なことはないだろう。デザートはチョコレートのムース。たっぷりかかったナッツが香ばしい。食後はなおもチーズをいただきながら、ワインをゆっくりと楽しんだ。

 マクロビが提唱する「身土不二」というのは、暮らしているその土地で穫れる旬のものを食べるという考え方だ。最近良く言われる地産地消と似ているが、結果的に収穫されるものが食べごろなわけだから地産地消ならごく自然に旬のものを食べていることになる。「一物全体」は、米なら玄米で、野菜なら皮も葉もできるだけ丸ごといただくという考え方。そういえば、長生きのすすめを提唱している某医師もめざしや干物などはアタマからしっぽまで全部バリバリ食べようと言っていた。なるほど。さらに、マクロビではすべての食材に「陰」と「陽」があると考え、これをバランスよく食べる「陰陽調和」も大事にしている。たとえば、夏の胡瓜(陰性)は身体から熱を取る作用があり、冬のごぼう(陽性)は冷えた身体をあたためてくれるといった具合。厳密には調理法にもこの陰陽のバランスを取りいれるらしい。私たちに厳密なマクロビ生活は無理だとしても、なるべくその土地の旬のものを丸ごと食べるくらいは、普段の意識を少し変えればできそうな気がしてくる。

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 翌日の撮影ランチもデコさんにお願いした。スペシャル注文である。このズラリ並んだプレートをご覧あれ。ボリュームはあるが、こちらもすべてマクロビ料理である。こんなの毎日食べていたら、どんなに健康になるんだろうか。絶対やせるだろうしなあ。ああ、デコさんところに一ヶ月くらい入院したいというと、友人に「無理、無理。絶対夜中脱走して、鮨食べに行くって」と言われた。おあいにくさま。ここは房総半島。脱走したって、歩いて行ける鮨なんて近くにないんだよ。

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2014-10-11 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

深夜の「モレスクちょろり」

 お気に入りビストロ「モレスク」。この店の心地よさを愛するのは私だけでないらしく、本当にいつ来てもいっぱいである。店自体はそんなに新しくはない。インテリアにそれほどこだわっているわけでもない。だけど、いつも満席状態で座れないので、グラス片手に立ったままカウンター越しに会話する常連さんもいる。ほどよいざわめきと熱気ある賑わい。これを作り出しているのがオーナーの福島さんである。一見さんでも常連さんでも分け隔てなく会話を交わし、空になったグラスのタイミングを逃さない。親しみやすく、お茶目で、動作は機敏。ときに真摯に語り、洒脱に冗談を言い、絶妙な間で相槌を打つ。カウンターを福島さんと一緒に切り盛りしている前田くんも、いつも軽妙かつリズミカルに動いている。軽口をたたくのも上手い。料理方であるシェフたちも、下ごしらえは奥にある厨房でしているだろうが、たいていカウンターの横にあるキッチンで最後の仕上げをする。調理の過程が見えるのだ。オープンキッチンというほどでもないのだが、作り手とも会話できるというしつらえはあるようでなかなかない店の雰囲気をつくるのに一役買っている。

 「コージー」という言葉がここにはきっといちばんふさわしい。そう、この店に漂う素敵な空気の正体は「feel cozy」なのだと思う。

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 ここに来ると、さほど空腹でなくても黒板メニューが気になって仕方がない。この日は、適度におなかがすいていた。前菜は海老と筍の焼きテリーヌと桜鱒と菜の花のソテー。私はいつも一皿ずつでも充分なのだが、福島さんに「半分ずつでいいね」と言われ抵抗できず従ってしまう(変なところで弱気)。メインは白アスパラとホタテのソテー。これも福嶋さんによって自動的に半分の量にされる。別に半分でもいいのだが、本来なら一皿まるまる食べられるものが自分の意志とは関係なく半分にされた、ということを視床下部は明確に記憶する。脳が満足しないので、〆にパスタが食べたくなる。桜えびとそら豆のパスタ。これも、半分にされる。ちょっと文句を言うと、「えっ、ちょろるんでしょ」と返される。

 「ちょろる」とは、恵比寿にある深夜ラーメン店「ちょろり」に帰りに寄ることをさす。モレスクで食べる料理が少なかったり、少し早めに帰ろうとすると必ず福島さんか前田くんに「あ、ちょろるなあ」と茶化されるのだ。「ちょろらないって」と言いながらも、私の脳には「ちょろり」の字がインプットされ、まるで洗脳されたかのように「ちょろり」に向かってしまうという悪習慣がついてしまっているのである。

 この夜は、シェフまでが半人前のパスタをサーブするときに「ちょろり用に半分ね」などと恐ろしいことを言うではないか。さんざん「ちょろり」というワードを刷り込まれ、軽く酔っ払っていた私は、もちろんモレスクを出た後、「ちょろり」に直行したのである。

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 「ちょろり」は悪魔のラーメン屋である。スープはきりりとシャンタン系。私のお気に入りはワンタンメン。二軒目の時はさすがに麺は半分にしてもらう。

 しかし、ええ年をして、いちびってこんなことをしている場合ではないことは理性ではよくわかっている。いつか、「ちょろり」には二軒目ではなく、夕食のメイン店として堂々と訪ね、正規のワンタンメン一人前を食したいものである。

2014-10-10 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

神戸の江戸前「生粋」

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 実はしばらくの間、地元神戸で鮨難民であった。

 しょっちゅう行っていた近所の鮨が凄いレベルで、私にとってはすべての鮨の基準となる得難い店だったのだが、ある日忽然と消えたのである。10年以上のつきあいだったのに、何の前触れもなくなくなってしまったのである。伝手をたどっていろいろ聞いてみたりしたが、誰もその行方を知らず、電話ももちろんつながらない。堅実で、金銭面でもしっかりしていたように見えた骨柄から想像しても、トラブルに巻き込まれたとも思えない。最上の瀬戸内海ネタを信じられないような良心的な価格で出すとあって、普段の鮨だけでなく、冬はふぐ尽くしやぶりしゃぶ、蟹なども楽しませてくれた店だった。その店がなくなることは、私にとってはほとんど死活問題だったのだ。

 打ちひしがれているそんな私に飲み友達のヨシヒコがここはなかなかだよ、と教えてくれた。

 生粋。

 名前がいいやね。洒落ている。

 なかなか予約が取れなかったが、ある夜期待に胸をふくらませ出向いた。神戸市東灘区。2号線に近い住宅街のなかに、あくまでもひっそりとその店は佇んでいる。入り口に近づくと「生粋」という表札が。店内には白木のL型カウンターが鎮座しており、小さな個室もあるようだ。この感じ、うん。旨い鮨の匂いがする。まずは、ツマミから。出るわ出るわ。瀬戸内海。鯛や鮃の舞い踊りである。うれしいことに香箱蟹も出され、以来すっかりファンになった。

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 今回は久しぶりの訪問である。ここは、毎回季節の葉っぱをカウンターの上にはらりと散らし、その上にツマミを置いてくれる。風情のある演出である。まずは、鮃。コリッとイカってる。脂ノリノリのよこわは辛味大根でいただく。ここで羹登場。はふはふ言いながら楽しんだ後は、大好きな鮟鱇の肝。白磁のうつわの上に、恥ずかしげに乗っている。ふっふ。ちゃんと仕事がされており、山椒がぴりりとアクセント。これがほんま絶品なのだ。焼き物は太刀魚。皮のパリパリ具合が絶妙である。切子のグラスに入っているのはのれそれ。ずずっと贅沢に飲み干す。織部に鎮座しているのは柚子。ふっふ、これは柚餅子ではなく、釜に見立てて中身は鱈の白子。もうたまりませんのよ、ほんま。そして大根や大葉をザクザク切ってくるりと手巻きし胡麻をたっぷりかけたシャキシャキサラダでちょっとブレイク。こういうアイデアもなかなか秀逸である。

 そしていよいよ鮨。まずは鯛。瀬戸内海を泳いでいた子。スミイカ。大トロ。コハダ。煮蛤。サヨリ。すべて江戸前の仕事がきっちりとなされている。シャリには赤酢が利いている。本日の雲丹は馬糞。季節によっては淡路島由良の赤ウニも登場する。ぶり。この子は氷見からやってきた。肝と一緒に和えたカワハギは小さな丼仕立てにしてくれる。こういう変化は大好き。食べながら小躍りしたくなってくる。そしてまたもや秩序正しい鮨の連打。赤貝。さっと炙ったのどぐろ。車海老。ふわふわではらりと口の中で崩れる蒸し穴。ううむ、旨い。そして〆はネギとろの手巻き。美味しすぎる。

 シャリを少し小ぶりにして握ってもらったので、もうぱくぱくいくらでも食べられる。ここのシャリ、好き嫌いがはっきりと分かれるようであるが、私はこの赤酢がきりりと利いてるのは嫌いじゃない。かつては関西風の甘めのシャリもよく食べたが、味覚の好みは変わるもの。今は、やっぱり江戸前の気風のよいシャリにすっかり身体がなじんだということか。さて、デザートは玉子。毎回ダブルでリクエストしたいが、我慢する。そして赤だし。最後にほおずきが出てくることもある。

 こちらでは日本酒はたいてい「生粋」というお店の名前のついたのをいただく。「生粋」で「生粋」。ああ、私「生粋」の神戸っ子だったら、「生粋」トリプルで悦に入れたのに。

2014-10-09 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

冷やし担々麺「龍天門」

 ホテル中華はここ、と決めているところがあるので、こちらには滅多に来ない。が、ときにたまらなく食べたくなって遅めのお昼にこっそりと食べに来るものがある。

 恵比寿ウェスティンホテルの龍天門。こちらで裏メニューといえば、あれしかない。

 あれ。
 そう、冷やし担々麺である。

 いちおう、裏メニューであるからメニューにはいまだに載っていない。だが、季節を問わず注文できる。どうです。この彩り。

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 顔を近づけるとまずは胡麻の香ばしい香りが立ち上がってくる。この香りにいやがおうにも食欲が増してくる。胃袋がぎゅうっと反応する。唾がしゅるしゅるわいてくる。ラー油のオレンジとネギの緑、その上に肉味噌がのっかり、そしててっぺんには白髪ネギ、さらにその上にパウダーのようにかかっているのは花山椒。もうこれだけで、ちょっとした食べる芸術品である。まずは、スープをひとくち。甘辛いスープにこっくりした胡麻の味わいと香りが混ざって、うーん至福のひとときなんである。辛さはスープを飲んだ後から少々控えめにやってくる。お次は麺をすする。冷たいスープの中できゅっと引き締まった歯ごたえのある細麺である。こんどは、散蓮華で肉味噌をすくう。う、旨い。椎茸と挽き肉の幸福な結婚。白髪ネギも小気味よいくらいにシャキシャキ。で、次はスープだけをじっくりと味わう。気がついたら、夢中になってこの繰り返しをオートマティカルにやっている。いかん、いかん、と思いながらも、スープは最後まできれいに飲み干してしまう。

 冷たくても、やはりそれなりに汗は出るし、最初は控えめな辛さだと思っていても気がつけば口の中が真っ赤っ赤になっているような感じになる。だけど、やっぱりこれ食べたさに年何度かはやってくる。やって来ずにはおられない。

 今のところ、私にとっての「冷やし担々麺」の東京ナンバーワンである。うん。

2014-10-08 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

白金の割烹「こばやし」

 東京での定宿はほぼ決まっているが、そこに向かう道すがらタクシーの中から発見した新店である。なんだか、私の嗅覚を刺激するものがあったのですぐさま屋号をチェックし、スマホで検索した。あったあった。店の名前は「こばやし」という。

 日曜日も営業しているというのに気をよくし、予約をしてみたのだが、たまたま臨時休業にあたってしまい、最初のチャレンジは失敗してしまった。そうなると、何が何でも近いうちに行かねばという気になってくる。二週間後、今度はすんなりと予約が取れた。

 場所は白金台。パンが美味しいことで知られる店の小さな公園をはさんだすぐ真向かいにある。店の外からは、ちらりちらりとカウンターが見える。幸い、客はまだ誰も入っていないようである。カウンターは八席。かなりゆったりしたつくりである。奥には秘密めいた個室もあるようだが、やはりこの手の店の最初はカウンターがよい。

 お店はご主人と奥様のふたりで切り盛りしている様子。開口一番「関西の方ですか」と言われてしまう。私の変なイントネーションは、普通にしゃべっているつもりでも必ず気づかれてしまうのだ。「神戸です」と答えると、なんと。ご主人は神戸で長年修行されている方だった。つまり、ここはまるっきり関西の店なのである。それだけで、なんだが妙にくつろいだ心持ちになる。

 そもそも東京で懐石とか割烹には数えるほどしか行っていないが、過去の経験からするとたいてい煮物椀の味が濃く、美味しいと思った試しがないのだ。ここは関西ではないから、と思っても何かが違う。板前の個性として料理そのものにオリジナリティがあれば別だが、たいていはかつお節の風味が強すぎたり、醤油の味を塩辛く感じたり、ということが多かった。関西でならいやというほど口に合う懐石があるのだから、何もわざわざ東京に来てまで食べる必要はないし、第一東京には他に美味しいものがいっぱいありすぎる。和食に関してはずーっとそう思っていた。

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 でも考えてみれば、東京にだって関西で修行した板前の店はたくさんあるだろうし、私が探していないだけだ、ということに気づく。

 そして、こちらの煮物椀は、予想通りまるっきりの関西の味であった。

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 しかし、味のベースは関西風ではあるが、ここはここだけのオリジナリティを表現するのにとても努力している。たとえば、おつくりには醤油のムースをつける。これはけっこう一般的になっているトレンドではあるが、このムースの出来栄えはなかなかのものである。そして宍粟牛の上に雲丹を乗せたお鮨がこちらのハイライトである。宍粟、これは「しそう」と読む。兵庫県姫路の奥にあった郡で、現在は市になっている。これで分かる人はピンと来たかもしれないが、あの但馬牛の産地にとても近いのだ。つまり但馬牛の血統を受け継ぎ、自然の豊かな宍粟の地ですくすく育った和牛なのである。この宍粟牛と雲丹という組み合わせは、店のオリジナリティをアピールするのには絶好のアイデアだと思う。

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 この日は、奥様のおすすめに従いまずは石川の「閃」、そして目ざとく見つけた黒龍の「しずく」をいただいた。非常に大満足である。

2014-10-07 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

猩花

20・2014年3月19日・猩花

【猩】ショウ(シャウ) セイ しょうじょう
声符は星(せい)。[説文]に「猩猩、犬の吠ゆる聲なり」と犬のなき声の擬声語とするが、その用例はない。猩猩は人面長髪、端正で酒を好み、善く舞うとされる想像上の獣。1・しょうじょう。2・あかいろ、赤毛。3・犬のなき声、遠なきの声。4・またしょうに作る。小児のなく声。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態 | No Comments » 

 

幻花

19・2014年3月18日・幻花

【幻】ゲン まどわす まぼろし
予の倒文。相幻惑することをいう。金文の字形は意図の上端にほつれの見える形。もし予の倒文とすれば、予は杼の形。その倒文は、経緯が乱れ紛乱する意となる。それより、幻惑・変幻、また幻化・幻術の意となったのだろう。1・みだれる、まどわす、たぶらかす。2・かわる、真幻のほどが知られない、まぼろし。3・眩と通じ、まどう、てじな。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態 | No Comments » 

 

嬉花

18・2014年3月17日・嬉花

【嬉】キ たのしむ たわむれる
声符は喜(き)。喜は鼓楽して神を楽しませる意。嬉嬉は笑うときの擬声語。そのように興じて戯れることをいう。1・たのしむ。2・たわむれる、あそぶ。3・うつくしい。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態 | No Comments » 

 

