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再び白金鮨「いまむら」
わずか10日後の再訪である。気に入った店を間髪入れず訪れるのは私の癖ではあるが、それにしてもこんなことは珍しい。さほどに、初回で魅了されたということもあるし、本当に良い店かどうか今一度確認したいという意味もある。
攻めてくる鮨と前回書いたが(第79夜参照)、10日後ならさほどネタのバリエーションが変わっていることもないだろう。今日は、冷静に鮨を楽しもうと出かけた。
本日の日本酒は会津中将純吟。福島の銘酒である。これを、渋い備前のとっくりに入れてくれる。この鄙びた肌あいを見てください。ぽってりとした盃の見込みには緑色の釉がかかっていて、この何ともいえない取り合わせに痺れてしまう。ツマミが来る前に、ぐびり。ああ、いいお酒をいいうつわでいただく幸福よ。さて、ツマミ第一球は、真子鰈。あらら、前回はマツカワ鰈だったけど、ちゃんと鰈のバリエーションがあるのね。第二球はタコ。そして鮑のやわらか煮。この二品は前回と同じ。紛うことなき旨さである。そして、ここでいきなり茶碗蒸しが出た。これははまぐりのお出汁でつくった茶碗蒸しなのである。このタイミングでこれを出すなんて、凄い変化球である。そして、イワシ。脂が乗っていて、凄いのなんのって。しかも、このうつわ。唐津の作家さんらしいけど、この枯れかた尋常じゃない。いつまでも眺めていたい。ポケットに入れて持って帰りたい(笑)。続いてはシコシコのバイ貝を串に刺したもの。茶碗蒸しといい、串刺しといい、やっぱり普通では終わりませんぜと意表を突いてくる。カツオも、ねっとり具合に唸らせられる。日本酒は前回もいただいた大純吟の山桃桜(ゆすら)。前回も堪能した唐津の徳利とお猪口で出されて、たまらないうれしさ。このひと揃いもポケットに入れて持って帰りたい(笑)。本日の焼き物は太刀魚である。酢橘をきゅーっと絞っていただく。そ、そして酒の肴にもう一品所望してみると・・・
バチコである。
東京でバチコ(バチコはナマコの卵巣。クチコとかコノコとも呼ばれる)をいただけるとは思っても見なかった。これは、金沢の「みつ川」が得意とする必殺ネタである。そ、それがお江戸白金にあるのである。生のバチコを軽く炙った絶品。この美しいオレンジ色といったらどうだろう。少しずつ齧りながら、山桃桜をちびちびとやる至福。それにしても、なんという守備範囲の広さであろう。
そろそろ握ってもらう。まずはアオリイカ。例の複雑系である。どうよ、この端正な切り目。「小松弥助」の大将(第70夜参照)が三枚おろしなら、こちらは網の目切り(そんな言い方があるのかどうかわからないけど)。どちらも口に入れたときのふわっとした食感を大事にしたいという気持ちからこうしていることはよくわかる。職人のこだわりのひと手間である。金目鯛も美味。最近は流通が良くなって、関西でもときどき食べられるけどやっぱりお江戸は伊豆に近いのね。よくイカってる。小鯛の昆布締め。前回と同じくかすごですな。昆布でシメられたねっとり具合が非常によろしい。続いてミル貝。これは今回初登場。独特のコリッとした食感に唸ります。マグロのヅケ、大トロ。相変わらず、威圧感のあるマグロである。実に男らしい。高倉健のような、惚れ惚れするほどの存在感である。一方、コハダは小股の切れ上がったいい女風。清楚にして端正である。そして、例のエロティック鳥貝。あいかわらずのエロさである。アジにいたっては、こんなにご開帳されてなんという姿態か。そして車海老、雲丹、穴子と安定したラインナップが攻めてくる。最後にトロたくをいただいて、おなかパンパンになりながらもそれでもデザートのアイスクリームは別腹である。
ううむ、やっぱりここ、とんでもない鮨屋である。ネタのバリエーション、まだまだありそうな懐の深さを感じる二回目だった。今回若いカップルが少々はしゃいでいたが、大将きっぱりと「もう少しお静かに」と注意していた。カウンターを完全に支配している大将。貫禄というにはまだお若いだろうが、鮨にも場の仕切りにもしっかりと目を行き届かせている店である。わずか8席しかないカウンター、予約は困難になりつつあるらしい。こういうお店が、家か会社の近所にあればいいのに。後30回は行きたい(笑)。
火曜日の「中華スープ」
前夜に続いて、残業弁当の話。毎回、お弁当にお味噌汁をつけてもらう。たいていは、豆腐と若布とか、きのこと厚揚げとか、大根と葱とかの定番スタイルである。で、ときどきスペシャルで豚汁や粕汁、コーンスープとかが来るのであるが、そのスペシャルバージョンに「中華スープ」というのがある。
これが、めっぽう旨いのだ。
口をつけると、ぷん!と胡麻油のよい香り。人参と白菜と春雨がたっぷり入っていて、生姜のきいた鶏団子がゴロゴロ入っているの。一度レシピを聞いて、家でも作ってみたことがあるけど、こっそり味覇(ウエイパー)をごくごく少量入れるらしい。こういうケミカルなものも使いようだなと思う。要は調理する人のセンスですね。
この中華スープ、大好物である。あったかくて、白菜がいっぱいで、春雨もとろとろで、心がほんわか柔らかくなる味。ところが、ママはおかずのリクエスト受け付けますとつねづね言っているので、中華スープは週に1回はほしいと言っては見たものの、なかなか作ってくれないのである。ま、これ鶏団子をつくるだけでも、けっこう手間だからね。だけど、しつこい私は、「中華スープ、中華スープしてよ〜」と言い続けた。す、すると、ちょくちょく出るようになったのだ。ところが、タイミングが悪く、東京に夕方移動の金曜日とか出張でいない日に限って、中華スープが出てくるらしい。「いないときに限って、中華スープでしたよ」「また、出張のとき中華スープでした〜」など聞かされるとなんだか無性に腹が立ってくる。弁当係に「あんた、わざと私のおらん日に頼んどるやろ」とか「いやがらせやな」などさんざん暴言をはき、「そんなことしませんって」と顰蹙もかいながら一年ぐらいが過ぎた。しつこく中華スープは?と言い続ける日々。ところが、ここ半年くらい、とうとう火曜日が中華スープの日となったのである。
しばらくは、半信半疑であった。毎火曜日の夜に、ああ今日も中華スープだと胸を撫で下ろし、それが5回ほど続いた頃、ああついに火曜日は中華スープの日になったのだと心から安心した。だから、火曜日はなるべく外食のアポイントメントをいれない。できれば出張もしたくない。私の火曜日は、完全に中華スープに左右されている。
「果林」の残業弁当
今日も残業、明日も残業。残業は我々の業界ではあたりまえ。就職して以来、長年ずーっと残業食を食べて来た。たいていは、定食屋さんとかお蕎麦屋さんとかお好み焼き屋さんとか。どうしても丼ものとか揚げものが多く偏っていて、とてもじゃないが健康的とはいえなかった。が、選択肢もないので、長年そうせざるを得なかった。仕事のパートナーと独立してからは、天神橋商店街のお世話になってきた。忙しい平日の夜はしかたがない。これはもう宿命のようなものなので、普段はほとんどあきらめてきたのである。
ある日、ランチをよく食べに行っていた近所の喫茶店の味が、いつもヘルシーで美味しいので、夜のお弁当を作ってもらえないだろうかと頼んでみた。契約成立。残業弁当なるものをママに作ってもらえることとなったのである。さすがに毎日だと飽きるのと気分転換も兼ねて水曜だけはなし。週のうち4日間は弁当を作ってもらえることになった。リクエストは、できるだけバランスよく、野菜も多め。お味噌汁もついている。毎日、3時ぐらいまでに弁当がいらないときだけ弁当係に報告する。特別に何も言わないでいると、夜6時になると自動的にお弁当がやってくる。ママの店は会社から50メートルくらいのところにあるので、毎晩お弁当を取りに行くのは新入社員の仕事である。
どうです。なかなか壮観でしょ。揚げ物、焼き物、煮物、酢の物、和え物とレパートリーは多彩、素材も肉や魚、野菜、季節になると若竹煮とか松茸ごはんなんてときもある。会食や打ち合わせ、友人と食事するとき、無性に何かを食べに行きたくなるとき以外は、たいてい会社でこの弁当を食べている。社員みんな基本的には健康でいられるのは、このお弁当のおかげかもしれないと思う。ママは京都山科出身なので、どれも基本は薄味。若い社員の中には、ぬただとか白和えを食べたことのないものもいて、かえってそういうおばんざい的なものを新鮮に感じているらしい。
日々、どういうものを食べるか。これは生活のクオリティに関わる問題だと思う。できれば、作っている人の顔がしっかり見えて、素材や調理法も信頼できる。心をこめて丁寧につくられたものを、きちんといただく。これがいちばん大事なことである。そういった意味では鮨も、カウンター割烹も、ママの作ってくれるお弁当も、同じである。ところが、最近の新人約一名は、このお弁当が嫌だといって食べない。私がいつも残すなとうるさいのもあるのだろうが、毎晩コンビニでインスタント麺やサラダを買ってきて食べている。我々世代にはコンビニ食なんぞ、あくまで非常食であって主食になどしたくもないが、若い世代にとってはしっかりつくった手作り弁当よりコンビニ弁当の方がいいとは、なんとも切ない話である。社員の健康のことも考え頼み始めた弁当ではあるが、時代は変わりつつあるのだろうか。ま、食べたくなきゃ、好きにすればいいけれど。強制はしていない。
撮影ランチ「チオベン」
「ね、ね。タコメシって知ってる?」ある日、女性カメラマンが耳打ちする。「何、それ?知らん」と答えると、食いしん坊と自称するそのカメラマンが、「タコメシのお弁当、大好き」と何やら哀願するのである。さっそく調べてみると、それは女性編集者やスタッフのあいだで噂になっているお弁当であった。
正式には「チオベン」と言う。山本千織さんという女性が作っているので、千織(チオリ)+弁当で、「チオベン」という愛称になったらしい。ホームページを見ると、見るからにおいしそう。しかも、おかずのデコレーションが天才的。これはいい!早速、タレントさんの撮影用に、スペシャル弁当を注文してみた。
チオベンだ!もう、皆さんの喜ぶことと言ったら。
ここ何年か、何度かお願いしてつくってもらったチオベン。どうです。この素敵なデコレーション。あるタレントさんが、「こうやってひとつひとつ丁寧につくっていて、大変だけど、心がこもっているよね」としみじみおっしゃった。そうなのだ。このデコレーションを完成させるまでの、材料の調達と、下ごしらえと、調理の手間を考えると、いったいどれだけの時間がかかっているのだろうと思う。心のこもった素晴らしくアーティスティックな盛りつけ。おかずは、すべて皮まで残さずきれいに食べられるものばかり。ごはんはしこしこのタコが入ったおこわである。山椒の実がアクセント。必ず入っているのが、春巻き。毎回いろんな具に工夫を凝らしていて、飽きさせない。
あるとき、いちばん上の左側の写真のお弁当の中にちいさな渦巻いている貝のようなものが入っていて、これはなんだろうという話になった。誰もわからない。すると、いちばん若いカメラマンのアシスタントが「これ、チョロギです」と言うではないか。「え〜、チョロギって何〜」と大騒ぎになった。調べてみると、あった。チョロギ。シソ科の多年草の植物の球根で、祝い事とかの際に縁起物として食べるらしい。甘露子、草石蚕、長老木とか書かれることもあるそうだ。Facebookにあげると、友人からも「お節に使ったよ」とのメッセージ。アシスタントくんの株が上がったことは言うまでもない。