琳花

17・2014年3月15日・琳花

【琳】リン たま
声符は林(りん)。[説文]に「美玉なり」とあり、[書、禹頁]に「球琳・琅玕」の名がみえ、よう州の頁する美玉の名。また琅玕は玉声。玉のふれて鳴る擬声語である。1・たま、美玉の名、青色のたま。2・琳琅は、たまのふれて鳴る音。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態 | No Comments » 

 

洸花

16・2014年3月13日・洸花

【洸】コウ(クヮウ) 
声符は光(こう)。[説文]に「水湧きて光るなり」とあり、水のゆれる光るさまをいう。[莊子]の端倪しがたい文を、[史記、老荘申韓伝]に、「其の言、洸洋自恣」と評している。人の激しい怒りを形容することもある。1・水のゆれ光るさま、自在にゆたかに流れるさま。2・もののゆたかなさま、広大なさま、ほのかなさま。3・人の怒るさま。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態 | No Comments » 

 

朧花

15・2014年3月12日・朧花

【朧】ロウ おぼろ
声符は龍(竜・りょう)。[説文新附]に「朦朧なり」とあって、月光の朧なさまをいう。朦朧、どう朧など、いずれも畳韻の連語である。1・おぼろ、さだかでないさま。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態 | No Comments » 

 

絢花

14・2014年3月10日・絢花

【絢】ケン ジュン あや うつくしい
声符は旬(じゅん)。旬にけんの声がある。[儀礼、聘礼]「絢組」の注に「采、文を成すを絢と曰ふ」とあり、目をおどろかすような文彩の美をいう。1・あや、あやあるさま。2・うつくしい。3・じゅんと通じ、うちひも、まるうちひも。(白川静『字通』より一部抜粋)

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朗花

13・2014年3月7日・朗花

【朗】ロウ(ラウ) あきらか ほがらか
声符は良(りょう)。良は風箱留実、風を通して殻をよりわけ塵を除くもので、よく通る意がある。[説文]に正字をろうに作り、「明なり」という。月光のよく澄徹する意である。その光の朗々たることから、朗悟の意となり、また朗読、朗吟のように、淀みない意に用いる。1・あきらか、あかるい。2・ほがらか。3・たかい、よくとおる。(白川静『字通』より一部抜粋)

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精花

12・2014年3月5日・精花

【精】セイ ショウ(シャウ) しらげよね くわしい きよい こころ たましい
声符は靑(青・セイ)。[説文]に米を択ぶ意とする。[山海経、中山経]に「よし(供米)には五種の精を用ふ」とあって,よしとは神に供えるため、しらげた穀米をいう。のちすべて精美・精良のものをいい、精神をもいう。1・しらげる、しらげよね。2・くわしい、あきらか、きよい、うつくしい。3・正しい、もっぱら、専一、よいもの。4・ひかり、はれる、もと。5・こころ、たましい、まこと。6・もののけ、ちみ、おにがみ、たま。7・晴と通じ、ひとみ。(白川静『字通』より一部抜粋)

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渦花

11・2014年3月1日・渦花

【渦】カ(クヮ) ワ うず
声符は咼(カ)。咼はかと声義近く、まるくくぼんだ形のものをいう。水がはげしく渦まくとき、その形となる。1・うず、うずまく。(白川静『字通』より一部抜粋)

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襲花

10・2014年2月11日・襲花

【襲】シュウ(シフ) かさねる つぐ おそう きる
声符は龍。金文の字形は衣上の左右に龍を加えており、龍はこん竜の文様であろうと思われる。即位嗣襲のときに服するものであるらしい。儀礼用に上からこの衣を着用することから襲ねる意となった。襲用の意から、襲取、襲撃のように用いるが、本来は嗣襲継体の儀礼を意味する字である。1・かさねる、衣をかさねる。衣をかさねて着ることが、嗣襲の方法であった。2・つぐ、うける、うけつぐ、およぶ。3・おそう、はいる、一体となる、とる。4・きる、衣をきる。5・死者にきせる衣、おおう、おさまる、おさめる。6・習と通じ、かさねる、ならう。(白川静『字通』より一部抜粋)

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蝶花

9・2014年・蝶花

【蝶】チョウ(テフ) ちょう
声符はよう。ように喋・牒(ちょう)の声がある。ようは葉の初文。ように薄くてひらひらするものの意がある。1・ちょう。2・字はまたちょうに作る。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態 | No Comments » 

 

燐花

8・2013年11月10日・燐花

【燐】リン おにび
声符はりん。りんは金文の字形によると聖所に人性として磔されている者の形。[説文]りん字条に「兵死し、及び牛馬の血、燐ち為る」とし、また[淮南子、氾論訓]に「久血、燐と為る」とみえる。[論衡、論死]に「人の兵死するや、世に言ふ、其の血、燐と為る」とあって、戦場に鬼火を見ることが多かった。熱無くして光るので、また蛍火をいう。1・おにび。2・ほたるび。(白川静『字通』より一部抜粋)

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妖花

7・2013年11月8日・妖花

【妖】ヨウ(エウ) あでやか あやしい
[説文]一に曰く、女子の笑ふ兒なり」とし、「詩に曰く、桃の妖妖たる」と[詩、周南、桃夭]の句を引く。今本は「夭夭」に作る。夭(笑)は手をあげて舞う巫女の形。その姿態を夭という。巫が神がかりの状態になって神託をのべることを若といい、これをまがごととすることもあって、神怪のことをいう。人の妖艶なるものも、衒媚のおそれがあるというので、また妖という。1・あでやか、なまめかしい。2・あやしい、まがごと。3・もののけ、地の怪。(白川静『字通』より一部抜粋)

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馨花

th_6・2013年10月17日・馨花6・2013年10月17日・馨花

【馨】ケイ キョウ(キャウ) かおる
声符は搖(よう)。缶(ほとぎ)の上に肉をおく形。何かを祈るときの行為であるらしい。[説文]に「動くなり」とあり、ゆり動かすような、不安定な状態をいう。1・かおる、かおり、酒や花のかおり。2・こうばしい、うまいにおい。3・徳聞、ほまれ。4・語末につける助字。晋代の語。(白川静『字通』より一部抜粋)

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揺花

5・2013年10月15日・泳花

【揺】ヨウ ゆれる うごく
声符は搖(よう)。缶(ほとぎ)の上に肉をおく形。何かを祈るときの行為であるらしい。[説文]に「動くなり」とあり、ゆり動かすような、不安定な状態をいう。1・ゆる、ゆれる、ゆらぐ。2・うごく、うごかす。3・おこす、のぼる、あがる、はやい。4・遙かと通じ、はるか。(白川静『字通』より一部抜粋)

2014-10-06 | Posted in 千花千態 | No Comments » 

 

白金の絶品蕎麦「三合菴」

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 長らく蕎麦とは縁のない人生だった。うどん県の生まれということもあり、大人になってからは関西で生活しているので、蕎麦はさほど身近なものではなかった。当然、旨い蕎麦の基準もわからない。蕎麦の世界は妙に哲学的で、「蕎麦を打つ」とか聞くとなにやら隠遁者の崇高な趣味のようでもあり、そのせいもあっていささか敷居も高かった。池波正太郎の随筆でだったか、蕎麦はたぐると表現されていたのも妙に気になっていた。

 そう、蕎麦はどうやらたぐるものであるらしいのだ。食べるでも、すするでもなく、たぐるという動詞を使う。【手繰る】とは両手で代わる代わる引いて手元へ引き寄せるという意味だ。転じて、蕎麦を交互に箸で持ち上げる動作をさし、こう言うことはわかったが、それにしても不自然な気がする。ザイルを手繰るならわかるのだが、蕎麦は片手で食べるものだしなあ。しかも、江戸前の蕎麦に限ってこのようにいうらしい。なんだか、ちょっといやらしい(笑)。スノッブ臭がぷんぷんするではないか。

 察するに、江戸っ子にとっての蕎麦は粋に食べなければいけないものらしい。長っ尻で、ゆっくり食べるのは野暮。店に入ったら「盛り」を注文し、ささっと手繰って、さっと店を出るのが粋なんだそうだ。もちろん、よく言われることだけど蕎麦をつゆにどぼっとつけるのもご法度である。うーん、江戸っ子の粋を体現するには私はまだまだ修行が足らぬ。それに、あまのじゃくなので、どう食べようがええやないの、という気もしてくる。ま、私は、江戸っ子でも粋でもなくただの食いしん坊なので、蕎麦だって自分が食べたいようにじっくりと味わいたいと思う。
 
 この店は、十年ほど前に知人から白金ならここがいいですよ、と教えてもらい、以来ときおり通っている。そして蕎麦を心底おいしいと思ったのは、ここの蕎麦を食べてからである。蕎麦というものはきわめて素朴な食べものだという先入観を持っていたのだが、ここの蕎麦は「端正」というにふさわしい非常に洗練された味わいなのである。
  
 東京には更科系、藪系、砂場系という厳然たる蕎麦の御三家というものがあるようで、そこに新興系と呼ばれるトレンド勢力が台頭してきて、今はそれらがほどよくミックスされた状態にあるらしい。(あくまでも聞いた話)こちらの店もあえて分類すれば、藪系の流れを組む新興系ではあるらしいが、ま、旨い蕎麦を食べるのに能書きなどどうでもいい。

 ここが大好きなのには三つの理由がある。ひとつは、もちろん「端正」な蕎麦そのものの旨さである。ふたつめは三千盛の純米を置いていること。最後に、うつわにもなみなみならぬこだわりが感じられること。

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 いわゆる挽きぐるみの十割蕎麦である。蕎麦の殻を取り除いたものをすべて製粉したものを挽きぐるみという。その蕎麦粉だけを100%使ったものを十割蕎麦という。これを打って、切って、茹でるのだが、そこに職人のちょっとしたこだわりや好みが入り、その店ならではのオリジナリティが生まれる。この店は少し細めの蕎麦なのだが、いつも蕎麦のよい香りと粉の微妙な食感がこたえられない逸格なのである。

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 三千盛は、何と言っても若い頃心酔した作家・立原正秋氏が愛した酒である。立原氏のご子息が経営していた懐石料理の店で初めて口にして以来のファンである。が、私の知る限り置いてある店がなかなか少ないのである。だから、ここでは私はこの銘柄一本をしつこ〜く楽しむことにしている。

 そしてうつわ。ここのセレクトとコーディネイトも私は大好きなのである。最初に、お通し三種が出てくるのだが、毎回持って帰りたくなるほどセンスのよい古伊万里や唐津のうつわに入ってくる。ぬたやおひたしが中里隆さんのうつわに入って出たかと思うと、玉子焼きはカジュアルな印判手の皿に載っている。このハイ&ローの取り合わせの妙もなかなかのものであるといつも痺れているのである。

 酒飲みにとっては、蕎麦屋の流儀はなかなか楽しいということもこの歳になって発見した。いきなり蕎麦、ではなく、日本酒をちびちびと飲りながら、ぬたや天ぷら、玉子焼きなどをやる。蕎麦はシメなのである。そして、最後はざるそばやせいろなどシンプルなものでシメるのが粋であることは重々承知していながらも、ついついとろろそばを頼んでしまうのだ。今日は一枚だけにしておこう。いつもそう誓うのだが、最初のひと口で、「すみません、お蕎麦をもう一枚お願いします」と言ってしまう。

 ああ、それにしても、ここのとろろ蕎麦。絶品である。馬鹿馬なのである。(しかし写真を撮り忘れている・・・)

2014-10-06 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

猫の日の鮨「一柳」

 2月22日は猫の日だ。にゃーにゃーにゃーと2が三つそろうのでそうなったらしい。

 二月花形歌舞伎・夜の部に息つく暇もないくらい熱中していたので、終演と同時におなかがグーグー鳴っている。にゃーの口になりながら、今年お初の「一柳」ののれんをくぐった。

 銀座で鮨といえば、私はここである。ほかにもいろいろ行っていた店はあるのだが、歌舞伎が終わった後でも対応してくれるのと、つまみのこれでもか攻撃と、大好きな三千盛があるのと、そして何より店主の心意気が好きで通いつめている。

 もともとは一度だけ行ったことのある銀座の店から、ホテル西洋銀座の中に新しい店を出したとの案内をもらい、おまけに店のプロデュースはあの海老さまによるものというふれこみにも釣られ訪れたのがきっかけだった。「真魚」というその店の名は、真の魚という文字通りの意味だけでなく、ご存知空海の幼名で、そのネーミングにまず惚れた。店内には海老さまの隈取りが飾られていたり、海老蔵襲名記念の海老紋入りバカラのグラスや麻でできたコースターなど、海老さまファンにはたまらない小道具でも満ちていた。

 遅い時間なら終演が九時半過ぎのときもある歌舞伎の後に、ゆっくり鮨が楽しめる隠れ家として、歌舞伎に行っている間ホテルのクロークで荷物を預かっていてくれるサービスも含めて、大のお気に入り店としてつねに歌舞伎とセットになっていた。

 その「真魚」がホテル西洋銀座クローズに伴い、閉店するという。ホテルの中にあるのだから、仕方のないこととはいえ、車寄せにいつも待機しているホテルスタッフや支配人とも親しくなり、居心地のいい空間を堪能していただけに、これからどうしようという戸惑いがあった。

 今日で終わりというその日、海老さまの公演もあり、終演後最後の「真魚」を訪れた。すでに、近所の銀座一丁目に新しい店を出すことは決まってはいたが、それでも慣れ親しんだ店がクローズするというのは切ないものである。最後の鮨を堪能し、三千盛をしこたま飲み、後ろ髪を引かれながら店を後にした。

 それから何ヶ月かして新たにオープンしたのが「一柳」である。店の場所と内装が少し変わったことをのぞけば、何も変わらない。

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 さて、名物つまみ攻撃だ。まずはのれそれ。つるつるっと爽やか。氷見のぶりのこの脂を見よ。わさびをたっぷり乗せそのままでいただく。ぷっくりと豊かな牡蠣は炙って。鳥貝も絶品の甘さ。この日は珍しくイカが出た。そしてヨコワ。蒸しアワビはいつ食べても安定した旨さ。こんな大きなサイズである。(つい大きさ比較で煙草の箱を追いてしまう)大好きな鱈の白子焼き。三千盛が進む。車海老。平ら貝も軽く炙って。海老のアタマがやってきた。ガリガリ丸ごと食べる。そして真打ち、鮟鱇の肝。流通がよくなったおかげで、ほぼ一年を通してあるのでアンキモ好きにはこたえられない。ひらめの縁側。ポン酢でいただく。本日の焼き魚は金目鯛。上品な脂がのっている。全14品。ああ、もうおなかぽんぽんかも。と言いながら、握りも少々。

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 まぐろ三連発。この日は撮り忘れてしまったが、赤身のづけ、中トロ、大トロのめくるめく競演。アジ、さより、ウニ、煮蛤も充実。そして絶対に欠かせない穴子は蒸しと焼きの両方を楽しむ。大満足である。毛づくろいしたくなるほどの心地である。

 にゃむ、にゃむ。

2014-10-05 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

福島2番街「Giulio」

 ある日「あきません、記録が破られましたわ〜」と一通のメール。

 記録とは、家の近所のイタリアンで私が食べた金額の記録である。はじめて訪ねたときさんざん頼んで食べまくり、お勘定のときにシェフから「ひとりでこんだけ食べてもろうたんははじめてですわ」と言われ、調子者かついちびりの私はすっかり悦に入ってしまったのである。なのに、それを上回る強者が現れたのだという。そのメールをもらった日の夜、さっそく記録を奪い返しに行ったのは言うまでもない。

 みなちゃん(BENちゃんが実は正しい)と私が呼んでいたそのシェフは、私が料理を夢中でたべていると必ず「おいしい?」と聞いてくる。そこで必ず「なんで、こんなにおいしいの〜」と答えないといけないのだ。なぜなら、その後必ず彼は「そりゃあ、愛情こもってますから〜」と続けるお約束になっていたのだ。この馬鹿げた愛すべき儀式を、毎度毎度やれるものだとすっかり安心していたら、残念ながら店をやめるという。え〜。