そんな知らなかった食材も含めて、毎回新鮮な驚きのあるチオベン。美味しい、ヘルシー、美しい。撮影現場で不動の人気ワンバーワン弁当である。
◎山本千織さんによる初のレシピ集。
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「ちょろり」でディナー
ついに叶った。ついに来た。午後7時のちょろり。ディナータイム。深夜のシメでしか来たことのない店に、堂々と晩御飯を食べにくる日が来るなんて、少々気恥ずかしい。深夜にいつもいる(鶴のような)おじさん、当然この時間帯にもいる。きっと面は割れているだろう。
厨房の上に高々と掲げられているメニューをゆっくりと見る。いつもは右のラーメンコーナーからワンタンめんの麺半分に味付玉子をトッピング。それにビールぐらいなのだが今夜は違う。左のおつまみコーナーをゆっくりと見て、さあ、何から行こうか。私が、いつもちょろりの話をするので、いっぺん行きたいというスタイリストたちとウチの会社の子と、今夜は4人連れである。なんでもばんばん食べられる。
まずは、味付肉盛。すごいど直球ネーミングである。肉というのは、関西では当然牛肉だが、東京では豚肉をさす。ここは基本ラーメン屋だし、牛肉メニューはどこにも見当たらないから、豚肉であろう。そういう肉問題にももう慣れた。ようがす。味付豚肉盛、行きやしょう。ゴロゴロした豚肉の塊の上から、醤油ベースの甘めのたれがかかった一品。わしわし、とビールと共に。いいねえ。続いて、味付もやしと中華冷や奴、それにギョーザ二人前。もやしのシンプルさに痺れちゃう。ギョーザもカリカリで馬鹿馬である。
ところが、すでにもうお腹いっぱいと弱音をはくもの約三名。私以外はもうラーメンも一人前食べられるかどうかわからんというではないか・・・。ようがすよ。そろそろラーメンタイムにしましょうか。みんなは半分にしたらいい。私は、いつもは麺半分にしてもらうワンタンめん、今夜はちゃんと一人前麺を食べるから。
おじさあ〜ん。私はワンタンめん、味付玉子入りね〜
ああ、なんとゴージャスなんでしょう。カンペキなちょろりのワンタンめん。憧れのフルバージョン。麺はしこしこのちょっと太めのストレート麺。ワンタンはつるつるのトロトロ。そこに焦がし葱を浮かせた香湯(シャンタン)系の醤油スープが絶妙にからむ。さっぱりしているのに、香ばしく、普段ラーメンなどあまり食べない私もこの味には参っているのさ。しっかり固めの味付玉子はちゃんと双子になっている。シャキシャキめんまと、このキヌサヤがまたいいの。今日はスープも全部飲んじゃお。
ラーメン通に言わせると、ここは台湾系のお店だと聞くのだけれど、どこで修業したかとか、どこ系の流れをくんでいるのとか、きっと調べると面白いんだろうな。ま、東京ラーメンはここがあればいいや。
清春芸術村「高原ランチ」
知らないだけで、日本の地方にはいろいろな美術館や施設がある。こちらも今回初めて知った場所である。山梨県北杜市、清春芸術村。開村は1980年。83年には、白樺派が建設しようとして果たせなかった幻の美術館を、武者小路実篤や志賀直哉を敬愛し親交のあった吉井長三氏(銀座、吉井画廊オーナー)が「清春白樺美術館」として実現させた。設計は谷口吉生氏。私にとってはMIMOCAやMOMAで親しみのある建築家である。先月の金沢でも鈴木大拙館を訪れたばかりである。こちらのルオーコレクションは、圧巻である。油彩画だけでなく、版画、陶器作品も収蔵されているし、白樺派の縁で民藝の作家たちの作品も多い。
敷地にはルオー礼拝堂、梅原龍三郎アトリエ、藤森照信設計の茶室、安藤忠雄設計の光の美術館なども併設され、一画には見事な白樺が群生している。今回は、この白樺を背景に、まさしく白樺のような佳人の写真を撮るためにはるばる来たのである。
佳人というのは、黒田知永子さんである。長年、我がクライアントと一緒にオリジナルブランドのウェアをプロデュースしてくださっている。卓越したファッションセンスでもって新鮮なアイデアをいつもいただき、細部にひねりのきいた大人のカジュアルウェアを作っている。仕事をご一緒するようになってずいぶん長いが、本当にいつお会いしても気持ちのよい人である。ただ美しいだけでなく、可愛らしさと無邪気さと正義感がうまい具合にミックスされて、人としての真っ当さがきちんとある、そんな印象である。もちろん大人世代のファッションアイコンとして、ナチュラルに年を重ねた美しさと、スリムなスタイルをキープしているところは、さすがあっぱれとしか言いようがない。
奇しくも撮影当日が、黒田さんの誕生日であることがわかった。芸術村をネットで調べると、レストラン・パレットというのがあり、電話するとランチを用意できるという。担当の女性といろいろ話をして、バースデーケーキも手配してもらえることになり、乾杯用のシャンパンもお願いした。当日、ランチの打合せのため、レストランに赴くと、なんと電話でお話した女性がシェフなのであった。こちらも美しい人であった。
昼過ぎには撮影終了。いよいよ、バースデーランチである。最初に、シェフが手作りケーキを運んでくれる。まさか、手作りしてくれているとは思いもよらず、それだけでもサプライズである。超大型の四角ケーキ。フルーツがふんだんに飾られて、女性シェフならではの心遣いを感じるデコレーションである。ロケバスさんだけがノンアルコールビールで、後は全員でシャンパン(すみません、手違いでスパークリングワインとなってしまいましたが・・・)でハッピーバースデーの乾杯。
グリーンの彩りがきれいなヴィシソワーズは、初夏にふさわしい冷たいスープ。やさしくまろやかな味である。サラダはまるでフラワーブーケのような盛り付け。サラダ菜、にんじん、タコのマリネ、カボチャ、プチトマト、ソーセージと大根、甘酢のビーツ、ソーセージなどの彩りを計算しながら、リースのようにデコレーションした一品。美しい。野菜の滋味をしみじみと堪能する。メインはカリカリにソテーされた地鶏と牛脂でくるんだ牛肉の煮込み。どちらも丁寧につくっていることがわかる奥行きのある味。美味しゅうございます。そしてデザートは、シェフ手作りのバースデーケーキ。ホールもゴージャスで素敵だったけど、こうして切り分けられているのを見ると、スポンジが三段になった豪華さ。スポンジがみずみずしく、甘さもくどくないので、フルーツとも生クリームともなじんで、ぱくぱく食べられる美味しさ。
この日の清春芸術村は、訪れる人もほとんどおらず貸し切り状態。白樺の林も、ここレストラン・パレットも、シェフも、私たち撮影隊、そして黒田さんのためにあるかのような気分を味わえた。天気にも恵まれた初夏の一日。素敵な時間であった。
お誕生日おめでとうございます。この一年も美しく、麗しく、健康で。
清春芸術村を開村した銀座吉井画廊オーナーによる画廊開設や開村までの苦労話、作家、芸術家たちとの交流譚が描かれた一冊。解説は安藤忠雄。こういう裏話、好き。
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祇園「にしむら」
京都の、いわゆるカウンター割烹ではじめて行ったのが、こちらの店である。その頃ちょくちょく行っていた神戸の和食の大将推薦である。もう二十年前以上のことだ。以来、何度か通ったのだが、どうもタイミングが合わず、そうこうしているうちに京都のベスト、という店ができてしまったので、本当にこちらは久しぶりなのである。
長い間ご無沙汰だった店というのは、自分の中のイメージと実際の誤差が意外とあるもので、あれ、こんなレイアウトだったっけと記憶の曖昧さに驚くのだが、それでも大将の顔や雰囲気はしっかりと覚えている。ここはミシュラン関西版ができたとき掲載拒否したとも聞いた。いい意味で“へんこ”の大将、嫌いじゃない。
この日の先付けは、定番の胡麻豆腐から。なめらかで端正な味にまったりした胡麻ソースがからむ。一匙で昔もたしかに美味しくいただいたことを思い出す。お椀は鱧と細かく叩いたオクラ。朱のお椀の中で、白と緑が美しく映える。京都らしい水のようなお椀である。この味が大好きなのである。ほっと一息つく。お造りは明石の鯛、そして雲丹。大昔、明石の最上の鯛を仕入れているという大将の自慢話(笑)を聞かされた記憶が蘇ってくる。その自慢をきちんと裏づける歯ごたえの素晴らしい鯛の状態であった。そしてここで、またしても名物鯖鮨が出る。これはもう絶品である。(秋から冬にかけては、たしか千枚漬けで巻くのである。今ではすっかり有名になってテイクアウトもできるらしい)八寸は、トウモロコシと空豆の天ぷら、厚焼き玉子。たこの梅酢。白ずいきとたいらぎの和えもの。奥は、山芋とろろに海苔。小さな盃に入れて出されたのはアワビの肝。これが、旨いのなんのって。焼き物は、鯛のお頭。魚はアタマが大好物。もう目玉の回りのゼラチン質には目がないのだ。骨までしゃぶりつくす。そう、私は猫またぎの女なのである。続いて、白味噌仕立ての炊き合せ。上に乗っているのは煮鮑である。日本酒は、純米大吟醸の桃の雫。これ一本。シメは豆ご飯。といっても、贅沢にも錦糸卵を散らし、その上にはローストビーフが乗っている。取り合わせが実にユニークである。デザートは苺のジュレがけ。
いわゆる京都の正統的な懐石の流れから行くと、こちらは少々個性が強く、いわゆる“アク”を感じる店かもしれない。すーっと流れていかないコース構成や、時折投げられる変化球がいろいろあるからである。だが、それも食のお楽しみの一部であると思うし、胡麻豆腐も鯖鮨もここでないと食べられない味になっている。独特のオリジナリティ、私はけっこう好きである。久しぶりに来て、改めてそう思った。
大将は昔の印象のまんま、軽妙で饒舌な人である。ほとんどの料理の下ごしらえは奥の厨房でなされ、最後の仕上げだとか、お造りを切るという見せ場だけがカウンターでプレゼンテーションされる。その間も、素材の話、うつわの話、祇園の噂話など、途切れることなくトークサービスしてくれる。はじめて訪問したらしき若いカップルが二組いたが、祇園のそれなりのしつらえで普通だったら緊張するであろう空間である。その緊張を解きほぐす柔らかでフレンドリーな対応はこたえられないだろうし、佳き思い出として残るであろう。こういう肩肘張らない対応の積み重ねが長く愛される店づくりには欠かせないのだろうと思う。名店が立ち並ぶ祇園も、今や飽和状態である。味にさほど差がないのであれば、大将の人柄や対応が丁寧だったり、楽しかったり、心がこもっていると感じるほうに行きたくなるのは自然な感情であろう。また、機会をつくり、訪れたい店である。
六本木「龍吟」
三年ほど前に一度伺って、シェフの独特のセンスと大胆なプレゼンテーションに驚かされた。以来、なかなか機会を作れなかったのだが、ついに松山倶楽部で実現した。
予約の際に、二階に待合ができていることを聞いたので、友人とはそちらで待ち合わせることにした。先に着いたので、二階に通されお茶を飲んでいたときのことである。入って左手奥にはカウンターがあり、その後のガラスケースにはミミズクの剥製が飾ってあった。広い待合空間には私ひとり。と、ところが、何かがその空間の中で突然動いたのである。何がって、その剥製がである。手に持った湯のみを取り落としそうになり、腰が抜けそうになるほど驚いたのなんのって!!