 その後みなちゃんは三宮や御影で新しい店を出したりシェフを続けていたが、あるときから音信不通になった。もうあの味やあの儀式を楽しむことはできないのかとひそかに悲しんでいた。ところがフェイスブックのおかげで、今は大阪福島でイタリアンをやっていることがわかったのだ。

 ある日、突然にそのことを思い出し、衝動的に店を訪ねた。7年ぶりである。

 少しだけふっくらと大きくなったみなちゃんが、満面の笑みでカウンターの中から出迎えてくれた。店は初めてでも、シェフが知り合いだと、くつろぎ度が違う。

 さてと。何から注文しようか。

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 まわりの人がなんだかおいしそうなものをパンにつけて食べている。それ何?と聞くと、たまねぎをとろとろになるまで炒めたペーストだという。さっそくそれをバゲットの上に載せる。う、旨い。そして茄子ときのこの炒めたの。ガーリックがほどよく利いている。本日の鮮魚のカルパッチョ。鯛である。そしてひらめのソテー。これにもたっぷりのきのこのガーリック炒めが載っている。ワインがガンガン進んでしまうのと、どうしてもみなちゃんの顔を見るとたくさん食べて期待に応えなければ、という悪い習慣を思い出す。ここまででもけっこうお腹いっぱい。だけど、やっぱりみなちゃんのパスタは食べなきゃ。で、アマトリチャーナを注文。

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 ガラガラガラ。カウンターの向こうの厨房でフライパンを振る音に聞き覚えがある。フライパンの底と五徳が当たる独特の音だが、とても懐かしい。昔よく聞いたみなちゃんのフライパンの音である。あの六甲の店にいるような気がしてきた。店や場所が変わっても、料理人のちょっとしたしぐさや調理の段取り、立てる音というのは変わらないもんだ。変わらないものが、ここにもある。なんだか、とても、とても、うれしくなる。

 もちろんパスタの味も硬さも昔と同じ、かなりハードなアルデンテ。前の店のときも、もう少し柔らかくならないのという要望が多かったにもかかわらず、頑として曲げずこの硬さを通してきたみなちゃんの流儀だ。夢中になって食べていると、カウンターの向こうからみなちゃんが、にやにやしながら近づいてきた。

 「おいしい?」
 「おいしいよ〜懐かしい味やわ〜なんで、こんなにおいしいの〜」

 「そりゃあ、愛情こもってますから〜」

 みなちゃんには、いつまでも彼なりの流儀をくずさず、頑張っていってほしい。

2014-10-04 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

石屋川の鉄板焼「里味」

 大昔、アメリカに住む友人と彼女の高校時代の友人何人かでこの店を訪れたとき、彼女は「なんで日本って何でもおいしいの」とため息をつきながら「美味しすぎる、お皿なめていい?」と全員の取り皿に残っているソースを本当にきれいになめた。うーん、ちょっとお行儀は悪いのだけど、彼女がそうしたかったことはとてもよくわかる。ここはそういう店なのである。

 いちおう、鉄板焼きの店である。だが、普通の鉄板焼きではない。

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 たとえば、海鮮野菜を注文すると、アルミホイルで四角い鍋をつくってくれ、そこに透明のスープを入れてくれる。新鮮な海鮮とたくさんの野菜は大皿に。鉄板の上でつくる簡易鍋なのであるが、これがめっぽう旨いのだ。スープをちゃんととっておくと、後でおじやもつくってくれる(らしい)。地鶏の盛り合わせを注文すると、七輪に炭をおこしその上に金網をのせてくれる。新鮮な鶏のいろんな部位は大皿に。これを好きなように焼くのである。もちろん神戸牛のステーキもあるし、冬の定番としては白子焼きというのもあり、これはメニューにある限り絶対に注文する私のお気に入りである。外はカリカリ、中身はとろとろの白子のムニエルで、たっぷりの白髪葱と青葱がトッピングされている。カウンターには大きな鉄板。だけどカウンターの奥にはもうひとつ小さな鉄板があり、スペシャルな技のいる料理は大将がそこでつくってくれる。その鉄板から繰り出される料理の数々が、あまりにクリエイティブでいつも驚かされるのである。鉄板の横には、古い怪しげな甕があり、そこにどうやら秘密がありそうなのだ。中に入っているのは察するところ秘伝のたれのようなもの。長年継ぎ足して使っているという老舗の鰻屋的なあれだ。聞いたことはないが、たぶんそうとうこだわって作っているのではないか。

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 今回は、まず地鶏の刺身を注文。新鮮であるのはもちろんだが、特製たれやオイルでいただくその味は奥深い。部位による味や食感の違いも、口に入れた瞬間にくっきりと立ち上がってくる。神戸牛のステーキは、たっぷりの野菜と一緒に供される。上質の肉ならではの甘みと旨味を味わいながら、神戸に住んでいる幸せを噛みしめる。そして定番の白子。あいかわらず蕩けるような食感である。続いていつも〆に注文する二品。和牛のスジが入ったネギ焼きと山かけ焼きそば。どちらにも例の甕に入ったたれがたっぷりと使われる。ほかにも食べてみたいお好み焼きやおそばはあるのだが、悩んだ末、結局いつもこの二品は外せずこれ以外を食べたことがないのだが、充分に満足する。

 私は、お好み焼きに詳しくないし、そんなにしょっちゅう食べないので、あまり評論する立場にないが、神戸生まれ神戸育ちによると、ここのお好み焼きは慣れ親しんだ神戸の下町タイプなのだそうだ。どうやら独特のねっとりと柔らかな食感がその典型的な味わいであるらしく、彼に言わせると大阪の縁が切り立ったホットケーキのようなお好み焼きなんぞ食べられたもんではないのだそうだ。天皇バー(29夜参照)でもときに地元で生まれ育った人たちのあいだでお好み焼き談義になることがあり、「やっぱりお好み焼きは、縁が流れているものでないと」とか、「だいたい生地に卵入れること自体邪道や。俺生まれてこのかた、卵入れてくれなど一回も言うたことないわ」などなど、それはもうかまびすしい。みなさん大阪のお好み焼きに対して敵意むき出しで面白いったらありゃしないのだ。この感覚はわからないでもない。うどんのコシやだしの話をさせれば、私も大阪うどんに対してはきっとそれくらいのことは言うだろう(笑)。ただ、お好み焼きに対しては門外漢なのでただただ興味深く聞いているだけであるが。

 私にとってはあのふっくらとした大阪のお好み焼きも悪くはないのだけど、ここのを食べ慣れるとこの食感に夢中になるのはたしかである。いわゆる昔ながらの神戸の下町のお好み焼き。ねっとり、とろとろで、縁が流れたお好み焼き。

 どうです?一度食べたくなってきたでしょ?

 ただし。ここはあくまでも鉄板焼きのお店。聞くところによると、大将はお好み焼き屋とは呼んでほしくないそうである。(と、聞いたことがある)

2014-10-03 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

由比缶詰所の「ツナ缶」

 飛行機に乗る楽しみのひとつが機内誌を読むことだ。JALの「SKYWARD」、全日空の「翼の王国」どちらも編集、デザイン、執筆陣ともに優劣つけがたいクオリティがある。アートディレクターでありエディトリアルデザイナーでもある木村裕治氏の大ファンなので、かつては「翼の王国」を定期購読していた。バックナンバーは今も会社の本棚の奥にちゃんとキープしてある。有名なところでは「ミセス」「和楽」そして朝日新聞の日曜版に挟み込まれている「GLOBE」も木村さんの手になる。そんな理由で「翼の王国」ばかりを読んでいたのだが、メイン航空会社をJALにするようになってから岡本一宣さんアートディレクションの「SKYWARD」も読むようになった。岡本一宣さんも敬愛するアートディレクターであり、彼の赤本、黄本は私のデザインバイブルでもある。

  その「SKYWARD」(今はこちらも担当アートディレクターは変わっているようだ)を、正月NYから帰ってくる飛行機のなかで読んでいてすごく気になる記事に出会った。「旅するパン名人の贅沢サンド」という連載ものである。パン名人という松野玲子さんが毎回おいしいサンドイッチを紹介するというシリーズらしいのだが、この記事で紹介されている由比缶詰所のツナ缶に釘付けになったのである。

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 静岡県中部は知る人ぞ知るツナ缶の里で、国産ツナの9割をまかなう生産地なのだそうだ。知らんかった。そして由比缶詰所は、普段は委託製造でツナ缶を作っているらしいのだが、月に数日だけ自社ブランド「ホワイトシップ」のツナ缶を作っているという。その味は「一度食べたらやめられない」のだそうだ。本当にやめられなくなるかどうか、これは自分の舌で試さなくてはならないという気になってきた。

 日本に帰ってしばらくツナ缶のことは忘れていたのだが、深夜にパスタをつくろうと思い立ち、ナショナルブランドのツナ缶を手にした瞬間に由比缶詰所のことを思い出した。早速ネットで調べる。トップ画面に出てくるのは港町、由比の地元の人たちだろうか。おばあちゃん、漁師らしきおじさん、子供たち、ご近所のみなさんの素朴で、飾りけのない笑顔がそこにあった。失われつつある地元の匂いのようなもの、そんな郷愁に満ちたホームページ。たちまちハートをわしづかみにされ、ウェブショップに行く。

 由比缶詰所のこだわりは三つある。まずは、最高級の原料。鮮度のよい上質な夏びん長マグロ、その脂ののりのよい春から夏にかけて獲れたものだけを使うのだという。二つ目には質の高い綿実油とオリーブ油を使っていること。三つ目はじっくりと熟成させていること。まぐろの油漬けは熟成させるほど油となじんでまろやかさと風味が増すらしい。由比缶詰所では、製造後半年は出荷せず味わいが深まるまでじっくり寝かせて熟成させるのだそうだ。

  缶詰の賞味期限は三年と長い。大量に注文しても大丈夫だ。大型缶のツナ2号(200g)のファンシー缶を24缶。ギフトセットA(ファンシーとフレークの詰め合わせ15缶入り)。そしてレトルトパウチまぐろ水煮(100g入り×5袋)をまとめて注文した。

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 届いたその日の深夜、さっそくファンシーを一缶使ってパスタを作った。オリーブオイルをいつもの半分にして、缶の綿実油も全部入れる。フライパンの中でぱちぱちと綿実油の爆ぜる音がする。ビーターでツナのかたまりを適当につぶす。具は茄子とズッキーニ、そしてツナ。仕上げはトマトソース。わくわくしながら口に運んだ。旨い!ゴロゴロとしたツナのかたまりが存在をしっかりと主張している。自分で適当につくる深夜のパスタの出来としては、近頃の出色である。ツナ缶ひとつでこうも変わるものなのかと感嘆。シンプルにスライスたまねぎと一緒にレモンを搾る。ガーリックトーストにのせる。最新のFacebookでは、そうめんつゆにツナを入れるアイデアも紹介されていた。家ではめったにつくらないが、いろいろな応用を楽しみたいと思った。何より、保存がきくというのも今の時代には合っていると思う。なわけで、由比缶詰所のツナ缶は我が家のパントリーのレギュラーとなったのである。

由比缶詰所のツナ缶を買う

2014-10-02 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

南森町「すし芳」

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 会社を設立した頃であるからもう17年も前である。有名なグルメ評論家が関西で江戸前の鮨が食べられるとして絶賛していたのがこちらである。会社の近所なので早速でかけ、気に入ったので10日ぐらいのあいだに3回もでかけた。3回目にはあまりに気持ちよく酔っ払ってしまい、当時会社で捕獲していた子猫を酔った勢いで家に連れ帰ってしまった。その猫は我が家の二匹目となり、三年ほど前に天寿をまっとうした。何かと因縁のある鮨屋でもあるのだ。それからは、時折思い出してはぽつぽつ行くという関係がずーっと続いている。だけど、行くたびに前とは違う新鮮な遊び心があるのでいつも驚かされ、目が離せない。

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 久々の訪問である。最初に低温でゆっくり熱を入れた半生の白子。新鮮さが生きている。この低温調理、最近いろんなところで出合うが、分子料理につぐトレンドとなりつつあるようだ。化学の方法を使い、旨味と食感をキープするということか。だいだいを軽く絞るというのも新鮮である。こりこりのヒラメの薄造りは九条ネギと。酒は磐城の寿という純米酒でスタートし、静岡の正雪。そうこうしているうちに大将がかつおの切り身を持ち、店の外へと向かう。店の前でかつおを藁でいぶすのである。

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 大阪市北区。堀川戎へと続く参道でもあり公道でもある町中で堂々と七輪で炭を熾し、煙もうもうするのである。なかなかシュールな光景である。(この作業、今やこの店の名物となっている。今回はじめて大将の後を追い、いぶす作業を見学した)それにしても、いぶしたてのかつおのたたきは絶品である。藁の香りがほどよく乗った脂にまとわりつき、口中に入れるやいなや蕩けていく。その香ばしさはずーっと後を引く。いつまでも余韻にひたっていたいが、すぐさま車海老が出る。向こう側の笹の中にも車海老の鮨が入っている。ひとつの素材で調理法を変えたり、産地別に出したりと、二種類のプレゼンテーションをするのがここの真骨頂。刻んだハラペーニョを乗せた牡蠣が出されたかと思うと、はい手を出してと言われ手のひらを差し出すとツメを塗った牡蠣の鮨がのせられるといった具合。カウンターとそこに座る人を立体的な舞台に見立て、縦横無尽なアイデアをめぐらせる。そのパフォーマンスがいつやってくるかわからないので、毎回どんな手を使うのかと期待する楽しさがあり、まったくもって愉快ったらありゃしないのである。

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 本日の真打ちは生のクロマグロ。山口県仙崎で穫れた126キロ級だ。これはもう素材そのもののストレート勝負。ねっとり旨く、まったり口中にまとわりつく。赤身は小気味良い血の味がする。血気盛んに勢いよく泳いでいた生きのよい一尾だったのだろうと想像する。酒は備後の天寶、出雲の天穏。ほたるいかのジュレがけの後、再びほたるいかを串にさし炙ったのが出る。酒がどんどん進んで、赤貝のサラダ仕立てと貝柱のリンゴ和えを秋田のまんさくの花で楽しむ。そして炙った貝柱を海苔で無造作にくるんだ手巻き鮨。赤貝のひもと胡瓜の細巻。ここで炙った鯖の登場である。続いて鯖の押し鮨。これはここでは初めて食べたが、脂ののり具合に痺れ、唸るしかない旨さである。最後は、生のマグロのトロ鉄火。ほとんどマグロ巻きといった豪快さに圧倒され、その威勢のよい味わいにまたしても唸る。マグロと海苔はほんとうに相性抜群だなと思う。

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 かつて江戸前と絶賛された鮨は、もはや江戸前ではない。斬新な趣向と遊び心あふれる目くるめく前衛鮨だと私は思っている。大将の中ノ上さんは、うつわにもそうとうこだわりがあり、店には河井寛次郎の書や北大路魯山人のうつわなども飾られている。日本酒の銘柄が変わるたびに替えてくれるグラスは、どれもアンティークのバカラやサンルイ。鮨よし、うつわよし、で、すし芳か。良いではなく芳しいというネーミングが今やぴったり来る店になっている。

 総てヲ出ス 出し切ル オシミナク出ス

 カウンターに掲げている河井寛次郎の言葉どおりに、総てを惜しみなく出し切って日々変貌し続けている店である。

2014-10-01 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

天皇バーの「おでん」

 家の近所にある天皇バー。もう20年以上通っている。なんで天皇バーというのか。

それは、

じんむずいぜいあんねいいとくこうしょうこうあんこうれいこうげんかいかすじん・・・・・。

神武綏靖安寧懿徳孝昭孝安孝霊孝元開化崇神・・・はい、わかりますね。天皇初代からの諡名。これを最低でも10代以上入り口で言わないと入店できないというルールがあるからである。垂仁景行成務仲哀応神仁徳・・・いや、これは嘘(笑)。しかし、私はここのマスターによって、愛国思想に火をつけられ、古代史への飽くなき興味を持つようになったのである。天皇制という日本独特のシステムの意味を日々考えるようになったのである。もともと好きではあった。だが、この店によって、その好きが盤石の好きになったのである。

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 そのマスターが冬になるといろいろ仕込む。そのひとつがおでんなのである。定番は厚揚げ、こんにゃく、大根、玉子など。で、仕入れによってここに、和牛のすじ、豚足などが加わるのだ。最近はカマンベールチーズなどもある。このおでんが、またラガブーリンによく合うのである。おでんのキモといえるのがだしだと思うが、マスターのつくるだしは甘すぎず辛すぎず、薄すぎず濃ずぎない絶妙ともいえるバランスの上に成り立っている。私の気に入りは、玉子(これは外さない)、厚揚げ、大根(あるいはこんにゃく)、そしてすじというラインナップ。小腹がすいてきた夜12時頃。家に帰る前についついバーに上がる階段をトントントンと上がってしまう。まずはラガブーリン。そして、おでん。当然最後の汁までずずいとしっかり飲み干す。

 おでんを注文する客が少ないと、へんこのマスターはすぐに仕込むのをやめてしまうので、おでんのシーズン中常連は継続しておでんを味わうために、無理してでもおでんを食べるのである。

 おでんって、ほっとするよね。

2014-09-30 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

お気に入り「モレスク」

 この店に連れて来てくれたのは小学校の同級生K君である。昔からよく行っているくつろげる店だという。いっぺんで気に入ってしまった。食事がおいしいだけでなく、シャンパンやワインもグラスでいろいろ飲める。何より、食後そのままバータイムに突入できるほどウィスキーも充実している。私のお気に入りスコッチも置いてある。そのうえ煙草も吸える。申し分ない店なのである。二度目に訪れたとき、オーナーが私の顔を見るなりにやりと笑い、「ラガブーリン」をカウンターに置いてくれた瞬間にこの店の常連になろうと誓った。一度の来店で顔だけでなく好きな酒を憶えていてくれる。できるようでなかなかできないプロの接客だ。痺れる。以来、東京に何日か滞在するときは、必ず立ち寄る店になった。

 ここの素敵なところは、季節ごとに旬のものをうまく取り入れたメニュー構成と、お腹の具合に応じてハーフポーションにしてくれたり、何品か盛り合わせにしてくれたりと融通無碍な対応をしてくれるところである。

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 この日の入店は10時頃。あまり食べてはいけない時間帯に入ってはいるが、魅力的なメニューを黒板に発見してしまった。まずは、きのこのチーズオムレツ。しいたけとしめじにパルミジャーノがからんだとろとろの卵。視床下部を強烈に刺激し、次なる一品へと向かわせる悪魔のプレリュードである。次は大好きな冬のメニュー、オニオングラタンである。これは、例の軽井沢からニューヨークへとつながりまた白金へと戻ってきたあの味である。本当はここでストップすべきではあったが、白子のムニエルという文字をすでに発見してしまっているのでたまらず注文。「半分にしときましょう」と言われると、力なく「え〜」と言うしかないのだが、台にマッシュポテトを敷いてあり、表面をカリカリにソテーした白子がぷるぷると舌の上で震えるのである。卵、チーズ、白子の三重奏。〆にパスタなどの炭水化物を注文するのは、さすがの私もいかんと思いとどまった。

 ちゃんと食事をする時間帯に来ようといつも思うのだが、夜遅く来ても食事ができるのが魅力で、この店はこのところ夜遅めの食事をする場所になっている。

2014-09-29 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

やっちゃった「丸かぶり鮨」

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 陰謀というのは少し言い過ぎた(笑)。しかし、この恵方巻きという習慣、いつ頃から定着したのだろう。

 ウィキペディアによれば、平成10年にセブンイレブンが全国発売するにあたり「恵方巻き」とネーミングしたことで一気に広まったらしい。それまでは、「丸かぶり寿司」と普通に呼ばれていたのだという。たしかに20年ほど前から、スーパーや大衆的な鮨屋に貼られたポスターなどで、ひそかにキャンペーンは行われていた。が、もともと季節の風物というものでもなく、バレンタインデーと同じ感覚で仕込まれたイベントであろう。知ってはいたが、だからといって、試してみたことはなかった。

 ただし、丸かぶりというのはとても魅力的な行為である。丸かぶり。丸ごと。丸った食いというのに子供の頃から憧れてはいた。なにしろ、丸ごとものを食べるのはずっと禁じられてきた。お歳暮やお中元でいただいたカステラを親が切り分けるのを見ながら、ああ一本好きなだけ食べられたらどんなにいいだろうかとか、デコレーションケーキも一度丸ごと食べてみたいとどれほど思ったことか。だから、大学を卒業してひとり暮らしを始めたとき、よくやったのはケーキのホール食いである。当時はモロゾフのチーズケーキやアップルチーズケーキをよくホールで買った。スイカなども一個思い切りよく買ってきて半分に切ってスプーンですくう。アメリカのテレビドラマや映画でよく出てくるアイスクリームの大容量カップも何度か試してみた。懐かしのカステラ一本食いだってもちろんチャレンジ済みだ。だけど、巻き寿司だけは未経験だった。普通すでに切り分けられている。ホールの巻き寿司は家で巻かない限り、なかなか探せない。しかもそれを丸かぶりするのである。

 そのどちらかといえばお上品な行為を堂々とできる日がやってくるなんて。

 JR大阪駅のイカリスーパーに、その巻き寿司はあった。切っていない一本丸ごと。思わず手に取り会社に向かった。昼休み。ネットで今年の恵方を調べ、そちらを向いて巻き寿司にかぶりつく。食べ終わるまでしゃべってはいけないというルールがあるらしいのでこっそりとやる。だけど、誰も気づいてくれないし、面白くもなんともない。こんなのは、誰かと目配せしながら、笑いをこらえながらやるもんだよね。

2014-09-28 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

唐津「銀すし」

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 唐津でお鮨に行くのと言うと白金ビストロのオーナー福島さんが、「唐津なら銀ちゃん行かなきゃ」と言う。当たり。その銀鮨をちゃんと予約していたのであった。福島さんは博多の「吉富寿し」もよく知っていた。鮨の好みが合う。

 噂では、銀ちゃんとこはすべて中里隆のうつわで出され、鮨は鮨で独特の旨さがあるらしい。予約は正午。朝、博多を発って、宿に荷物を置いた足で、銀ちゃんの店近くまで来た。ところがその住所に赴くとこんなところにお鮨屋さんがあるの?といぶかるくらいの閑散さ。しかも少し早めの時間だったせいか、店の引き戸は押しても引いてもびくともしない。

 時間まで近所をうろうろすることに決め脇道に入り、諏訪神社というのを発見した。秀吉が朝鮮出兵のため名護屋城に向かう途中、戦勝祈願のため参拝した神社とも言われているらしい。ご祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)、諏訪前命(すわまえのみこと)。時間つぶしに立ち寄ったことを後悔するくらい立派なお社である。建御名方神といえば、軍神としてつとに有名であらせられる。しかもここの砂にはマムシ除けのご利益もあるらしい。しっかりとお参りしたのは言うまでもない。

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 よくよく考えてみれば目の前に広がるのは玄界灘。鮨好きにとっては対馬海流があるせいで良質の漁場であるという認識がある。が、それよりも何よりもかつてここから秀吉が、もっと古くは神功皇后が新羅出兵したというその海が横たわっているのである。対馬の先はもう朝鮮半島。実際にこの地に来てみると、玄界灘を擁する福岡から佐賀にかけての海岸エリアは、半島から見ると日本の正面玄関のような位置であることがよくわかる。見方を変えれば、ここが辺境だなんてとんでもない。むしろ、表玄関なのである。建御名方神からそんなことを連想しながら、ぶらぶらと散策する。境内ではもうすでに白梅がほころんでいた。

 やがて正午となったので、ゆるゆると「銀すし」に向かう。今度は引き戸はするりと開いた。中は白木がすがすがしい清冽な佇まいである。銀座や赤坂にありそうな高級感も漂っている。うーむ、このインテリアは侮れない。やがて女性がコートを預かってくれ、席へと誘ってくれる。この日はどうやら私ともう一組だけのようだった。しばらくして大将と呼ぶには若い雰囲気のご主人が登場。銀ちゃんである。

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 中里さんの端正な白いうつわで出されたのは、菜の花のおひたし。ビールを注いだ焼き締めも、日本酒を入れた片口もぐいのみももちろん中里さんの手になるもの。削いで削いだかたちに、力強い素朴さがみなぎっている。こんな酒器で毎日晩酌できたら、しあわせだな。なにより気持ちよく手になじむ。この日は魚が少ないらしく、つまみはなしですぐに握りが出された。二貫ずつ。握りは小ぶりで細身。そこへまとわりつくようにネタがかぶさっている。口に入れると、軽く、ほろりとほどけ、ネタとシャリが渾然一体となる不思議な食感。ネタの厚みとシャリの量、そして握るときの手加減がそうするのであろうか。うーん。なんとも味わい深く、やさしく、ほっこりとさせてくれる。口福とはまさしくこんな感覚ではあるまいか。銀ちゃんは少々シャイであると聞いてはいたが、うつわや魚の話を振ればちゃんと打ち解けてくれる。朴訥な風情でぽつりぽつりと語る銀ちゃんと、この不思議なまったりした鮨は相似形のような気がした。鮨は人なり。

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 噂では中里さんもこの店(彼に?)にぞっこんらしく、店で酔っぱらっては書を気まぐれに書いたり(カウンター正面に飾ってあった)、うつわを気前よくくれたりするのだそうだ。「うつわは料理を盛ってこそ完成する」と常々語っている中里さんだから、銀ちゃんとこはすぐにそれを具現できる実験室のような場所なのかもしれない。なんともうらやましい環境だが、それも彼の人柄ゆえのことだろうと思う。江戸前のスタイルをとってはいるが、使うネタはほとんどが地の魚。当然、アラやノドグロ、博多でも味わったマグロの小さいのが出てきた。銀ちゃんの握り。いっぺんでファンになる。

 聞けば、定休日には博多へ、東京へもちょくちょく出稼ぎに出るらしい。この鮨が東京で食べられるのはうれしいが、やはり本拠地であるここまで食べに来たいと思う鮨である。唐津。もう何回でも訪れたい土地になった。

2014-09-27 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

「洋々閣」でふぐ三昧

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 十年越しである。大昔、有田焼き取材という仕事があり月曜スタートという予定だった。それなら週末を利用して前乗りできる!とばかり洋々閣に予約を入れたが、取材が火曜日からとなったのであえなくキャンセルの憂き目にあった。それからも何度も唐津行きを目論むも、タイミングがなかなか合わなかった。今回、金曜日に博多に入れば、土曜日泊まって日曜余裕で再び博多入りができることに気づき、即メールで予約した。

 条件はなかなか厳しい。まず、この時期にお一人様対応をしてくれるかどうか。ふぐも通常はお二人様からであろう。ところが、お一人様OKといううれしい返事をいただいた。さらに、ひとりでふぐというのは難しいでしょうかと問うたところ、女将さんから「フグは普通はお二人からですが、その日は他にもフグご希望の方がありますので、ご用意いたしましょう」という太っ腹な返事をいただいた。何事も言ってみるものである。

 洋々閣があるのは東唐津。玄界灘をのぞむ唐津湾と松浦川にはさまれた細長い砂州の切っ先に位置し、対岸には唐津城、背後には名勝虹の松原が延々と続く絶好のロケーションである。創業は明治26年、120年の歴史を持つ。

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 外観はその歴史を物語るかのような堂々たる佇まいである。だが、決して居丈高な印象はない。むしろ、おおらかな質実さが滲み出ているような雰囲気がする。石畳が敷き詰められた玄関で案内を請うと、すぐに宿の人が出てき、部屋に案内してくれる。よく磨きこまれた木の廊下。歩くとみしりみしりと宿の歴史が鳴る。長い渡り廊下の下には池があり、鯉が泳いでいる。二階の部屋に通された。窓からは枝ぶりの見事な松が植わった素晴らしい庭が見下ろせる。ほっとひと息つくと、まだ誰も入っていないお風呂をどうぞと勧められた。檜の壁で黒御影の浴槽のお風呂はすがすがしく、誰もいないので少し泳いでみたりする。(余談だが、旅館や温泉では泳ぐ。何歳になっても泳いでしまう)風呂からあがり、浴衣姿で手入れの行き届いた庭を散策する。1600坪の敷地に松は100本近く植えられているそうだ。

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 やがて時分どきになる。いよいよふぐ尽くしである。部屋で腕組みしつつお大尽気取りで待っていると、仲居さんが「お待たせました」と料理を運んでくる。先付けのなんと美しいことか。そしててっさの厚みを見よ。これをひとり占めできるのである。日本酒は佐賀の地酒を選んだ。 すべてのうつわが中里隆さん、太亀さんの手になる。目にも彩な伊万里の色絵や赤絵にくらべると、唐津は質実剛健な武士のような佇まいと表現しようか。その魅力は、余剰を削いだ端正さにあると思う。八寸は潔い白磁の皿。てっさが盛られているのは柔らかな枇杷色になった粉引の皿。青竹の箸が添えられている。ふぐの皮は灰釉の皿に、唐揚げは絵唐津の皿に。どのうつわもふぐの力強さをぐぐっと引き立てている。ふぐは玄界灘の荒波を泳いでいた気の荒い連中である。歯ごたえも向こうっ気もとびきり強く、一筋縄ではいかない魅惑の弾力である。当然のように旨い。ひとりでいるのをいいことに、うはうは、はふはふ、むしゃむしゃ、ぱくぱく、ときどきがぶがぶ。やがててっちりの鍋と素材が運ばれてくるが、この時点でもうかなり満腹である。しかし、てっちりを平らげた後には、ぞうすいも待っているのだ。気を取り直しぞうすいへの準備をする。フィナーレのぞうすいは、仲居さんがだしに米を投入し火加減を調節しつつ、かき混ぜながらつくってくれる。ふぐの滋味をあますことなくはらんだ極上の和風リゾット。その美味なこと。ああ、あかん。全部、平らげてしもうた。

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 冬は、ふぐだけでなく、あら尽くしという名物もあるようだ。次回は、あら尽くし。いや、その前に春から秋にかけてはおこぜが絶品だと言う。一年を通して、魚好き、うつわ好きを惹き付けてやまないコンテンツが充実している洋々閣。しかも時期によっては本家本元の隆太窯より充実しているという隆太窯ギャラリーもある。中里隆さん、太亀さんだけでなく、お嬢さんの中里花さんの作品も展示販売されていた。あれもほしい、これもほしいで、久々に爆発したことは言うまでもない。十年待った甲斐があった。

2014-09-26 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

博多「ロイヤルボックス」

 こちらは、博多中州を代表する名門クラブである。女ひとりでへらへら行くところではない。これには理由がある。

 松岡正剛師匠が折につけ、博多に凄い伝説のママがいて、じゃんけん名人だと言う。絶対に負けないと言う。ママとじゃんけんしたさにみんな通うと言う。その上、「中州通信」という博多発信の情報誌を30年近く発行し続けてきた人だと言う。今も中州でリンドバーグという航空スナックとロイヤルボックスというクラブを経営していると言う。師匠が凄いと太鼓判を押すのだから、そのママは確かに凄いのだろう。いつか会えるといいなと思っていた。

 ところがである。昨年6月にそのママと師匠のトークセッションが博多で行われることとなったのである。好機である。何が何でも行かなければならないのである。タイトルは「書物の誘惑、女の魅力」である。