それは、生きているミミズクだったのである。
思わず、立って近づいてみた。猫のようなまん丸い可愛らしいお目目。すると、今度はいきなり首を180°回転させるのである。エクソシストである。ミミズクは正面から見ると実に愛らしい顔をしているが、横から見るときわめて獰猛、さすがは猛禽類という面構えである。そして端っこにはもう一羽のミミズクが。聞けば、このカウンターのガラスケースの中で飼っているのだそうだ。度肝を抜かれるというのはまさしくこのことだ。まもなくやってきた友人も同じように腰を抜かしていた。
茶事では待合の床に掛けられている軸でその日の趣向をなんとなく推し量る。ミミズクは一体何を暗示するのだろう。ミミズク衝撃の余韻を引きずりながら、いよいよ席入りである。
店内は、満席である。空間の中ほど、全体が見渡せる気持ちのよい席に案内された。まずは、グラスシャンパンで乾杯。友人はランチの量を半分に調整して来たという。私も朝から何も食べていないので、おなかがぐーぐー言っている。ビルカール・サルモンの2004年が空腹の身体を駆け巡っていくのがわかる。
一品目の前菜は、貝尽くし。みる貝やとり貝、ホッキなどの貝類に酢橘をたっぷり絞って。何気なく出されるのだが、ひとつひとつの素材の火入れや炙り方を変えているので、素材によって食感も温度も違う。初っ端から何これ?と顔を見合わせる出来栄えなのである。また、この藍と金彩の伊万里の皿が独特というか、悪趣味ギリギリのところで踏みとどまっている。素晴らしいファーストインプレッションだ。二品目は雲丹のジュレがけ茶碗蒸し。からすみがふんだんにかけられ、小さな山芋、エディブルフラワーが散らされている。雲丹のこっくりした味わいが後を引く旨さ。うつわは、さすがに龍吟というだけあって、龍の胴が大胆に描かれている。お椀はオーソドックスに鱧。かなり立派な大きさで、脂がしっかりのっている。このお出汁に浮いている脂を見よ。さりげなく蓴菜も浮かんでおり、この味もさすがとしか言いようがない。
お造りは備前の陶板に乗った土ものの小皿尽くしでサーブされる。海の幸七皿の盛り合わせ。手前下からアワビ、アオリイカ海苔添え、ぼたん海老、カツオ、真子鰈、あん肝、そして真ん中には毛蟹をアワビの肝で和えたもの。どの順番で食べるか迷ってしまうのだが、迷った果てにどう食べたっていいのだわと気づき、アワビから時計回りに片付けていく。七皿すべてに違う薬味を厳選し、味の変化もきちんと計算されており、シェフの心意気がありありと伝わり、日本酒が進んでしかたがない。讃岐の凱陣、磯自慢、而今。どれも大純吟クラスの名品揃いである。続いての小皿、手前はホタルイカにスナップエンドウ、向こうは無花果の下にフォワグラが隠れている。焼き物は、ぷりぷりの黒ムツ。この火加減は絶妙。大根おろしにも、向こう側のバジル風味のおからにも合うように考えられている。どういう発想でこういう取り合わせになるんだろうね。シェフのアタマの中をのぞいてみたくなる。そして、メインは阿蘇の赤牛フィレの炭火すき焼き仕立て。このコロッケのようなものの中身は半熟の玉子なのである。これを赤牛にからめていただくという趣向。アイデアが楽しく、にんまりしてしまう。気の利いたサプライズですな。そして、シメはからすみ茶漬け。ほんま、たまりませんな。
デザートは名物マンゴー飴である。最初凍った状態で出され、この上にマンゴーのあったかい果肉を載せる。すると写真のような具合になる。まわりのマンゴーアイスは、ほとんどパウダー状である。そしてもう一品。瑞穂の国のデザートであるということをしっかりと意識したプレゼンテーション。お酒のスフレとソフトクリーム。熱燗と冷酒に見立てている。最後の最後まで、意外性と創造性を追求した一品を出してくる。最後はお薄でフィニッシュ。このきめ細かな泡を見よ。こういう状態に点てるにはそれなりの技術がいる。新しい茶筅を使わないとこうはいかない。
龍吟という名前のごとく、店内のインテリアもうつわにも、徹底的に「龍」が現れる。この執拗なまでの徹底は、料理にも当然の如く向けられており、ミミズクの暗示は徹頭徹尾のサプライス仕立てということであろうか。オーソドックスだったのは鱧のお椀ぐらいで、後は意外性の連続だった。素材と素材の組み合わせ方、調理の多様性、味の奥行きの計算、盛り付けのセンス。どれをとっても、強烈なオリジナリティが迸っている。いささかツーマッチ気味のひと皿もないわけではないが、それでもシェフの気概とチャレンジし続ける精神が和食をエンターテイメントに変えている。未知と既知をまたいで、和とかフレンチとかの領域を超え創発し続けている姿勢がある限り、彼はまだまだ進化し続けるのだろう。年に一度くらいは、その進化を楽しみに通いたい店である。ミミズクにも逢いに行きたいし。
逗子の「シネマアミーゴ」
逗子の住宅街の中にある古い一軒家。それを見事に利用して、カフェ&シネマにしているのがここだ。映画好きのオーナーが、映画を観ながら食事ができるようにと改装している20席ほどの小さな映画館。店の名前は「シネマアミーゴ」。洒落ている。
ここ逗子では毎年ゴールデンウィークに逗子海岸映画祭「海の映画館」が催されている。これは、「Play with the earth」地球を遊ぼうをコンセプトに、国内外の優れた映画を海岸で上映するという屋外型映画祭であるらしい。逗子、葉山、鎌倉などの人たちが中心になって運営されているらしいのだが、さすがに湘南は民度が高い(ような気がする)。こちらのカフェにも、縁のあるクリエーターの作品や書籍などが展示販売されており、そこはかとなくインテリジェンスを感じる空間になっている。
本日はこちらで撮影の仕事なのだが、カフェも兼ねており、マクロビ料理を作ると聞いていたので、撮影スタッフの朝ご飯とお昼ご飯の両方をお願いした。一カ所でどちらも賄えるというのは、時間的にも有り難いのである。
朝食は、おにぎりに麸焼き、豆腐、きんぴら、筍などの焼き物。どれも、丁寧につくられていて、滋味という言葉がぴったりのやさしい味だった。お待ちかねのランチは、スタッフから「色がきれい!美味しそう!」と歓声があがった色鮮やかなプレート。一見、凄いカラフルで人工的な色に見えるのだが、実はどれも自然の生き生きした色なのだ。ショッキングピンクのスープは、ビーツのポタージュ。今ではすっかりおなじみになったが、あの赤い色したサトウダイコンの一種は、こんなにもヴィヴィッドな色になるのである。適度な酸っぱさをとてもうまく調理した佳い味である。プレートは上から時計回りにチキンとキャロットのオープンサンド、グリーンピースとじゃがいものペーストを乗せたオープンサンド。パンがカリカリで、チキンもペーストもしっかり味が乗っており、美味しくいただいた。紫色はデザートのヴィーガンカップケーキ。ヴィーガン(vegan)とは、卵も乳製品も動物性の食材を一切使っていないということで、きわめてマクロビと近い考え方の元作られている。(私には一生縁がないと思うが、ベジタリアンの世界も、ポロタリアンとかペスキタリアンとかいろんな階層があるらしい。)6時の位置にあるのが真鯛のローズマリー焼き、カンパチとルッコラの生春巻き、二色の人参と根昆布のサラダ。どれもひと口サイズなのが可愛い。こういうメイン的なものをいろいろ小ぶりでいただくと、幸せな気持ちになります。グラスに入っているのは3色トマトのマリネ。ミントの香りもフレッシュ。そして地野菜のリーフのアンチョビソース添え、野菜をバリバリ食べるとそれだけで健康的なことをしている気持ちになる。ソースとの相性もばつぐん。そして最後にパッションフルーツでお口の中をすっきりさせる。とまあこんな具合。
こういうランチがいただけるのなら、映画を観ながらの食事もおおいに期待できそう。だけど、今のところ、夜、逗子に来るというのはなかなか実現しそうにないので、近くの人がうらやましい。
白金鮨「いまむら」
ずーっと気になっていた店である。店の前をしょっちゅう通っているので、いつかは行ってみたいと思っていた。何度電話してもタイミングが悪く予約できなかったのだが、ある日とうとう席が取れた。
変形L字カウンター。大将が真ん中に立って、すみずみまで目配りできる上手い設計である。私がポールポジションと呼んでいる一番好きなカウンター左端に座った。日本酒は、山形の純吟出羽桜。渋い唐津の徳利とお猪口で出されるともうそれだけで期待値が高まる。ツマミはマツカワ鰈。別名王鰈とも呼ばれる幻の鰈である。ううむ、初っ端からこういうネタで攻めてくるのかと驚嘆する。タコも丁寧に仕事がされており、柔らかいのに弾力がある。蒸しアワビも、完成度高し。またうつわのセンスがいいの。私好み。ホタルイカは西京漬け。白味噌をまとってねっとり妖しく、勝浦のかつおは藁で燻されセクシャルな香ばしさ。たまらず日本酒をおかわりする。銘柄は、大純吟の山桜桃(ゆすら)。キレのある辛口。これをまた身震いするほど枯れた唐津の徳利に入れてくれる。徳利キープしたいくらい私の好みど真ん中である。掌でためつすがめつ、撫でまくる。焼き物はのどぐろ。備前の角皿の爆ぜ具合も大胆にしてこちらの鮨の景色になっている。スープはすっぽん。まさか鮨屋でいただけるとは。新鮮ネタとひと工夫の仕事でもって、もうすっかり大将の術中にはまってしまう。スープで一服して、いよいよ握りである。
アオリイカ。このきめ細かな編み目のような切り込みを見よ。ここに醤油がからむ複雑系。赤酢の利いた固めのシャリにまたよくフィットする。心の中で、「またひとつお気に入りが見つかった!」と快哉を叫ぶ。あくまで心の中だけで。金目鯛。これも脂がしっかりまわっている。とろとろ。美しい切り込みが入ったかすごの昆布締め。馬鹿馬である。マグロのヅケのぬらぬらした表面感も凄い。大トロにいたっては、もうほとんど吉原のお職のような存在感。後ずさりしそうになる。食べながら目を細め、ただただ唸るしかない。完全にネタのレベルに圧倒されている感じ。コハダの美しい仕事にはうっとり陶然。光モノもこちらのシャリによく合う。
後半戦の鳥貝。なんだよ、このエロティックな姿態は、と思わず呟く。鮨ネタになってなおもくねりまくっている。カツオも攻めてくる。なに?この部位、このマッチョな質感。なだめられている車エビの整然さにほっとするのもつかの間。このネタのルックスにもたいがい威圧される。さらには、雲丹のふてぶてしさといったらどうだろう。穴子にいたってはもう女衒のような手だれ感。最後の玉子でようやくホッとリラックスする。
徹頭徹尾、攻めてくる鮨である。いつも出没しているエリアにこんな凄い店があったとは。デザートのきなこのアイスクリームをいただきながら、たまらず手帳を開き、東京出張を確かめ10日後の予約をした。こんなに短期間リピートははじめてのことである。しかし、この鮨の正体をもう一度、確かめずにはいられない。そう、私はチャレンジャーなのだ。鮨のために働いている。
恵比寿の「ラ・ベイエ」
こちらも大のお気に入りフレンチビストロである。ただし、閉店がけっこう早いのと(早いと言っても10時半まではいける)、混んでいるときはものすごく混んでいるので、今年はずーっと振られっぱなし。5月も後半になってやっとこさ予約が取れたのである。