 そしてその日、とうとう私はかぶりつきでママの話を聞いたのである。粋な着物姿に博多弁。もうすっかり魅了されたのである。その日師匠はトークの第二部がありそれが終了した後ママから電話があり、みんなでママの店「リンドバーク」にお邪魔して実際にママとじゃんけんをする機会に恵まれたのである。素人にしては頑張って持ちこたえた方ではあるらしい。だが、二度挑んで、あえなく敗北した。以来、博多に行く機会があるなら、絶対にもう一度ママに逢いに行こうという野望を抱いていた。

 その好機が訪れた。吉富寿しの後、迷わず中州に向かったのは言うまでもない。

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 リンドバーグは正式には航空スタンドリンドバーグという。パイロットだった叔父上から受け継いだという店内は、飛行機の模型や木製のプロペラなどが飾られ、キャビンアテンダントの装いの女の子たちが迎えてくれる。が、この時間ママは隣のロイヤルボックスにいると言う。店の女の子になぜここに来たかを説明しながら、スコッチを飲んでいた。するとまもなくママから電話が入り、ロイヤルボックスの方においでと言う。女ひとりで行っても大丈夫ですかと訪ねると大丈夫だと言う。ならば行くまで。だが、さすがに中洲の有名クラブである。ボックス席は凄い活気である。が、左奥にカウンターがあるのでホッとする。シャンパンを飲みながらママを待つ。ついでに、リンドバーグの女の子たちが何度もフレンチトーストがとてもおいしいんですよ〜帝国ホテルのシェフもまいった味なんですよ〜一度食べてみて〜と何度も言っていたのを思い出し、カウンターのバーテンダーにその話をすると隣の厨房から出前できると言う。ならば、持って来てもらいましょう。ということで、噂のフレンチトーストを食したのである。

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 ふっくらと黄金色に輝くフレンチトースト。てっぺんにはパウダースノーのような粉砂糖がかかっている。ひと口食べて驚いた。しっとりと肌理の細かいなめらかさ。ほとんどプリンである。悪魔の味である。深夜というシチュエーションもその悪魔度を高めてくれたのである。いやあ、まいった。(ママには深夜にそんなもん食べたらいかんばいとお説教されました・・・)

追記

 ママ、ママと私が呼んでいるその人は藤堂和子ママという。日本一じゃんけんが強いことで知られているのはもちろんだが、私が注目するのは人を惹きつける力と人を見る目に並々ならぬ能力をお持ちであるというところである。同時に長年経営者としてたくさんの人を率いてこられたという点でも、卓越したリーダーシップが備わっている方でもある。できるものなら、半年くらいママのところで修行したいと思えるほどの吸引力なのである。もう大ファンである。考えてみれば博多に行くのと、東京に行くのとさほど時間は変わらないのだから、通いたいとは思うのだがなかなかままならない・・・・

アマゾンで藤堂和子ママの本を買う

2014-09-25 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

福岡「吉富寿し」

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 最高のファーストインプレッション。偶然が重なり、こちらを最初に訪れたときのことだ。四年前の夏だった。外観がそれとはわかりにくいのでさんざん探しあぐね、ようやく見つけて中に入った。物腰の柔らかなご主人が、「いらっしゃい。おなかすいたでしょ」とにこやかに微笑んだ。はじめての店ではこちらもそれなりに身構えており緊張感があるものだが、ご主人のこのひと言で気持ちがすーっと店になじんだことはよく覚えている。

 古民家を少しずつ改築、改装し、古い建具なども効果的に使い、趣味の世界をしつらえている。数寄者の離れを訪れたような独特の佇まいは、私の数寄ともかなり一致する。その空間に古伊万里や唐津、李朝の壷や皿だけでなく、パリの蚤の市で買ったというデルフト風の白い皿などをミックスさせた感覚は、そうとうなうつわ数寄であると見た。鮨は玄界灘や対馬沖でとれた魚にほどよく仕事をした独特のもので、「美味しいですね」と言うと「博多前ですからね」と誇らしげな表情。

 博多前。その言葉はマジックワードのように私の記憶に刻まれた。

 江戸前とは、文字通り江戸の前にある湾でとれた魚介類を使うことを指す。本来は漁場を示す言葉であったというから、博多前という言い方は間違っていない。博多前、大坂前、兵庫前、加賀前、讃岐前、備前前・・・・。全部正解だ。むしろ、そういった名称を冠すれば、その土地で昔から親しまれている魚の種類や食し方も際立つし、その土地なりの豊かな色が出るのにと思ったぐらいである。

 今回は久々にその博多前である。鮨はもちろんだがあの柔和なご主人にももう一度逢いたい。ところが長いあいだ、博多を訪れても夜食事をする機会が見つからなかった。今回、日曜の夜の松岡師匠の講演会に行くと決めたとき、週末だしどうせなら金曜から行けば吉富に行けるということに気づき、決行することとした。

 四年のブランクがある。だけど、店に入ったとたん、ああこの空間だったな、と確かに思う。懐かしいような妙に落ち着くような居心地のいい空間は健在である。前と同じカウンターのいちばん右端に座る。余談だが、鮨屋ではカウンターの端っこが大好きである。

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 突き出しに出たのはふぐの煮こごり。むっちりしたゲルの中に強靭な歯ごたえの皮が潜んでいる。そのタフな感じはさすがに九州に来たという実感があり、にやり、とする。続いて、焼き穴子、鮟鱇の肝。たこのやわらか煮。どれもていねいかつ繊細な仕事がしてあり、ご主人と同じような優しい空気をまとっている。酒もぐいぐい。ここで、もう一度ふぐの煮こごりを所望するも、すでに売り切れ。こういうの無粋なんだよな、きっと。でもそのかわりに出してくれたのは、よこわ。厳密に言うとつばすとよこわの間くらいの大きさで玄界灘でとれるのだという。ういういしい脂の乗りかたはさすがに近海もの。刻んだ大葉との相性もよろし。またしても酒が進む。そうこうしているとあたたかな一品が出された。そろそろ握りのタイミングである。

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 前回来たときは夏だったが、今回は豊穣の冬。のどぐろの炙りとふぐ、そしてアラが一緒に食べられるのは北九州エリア以外ではきっとかなわない。アラを食するのは今回がはじめてだったが、こりっと淡白なのに噛み締めるとじんわり滋味がある。同じような魚にクエというのがおり、よくクエとアラは同じであるという人もいるが、厳密には別の魚であるらしい。初心者の私は、まだクエもアラも味の差異はよくわからないが、荒々しい玄界灘で培われたであろうアラの手強い身の締まり具合が瀬戸内海の鯛のそれとはまったく別物であることはわかる。どうや、食べてみ。食べるからには、ちゃんと噛みしめなあかんで。そうアラが挑んでくる感じ。頑健な歯を持っていてよかったとつくづく思った夜である。

 さすがの博多前。今回もいろいろ勉強させてもらった。それにしても、やっぱり関西やお江戸で食べられないネタがあるから、いろんなところで鮨に行くのはやめられないのである。

2014-09-24 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

浅草喫茶「アンヂェラス」

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 年に一二回ほど浅草公会堂に歌舞伎を観に行くことがある。その道すがら、ずーっと気になっていた店があった。洋菓子喫茶「アンヂェラス」である。レトロな店構えと、チに点々という仮名遣いで、古くからやっている店であることがわかる。店の名前がついた小さなロールケーキは、雑誌でも何度か目にしたことがあるし、かの池波正太郎や太宰治、川端康成などの文豪も通ったと聞く。一度くらいは食べてみたくなる。

 一人だったのですんなりと三階席に案内された。一階のショウケースで目移りしたが、食べるのはやはりそのロールケーキにした。ホワイトチョコレートをコーティングした「白アンヂェラス」と、ダークチョコレートの「黒アンヂェラス」がありどちらにするかでも迷ったが、黒にした。ココア生地のスポンジにバタークリームが挟まれている。バタークリーム!ちょっともったりしていて、口どけが独特なあの感じ。なんと懐かしい味だろう。子供の頃のデコレーションケーキといえば、たいていはバタークリームを使っていたものだった。その後生クリームの出現ですっかり忘れられた存在になってしまったが、たしかに我々世代はこの味で育ったのだ。今となっては特別に美味しいものでもないが、逆に今ならこれでじゅうぶん事足りる。

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 むしろ、最近の洋菓子がリッチすぎるのだ。今や職人がパリで修行するのは珍しくも何ともないし、贅沢な素材にこだわるのもあたりまえという状況がある。どこそこの放し飼いの鶏のたまごだとか、おフランスの高級バターとか、有名牧場の搾りたて牛乳とか。ケーキ職人はいつしかパティシエと呼ばれるようになり、本場顔負けの技術と厳選された素材でつくられたケーキは気取った名前をつけられ、宝石のように美しくショウケースに鎮座する。たまに食べるとその美味しさに感動はするけれど、なんだか最近ツーマッチな感じになってきているのも事実である。味が濃厚すぎるし、何より高カロリーでもある。食事そのものが高カロリー化しているのに、あのリッチなケーキたちを心から美味しいと味わって食べる時間など日常生活のどこにもないのだ。食べてしまうと食事が美味しくなくなるというアンビバレンツ。

 黒アンヂェラスを食べたとき妙にほっとしてしまったのは、そういうことだ。サイズも小ぶりで、くどくなく、そのうえ思い出のバタークリームの風味。懐古趣味ではない。洋菓子はもしかすると、本来のデザートという立場を超え単独で進化しすぎてしまったのかもしれない。そんなことをレトロで少し骨太なインテリアの中で思った。

2014-09-23 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

宮島岩惣の「会席料理」

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 松岡正剛師匠を塾長とするハイパー企業塾の合宿。最初案内を見たとき小躍りした。宿は宮島の岩惣である。創業は安政元年。道行く人の憩いの場としてもみじ川に橋をかけ渓流に茶屋をもうけたことから始まり、厳島神社に参拝する人々のために明治時代には旅館となったという。大正天皇や昭和天皇、今上陛下だけでなく、朝鮮李王世子殿下、英国コンノート殿下、愛新覚羅溥儀満州国皇帝などのやんごとない方々、明治には伊藤博文、西園寺公望、桂太郎、後藤新平、大隈重信などの錚々たる政治家や夏目漱石、森鴎外などの文学者、昭和になってからは山本五十六や吉川英治、岸信介、池波正太郎、はたまたヘレンケラーなども宿泊しているというではないか。まさしく老舗中の老舗である。宿の風情も周辺の景色も、そして何より夕食がとても楽しみになってきた。

 しかし、その考えは少々甘かった。
 
 宿に着き、旅装を解いて一服した後、大広間に集合すれば、それはそれは期待感満載の宴のしつらえである。ところが、ハイパー企業塾とネーミングされていることからもお分かりのように、食後には再び講義があるのである。当たり前といえば、当たり前ではあるのだが、酒は講義の後の夜の部までお預けとなったのである。がっくりとうなだれる。恨めしそうに師匠の方に視線を送るが遠すぎて気づいてももらえぬ。わかっている。よくわかっている。遊びに来ているわけではないのだから。夜の部にはしこたま飲める。ちょっと順番が違うだけ。うん、うん。と自分で自分に何度も言い聞かす。

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 それにしても、さすがに広島である。さわらの造りや穴子の白焼き、山盛りになった焼き牡蠣など、瀬戸内海の幸がズラリと並んでいる。宿の料理長による本格懐石はさすがというべきレベルで、たしかにここに酒があったらなし崩し的に杯が進んでれろれろになってしまうことは一目瞭然である。気を取り直し、“おちゃけ”で誤魔化しつつ、久しぶりに食事そのものを楽しんだ。不思議なもので酒がないと、造りも天ぷらもそのまま単独で食べるというよりは、やはりかたわらにはごはんが欲しくなる。醗酵させた酒であれ、炊いたものであれ、和食にはやっぱり米が合うということか。カタチを巧妙に変えた同じ素材が、食のオープニングとフィナーレを分担している面白さ。

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 素面でみっちり講義をこなした後、今度は離れである「錦楓亭」に場を移し夜咄が始まった。外は雪がちらつきはじめた。よい風情である。食事のとき飲まずにいい子にしていたご褒美だろうか。大好きな「獺祭」が供された。山口の隣の県だけのことはある。ひとりでうはうはしながら、部屋が暗いのをいいことに、茶碗にどぼどぼ注いでぐいぐい飲む。しかし、やっぱり私にとっては日本酒は食前酒であり食中酒である。食後に飲むと少々勝手が違う。

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 酒やごはんほど、食べるアトサキ(順番)が嗜好によって分かれるものもない。別に厳然とした飲み方、食べ方のルールがあるわけではないから、家族構成や家族の嗜好によって好みはまちまちだと思う。私はどちらかといえば、おかずを楽しみながら飲みたいタイプ。そして最後はごはんでシメる。人によっては、ごはんを食べながらでも酒が飲めるという人もいるし、酒を飲んでいるときはまったくごはんを食べないという人もいる。一方で酒を飲まない人は、最初からごはんがないとおかずが食べられないという。

 作法に縛られる茶懐石では、最初の飯(だいたいひと口)と汁が終わるやいなや、向付を食するためにすぐさま酒が供される。酒は三献といって、向付、焼き物、八寸それぞれに対応して出される。最後にはもういちど飯と香の物で茶漬けにするのが一般的だ。ごはんは最初、その後酒が振る舞われる。逆に会席料理は、出発点からして饗応料理であるため、酒は先付けとセットのように出される。こちらは最後にごはんが出てくる。かように同じ和食の世界でも、どういったシチュエーションかによって酒とごはんのアトサキが変わっていくというのがなかなか面白いと思う。それにしても今回のアトサキは、やっぱりそうとうにハイパーだった。

2014-09-22 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

広島のバー「KAWASAKI」

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 広電にすっかりハマってしまい、鮨「もち月」を出た後も迷わず舟入町から広電に乗った。とりあえず繁華街に行ってどっか良さそなバーでも見つけ、2〜3杯飲んで帰りたい。十日市町で広島市の中心部を走る電車に乗り換え、胡町というところで降りた。土地鑑はまったくない。目の前に広島三越があったので何となくこのへんかなという直感である。新天地というところから一本東に入るとそこは流川というエリア。風俗店や風俗案内所が多く、あまり女ひとりでふらふらするところではないと気づいた。だが、友人が広島へ行くならここのお好み焼きがおいしいよと教えてくれた「八昌」を見に行く。鮨をたらふく食べた後なのでもう入るわけはないのだが、マーキング体質というのかとりあえず店をチェックしに行かずにはいられない。

 それにしても流川というエリアはかなり妖しい。後で知ったのだが、ここは中国地方随一の歓楽街なのだそうだ。奇しくも広島を訪れる直前にWOWOWで「仁義なき戦い」を延々放映しており、何本か観たせいで脳裏にはあのテーマソングが鳴り響いており、無意識に肩で風切って歩いている。すれ違う威勢のいい男性は皆菅原文太や松方弘樹に見えてしかたがないし、店先に立つ黒服は全員がヒットマンではないかとさえ思えてくる。ほっほほ。ワタクシは三代目・姐。など馬鹿げた妄想を楽しみながら、満席の「八昌」を外から物色し、この辺には感じのよいバーはないかもと思いながら歩いていると、薬研堀という通りに出た。薬研堀。聞いたことある名前だ。七味唐辛子・・・。

 そう、七味のことを薬研堀と言うのだった。反射的にうどんが食べたくなったが、ここは広島。粉モンを食するなら、やっぱりお好み焼きだろう。しかし、それはなんぼなんでも、さすがの私も今は無理じゃけん・・・。

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 その薬研堀を歩きながら、ふと左手を見やると、一箇所だけ雰囲気の違うレンガ造りのビルが佇んでおり、なにやら重厚な感じの扉がある。外にはKAWASAKIとだけ入った看板。むむ、ここは。もしかして。長年生きていろんな場所でへらへらしていると、何となく自分好みの店は直感でわかるようになっている。意を決して扉を開く。

 ビンゴ!