最初に連れてきてくれたのはカメラマンM3氏である。彼の大のお気に入りということで紹介してもらい、定宿の近くということもあって、ちょくちょく伺うようになった。
店はカウンターのみ。料理もサービスもオーナーシェフの風見さんがひとりで切り盛りしている。私は、こういったスタイルの店をこよなく愛している。なにより、これからいただくご馳走を作る人の顔が見えるというのが素晴らしい。それだけで店との距離が一気に縮まるし、使っている食材や調味料、作り方についていろいろ教えてもらえるのも有難い。今年のトリュフはキロいくらだとか、今頃の千葉のアジはめっぽう味がよいとか、このペーストはブランダード(注1)だとかね。食にまつわる幅広い知識を積み重ねておくと、どんな店に行っても楽しめて、何より会話が弾む。食に関するコミュニケーションを愉しむことこそが、カウンター店に行く醍醐味であろう。店によっていろんな学びがあるし、実際に行かないとわからない発見もある。さらには、シェフの人柄に触れることもできる。
そういう意味でも「ラ・ベイエ」は風見シェフの卓越した感覚が随所にあふれるカウンターフレンチである。注1のブランダード。私はこれをここで初めて知った。南仏ではこのブランダード(干しダラのディップ)をパンにつけて食べるのだそうだ。土地の伝統料理であるらしい。風見さんは、鯛のアタマの身にじゃがいも、ガーリックを入れて、オリジナルブランダードを作っている。これとパンとワインだけでも、食事が成立するくらい旨い。が、あまり食べすぎるとほかのお皿が入らなくなるので、いつも抑え気味にしている。
この日は、カリフラワーのスープからスタートした。クリーム仕立てだがしつこくなく、カリフラワーの味がしっかり生きている。アジのマリネは今とても味がよいという千葉県産アジを使っている。シャキシャキの玉ねぎや人参もふんだんに入ったヘルシーメニュー。アジのシメ具合、神業の如し。メインは、カマスのソテーアンチョビソース。和食ではいつも淡白な滋味という印象のカマスが、カリカリにソテーされると攻撃的な一品になる。アンチョビソースの濃厚さに負けないカマス!そのコーディネーションの妙に唸る。シメは春キャベツと白魚のパスタ。キャベツが生き生きしている。そこに清楚な白魚が絶妙な塩気をまとって、からんでいく。ふうう。やっぱり、素晴らしい。フレンチなのになんでパスタがあるの?なんて野暮は言いっこなし。
こちらは、デザートも悪魔級。この日は我慢することができたが、私が大好きなのはモンブラン。アマレットを吸わせたスポンジケーキの上に栗のピュレを無造作に乗せるというもので、こたえられない一品である。次回は絶対にいただこうっと。
有楽町「ヘイフンテラス」
ヘイフンテラスは有楽町ザ・ペニンシュラ東京の中にある。ここのホテルは部屋も含めインテリアはグッドテイストなのだが、いかんせん一階のロビーが狭く、朝ごはんを食べたりお茶をするにはあまりくつろげない。その上、休日の昼頃ともなると、アフタヌーンティーの順番を待つお客さんの長蛇の列でロビー全体がとても喧しい。だが、二階にあるここは別である。イメージは蘇州の中国庭園。鳥かごなども吊られ、一瞬ここが日本であることを忘れそうになるくらいインテリアには凝っている。オープン当初何度か来てからは何となく足が遠のいていたのだが、久々に思い出しやってきた。まあ、有楽町で昨夜のリベンジをしておかないと、という向こうっ気もある(笑)。
ランチメニューに「石垣島菜譜」とある。島豆腐とか石垣産もろみ豚とかパパイヤのローカル食材に惹かれ、チャレンジすることにした。前菜は、手作り点心入りの盛り合わせ。翡翠色の蒸し餃子には海藻がたっぷり。手前の二色の金魚には、ぷるぷるの海老が入ってる。スープは、海鮮とキヌガサ茸、アオサ、島豆腐入り。この島豆腐、しっかり大豆の味わいが残っていて美味。アオサが入っているのもいかにもヘルシーで、小気味良く喉を通って行く。中華といえばカロリーが高そうで、脂っこいイメージがあるが、こんな沖縄の食材なら大歓迎である。メインは、石垣島産もろみ豚と冬瓜の黒豆ソース煮込み。泡盛の酒粕を食べて育ったもろみ豚は、今やあぐー豚と肩を並べるブランドになっているのだそう。酒粕で育てられるなんて、なんと幸せな豚だろう。柔らかな肉質である。黒豆ソースとも相性がよい。シメは石垣島産白ニガウリとフィッシュスープの沖縄そば。一見濃厚に見える白いスープは魚のエキスがたっぷりで、まったくしつこくない。ニガウリにスープがよく染みこんでむにゅりとした絶妙の食感である。デザートは石垣島産パパイヤのプリンと胡麻団子。ひんやり冷たいプリンとあつあつの胡麻団子のコーディネーションが実に心憎い。軽やかで、ヘルシーで、しっかり美味しいランチコースであった。
最初にグラスシャンパンを頼んだので、おつまみには胡桃の飴だきが出された。実はこれ、大好物。大昔、こちらのホテルに泊まったときは、スペシャルに部屋に持ち帰る分までもらって帰ったことがある。胡桃を贅沢に飴だきして、胡麻をかけただけのデザートであるが、これが何とも癖になる味なのだ。ま、シャンパンと一緒にというよりは、ソファに寝転がってビデオでも見ながらカリカリ、ポリポリしたい贅沢おやつであろう。(カロリーのことは考えない・・・)
こちらのヘイフンテラスにはもうひとつ名物メニューがある。「豚バラ肉の角煮 宝塔仕立て」。東北産のプラチナポークのバラ肉を、甘辛いタレで煮込んだいわゆる角煮なのだが、この角煮を四角くつなげて切って、塔に見立てて重ねていくというユニークな形が売り。これを蒸しパンに包んで食べるのである。とろとろに溶けかけている角煮とそののエキスを蒸しパンが頼もしく吸い取ってくれるのである。その甘美な味わいに、きっと誰しもがくらくらしてしまうであろう。大人数で行くなら、絶対おすすめである。二人ぐらいだと、それだけで食事が終わってしまうのでなかなか注文できないが。
銀座のイタリアン
基本ネガティブなことはあまり書きたくない。美味しいとか不味いとかはあくまで主観的な話であるからだ。だけど、ときに書かずにいられなくなるときもある。第57夜は店のサービスだったが今夜は両方だった。この日の宿は有楽町。銀座に到着するのは9時半頃。最近イタリアンを食べていないので、名古屋を過ぎるあたりから、口が完全にマンジャーレ状態になっていた。ネットで銀座の店を調べていたら、この店がヒットした。電話するとうまい具合に空いていた。ラストオーダーは10時。5分前に駆け込む。ここは前菜、パスタ、メインをメニューから選べるプリフィクススタイル。客層は圧倒的に若い。できるだけオーソドックスなメニューを頼んでみた。
前菜は、注文するやいなや、というくらいの早さで出てきた。マグロとアボガドのタルタル。チコリの上に乗っていて、浅葱がかかっている。私でも簡単につくれるシンプルな料理だから、プロはどんな味にするのだろうという期待があった。だが、これなら私でもつくれそう。それにやや味が濃い。どうってことはない。パスタはクリームスパゲティ。パスタはいい具合のアルデンテではあるが、いかんせんクリームソースが塩辛い。メインは秀味豚のカツレツルッコラとトマトサラダ添え。泣きたくなるほど普通だった。こちらもかなり塩辛い。
店の向かいにもうひとつ店があるのか、はたまた洗い場があるのだろうか。スタッフがバタン、バタンと大きな音を立て、入り口から何度も出入りする。二重になったドアの建て付けが悪いのだろうか、かなり大きな耳障りな音だ。とても気になる。店全体がざわざわしていたり、スタッフの声が気持ちよく通っているような活気ではなく、ここに満ちているのは雑音だ。ホールの給仕もしっかりした女性が二人いるにはいるが、男の子はぎこちなく、不躾で、年配の男性も気が利かない。店自体はチープなつくりである。それならそれでもっとフレンドリーな雰囲気を演出すればいいのだが、それもない。これなら、今どきのファミリーレストランの方が、ずっといいのではないか。そんな気持ちになった。
昔は美味しくいい店だったのかもしれない。だが、店が大きくなり、作り手が変わり、客が押し寄せはじめると、当初の味とサービスをキープし続けるというのはとても難しいことだ。気軽なカジュアルさをめざしていることはよくわかるが、カジュアルということとただの無造作というのは違う。私が厳しいのかもしれないけれど、大人も若者も一緒に気軽に楽しめてこそのカジュアルである。それに味の濃さ、塩辛さ。私が年を取り薄味になったのか?など自問自答してみるが、ちゃんと塩気がフォーカスするところは他の店でもいっぱいある。やはり、ここの味は全体に塩辛いと結論づけてもよかろう。
今回選んだメニューがたまたま悪かった?これだけで結論を出してしまうのは、申し訳ない?いろいろ考えてはみたが、店との出会いもやはり一期一会。もう一度試してみたいと思わせるには何かが決定的に足りない。非常に残念な夜であった。
ご存知「焼きそばUFO」
鮨旅行を満喫して、家に帰り着いたのが午後11時過ぎ。昼、夜と、天ぷら&鮨を食べているのに、深夜が近づくと小腹が空いている。ちょっと近所のコンビニでお茶を買うだけのつもりでいたが・・・・
年3〜4回、私は無性に「焼きそばUFO」が食べたくなる。それも適度に酔っ払っている深夜の魔の時間帯。いろいろ新商品は並んでいるのに、ヤツはちゃんといちばん目につく棚に鎮座しているのである。いかん、いかん、と思う。思いながらも、手がUFOへとすでにアフォーダンスしている。
会計を済ますと一目散に家に戻り、すぐさま湯を沸かす。バリバリと外側のビニールを剥ぎ、トップのシールを半分はがすと、そこへ生卵を一個割り入れ、常備している成城石井の自家製ポークウインナーを2、3本入れ、湧いたお湯を注ぐのである。3分経っても卵は半熟のまだ手前。そこへ付属のソースを入れ、麺になじませているうちに卵が麺にからんでいく。ふっふ、これ、たまりませんな。
高校3年間、そして大学も入れると7年間を寄宿舎で暮らしてきた。ちゃんと3食完備していた環境ではあったが、なにしろ若い。深夜になるとおなかが空いて空いてたまらない。そこで食べるのが、「焼きそばUFO」をはじめとするインスタントラーメン系だった。いちばんよく食べたのは明星食品の「ちびろく」である。小さなインスタントラーメンが6個セットになっていて、これをマグカップに1個入れお湯を注いでラップをかけると、ちょうどよいミニラーメンになるのである。あの頃、寄宿舎のどの部屋にも常備されていたヘビロテアイテムだったはずだ。せんだみつおが出ていた軽薄なコマーシャルも懐かしい。
そこへいくと「焼きそばUFO」は別格だった。ラーメンではなく、焼きそばがお湯だけで作れるのである。あの当時オタフクが作っていたというソースの味は、その頃流行り始めたマクドナルドやケンタッキーフライドチキンよりもっと強烈に若い味覚中枢を刺激したのである。以来、その味は大脳皮質味覚野の深いところに確実にインプットされ、年に数回、その味への熱望がまるでプログラムされているかのようにある頻度を持って出現するのである。さんざん鮨三昧などしたこの日も、久しぶりに発作が出た。
いっとき、「ペヤング」も美味しいという人がいて、酔狂なことに「焼きそばUFO」と同時に食べ比べたことがある。さすがに、「ペヤング」もなかなかのものだった。だが、「ペヤング」は昔は関東でしか売っていなかったのである。大脳皮質に味の記憶がないのである。これはどうしても、やっぱり、「焼きそばUFO」に軍配が上がろう。甲乙つけがたい焼きそばも、すでにインプリンティングされている味にはどうしたってかなわないのである。
金沢・鮨「あいじ」
本当は空腹でちゃんと伺うべきであった。鮨旅行の最後の最後、早めの夕食をと予約していたが、さすがに鮨だけ4連発はキツイと思い、最終日のランチに天ぷらを入れた。そのせいで、ランチの後かなり歩いてはみても思ったほど空腹にはなっていない。それでも、次来るのはたぶん一年後になると思うと、ついつい欲張ってしまうのは悲しい性である。
こちらのお店も犀川のすぐ傍の路地沿いにある。時間が早いので他に客はいない。あまりお腹が空いていないので、申し訳ないですが軽めでとお願いする。快く「では食べていただきたいものをメインにお出しします」との返答。鮨はこういうとき、自分のペースで食べられるので本当に便利である。もちろん、要望にきちんと応えてくれる鮨屋であるからこそであるが。
とはいいながらも、いきなり鮨は食べない。やはり少しだけでもツマミは味わいたいのである。塩でいただくタコ。がすえびのお椀でほっと一息ついて。お造りは、アラの生と炙り二種、アカイカ、ヒラマサ、のどぐろの炙り。金沢でアラをいただけるとは思わなかった。もっとも、いまだにクエとアラの区別が厳密にはできない。そしてまとう鯛のポン酢。鮨は甘海老の昆布締め。これは初めていただく。昆布で締めることで、ただでさえねっとりした甘海老が、昆布のエキスをまとい究極のにちにち状態に。煮はまぐりもとろける食感で、非常によい仕事がなされている。今度はキンキの昆布締め。キンキという魚も大好物なのであるが、あの脂が昆布によってなだめられ、おだやかかつまろやかな味になっている。続いて雲丹の蒸し寿司。こちらの自信作らしいが、雲丹の上に熱々のあんがかかっている。生ものばかり食べているから、あたたかいものが間に入るとホッとする。初日の「八や」でも蒸し鮨が出たが、これはやはり北国金沢ならではの配慮なのだろうか。こういうのがその地方地方で特徴的に感じられるのが、日本のいいところであるし、旅先で必ず鮨に行く愉しみでもある。お次はまとう鯛。マナガツオに似た旨味が凝縮した味で、これも初めていただいた。いろいろ知らない地の魚をいただけるというのが、鮨好き、魚好きにはこたえられない鮨旅行の醍醐味である。
こちらの店は、ガリの代わりに野菜の浅漬けが出るのもユニークである。鮨が続いているので、ガリの酢ではない野菜の甘さとシャキシャキした食感が新鮮に感じられたということもあっただろう。
だけど、鮨だけでなくご馳走というもの、やはりおなかをぺこぺこにして食べなければ、店にも悪いし後味もよくない。何事もやり過ぎ(食べ過ぎ)、ツーマッチにならないようにと自分自身を戒める。しかし、二泊三日の鮨旅行。こちらも含めて初めての店にも行け、たいへんに充実した日々であった。また、一年後。
金沢バー「bar quinase」
この店は、「小泉」の大将に教えてもらった。金沢の飲食店口コミ数珠つなぎである(笑)。「スコッチとかを飲むのに感じのいいバー」というリクエストで、真っ先に名前が上がった。初めて行って、いろいろ話をすると「みつ川」の大将も、もちろん「小泉」の大将もよく来る店であることがわかった。さらに、一年後に来てみると、マスターが私の顔を見るなり「みつ川」の帰りですか?と話しかけてきたので、その凄い記憶力にも驚嘆させられた。
鮨や天ぷらもいいが、食後のスコッチのために、多少は余力を残しておかなければいけない。もちろん、ここに来るために。
店があるのは片町。香林坊裏手の猥雑で少し妖しい繁華街を歩くと、「bar quinase」の看板が出ている。ドアを開くと、そこは別世界。手前右に小さなテーブルがふたつ、そして右手には奥まで続く長いカウンター。きわめてオーセンティックな大人のバーが出現する。店名の「quinase」はオーナーである木名瀬さんの名前をベースに、ちょっとした遊び心でもってフランス語風に「qui」をつけている。洒落ているではないか。
カウンターはかなり長いのにもかかわらず10席しかない。つまり、広々とした気持ちのよいカウンターで、ゆったりとくつろげるバーなのである。私はほとんどスコッチしか飲んでいないのだが、知らない名前のレアスコッチもたくさんそろえているし、回りの人が飲んでいるカクテルなどもすこぶる美味しそうである。イギリスの生ビール「bass pale ale」を樽で出したりもするらしいし、オリジナルジンジャーエールを使うモスコミュールも評判であるらしい。マスターである木名瀬さんは、とてもお茶目で気さくなキャラクター。この長いカウンターと手前のテーブル席すべてをひとりで仕切りながらも、いろんなおいしいもの情報はもちろん、ウイスキーやカクテルについてもいろいろ薀蓄を語ってくれる。こういう店を旅先でひとつ押さえておくと、たいへんに心強いのである。
観光都市金沢にふさわしく、私が伺う連休には関西からの客も多い。今はまだ圧倒的に関西方面からの観光客が多いようだが、新幹線が開通する春以降は関東からの客でもきっと賑わうだろう。
金沢の天ぷら「小泉」
こちらは「みつ川」の大将に教えてもらった店である。鮨ばかりに気をとられていたが、旨い魚が穫れる地なら天ぷらだって旨いに違いない。しかも、店があるのは「みつ川」があった場所。それだけでもこちらにとってはなじみがあるし、商売としても縁起のいい場所であろう。
初訪問のとき、カウンターに置いてある皿に見覚えがあった。軽やかに歪んだ織部の四角い皿。「え、これって、作助さん?」「そうです、作助窯です」というのに、びっくりしてしまった。私も同じ皿を持っているからである。こういうシンクロニシティがあるだけで、前から知っている店のような気分になるし、何よりちょっとした趣味の一致はうれしく、楽しいものである。もうひとつ驚いたのは、木のお椀だと思っていたものが、古い大樋焼の骨董だったこと。軽く、薄く、木にしか見えない手触りに唸り、しばしうつわ談義が弾んだ。
肝心の天ぷらも申し分がない。「みつ川」の大将が推薦するだけあって、からっと揚がった天ぷらは、噛むとさくっと柔らかく、もういくらでも食べられる軽さなのである。大将の小泉さんは関西出身。胡麻油ではなく紅花油で揚げているというから、軽やかさの秘密はそこにあるのだろう。そしてこちらでもイカを三枚におろすところを目撃した。「弥助さんスタイルだね」と指摘すると、なんだか大将はうれしそうだった。連綿と続いていくであろう金沢の作法である。(第70夜・71夜参照)
コースをお願いすると天ぷらの前にいろいろ突き出しが出てくるが、これがめっぽう美味である。よもぎ豆腐の上に、白魚の昆布締めをあしらったもの。独特の弾力に、ねっとりした海老がからんで、後を引く旨さ。続いてやなぎ鰆の炙りのサラダ仕立て。もちろんこの鰆とはかじきのことである。日本酒は、富山の羽根屋という生原酒。このフルーティさが鰆に合うのだ。そして再び、あの驚きの大樋焼のお椀で出されたのは、能登牛のしゃぶしゃぶ風に筍、ふきの炊合せ。たっぷりの花山椒が乗ってい、おつゆもふんだん。胃がやさしくあたたまったら、いよいよ天ぷらのスタートである。
海苔の上に雲丹を載せたもの。前回も同じものが出てきてびっくりしたのだが、海苔はカリカリなのに、雲丹は半生でとろけ、口の中で多彩な食感が混じりあう。そして才巻海老。こちらもさくっと噛めば、なかは絶妙な半生。口直しのらっきょうやトマトをいただいた後は、きすと空豆。はふはふ言いながら頬張る幸せよ。立派なアスパラも、さくさくでジューシー。天つゆでも、塩でも、どちらでもいける。そして鮎は泳いでいた時のように立ってサーブされる。手前は穴子。もうぱくぱく夢中になって食べている。めごちもさくさく、イカはふんにゃり柔らかい。白子はポン酢でいただく。シメはかき揚げの天茶。もっともっと食べたかったが、ランチだし夜もあるので我慢した。いや、ここまででも、充分にいただいているのではあるのだが・・・。
こちらの大将。素材を厳選し新鮮な魚介類や野菜を仕入れるだけでなく、ちゃんと食感を計算しつつ、絶妙のタイミングで天ぷらを揚げている。技術だけでなく、心意気も、うつわへのこだわりも、光っている。「みつ川」の大将と競い合うようにして、うつわや骨董を探しているとも聞いた。なにより、大将を眺めていると「くまのプーさん」に見えてしようがないのである。大将にはいささか狭いであろう(失礼)カウンターの中で、美味しいものを一生懸命にこしらえている姿がそう見えるのである。美味しいものに目がない「プーさん」がつくるものが美味しくないはずはないだろう。
ひがし茶屋街「みつ川」
初めて訪れたときは、犀川沿いの歓楽街の雑居ビルの中にあった。店の前の路地を奥まで行くと、犀川の堤防が見えるロケーション。店はきゅっとコンパクトでカウンターのみ。そのカウンターからきりっと軽快で見目の良い鮨を握っていて、いっぺんで気に入った。昼に「小松弥助」に行ったばっかりだったので、大将がイカの三枚おろしをしていたのに思わず「あ、その切り方って・・」と言ってしまった。すると「うん、そうです。だけどあいだに大葉をはさんでいるから完全ぱくりじゃないですよ」と茶目っ気たっぷりに返された。「小松弥助」の森田親方の方法は、こうして金沢の若手にしっかり受け継がれているのである。いいと思ったものはちゃんと敬意を表しながら、積極的に取り入れていく。こういった姿勢はどんな分野でも大事なことだろうと思う。
犀川沿いの店に二度ほど通った後に、浅野川の向こうにあるひがし茶屋街に移転したとの案内をもらった。ひがし茶屋街は観光地金沢の中でも、出格子のある古い街並みが残った昔ながらのエリア。夕刻ともなると軒灯りがともり、独特の風情が漂う。その目抜き通りから一本脇に入った路地のどんつきにある連子格子の町家。ひっそりとのれんがかかっている。地の利を得た、最高のロケーションである。カウンターは8席。座れる人数が前とほとんど変わっていないのがとてもよい。拡張ではなく、さらなる充実を選択した意気込みを感じる。インテリアも、さりげない中にこだわりが光る。和紙を網代組にすることで光をやわらげた天井、すがすがしい檜のカウンター。正面に置かれた皿は、前の店でも使っていた大樋焼。店が新しくなったからといって変えないものがきちんとあることも、軸がブレていないことの証拠であろう。
一年ぶりである。日本酒はアンティークバカラや切子の徳利やグラスで供される。これもわざわざパリへ探しに行くと聞いたことがある。そのこだわりは半端ではない。大樋焼にはじまって、九谷の名品もさりげなく使っている。名工八十吉について常連さんと語っていたこともある。考えてみれば、金沢は空襲を受けず、街そのものが江戸時代と地続きの土地である。名品も多く残っていることは想像に難くない。それに何より、大将本人がうつわが好きなのだろう。焼き物の話もここではいろいろ弾むのだ。