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 そこは、きわめてオーソドックスなバーなのであった。カウンターに入っているマスターも、すこぶるつきの正統派バーテンダー。店内は重厚なオーク調でまとめられてい、中国磁器のランプなどもさりげなく置かれた空間は、外が薬研堀であることを忘れさせるほどのクラシックな別世界。しかもスコッチの品揃えも充実している。愛酒ラガヴーリンもある。もちろん煙草も吸わせてくれる。

 「どちらからおいでですか」と問われ、神戸から来たと答えると、昔の神戸のバーの名前が出るわ出るわ。「ルル」「YANAGASE」「アカデミー」・・・。かつて何度も訪れたことがあるのだそうだ。「ルル」はたまたま経営されていた方が飲み友達の叔父様にあたるとかで昔からよく地元のバーで話題に上った店。「ルル」が店仕舞いしたときたくさんストックしてあった年代物ウィスキーの何本かは、その飲み友達の縁で私のよく行く近所のバーにある。レアな一品として、サントリーが税金をある一定額収めたときの記念すべき年につくったオリジナルウィスキーがあったことを思い出す。そのボトルには佐治敬三さんの直筆サインが入っていて、私もひとくちだけお相伴にあずかったことがある。「YANAGASE」も「アカデミー」も、今もたぶん(長年行ったことはないが)現役のバーのはずである。

 そんな神戸のバーの話で盛り上がり、気持よく杯を重ねた。後で仕事でよく広島に行くという友人にここの話をすると、彼は「二軒目は我々もKAWASAKIが定番じゃけん」だって。それなら、最初から聞いとくんだった。いや、そうではない。妖しげな薬研堀をさんざんうろついた挙句に自力で発見したという、その道行こそを大事にすべきなのだ。

2014-09-21 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

広島鮨「もち月」

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 鮨(と歌舞伎とシャンパン)のために働いている。

 土日と松岡正剛師匠のハイパー企業塾の合宿があるので、前乗りである。広島に行くのは子供のとき以来である。ひとりである。鮨を食べなければいけない。ネットで探す。すると何軒か、これはという店が出てきた。長年の経験上、なんとなく旨い店は匂いでわかるようになっている。よし、ここに決めた。予約する。9時閉店となると7時には入店しなければいけない。会社を少し早めに出て新幹線に乗る。

 グーグル地図によると、その店は広島の繁華街からは少し離れている。駅前のホテルに荷物だけ置き広島駅から在来線に乗り換え、横川という駅で降りた。グーグルで見ると最寄りまで市電が出ているらしい。横川の駅を出ると、広電の横川駅がすぐ目の前にあった。出発寸前の電車に飛び乗ったが、どうやってお金を払うのかがわからずに少々パニックになるのが我ながら可笑しい。しかし、市電は妙に楽しく、まったく知らない街を探検している気分になれる。これぞ格好のヴィークルだ。

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 舟入町というところで降りる。目的の店「もち月」は歩いてすぐ。店に入ると、地元の常連客でぎっしり。アウェイ感満々の雰囲気で、闘志がわいてくる。日本酒は地元の賀茂鶴の純米吟醸。少々甘口だが、その土地に行けばその土地に従うというのが作法である。むしろ、こんな酒で鮨を食べるのだなという発見があるので大歓迎だ。大将が握っているカウンターの後ろには、片岡球子の富士山の絵。「お好きなんですか」と問うと、お客さんにいただいたとの声。だけど、ちょっとしたこういうものがカンバセーションピースとなってくれる。肝心の鮨は、やはり広島でしか食べられないネタが秀逸である。たとえば、穴子、たこ、牡蠣、そして驚いたのは鰆である。せいぜい岡山、児島、高松くらいでしか食べられないものと思っていたが、さすがに瀬戸内海は地続きである。広島にもあるのだ。軽く炙ったそれは、紛れもなく私の大好きな鰆であった。一通りネタが出尽くしたところで、今一度穴子と鰆を追加したのは言うまでもない。

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 カウンターでは広島弁が飛び交い、なにやら人生相談も始まっている。が、その妙に深刻な内容も広島弁で語られると、2時間サスペンスのドラマのようで面白くもあり、哀しくもあり。それを肴にまた一杯。これだから知らない土地の鮨屋に行くのはやめられない。

2014-09-20 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

芦屋の料理屋「仁」

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 もう十年以上になるだろうか。出不精の親友と誕生日ディナーなる習慣をつくっている。彼女の誕生月が12月、私が1月で近いこともあって、要は年末と年始の誕生日に近い日に食事会を強制的にやっている。ここのところ圧倒的に鮨か和食に行くことが多い。夙川、芦屋あたりで良い店を探すと言う意味もある。5、6年前に連れて行ってもらった店は星をとり移転して今や予約が取りにくい店になったし、今はなくなってしまった山の手の料亭にいた人がやっているという店にも連れて行ってもらった。阪急だけでなく、JRにも阪神沿線にも名店は多い。

 今回は阪急芦屋川。阪急の線路を北へくぐり、西へ曲がると昔からの古い商店街がある。和菓子屋さんやお好み焼き屋さん、揚げたてコロッケを売っているお肉屋さんなどが点在する生活に密着した庶民的なエリアである。正式には芦屋山手サンモール商店街という。ここが最近、オーガニック系のカフェとか雑貨屋さんとかがぽつぽつとでき始め、活気づいているらしい。夜なのでその片鱗は感じられなかったが、昔ながらの商店街が若いオーナーによって復活するというのはうれしいことである。

 そのサンモール商店街から一本路地を山側に上がってすぐ右にその店はある。うん、ここはきっと旨いだろうと思える店構え。中に入ると正面にカウンター。左手には大きなテーブル。地元の人たちであろうわりと年配のグループが盛り上がっている。カウンターにも中年のカップル。客層が大人ということは、当然料理への期待が高まる。

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 まずは純米吟醸の「福袋」というめでたい名前の酒で乾杯。赤い酒器がめでたさを増幅してくれる。最初の二品はあったかなすり流しとあんかけ。これだけで一合が空いてしまい、お造りのために「鳳凰美田」を注文する。小林酒造のこの酒は最近注目しているひとつである。鯛もひらめも「いかって」おり、これでまた鳳凰美田が進む。たこの柔らか煮も関西のテイスト。むにゅっとした歯ごたえがたまらない。焼き魚の上に盛られているのは、しんじょよりもっとエアリーな食感の山芋。こういうのチャレンジングでよいな。焦げ目がいやがおうにも食欲をそそる。「松の司」をたまらず注文。そしてメインは鴨ロース。中が半生になっている私好みの火の通し方。テンポよく出されるので、酒がうまい具合に進み、気持よくいただいた。

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 全体として端的にまとめられた上品な仕立て、という印象を受けた。けっして派手さはないが、どの皿もひと口いただくと真面目で誠実な仕事をしていることがわかる。使っているうつわや酒器にもなかなかのこだわりがある。流行り廃り関係なく地元で愛されるのは、こういう店ではないだろうか。コストパフォーマンスもなかなかよいらしい。

 こういったレベルの店が生活圏内にあるというのが、阪神間の強みである。海と山に挟まれた南北わずか7キロくらいの街に阪急、JR、阪神電車が平行して走っており、阪急沿線には住宅街の中にひっそりと、 JR沿線なら昔ながらの商店街の近くに、阪神沿線だと高架下のようなところにそれぞれのエリアの持ち味を活かした店が点在している。三つの路線を行き来するのは単純に南北を移動するだけなので、みんな状況に応じていろいろ使い分けているようだ。私も朝はJRで大阪まで出て(そのほうが早い)、帰りは阪急で帰るという悪い習慣(定期を持たないという)がついてしまっている。

 平日、芦屋で途中下車する機会はなかなかないが、和食も鮨もまだまだ知らない名店がこのエリアにはたくさんありそうだ。

2014-09-19 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

一柳の「新幹線にぎり」

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 鮨とシャンパンと歌舞伎のために働いている。とくに鮨と歌舞伎は私の場合、おおむねセットになっている。

 新橋演舞場で新春花形歌舞伎「寿三升景清」終演後、予定では今年の初銀座鮨に行きたかったのだが、翌日神戸で用事もあったし、終演が8時だったので、無理せず帰ることにした。こういうとき、銀座のお鮨やさんにテイクアウトを頼む。今まではちらし鮨だった。もちろん銀座の鮨屋だから、ただのちらし鮨ではない。最初、頼んだとき、ふたをあけると一面の黄と赤。たまごと海老がびっしりと敷き詰められてい、食べ始めてもっとびっくりした。たまごと海老だけかと思っていたら、中にはあなご、あわび、こはだがゴロゴロ入っているのである。ソー・ゴージャス。以来、中途半端な時間とか鮨に行くほどの気分でもないから今日は帰ろうか、てなときにテイクアウトするようになった。「新幹線チラシ」といえば、この店では通じる。

 で、この日はなんとなく握りが食べたくなった。

 そうだ、握りのテイクアウトもありやんか。なわけで、お初となった新幹線にぎり。ふたをとったとき、思わずおおうと声が出た。なんという美しい盛りつけ。握りの一貫一貫が葉欄の仕切りの中にお行儀よく鎮座していて、まるでショコラのアソートのようである。しっぽの長い海老を破調としてアクセントにしているあたりも心憎い盛りつけのセンスだ。もちろんお味の方も、カウンターで食べるのと遜色がない。これはちょっとハマるかも。価格は銀座価格。だけど、何で付加価値をつけるかということが、この店はよくわかっているような気がするのである。

2014-09-18 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

上原屋本店の「うどん」

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 竹清、鶴丸、懐かしの連絡船うどん、とくれば、この店を紹介しないわけにはいかない。「上原」。私にとってのうどんの原点。この店はもともとは小さな製麺所で、生家のすぐ近所にあった。子供時分は毎日この店の前を通っていたし、コロという柴犬がおりよく一緒に遊んだ。

 当時の製麺所は今と違いうどん玉を飲食店に卸すのがメインなので、店内や店先でうどんを食べるという習慣はなかったが、近所の人たちが家で食べるうどんを鍋やざるを持って買いに来ている風景はよく目にした。我が家も土曜のお昼などにはよく買ったことを思い出す。土曜の夜がカレーだったりすると、日曜のお昼は買ってきたうどんに余ったカレールーをかけ、自家製カレーうどんを楽しんだ。

 再び、ここのうどんを認識したのはずーっと後である。たしか大学生時代に、少し離れたところに移転し、セルフうどん店になったのである。その頃には、うどんを家に持ち帰るのではなく、外に食べに行くというスタイルも定着しつつあり、父などは懐かしがってよく出かけていた。帰省すると「今日は上原で玉を買ってあるから」とすき焼きの〆に入れたりもした。

 やがてさぬきうどんブームが来た。最初はそんなに注目される店ではなかったと思うが、そのうちここの旨さがあまねく知れ渡ることになり、たまの帰省時でも並ばないと入れない人気店になってしまった。しまいにはその店でも押し寄せる客をまかないきれなくなり、何年か前には広い駐車場付きのもっと大きな店になった。

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 麺は太すぎず、細すぎない、絶妙なサイズで、つるりとしたツヤと弾むようなコシがある。噛み締めると、にちにち、した小気味よい食感で、これがなんともたまらんのである。大を注文し、きつねとちくわの天ぷらを皿に取り、黄金色に輝く、透き通ったいりこだしを蛇口からじゃばじゃばかける。一日三食、これの繰り返しでもいいとすら思う旨さである。馬鹿馬。なにより、長年食べ慣れた味わいでもある(ような気がする)。

 なので、やはり帰省するとやはり一度は食べたいうどんなのである。かつて生家があった土地の隣には銀行ができているし、近所にはマンションも立ち並び、道路をはさんだ向かいには大型の店舗もできすっかり様変わりしてしまった。それだけに、唯一昔と変わらないうどんがあるということは、どれだけうれしく、ホッとすることか。

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 讃岐の幼児語でうどんのことを「おぴっぴ」という。口の中でぴちぴちとうどんが跳ねるその様をふるさとの先人たちはなんと絶妙なオノマトペイアにしたことか。上原のうどんは、私にとってのおぴっぴ。唯一無二のソウルフードなのである。

2014-09-17 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

宇高連絡船の「うどん」

連絡船

 連絡船うどん。

 いったい、どれだけ食べただろう。

 高校は倉敷市のミッション系女子校。寄宿舎に入っていた。土曜日の午前の授業が終わると、岡山を経由して宇野まで在来線で出て、宇野から宇高連絡船に乗り、毎週のように帰省した。約2時間あまり。若い盛りであるから、連絡船に乗る頃には微妙に空腹になっている。いりこだしのぷんといい匂いに誘われ連絡船のデッキに上がると、そこにうどんの販売所があった。

 高校一年のまだ純朴だった私は、最初は遠慮がちにおずおずと注文したように思う。デッキで立ったまま食べるのも、少々憚られた。しかし、そこは場数というものである。毎週のように頼んでいるうちに、連絡船でうどんを食べるのが習慣化してしまったのである。いつしか、乗船しても船室には入らず、デッキに直行。うどんを注文して丼を持ち、甲板の椅子に座って食べることがささやかな楽しみになった。晴れた日の夕刻の瀬戸内海の美しさを発見したのも、うどんを食べながらだ。どこまでも青く晴れ渡った空、おだやかにたゆたう瀬戸内海。夕陽が島なみを少しずつ茜色に染めていく。カモメが啼きながら、連絡船がつくる波しぶきを追いかけるようにずーっとついてくる。ときどきは、うどんの切れっぱしを放り投げてやる。何十年も前の光景は今もありありと思い出せる。

 連絡船といえばうどん。この習慣は、神戸の大学に入っても頻度は極端に減ったがそれでも続いた。連絡船でうどんを販売していたお兄さんは、もちろん私のことをしっかり覚えてくれており、大学生になってからはほとんどただで食べさせてくれるようになった。就職してからはもっと頻度が少なくなったが、あるとき彼は私を見て「ほんま、大きいなったなあ」としみじみとため息をつき、またしてもただでうどんを食べさせてくれた。その後彼は出世してグリーン船室長になり、当然のように私をグリーン船室に乗せてくれた。もう彼の名前も覚えていないし、連絡船が廃止になってからは会ったことすらない。元気でいるだろうかとときどき思う。

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 高松駅の構内に連絡船うどんという店ができており、連絡船のあの味を引き継いでいると言うふれこみだったがまったく別物であった。いや、あのうどんはあの状況で食べるからこそ、おいしかったのだろうと思う。連絡船うどん。青春の味である。私のからだのいち部分は、きっとあの連絡船うどんでもできている。

2014-09-16 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

鶴丸の「カレーうどん」

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 深夜のカレーうどん。なんと悪魔的なひびきだろう。

 夜の高松で食事して、ちょっと飲んで、そろそろ〆ようか、というときに行くのが鶴丸だ。ここも最初は妹に連れて来てもらった。カレーうどんが抜群に旨いという。店があるのは高松一の歓楽街古馬場町。フェリー通りに面している。もう一軒、近くにカレーうどんの名店があるのだが、いろいろ食べ比べた結果、私の好きなのはこちらである。

 オープンするのは夜8時。それから3時までやっている典型的な深夜店だ。当然、客のほとんどは〆のうどんを食べにやってくる。昼間やっているうどんは帰省した折にちょくちょく寄れるが、ここは高松に泊まって深夜までうろうろしているときくらいしか来れないので、今回は最初から〆に来ることを目論み、夕食は少し控えめにしておいた。

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 中学時代の悪友と共に、11時過ぎに入店。ビールとおでん、そしてカレーうどん。ちくわの天ぷらと卵もトッピングした。これだけでけ恐ろしいカロリーであることは承知しているが、誘惑には抗えない。うどんは細めで柔らかい中にコシがある。これがカレーだしに絶妙にからんで、たまらんのだ。旨い。馬鹿馬である。故郷の夜の味。