今回は、黒龍をいただきながらもずく酢。生姜を利かせてあり、この酢で胃袋がぎゅっと収縮し食欲が高まってくる。バイ貝とイカの酢味噌あえは、弾力ある歯ごたえがたまらない。ぱくぱく食べる。皿に並んでいるのは真子鰈、アカニシ貝、アオリイカ、そしてがすえびである。6月中旬までしか食べられない例のえび三兄弟のひとつである。ねっとりと舌にからみつく。鰆の西京焼き。瀬戸内海のとは微妙に違うのだが、金沢でも鰆はもちろん穫れるのである。ただし厳密にはこちらではかじきのことを鰆と呼ぶらしい。ホタルイカのあえもの。これはもうこの地のお家芸的ネタであろう。盤石の味わいである。タコとイカは少し甘めの出汁に浸かっている。カワハギには肝ソースがかかっている。これも絶品。最後に、のどぐろの頭の煮付けと若竹煮。いちばん美味しいところである。目玉も大好物。ゼラチン質の身が、面白いようにぽろりとはずれる。
握りは石鯛。コチ。こういう白身の変化球、大好きなんである。きりり端正なこちらの酢飯に、よくマッチしていると思う。すみいかの歯ごたえもこたえられない。白えびも関西ではなかなか食べられない地元ネタ。軽く炙ったかつおは香ばしく、バイ貝も金沢ならでは。一応江戸前なので大トロも。そしてあじ、さより、煮はまぐりときて、穴子。軽く炙って塩でいただく。うにはイカの上に乗っている。こちらも塩で。そして最後はのどぐろの手巻き。これがまた、旨いのだ。こちらの定番的シメの一品である。デザートにはもちろん玉子をいただく。気分よく酒を飲み、ぱくぱく食べ、よい心持ちになる。
久しぶりなので大将といろいろ話していて吃驚した。新しい店を近江町市場に出したという。そちらは、もっとリーズナブルに鮨を食べられる店らしい。そして、もうひとつ驚いたのは、まもなく新幹線が開通する金沢駅にも二号店を出すという(今現在、金沢駅の中にあるらしい)。こちらのお店で修行したお弟子さんがそちらの新店には出るらしいのだが、店を拡大するというよりは本店とそのデフュージョンブランドといった関係のようである。こちらで充分満足しているし、めったに来られない地であるから行く機会はなかなかなさそうだが、万が一本店の予約がとれないときは立ち寄ってみたいと思う。
金沢「小松弥助」
噂はいろいろ聞いていた。どんな鮨を出すのか、それがどんな風に旨いのか、なぜアパホテルの中にあるのか。行ったことのある人からは、大将のさまざまな伝説がいろいろ脚色されて面白いように語られた。初めて行くとき金沢の駅からタクシーに乗り行き先を片町のアパホテルと告げると、運転手さんに「弥助」さんに行かれるの、とも聞かれた。雑誌の鮨特集でもいつも常連である。こんなふうに、行く前から詳細な事情やプロフィールが語られる店などあまりない。(次郎もそうかもしれない)
だけどはじめて伺ったとき、ああなんだかんだと言われてはいるけれど、結局みんなこの人柄に惹かれて来るのだということがよくわかった。とにかく、この店には何かとてつもなくやさしい気配が満ちているのだ。開店直後の一回めだったせいもあり、全員が席について大将の登場を今か今かと待っており、するとお職の登場とばかりに大将がカウンターに入るのだが、それがちっとも嫌味じゃない。いつも微笑みをたたえている人っているけれど、大将もそんな感じの柔和さ。そしてひとりひとりに親密な様子で声をかけていく。「どこから来たの〜」とか「今日はお天気がいいね〜」「おいしい鮨食べていってな〜」てな具合。そうしてひとりひとりにどう食べるかを聞いていく。基本はおまかせである。この時点で、全員が笑顔になるのである。
やっぱり度肝を抜かれたのは、噂に聞いていた口の中でふわりほどける握りである。あらかじめネタに切り込みを入れたり、細かくしているので、口の中に入れるとシャリとネタがすぐさま渾然一体となるのである。なかでも、吃驚したのはすでに切るだけの状態になっているイカをカウンターで三枚におろすのである。そのおろして薄くしたイカを今度は細かく刻み、それを掌に適量とり握るのである。こんなイカの握りははじめてであった。(このイカの三枚おろし、金沢では流行っている。若い鮨職人や料理人がこぞって真似るのである)このイカを幸せそうに頬張っていると、大将に「おいしそうな顔して食べてくれてるなあ」と言われたことがある。そういうコミュニケーションも含めて、口福だけでなく、降伏させられる店なのである。
今回でもう足かけ7年くらいになるのだろうか。昼間だけれど、加賀鳶の純米大吟醸をまずはちびりちびり飲る。最初のアテはざくざくと切ったマグロにこのわたをかけたもの。これね、あきまへんのよ。マグロだけだったら、普通で終わってしまうところだけど、これにこのわたをかけようという発想がさすがに手だれ。お昼ということを忘れそうになる。続いて、鯛、バイ貝、中トロ。これもご覧のように、鯛も食べやすいように切り込みが入っているし、中トロもざくざく切っている。この一見無造作にやっているように見える作業が、実は口の中で繊細な味を引き出すための巨匠が行き着いたテクニックなのかもしれない。ここでもう少し何かいる?と聞かれたので、もう少し、と言うと、例のイカと雲丹が出る。お昼の日本酒は一瓶と決めているので(それでも300ml入ってる)ほんとうに、ちびちびと飲る。
そして握り。まずはマグロのズケ。こちらもお約束の切り込みがちゃんと入っている。そして、今回はテーブル席だったので、盛り合わせで例のイカ、甘エビ、バイ貝、煮はまぐり、大トロの炙り。そしてトロにとろろをかけ雲丹を乗せた小どんぶり。シメはうなきゅうの手巻き。ここまでが一人前の握りである。これで足りなきゃ、追加でお好みを言うシステム。穴子とネギトロでシメた。
昼だけの営業で11時半スタート、終了は4時頃。御年80を超えていると聞く大将がこのサービス精神でお昼三回転もしたら、たしかにとてもじゃないけど夜の営業はできないだろう。カウンターの中にいるのは大将とお弟子さんひとりだけだし。このお弟子さんがまた、非常に段取り良くてきぱきと下ごしらえなどを仕切っていて、いつも見ていて気持ちがいい。大将にはいつまでもお元気で握りつづていただきたいと切に願う。
◎追記 その1
こちらのテイクアウト鮨がとても楽しい。その名も「弥次喜多」というばくだん鮨おにぎり。細かく刻んだネタを醤油で和え海苔で包んだものを具に握るおにぎりで、関西に帰る日に立ち寄ったときはいつもお願いする。サンダーバードの中で、これを頬張っているとホントに弥次喜多道中しているみたいで、無性に愉快な心持ちになってくる。
◎追記 その2
私はこちらで使っているうつわもとても好きで、作家さんを奥様に教えていただき何年か前にその作品を手に入れた。ただし、この握りが乗っているのは、今はもう焼いていないと言われあきらめていたのだが、今回この写真をうつわ屋さんにしつこく見せるとオーダーできるということになり、ついに念願の弥助皿(勝手にネーミング)が手元にやってきたのである。別に家で鮨は握らないけど・・・買ってきた鮨をこの皿に盛るだけで気分が違うやね。
金沢郊外「鮨 八や」
連休後半。ここ5年ほどこの時期になると決まって金沢に行きたくなってくる。たいていは興味ある美術展と鮨とのセットという名目ではあるが、ま、これははっきり言って鮨旅行である。
そして決行には条件がある。昼に「小松弥助」が予約できるかどうか。「小松弥助」のOKが出ると、自動的に夜は「みつ川」を予約する。このふたつが揃ったところで、ホテルとサンダーバードの予約をするという按配。盤石のこの二軒をまず押さえておいて、新店開拓などを目論むのである。
今回は二泊。二日目の昼と夜が決まっているので、移動日の夜をどうするか。他に行きたい店もあったが満席で、いろいろ探していたら家庭画報金沢特集にこの店が紹介されていた。ま、このクラスの雑誌なら、そうそうハズレはしないだろう。ということで「八や」を予約した。お店があるのは金沢郊外。タクシーが停まったのは住宅街の中。ん?こんなところにお店があるのと思いきや、すぐ先の一軒家がめざす「八や」であった。中はけっこう広々としてカウンターも気持ちがよい。
最初に出てきたのは、煮はまぐりの潮汁。うーん、いきなりこれは意表を突いてくる。そしてそのお出汁を取ったはまぐりの握り。そんなにお腹がペコペコな顔してますか?私?どうやらこれはこちらの店の流儀であるらしい。ひとまず胃を休ませてからスタートしていただきたいという配慮の行き届いた一品なのである。涼し気なガラスのうつわに入れられたお造りはしめ鯖、がんど、バイ貝、真子鰈、さより。がんどというのは、ぶりの小さいのを言うのだと大将が教えてくれる。
コズクラ→フクラギ→ガンド→ブリと北陸ではなるらしい。
ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ、これが関西バージョン。
地方によって、いろいろ呼び名が変わるのが面白い。というかこれだけ取ってみても、日本という国の豊かな多様性を感じてしまう。鮨屋でも文化人類学は学べるのである。ホタルイカは、軽く燻製したのと、酢味噌和えと。横にはしこしこの真河豚の幽庵焼き。お椀に入っているのは、なんと蒸し寿司である。能登宇出津(うしつ)で穫れる白子をとろとろにして蒸し、二杯酢をかけており、これもこちらの名物なのだそうだ。ここにしかないメニューというのがあるのはやっぱりいい。大根をたっぷり盛っているのはこちらも宇出津のマグロ。軽く炙っており、上品な脂が乗っている。そしてこのわたとイカの巻物。この取り合わせも初めてだが、イケる。そして、ここからは握り。マグロ、コハダ、大トロの炙りと続いて、海老三種。手前からしろえび、がすえび、あまえび。しろえびは4月解禁、がすえびは6月中旬まで。三種揃い踏みはこの季節ならではである。それぞれにねっとりと独特の旨味がある。こういう海老の楽しみ方ができるのも、北陸という地ならではの贅沢である。続いて、うに、がんど、のどぐろと食し、玉子はだし巻き風と海老入りの二種類。最後にトロ鉄火をいただいた。
場所柄、地元の人も多そうだし、わざわざ足を伸ばす観光客も多いという。こんどは真冬に来てみたい。
イカリスーパーの「鮭鮨」
JR大阪駅構内にあるいかりは、会社へ向かう前についふらふらっと立ち寄ってしまう魔窟のようなスーパーである。通勤客をターゲットにしているので、お惣菜や弁当がとても充実しているし、悔しいけれど地元のいかりよりずっと大きいので新商品チェックにも欠かせない。ここである日、鮭鮨に出会ったのである。
流通の悪かった子供の頃のうどん県では、鮭といえばお歳暮にいただく塩鮭くらいしかなかったし、普段に食べる鮭もあるにはあったがとても塩辛く、もっぱらお茶漬け用だった。筋子(すずこと呼んでいた)は好物だったけどこちらもかなり塩辛く、スモークサーモンは当時は高級品でそんなに頻繁には食べさせてもらえなかった。ほんとうに美味しいイクラを食べたのは、ずっと後である。だから、大人になって北海道などへ行くとイクラ丼に夢中になったものだし、お取り寄せして大量のイクラをひとり占め丼にするなんてこともそうとうやってきた。その鮭が、イクラが、今や生状態になって、しかも鮨ネタになって、スーパーで売られているのである。
最初夢中になったのは、鮭の親子鮨である。酢飯に錦糸卵、きざみのりを乗せたものを台にし脂がたっぷり乗った鮭の切り身を惜しげも無く広げ、その上にイクラがこれまた大漁に乗っている。どこから箸を入れればいいのか迷うほどのゴージャスさである。いっときハマって、週のうち2日くらいこれを食べていた時期もある。そしてある日、またまた見つけたのがサーモン尽くし鮨である。鮭の握り、切り身の巻きずし、その巻きずしの上にイクラを乗せた3種が交互にアソートされており、このこれでもか攻撃にもノックアウトされてしまった。ここで買う弁当は、たいていこの二種類のどちらかである。
こんなに同じものばかり食べていて、大丈夫か?とも思うのだが、今や、鮭にはオメガ3脂肪酸が豊富に含まれていることがわかっている。うん、オメガ3脂肪酸。いっときイワシや鯖など青魚に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)が話題になったが、それにさらにALA(a-リノレン酸)をプラスした三種の脂肪酸のことで、これが理想的に含まれているのが鮭なのである。アタマが良くなる。血液がサラサラになる。中性脂肪が減る。そう信じて、食べ続けている。
何事もやり過ぎ、食べ過ぎが良くないってことはじゅうじゅう知っているのだが・・・。
南森町の割烹「宮本」
今年二回目の宮本である。今回は会社の女の子を連れてきた。勤続二十年。御年大台に乗っかった祝いも兼ねてである。フレンチと宮本、どっちがいい?と聞くと、間髪入れず「宮本」と帰ってきた。いいね、いいね。ナイスなセレクトだ。
四月の宮本は、春の峻烈な香りで満ちている。
先付けは、ゆずを纏った赤貝の白味噌和え。これがはまぐりのうつわに入って出てくる。味覚と視覚で愉しむ貝の競演。もちろん日本酒はお気に入り新政のナンバーシックスである。お椀はアブラメ。葛打ちされて、ぷるぷると出汁のなかで震えている。下に隠れているのは蓬豆腐。木の芽の香りが春の野に誘う。お造りは鯛とすみいか、鮪。どれも最高の状態にキープされており、とくに鯛は心地のよい歯ごたえである。ナンバーシックスの後は同じ新政の杉樽貯蔵酒なまざけをいただく。焼き物は見事な筍である。いい状態のものが入った時しか使えないという京の筍。この時期、継続的にと努力はしているけれど、自然のものゆえにずーっとあるとは限らないという。出会えるかどうかは、まさしくご縁。こちらにもたっぷりの木の芽が添えられている。筍と木の芽。春にはこの取り合わせに勝るものはないと思う。視覚、嗅覚にまで訴えかけてくる季節のご馳走である。八寸は可愛らしいお重に入ったお寿司やお豆、玉子焼き、和え物。手前の桜の香合に入っているのは、筍の木の芽和え。春の風情を視覚と嗅覚で満喫する。そして歓声をあげたのが、ふつふつと煮えているしゃぶしゃぶ。上にたっぷり乗っかっているのは実山椒である。ぷちぷちが口の中ではじけ、ピリリとした辛さが、しゃぶしゃぶたれの甘さに喝を入れ、こたえられない美味を生む。
木の芽と実山椒。知らなかったのだが、木の芽は山椒の若芽を摘み取ったものなのだそうだ。使う直前に軽く叩いて葉の細胞をつぶすことで香りが増す。いっぽう実山椒はちりめん山椒などに使われることが多く、こうして料理にスパイスとして使っているのははじめていただいた。同じ山椒でも、収穫時期とどこで取れるかによって成長の度合いが違うので同時に料理に使うということができるのだろう。狭いようで、南北に長い日本。桜前線のように魚も野菜も産地によって成長の度合いが違うというのはとても面白い。それに、それだけ流通が発達し、ありとあらゆる季節の素材を調達できるようになったということでもある。
それにしても和食というもの、やはり四季のある日本という風土からしか生まれなかった料理であるとつくづく思う。今や、食のシーンにおいて、五感すべてを動員して感じられる春夏秋冬はここにしかないかもしれない。そして、四季の移ろいの狭間にある食材をいかに効果的に使い、来る季節と往く季節を楽しませるか。そこに料理人の資質のようなものが現れるような気がする。
まだまだお若いご主人である。今後がもっともっと楽しみであることは言うまでもない。メニューは月ごとに変わるらしいので、頑張って毎月訪れたいと願うのだが、なかなかままならない。
「バル・デ・オジャリア」
東京に住む大学時代の友人と久しぶりに食事することになった。こういうとき、どこへ行く?あそこはどう?とあれこれやりとりするのはすこぶる楽しいダンドリだ。で、スパニッシュ、それもバルということに落ち着いた。私が銀座にいるので、銀座近辺の店を指定してくれた。銀座コリドー街。その店は、ちょっと妖しい感じで発光している。内装が赤を基調にしているので、そう見えるのである。
ほどなく友人登場。ビール党の彼女もせっかくだからとワインをつきあってくれる。ここのシェリーの品揃えはなかなかの充実である。女ふたり誰はばかることなく、食べたいものをじゃんじゃん注文していく。イベリコ豚のハムをのっけた小さなバゲット。おすすめタパスの盛り合わせ。甘エビ、マッシュルーム、ドライトマトのアヒージョ。半熟フライドエッグにフライドポテト、チョリソーを細かく砕いてミックスしているスペイン風スクランブルエッグ。豚バラ肉の煮込み。昔話に花を咲かせながらふたりでうはうは食べながら、そろそろシメをどうするかの相談。こちらの真打ちはオジャなのだそうだ。すると彼女が突然「おじやの語源って、ここから来てるのよ」と言う。ええ〜そうなんや。それは知らなんだ。
そういえばこちらの店名は「バル・デ・オジャリア」。店のホームページには〜「オジャOlla」とは、古くは「ドン・キホーテ」(1605年)にも登場する煮込み料理のことで、日本の「おじや」の原型に当たります。「オジャリア」はそんな「オジャOlla」を食べさせる場所という意味の造語です〜と書かれている。
もともと「オジャ」とはスペイン語で蓋付きの鍋のこと。転じてその鍋でつくる煮込み料理のことも指すようになったらしい。実際、こちらのお店で「オジャ」を注文するとどっしりしたフォルムの「オジャ鍋」に入ってサーブされ、もうそれだけで異国情緒満点、ラ・マンチャを旅しているような気分にしてくれる。
「おじや」が本当に「オジャ」から来ているかどうかはよくわからない。カルメラ、カステラ、天ぷら、コンペイトウなどポルトガル語由来の日本語は有名であるが、お隣のスペイン語由来というのはほとんど聞いたことがない。
ネットの語源由来辞典によれば、〜おじや語源には、「深鍋」や「煮込み料理」を意味するスペイン語「Olla(オジャ)」に由来するといった俗説がある。オジャという煮込み料理がおじやと似ており、発音も近いことから生まれた説で、元は女房詞であった詞がスペイン語に由来するはずがない。「お」は接頭語で、「じゃ」は煮えるときの音や様子を表した「ジャジャ」と考えられる。現代では擬音語・擬態語で「ジャジャ」といった表現はされないが、近世には「ジャジャ煮る」といった例が見られることから、上記の説で間違いないだろう〜とある。『語源由来辞典より一部抜粋』
こういった俗説も含めてああだこうだと「オジャ」を食べながら会話するのが楽しいのであって、私たちはたっぷり魚介とお米のメロッソというのを注文した。メロッソというのはリゾット風。ゆるめのパエリヤを想像していただくとわかりやすいかもしれない。ジャジャと煮込まれたそれは、香ばしいスパイスの香りと海老やムール貝のエキスをたっぷり感じるとてもやさしい味であった。
歌舞伎座の「めでたい焼き」
旧歌舞伎座でできたてのほかほかスイーツといえば、私は断然人形焼だった。ちゃんと職人のおじさんのブースがあって、いつでもあつあつのを食べられた。一階西側の奥には、まるで浅草仲見世のように猥雑で人いきれのする売店コーナーがあって、ちょっとした歌舞伎テーマパークの様相を呈していた。歌舞伎の楽しみに「か・べ・す」というのがある。菓子・弁当・鮨の頭文字を取ってこう言われる。つまり先頭の菓子は昔から歌舞伎観劇にはなくてはならない庶民の楽しみなのである。
この旧歌舞伎座の三階にひっそりとあったのが、「めでたい焼き」である。昔は一階に喫煙所があったので、三階にはほとんど行ったことがなく、別にたい焼き以外にも一階に人形焼やら最中やら、スイーツはたくさんあった。
ところが、歌舞伎座が新しくなり、喫煙所は三階だけになってしまった。煙草が吸いたくなるとしかたなく三階まで上がるのだが、その喫煙ブースの入り口にこの「めでたい焼き」は売られている。懐かしく、幕間にひとつ買って食べた。少し大きめのたい焼きの中に、白と赤のお餅が入っているのでそれが目出度いということで、「めでたい焼き」というネーミングがついている。お値段は250円とちょっぴり高め。ま、外で150円で買えるペットボトルのお茶だって中では250円なんだから、当然といえば当然か。それにじゅうぶん250円の値打ちのあるおいしさである。
歌舞伎座の杮落し公演が始まってすぐぐらいはまだ、一階から三階までエスカレータで移動してもそんなに並ばずにこのたい焼きは買えた。ところが、あっという間に人気となって、行列に並ぶのにどんなに走っても三階席の人にはかなわない。目の前であえなく、売り切れという事態を何度か経験すると、こちらも少し意地になる。何としてでもこのたい焼きをゲットしなくてはという気持ちになるのは、私の性格を考えてみても当然のことであった。
そして、ひねり出した策はというと。
私はちょいちょい演目(舞踊のときが多い、すみません)によっては、松屋に買い物に行ったり、ナイルでゆっくりしたり、三原橋角っこにあるプロントの二階の喫煙コーナーでへらへらしたりすることがある。それで歌舞伎座に帰ってくるとたいていまだ上演中である。なので、誰も並んでいない売店に行き(たいていはお兄さんは休憩している)、次の幕間にピックアップするからとテイクアウトを予約しておくのである。テイクアウトたい焼きは箱に入れてくれるので、5個か10個。これはお土産にするのだが、そのとき箱入りとは別に幕間で食べる用を1個別に言っておくのだ。
ふふふ。これを次の幕間のときに、悠々と取りに行き、おやつとして食べる。実にめでたい。
麗しの「朝ごはん」
エッグベネディクト。初めて食したのは大昔のニューヨークでである。まだ、The Plazaが健在だった頃、ここのダイニングルームにブランチを食べに来て発見した。エッグベネディクト?メニューの下に書いてある文章から読み取れるのは、ポーチドエッグであることと、オランデーズソースがかかっていること。それくらいであった。が、卵好きである。どんなもんだか注文してみた。
そして・・・やられちまった。トーストしたイングリッシュマフィンの上にバターとハム、さらにその上に中が半熟のポーチドエッグ、そしてオランデーズソースがたっぷりかかっており、これがダブルで皿の上に乗っているのである。なんと豪勢なものをアメリカ人って食べるのかしら。もちろんThe Plazaのそれは値段もそうとうに豪勢だったように記憶している。