 悪友が、せっかくだからもう一軒の別のカレーうどんの店に行って、味比べをしようと恐ろしい誘いをする。何がせっかくだかようわからんが、当然受けて立つ。ふたりでその店に行くも、移転したのか、たまたま休業していたのか、看板が見当たらない。しかし、ふたりとも新たなカレーうどんの口になっている。すると、鶴丸の二号店ができているのでそちらはどうやと新たな提案。そちらへ向かいつつも、やはり気が変わり、もう一回鶴丸本店に行こうということになった。

 驚いたのは店の方である。先ほどカレーうどんを食べた客が、何食わぬ顔をしてまた同じカウンターに座ったのだから。何かいちゃもんをつけるとでも思ったのだろうか。何度もこちらを見ているのがわかる。(カレーうどん食べに来ただけだからね~)そして同じカレーうどんを注文。さすがにトッピングはなしの「素」カレーうどんにした。しかし、酔いもまわっているのか、この状況が可笑しすぎて笑いが止まらない。悪友は内科医。今では、私の高コレステロールと高中性脂肪を管理するはずの主治医でもある。さらには、夕食はプチ同窓会で中華を食べている。その後バーを二軒ハシゴしてワインにシャンパン、ウィスキーまで飲んでいる。

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 「一日ぐらいはええやろ」と彼。はい、一日だけならね。

 書いているうちにまたカレーうどんが食べたくなってきた。今度はいつ帰れるだろう。

2014-09-15 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

竹清の「ちくわの天ぷら」

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 高松は故郷だ。ここで生まれ、ここで15歳まで育った。実家は今もここにある。すっかり有名になった「竹清」は、私が小中を過ごした母校の国道はさんですぐ南にある。といっても中学生のときにはその存在を知らなかった。もっとも、その時代にうどんの食べ歩きなどという文化は存在しなかったし、学校帰りの買い食いも禁止されていた。むしろ県庁の東にあった「ごんな」のラーメンの方に興味シンシンであった。うどんがあまりにも日常生活にとけ込みすぎていたせいで、子どもにとってはラーメンの誘惑の方が断然勝っていたからだ。

 高校生のとき高松郊外のうどん屋に連れて行ってもらったのが、うどん外食の初めての経験であったように記憶している(連絡船うどんは例外)。大学生になり、夏休みに三越でアルバイトをする頃には、普通に外でうどんを食べるようになっていた。喫茶アズマヤ、讃岐製麺のセルフ店、名前は忘れたがブティックつねやの隣にあった小さいうどん屋・・・どれも大好きだった。セルフうどんの店が市内で目につくようになったのはその頃からではなかっただろうか。実家の近所にあったうどん屋(卸)も移転し、セルフうどん店として生まれ変わった。四国村には「わら家」ができ、帰省すると家族でよく行くようになった。

 やがて、満を持して「恐るべきさぬきうどん」が刊行された。この本がなければ、これほどのブームは生まれなかったのではないだろうか。読んでみると、知っている店もたくさん掲載されているし、何よりうどんを食べ歩くというスタイルは香川県民でさえも魅了した。私のように県外に住んでいる者にとっては、それはもうたまらなく魅力的な行為であったのだ。

 そしてある日、とうとう「竹清」の存在に気づく。

 母校の南隣。母の実家からは歩いて3分。何十年も目の前を歩いていたはずなのに、まったく知らなかった店。はじめて行ったときはわくわくした。妹は常連である。巧みなネイティブ高松弁でおじちゃんやおばちゃんとやりとりし、卵とちくわの天ぷらを注文する。そして、私はここのちくわの天ぷらにやられてしまったのである。

 うどんに関しては、正直もっと好みの店がある。だが、このちくわの天ぶらはもうどこにもない唯一無二の食感だった。外はあくまでも香ばしくカリカリ、サクッと噛めば中はふわりとどこまでも柔らかい。一本だけでは満足できない旨さなのである。自称うどん評論家の妹は、これは揚げ方に秘密があると言う。

 そこで、注意深くおばちゃんが揚げているのを観察していると、あるスペシャルなワザを駆使しているのに気づいた。ちくわを衣につけ油に投入した後も、おばちゃんは手の指を使って衣をちくわの上から何度も何度も小刻みに振りかけるのである。これによって小さな揚げ玉がちくわ表面にくっつき、独特のカリカリ、サクサクを生み出すのである。有名な半熟卵の天ぷらも同じ要領である。普通の人がやると間違いなく指をやけどするくらいの危険なワザだ。指が揚げ油の中に浸かるんだから。だが、長年天ぷらひと筋のおばちゃんは熟練によってまったく何ともない風である。

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 今回は、後悔しないようにと、ちくわの天ぷらを何本かテイクアウトした。揚げたてのレベルには及ばずとも、冷えたのはこれはまたこれで乙なものである。

 おばちゃんの健康と、天ぷら技術の後継者育成を強く強く望む。

アマゾンで「恐るべきさぬきうどん」を購入

2014-09-14 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

懐かしの「オニオンスープ」

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 オニオンスープを始めて飲んだのは、たしかもう40年近く前のことである。場所は旧軽井沢。ものすごく洗練された雰囲気の店で、内装も給仕してくれる人も上品オーラを放っていたような気がする。たしかデザイナーの水野正夫さんのアトリエが二階にあったように記憶している。まだ私は10代だったから、一生懸命背伸びして、かしこまっていた。その店でオニオンスープを口にしたのである。

 いや、その店ではオニオンスープのことをオニオングラチネと呼ぶのだった。

 グラチネ。なんというスノッブなひびきだろう。

 グラタンのフランス語読みである。まだパスタは出現しておらずスパゲティナポリタンとかミートソースしかない時代だ。オニオングラチネというひびきがもうたまらなく舶来感満載で、そこへ持って来て香ばしいタマネギの風味とグリュイエールチーズの食感は、昭和50年初頭では衝撃ともいえるものだった。以来、いろいろなところで試してはみるのだが、日本ではどんな店でも軽井沢のそれには及ばない。もちろん、初めて出会った味というのを差し引いたとしても、タマネギの焦がし方、チーズのボリューム、うつわの年季など、それを超えるものには出会えなかった。

 あれから40年近く。懐かしいオニオングラチネとニューヨークでついに出会うことができた。店の名は、バルサザール。SOHOのフレンチビストロとして予約がとりにくい人気店である。何気なくメニューにあったので、つい懐かしくなり注文してみたら、ビンゴ。たちまち記憶の奥に眠っていたあの軽井沢のオニオングラチネがよみがえってきた。まずは、ボリュームが凄い。小食の人ならこれでおなかがいっぱいになるほどのポットの大きさ。タマネギもたっぷり、グリュイエールチーズもどっさり。あまりのおいしさに、スプーンを口に運ぶのに夢中になり無口になる。以来、ニューヨークに行けば必ず訪れる店になった。そのうち、好きが高じて、バルサザールの斜め前にあるホテルに泊まるようになった。クロスビーストリートホテル。全室禁煙で普通の部屋にはバスタブがないという不便を差し引いても、目の前にオニオンスープもといバルサザールがあるというのはなんと魅力的なことか。あるときは、朝ご飯を食べに行き、オニオンスープはランチタイムにならないと提供できないと言われ肩を落とし、あるときのランチは満席でぐーぐーいうおなかをなだめつつ3時半スタートでもいいとテーブルを空くのを待つ。さほどに恋い焦がれているオニオンスープなのである。

 ところが最近東京でちょくちょく顔を出す白金のフレンチビストロでバルサザールに遜色ないオニオンスープに出会った。しっかりと炒められたタマネギだけが出せる香ばしいあの旨み。コンソメの塩加減もバターの風味もしっかりしている。もちろんチーズもグリュイエールを惜しまずたっぷり使っている。日本であの味が食べられるやんか!!もう小躍りものである。だが、どうやら冬限定メニューであるらしい。こちらもそれなりのボリュームなので、本当にお腹がすいているときだけいただくとしよう。そう心に決める。だけど、好きなものが行きさえすればいつでも食べられるとわかるのは、無上の喜びと安寧を精神にもたらしてくれる。

2014-09-13 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

JALの機上「サロン」

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 鮨と歌舞伎とシャンパンのために働いている。

 ひと昔前までシャンパンと言えば、バブル時代のドン・ペリニヨンは別として、モエ・エ・シャンドンとかポメリーとかヴーヴ・クリコくらいしか選択肢がなかったように記憶している。だけど、いつの頃からかヴィンテージと呼ばれるものや、見たことも聞いたこともない多種多彩なシャンパンが出回るようになってきた。この10年シャンパンも含めたスパークリング・ワインの輸入量はほぼ右肩上がりで増え続けているのだそうだ。日本のシャンパン輸入量のうち、プレステージ・シャンパン(メゾンの最高級品)の占める割合は2割近く。

 人口1人あたりのワイン消費量ではフランスの10分の1にも及ばないのに、プレステージ・シャンパンの占める割合は日本では異常に高いのだそうだ。これは欧米諸国には見られない現象らしいが、なんとなくわからんでもない。
 私はもちろん行かないが、クラブなどで飲まれる割合はそうとう多いと推察する。ウィスキーをボトル1本空けようと思うとそれなりに時間がかかるが、シャンパンは開けたら最後飲みきってしまうものである。店にとっては儲かるアイテムであり、客にとってもええカッコできる手っ取り早い酒なのである。その上、シャンパンは文句なしに旨い。酒場でのダンディなふるまいにこれほど合致した酒もないのではないかと思う。

 静かで根強いブーム定着のおかげで、シャンパンを置いているバーも増えているし、グラスでも気軽に飲めるようになってきた。ワインほど銘柄も多くないので、名前も覚えやすいし、価格設定も比較的リーズナブルである。ボトルで頼んだとしても、原価に対しそんな法外な掛け率でもないように思う。とはいえ、普段飲むのはもっぱら普及品。フレンチを特別な気分で食べに行くとき以外はボトルも、プレステージシャンパンもめったに頼まない。

しかし、だ。

 一カ所だけ高級シャンパンを好きなだけ飲み放題できる場所があるのだ。しかも「サロン」という名品を。

 さて、どこでしょう。

 答えは、JALニューヨーク線のファーストクラス。
 
 なんで私ごときがファーストに乗れるかという事情はおいおい説明するが、(というかアメックスのポイントを必死で貯めJALのマイレージに交換して片道だけでもアップグレードしてもらうという手口を使っている)ここで供されるシャンパンは、サロンとドン・ペリニヨンの2種類だ。今年はサロンは2002年という21世紀のファーストビンテージだった。で、私は徹頭徹尾、サロンを飲む。最初にファーストに(マイレージで)乗ったとき、あまりにサロンばかり飲むので最後にはテーブルにボトルを置いてくれたこともある。去年は夜食にカレーを頼むと、「まだ先ほどのサロンが残っております。お持ちしましょうか?」と客室乗務員が誘惑するので、なんとカレーを食べながらサロンを飲むという暴挙も経験済みだ。

 昔からあたりまえのようにファーストに乗っているやんごとなき人々であれば、こんな恥ずかしいことはしないだろう。私だって普通のシャンパンであれば、こんなにもがつがつはしない。だけど、サロンですもの。どうしようもない。

 毎年機上サロンを飲むために、せっせと食べてなんでもかんでもアメックスで払う。

 ところが、今年私の素行がJALにばれたのか(笑)、アメックスからポイントのマイレージ移行ができなくなってしまった。そのかわり、JALとアメックスの提携カードというのができたようである。

 アメックスをやめて、この提携カードに変えるかどうか悩んでいる。

2014-09-12 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

更紗制作・石田加奈さん

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 加奈さんはインドネシアではガイジンである。そのガイジンがジャワ島で失われつつある伝統的なジャワ更紗(バティック)を作り続けている。更紗は、ため息が出るほど美しく、震えるほどに精緻なかたちを表現していて、現地でbatik isisと呼ばれセレブリティの奥様方にたいそう人気なのだという。

 京都麩屋町にある加奈さんのお店「isis」の名は前から知っていた。「isis」にはジャワの古い言葉で川辺に吹く涼しい風という意味がある。加奈さんはイシス編集学校の関西支所「奇内花伝組」の先輩でもあり、イシス編集学校の編集術ワークショップ「浪花参座」でイシスの意味を説明するときに必ず紹介していたからだ。加奈さんとは去年の夏、函館で開催された「未詳倶楽部」ではじめてお会いした。おっとり柔らかな京都弁で話し、独特のエキゾチックな雰囲気をふわっとシュガーコーティングしたようなチャーミングな女性である。batik isisの生地で作ったと思われる素敵なブラウスやワンピースをお召しになっていた。

 そのbatik isisが豪徳寺イシスの本楼にやってきた。その数100枚以上。東さん率いるHIGASHI-GUMIの手になる空間のしつらえは壮観である。圧巻である。絶景でもある。

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 加奈さんの工房があるのはジャワ島チレボン。ここに一年のうち数ヶ月滞在し現地の職人たちと更紗づくりをしている。ジャワ島でも近代化の波は押し寄せていて、今や伝統的なジャワ更紗も絶滅の危機にある。加奈さんは昔ながらの伝統的な技術や文様を復活させることに力を注ぎつつ、日本感覚を活かした図案や色彩のアイデアも出しながら、独特のクオリティの高いbatik isisを作っている。完成までに一年かかるという手描きの更紗は一枚一枚がオリジナルで同じものはない。

 加奈さんが凄いのはそのオリジナルを保存しようとか一切考えていないことである。更紗の型を残しておけばそれはやがて膨大な財産になるはずなのだが、そういう気がない。今やbatik isisはインドネシアでは高級ブランドとして認知されている。オリジナルものには更紗の端にisisというロゴが入っており、これがないと満足しないという顧客もいると聞く。

 この姿勢はなんだろう。

 加奈さんに「それはとてももったいないことですやん」と問うても、「そんなんあんまり関係ないことやし、興味ないし」とやんわりかわされてしまう。美しいものを作っている人は、その美しさに無頓着なのだろうか。美しさというものは儚さと表裏一体なのだろうか。

 沖縄の首里織。読谷山の花織。喜如嘉の芭蕉布。太平洋戦争でほとんどの技術が途絶えかけたとき、現地に出向き古布を蒐集し調査研究をすることで沖縄の染織を蘇らせようとした人々がいた。中心となったのは民藝運動の祖・柳宗悦である。民藝運動に加わった人たちは、積極的に沖縄に学んだ。現地の人たちに聞き取り調査をした「沖縄織物の研究」は今も沖縄織物研究のバイブルである。芭蕉布の人間国宝平良俊子さんは倉敷で大原總一郎や外村吉之助に出逢わなかったら誕生しなかっただろう。芹沢銈介も細々と残っていた紅型を学ばなければ、型絵染めで人間国宝になっていなかったかもしれない。沖縄の染織が人を感動させるような美しさをもっていなければ、絶えていたかもしれないと想像してみれば、美しいものは必ず誰かの手によって必ず蘇る。
 加奈さんのつくるジャワ更紗もそういうことかもしれないと思う。もちろん、batik isisは現地でセレブリティの方々を中心にとても人気があるというし、職人たちもしっかり育っているようだし、技術そのものは途絶えることはないだろう。そうしたら、柄だって決して失われるようなこともないだろう。

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 たぶんそういう無心さを持つものだけが、美しいものを生み出すことができるのかもしれない。柳宗悦も言っている。「名無き工人によって作られた下手のものに醜いものは甚だ少ない。そこには殆ど作為の傷がない。自然であり無心であり自由である」と。ひとつだけ訂正しておこう。加奈さんの更紗は下手ではない。限りなく上手ものではあるけれど。

◎追記

 本楼で素晴らしいbatik isisを見ながら、どの更紗を買おうかとずっと迷っていた。かねてから更紗の布で帯を仕立てたいという野望を抱いており、今回は帯にしても映えるようなものを探すつもりだったから。あれこれ悩んだ末に、ファーストインプレッションで「あれだ」と感じたものを選んだ。さっそく呉服屋さんに相談した。もともと帯のためにつくられている布ではないので、後ろのお太鼓の部分と正面にどんな風に柄を配置するかで何度かやりとりをし、帯を結ぶとき手先を左右どちらでしているかの確認もし(端の柄をちゃんと配置するため)、三ヶ月ほどしてやっと出来上がってきた。裏は濃紺の綿地なので、盛夏以外締められる素敵な帯になった。どんなきものに合わせようかわくわくしている。

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とりあえず無地のきもの中心にいくつか置いてみたが、どんなきものにも合う。ジャワ更紗がすでに日本的感性にすっかりなじんでいるという証拠だろう。

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Batik isisのFBページを見る

2014-08-03 | Posted in ISIS | No Comments » 

 

韓国街の「ソルロンタン」

 韓国料理などめったに食べないのに、新年はじめての食事でなんとNYのコリアンタウンに出向くことになった。滞在していたNoMad Hotelのニューイヤーズイブパーティーが終わったのが午前2時半頃。シャンパンを浴びるほど飲んで年甲斐もなく踊ったりしたので、微妙に空腹である。NYに住む友人がコリアンタウンに行って「ソルロンタン」を食べようと誘う。なんだか楽しい響きである。それ何?と聞くと、白いスープの中にごはんと麺が入っているという。え?実は同じ皿や丼に形の違う炭水化物が入っていると、途端に食欲を失いどんなに美味しいと言われようと食べられなくなってしまうのである。かちんうどん。うどん入りおじや。そばめし。焼きそば定食も、ラーメンライスも、同時には食べられない。でも、ま、スープだけ飲むという選択もあるか。小腹も空いているし、ラーメンほどカロリーもなさそうだし。さっそく、コリアンタウンへと足を伸ばした。

 NoMad Hotelはブロードウェイ28丁目。コリアンタウンまでは4ブロックだ。歩いて5分とかからない。それにしてもこのエリアに足を踏み入れるのは何年ぶりだろう。3時近いのに目的の店は煌煌と発光している。どうやら客もいっぱいのようだ。肉の焼ける香ばしい匂いも立ちこめている。

店内

 愕然としたのはその店がなんとあのホテルの中にあったことだ。嘘でしょ。

 NYに通いだした二十数年前。まだHISが秀インターナショナルと呼ばれていた頃に、エアー&ホテルという格安チケットを買ったことがある。そのときのホテルがここだった。当時の32丁目ブロードウェイ界隈というのは、庶民的といえば聞こえはいいが、はっきり言ってあまり治安がよろしいとはいえないエリアだった。まだ韓流の兆しもないような時代だったから、単身コリアンタウンに泊まるというのは無謀とも言えた。案の定、たぶん韓国から来たであろう男の子のグループに目をつけられ、深夜に部屋のドアをノックされたり、電話をかけてきてからかわれたりした。こんなホテルに泊まっておられるものか!怒り心頭に達した私は、翌日即座にチェックアウトし、他のホテルに移った。そもそも外出から帰ってフロントに部屋番号を告げると、こちらの名前を確認せずにキーを渡すような不用心さがあった。この体験は、後に泊まるホテルにこだわるようになるきっかけともなったのだった。一人旅のニューヨークでいちばん大事なのは、一に安全、二に安全。その怖くて嫌な思いをしたホテルの名前を忘れるはずがない。煌煌と輝くホテルのネオンを見て、瞬時のうちにそのときの記憶がよみがえってきた。

 二十年の歳月を経て、なんと変わったものだろう。リノベーションは、NYホテルの常ではあるが、それにしても、だ。コリアンタウンそのものも、ソウルの明洞(ミョンドン)や狎鴎亭(アックジョン)と見まごうばかりで、すっかりエッジーな雰囲気になっている。日韓首脳同士が緊迫した関係にある時期なので、ほぼ満員の店内で日本語で会話するのは妙に憚られた。(あかん、日本語しゃべったら追い出される〜、などと交わすブラックジョークは楽しいのだが)

 さて、「ソルロンタン」である。

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「ソルロンタン」は、牛の肉や骨を長時間コトコト煮込んでつくるスープ。骨髄まで煮出すのでエキスがたっぷりで白濁している。この店では、米と麺が一緒に入っている。ごはん抜きにできるというので、私は麺だけにしてもらった。白濁しているスープを見ると反射的に博多系豚骨スープを連想してしまうが、かなりあっさりしている。というかいわゆる「うまみ」というものが感じられない平坦な味である。調べてみたところ、調理時にはほとんど味付けせず、好みで塩コショウ、唐辛子などを入れ食べるものらしい。キムチなどを入れてもいいのだという。つまるところ、豚骨ラーメンに紅ショウガを入れるような感覚かしらと思う。

 まずは、軽く塩胡椒を振ってみる。とたんに白濁しているスープがくっきりと際立つ。次に刻んだ葱をたっぷりのせる。ここまでは想定内の味だ。そして、こわごわとキムチを入れる。唐辛子の赤がスープに溶け出し、妙に食欲をそそる風情になっているではないか。酸味が加わると、味にぐんと奥行きが出るような気がする。うん、これ悪くない。

 ソルロンタンにキムチ。豚骨スープに紅ショウガ。

 微妙な味や調理法は違うにしても、かの国と日本、似て非なるのではなく、こんな白いスープさえも非ではあるがどこかやっぱり似ているのだ。

 かつて大陸からの文化を伝えてもらった中継地であり、朝鮮からも多くの恩恵を受けてきた私たちの国日本。隣国として、文化を伝えてもらった国として、本質的なところの相互理解と違いをしっかり認め合うことは必要だし、そのコミュニケーションにはさまざまな方法があるはずだ。スパイス次第でいかようにも味を変える「ソルロンタン」を啜りながら、日韓のAIDAに思いを巡らせた元旦だった。

2014-08-03 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

NYフレンチ「ダニエル」

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 年に一度の年末NY。彼の地に住む友人たちが滞在中一度はスペシャルディナーにつきあってくれる。今回は「ダニエル」である。毎回、予約しようとするのだが、なかなかほどよい時間に予約が取れず、ここはずーっとお預けになっていた。76丁目にある「カフェ・ブリュー」は何度かは行ったが、やはり本家本元に来なくては話にならない。

 今年は7時というディナーとしては理想的な時間に予約が取れた。友人たちとは現地集合である。こちらのレストランのほとんどにウェイティング・バーがあるので、先に到着したものから適当にシャンパンとかを飲んで待てるので便利なのである。オンタイムにタクシーを降りると雪が舞っていた。おお寒。いくらダウンを着ているとはいえ、中は薄いシルクのワンピース一枚。だが、さすがに冬のニューヨークの室内はあったかく、肩を出したドレスでも寒くないよう空調は完璧にコントロールされている。ちょうど友人と入り口で出会ったので、もう一人が来るまでにワインリストを見せてもらいシャンパンを選ぶ。メニューの分厚いこと。バーはバーで素敵なので最初のシャンパンはこちらで楽しむことにした。ほどなくもう一人の友人登場。全員そろったところで乾杯をし、しばし歓談。

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 やがてダイニングルーム中程の全体が見渡せるなかなかいい席に案内される。大好きなハイバックソファ席。メニューを見ながら、どのコースにするかで思いっきり迷う。いろんな料理を少しづつ7皿で供するテイスティングメニューというのがあり、せっかくなのでそれにした。オプションでその皿に合うワインをセレクトしてくれるワイン・ペアリングというのも一緒に注文する。これ、ここ最近のトレンドで、料理に合わせて最適のワインをグラスで持ってきてくれる。店側都合でもあるだろうが、ボトル選びに失敗するリスクを思えば客側にとっても都合のよいシステムだとは思う。ワイン好きの人にとっては邪道なのかもしれないが、私はいろんなのを少しずつというのも決して嫌いではない。

 店内のライトがとても暗いので写真のクオリティはあまりよくないのが残念だし、ひとつひとつのメニューをちゃんと記録していなかったので、料理の細かい説明は割愛させていただく。が、全7皿の流れにちゃんと起伏が仕込まれており、ブロック状になったテリーヌ仕立ての一皿やスープ仕立ての一皿に歓声をあげ、メインの子羊にいたるまで幾度もの嬉しい驚きがある。テイスティングワインをセットしたせいでワインもデザートワインを含め6種類もサーブされ、おなかはパンパンである。それでもデザートの最後に出てくるふわふわの焼きたてマドレーヌまでしっかりといただき、大満足かつ大満腹の夜となった。

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 トータルな印象としてはさすがに三ツ星。接客も、インテリアの雰囲気も、料理の内容も申し分はない。サービスする人の動きには無駄がなくエレガントだし、モダンテイストなバーからダイニングルームに入ると、一転してコンサバティブで優雅なインテリアが迎えてくれ、こういう雰囲気はやはり日本ではなかなか真似の出来ないレベルである。価格も日本の三ツ星フレンチと比べると(チップを勘定に入れなければ)、3コースで125ドル、7コースで220ドルと意外に良心的に感じるほどである。

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 ただ私が終始考えていたのは、もはや日本のフレンチを始めとするレストランのクオリティの高さは、いまや世界で引けをとらないレベルに来ているなということだった。東京は世界でいちばん三ツ星レストランの多い都市なのである。10年前に来ていたらすっかり魅せられ大感激していたであろうが、今やわざわざダニエルに来なくても東京でもこのクラスのレストランはたくさんあるという事実の方にいたく感じ入ってしまったのである。

 ひとつだけダニエルに優位性があるとすれば、それはやはり何と言ってもここが大好きなニューヨークにあるということである。雪が舞うマディソン・アベニューを歩きながら、65丁目を曲がり、ダニエルを目指す。正面に立つと、ドアマンが扉を開けてくれる。中に入るとクロークが素早くコートを預かってくれる、バーに案内される。完璧なレディ扱い。この女心をときめかせてくれるきわめてドラマティックな一連の流れだけは、東京にはない。

2014-08-02 | Posted in 千夜千食 | No Comments » 

 

鳶職人・多湖弘明氏

 鳶職と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。

 建設現場の足場を組んで高いところで作業する人。派手なニッカボッカみたいな作業着を着ている人。最近の言葉で言えばガテン系。古いところでは新門辰五郎(ほんまに古い)が鳶の親方だったことは知っている。それくらいしか思いつかなかった。しかも、直前にアマゾンで購入した「鳶」を東京に持っていくのを忘れてしまい、予備知識も一切ない。事前情報は、そ乃香こと和泉さんからの「凄い人なんですよ」という言葉のみ。ままよ。当日のセレンディピティに期待しつつ豪徳寺に向かった。

 今回はカウンターに入り飲み物を配るお手伝いをすることになっていたので正午には会場に着いた。カウンターの中で飲み物のチェックなどをしていたら、本楼ではえらい小粋な出で立ちの見知らぬ男性がすでにマイクテストをしていた。リハーサルの設営の人か、音響のチェックをする人なのか。いや、その人が今回のゲスト多湖弘明さんだったのだ。笑顔がとても素敵なイケメンくん。鳶職人だなんてとうてい想像できない雰囲気をまとっている。だけど、キリリと引き締まったお顔は、何かにいつもチャレンジし続けている人だけが持つオーラを放っていた。

 いよいよトークが始まった。

 多湖さんはマシンガントークで淀みなくしゃべる。大阪市西成区生まれ。15歳の時、大阪の梅田スカイビルのリフトアップ工事を間近で見て度肝を抜かれ、建築を仕事にすることを意識するようになったという。このビルができたときの仰天は私もよく覚えている。二棟の高層ビルが途中で斜めの階段でつながり、てっぺんには空中庭園がある。大阪らしいド派手かつ奇想天外な設計なのだが、その工法もきわめてユニークで少年の多湖さんが見たのは地上で組み立てられた連結部分の空中庭園をリフトアップ工法によって最頂部まで引き上げているそのシーンである。その少年の日の強烈な印象が今の多湖さんの立ち位置を決めたともいえる。

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 高校を卒業してすぐに交通事故に遭い、半身不随になるかもしれない大怪我から復活。リハビリ感覚でアルバイトした建設現場での仕事が多湖さんの未来を決定づけた。大阪で最大手の鳶の会社で、超大型現場に関わり、一年後に移った会社でも「大阪ドーム」の仕事を経験。さらには一緒に現場で仕事している人があの梅田スカイビルの工事をしたということも知り、多湖さんは鳶の仕事に夢中になった。

その後一年ほどニッカボッカ姿で世界を旅して、バルセロナのサグラダ・ファミリアの現場を訪れたりもしたという。帰国し再び鳶の仕事をしているときに、東京に第二の電波塔が建つことを知り、世界一の建造物に携わりたいと上京。むろん、あてはなかった。だが、そこは彼一流のやり方で、東京スカイツリーの建設現場に携わった鳶のひとりになったのである。

 私をはじめ、参加者も、そしてたぶん松岡師匠をも唸らせたのは、多湖さんの目的に向かっていくパワーとその方法である。たとえば、いい建設現場を見つけるとそこへ出向き働きたいと懇願する。たいていは門前払いなのだが彼は早朝から現場の掃除を続け、信頼を得る。出入りを許された現場ではしっかりと働き成果を出す。この積み重ねで、東京スカイツリーのてっぺんまで行ったのである。今回、鳶の本を書くにあたっては、今まで本など読んだことがなかったので本を1000冊読むことを自分に課した。同じ小説家の本を何冊も読みその文体を真似ることもした。その結果、100%彼の文章である「鳶」が完成した。多湖さんの中では次の10年、20年の人生設計はもう立てられていて、そのためにも頭の中に浮かんだり、いろいろ考えていることを、すべて紙にアウトプットし尽くして部屋に貼る。実行したり、実現できたものを、マジックで消していく。そうやって目的を果たすためには何をすべきかを四六時中考えているのだという。

 必然から生み出された独自の方法論。

 松岡師匠の編集工学によく似たメソッドがそこにある。私たちが驚いたのはそれを彼が試行錯誤の末、ひとりで手に入れたこと。その点に尽きるのだ。

 人間力。

 多湖さんの話を聞いていて、そして懇親会で話をしながら感じていたのはまさしく「人間力」ということだった。大企業に属していようがいまいが、フリーランスであろうがなかろうが、結局人は自分というエンジンがその気になって動き出さなければ成長はできない。その気のないところにセレンディピティなんて決して起こらないだろうし、薫陶を受けさせてくれる人物だって現れない。ましてや生と死が紙一重の空中で働く鳶職人ともなれば、ありふれた日常が一瞬で変わることを熟知しているだろう。そのぎりぎりのところで日々を過ごしていれば、一日一日の重みはずいぶん違うはずだ。

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 ところで冒頭新門辰五郎のことに触れたが、鳶の世界にはこの辰五郎の流れを組む火消しの名残のある「町鳶」とゼネコン工事現場で働く「野帳場鳶(のちょうばとび)」とがあるそうだ。もちろん多湖さんは後者の鳶で、専門工事業者としてゼネコンの下請けで仕事をする鳶を「組鳶」ともいうのだそうだ。辰五郎はたいそう肝が大きく、最後の日本の侠客ともいわれたらしい。徳川慶喜の警護をしたという話も有名である。火消しであり侠客でもあったその侠気(おとこぎ)を培ったのはやはり命をかけて働く鳶という仕事ではないか。そんな気がしてきた。

 多湖さんが今回「鳶」を書いたのは、一緒に働いていた仲間が目の前で亡くなったことが直接のきっかけである。だが、命をかけて働く職人たちの生き様や鳶の世界のことをしっかり伝えることが、仲間とそして多湖さん自身が生きた証になる。そんなせつない思いもあるのだ。

 本の最後にも書かれているが、多湖さんとメールをやりとりしたら、最後に「本日も、ご安全に!」としめくくられていた。その言葉の切実さは、私にもひしひしと伝わってきた。

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2014-08-01 | Posted in ISIS | No Comments »