以来、The Pierre、The Carlyle、St Regisなどなどニューヨークのコンサバティブ系ゴージャスホテルの朝食を食べに行くのにハマっていた時期がある。豪勢なお値段といっても、そこは朝食。ランチやディナーに比べれば、じゅうぶん手が届く。どのホテルもそれぞれに美味しかったし、ホテルによってバリエーションも多彩だった。ハムの代わりにベーコンというのもあるし、ある日メニューにエッグフロレンティーンというのが並んでいるのも発見した。これはほうれん草が入っている。サーモンベネディクトというのもある。ハムではなくスモークサーモンを使う。かように、エッグベネディクト兄弟はいろんな顔を持っている。
友人のミサコがフェイスブックで「イースターには卵を食べるのよ」などと発言しているのを見た直後に、むらむらと卵への欲望がアタマをもたげてきた。ちょうど、完全オフでちょっとお気に入りのホテルに泊まっていたので、さっそくルームサービスメニューをめくる。あった!エッグベネディクト!これよ、これ。今日の気分は!早速電話する。
やがてうやうやしくワゴンに乗せられ部屋にやって来たエッグベネディクトは、ほうれん草のソテーとスモークサーモンの上にポーチドエッグが乗っているというゴージャスさ。私は断然ハムよりスモークサーモン派。それにほうれん草が入っているというだけで、なんだかちょっとヘルシーな気分にもなってくる。しかも、オランデーズソースは自分で量を調整できるよう小さなうつわに入っている。調整できるとはいえ、結局黄身たっぷりのオランデーズソースは全部かけられてしまう運命にはあるのだけれど。このレモンの酸味がたまらないの。マヨネーズよりも高級バージョンって感じがする。だってサラダオイルの代わりにバターたっぷりだからね。
さて、エッグベネディクトの美しい食べ方である。美しくは食べたいが、やはり卵を食べていることを改めて目でも楽しみたいので、ひとつは大胆にポーチドエッグを半分に切る。黄身がとろ〜り流れだしオランデーズソースと混じり合う。これをですね、台のマフィンとほうれん草、サーモンと一緒にタテにフォークで串刺しておもむろに、おもむろに、口に運ぶ。皿に流れている黄身とソースは、マフィンできれいに拭う。そうしてひとつめを完食した後、もう片方の卵にとりかかる。ポーチドエッグまるごとまるのままで口に入れたくなる衝動をかろうじて押しとどめなから、あれこれと逡巡したあげく、結局はまたナイフで半分に切る。黄身がとろ〜り流れだしオランデーズソースと混じり合う。やはり、エッグベネディクトの食べ方はこれでいいのだ。これが正解なのである。これ以外にはない。
そういえば、ニューヨークで長い間、朝ごはんを食べていない。日本では、かのクリントンストリートのパンケーキに行列ができているし、ベーグルショップも流行っている。今年の年末、久しぶりに本場のパンケーキやベーグル(ロックスが大好物!)そしてエッグベネディクトを食べたくなってきた。
その場合、昼は抜きにしておかないと恐ろしいカロリーになるので、朝を取るか昼を取るかでけっこう悩むところである。ま、今悩んでもしょうがない。行ってから、悩むとするか。
引き続きの「ナイル」
ナイルのメニューは、実はとても充実している。なのに、食べたことあるのはムルギランチと卵クシンバー(スクランブルエッグ)くらい。長年通っているのにこれではいけない。
そこで、ある日意を決して、別メニューに挑戦することにした。まず、トマトスープ。(海老様お気に入りだそうだ)これは濃厚なトマトジュースに塩コショウがくっきり効いている。そして海老カレー。しかし、海老カレーを待っている間も、周りはみんな例のムルギランチを食べている。それで、はた、と思いついたのである。ナイルさんに、ムルギランチのごはん抜きってできる?と聞けば、できるよですって。そうなのだ。ごはん抜きにすればムルギランチと海老カレー、両方食べられる!
海老カレーには白いご飯がついてくるので、ちょうどいい。
右側から海老カレー、左側からムルギランチのルーを交互にかける。なんと贅沢なことをやっているのだろうと、我ながらうっとりしてしまう。海老カレーは、たまねぎがどっさり入ったサラサラのカレーだが、これが強烈な一本気の辛さ。食べた後から、ガツンと口腔にやって来て、思わず口をふはふはしてしまう。ムルギランチがレンジの広い奥行きの豊かな辛さだとすれば、こちらはツンと一方向へ抜ける辛さ。どちらも甲乙つけがたい。しばらくはこのダブルカレー体制を楽しもうと思う。
ところでご存知の方も多いと思うけど、このナイルという店。創業者のA.M.ナイル氏は知る人ぞ知るインド独立運動家で、京都帝国大学に留学していたときに日本陸軍と接触し、日本にすでに亡命していたボースを通じて頭山満や大川周明らとも出会っている。太平洋戦争時にはインド独立運動に尽力し、終戦後には東京裁判のため来日したパール判事の日本調査に協力したり、日印平和条約の非公式顧問に任命されたりと、日印親善に大きく貢献した人物である。1949年に銀座に日本初の本格インド料理店「ナイルレストラン」を開業。1984年には、独立運動の功績が認められなんと天皇陛下より勲三等瑞宝章を授与されている。
現在は二代目のG.M.ナイルさんが店を引き継いでいるが、一階の壁面にはナイルのオリジナルカレーと一緒に、この偉大なお父上の回想録が並べられている。ずーっと気になっていたのだが、いつも店が忙しそうだったのでついついそのままになっていた。この日は、3時もまわっていたので、ナイルさんにあの本ほしいとケースから出してもらった。お父上の回顧録『知られざるインド独立闘争』とG.M.ナイルさんの『銀座ナイルレストラン物語』。その日のうちに読んだ『銀座ナイルレストラン物語』には、なぜずーっとムルギランチにこだわっているのか。そして、なぜナイルレストランが銀座という地で長年人気レストランとして繁盛しているのか。そのへんの秘密がしっかりと明かされていた。
変わっていいもの。変わってはいけないもの。レストランのメニューひとつ取ってみても、変わらないものがいかに大事かをこの本は教えてくれる。
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この二冊は「ナイルレストラン」でも購入可能。
ナイルの「ムルギランチ」
もう15年くらい前の話だ。テレビの海老様特集で、「俺、歌舞伎座のとき、ほとんど毎日カレー食べてる。旨いんだよ」という発言を聞き、ここかしらと旧歌舞伎座の三階にあったカレースタンドに行った。別に普通のカレーである。ここではない。歌舞伎座の係員のおねえさんに、「海老様ってどこでカレー食べてるの?」と聞いてみると、「ああ、きっとあそこですよ」と教えてくれたのがナイルだった。
はじめて行って、定番ムルギランチを食べ、コロリと信者になってしまった。そのうち、歌舞伎座に行く前にランチを食べるようになった。しかし、だいたい歌舞伎の昼の部スタートは11時である。ところがナイルが開くのは11時半。一回目の幕間はお昼とかぶるのでナイルは混んでいる。
で、私はどうしたか。
11時スタートの一度目の演目に行かずに、11時20分にはナイルの前に並ぶのである。開店と同時にムルギランチを食し、その後こっそり歌舞伎座の席につく。このような悪習がついてしまったのである。ときには30分の幕間に猛ダッシュで入店し、「ムルギランチ大特急で!」などとやっているうちに、すっかり顔を覚えられてしまったのである。
以来15年。最近では、入店すると同時に「インドビールね。それにあれね」と自動的に出てくるようになった。インドビールは、マハラジャという銘柄。あれ、というのはすっかりお気に入りになった卵クシンバー(インド風スクランブルエッグ)のことである。卵をギーというインドのバターオイルで炒めており、クミンシードの独特の香りがしてビールとの相性が抜群なんである。そのペアをぼちぼちやりながら、ムルギランチが出てくるのを待つ。
ナイル名物ムルギランチ。
入店するといちおうメニューは手渡されるが、一階に座ろうものなら番人である(失礼、支配人です)ナイルさんに強制的に「ムルギランチね」と決められてしまう。初めてであろうお客さんの100%(断言)はメニューを見る前に「ムルギランチ、もう決まってるよ」と言われ、何がなんだかわからないうちにメニューを取り上げられる。これが、ナイルの儀式。だけど、そのムルギランチは一度ファンになると病みつきになる味なのである。15年間ずーっと病みつき。
そして、ムルギランチが運ばれてくる。
もうひとつ、儀式がある。
それは、目の前でナイフとフォークを使って、鶏のもも肉を解体して食べやすくバラバラにしてくれるのである。
しかも。
ムルギランチを構成するのは、7時間も煮込むという地鶏のもも肉、キャベツ、マッシュポテト、イエローライス、でその上にたっぷりカレールーがかかっている。これを「ぜぇんぶ、グチャグチャに、全面的に混ぜてね〜混ぜれば混ぜるほどおいしいからね」と全面的に混ぜさせられるのだ。この風景、ナイルの風物詩でもある。
だけど、私は食べながら少しずつ混ぜたい。何と言われようと、自分の好きなように食べたい。何回も頑なに抵抗しつつぐちゃぐちゃにせず食べているうちに、全面的にあきらめてくれるようになった。
ムルギランチ。こんなに美味しいものが、たったの1500円である。
銀座の割烹「奥田」
基本、東京で和食を食べようという気にならない。何軒か行った店がたまたま悪かったのか、それとも別に東京で美味しい和食など求めていないからなのか。何軒か好きな店はあるけれど、和食は大阪でも京都でも名店があるからそれでじゅうぶん。むしろせっかくの東京なら関西にはない江戸前の鮨とか天ぷらとか蕎麦がいい。そう思っていた。だが、この千夜千食のアドバイスをもらうのに食事することとなったK氏のリクエストが和である。すぐ近所に面白い和食もあったが、この日はNG。ダメ元で電話したこちらに運良く席があった。元々一度はこちらの本店には来てみたかった。セカンド店なら試してみるにはうってつけ。意気揚々と、期待しつつでかけた。
めざす店は、銀座エルメスのすぐ裏手。階段をトントンと降りた地下一階にある。のれんをくぐると、左手に白木のカウンター。そして私たち以外は外国人。先日の京都でもそうだったが、昨今某タイヤメーカーのガイドブックのせいか、星をとっている和食には外国人が押し寄せる。そしてみな神妙に料理の説明を聞き、実に楽しそうに食べているのだ。そんな時代になったのだなとうれしく思う。
グラスシャンパンで乾杯した後、黒龍のしずく酒「火いらず」をボトルで頼む。さすがに黒龍、四合瓶などあっという間である。こちらの料理は盛りつけに斬新な工夫がある。最初のひと皿は、貝殻に盛られたたいらぎと16種の春野菜の和え物。たけのこ、こごみ、野蒜、あぶらな・・・ああ、もう思い出せないが、それら春野菜が立体的に盛りつけられたインパクトあるひと皿。続いて煮物碗。私はこの味で、その店との相性をはかる。私が愛する京都のそれに比べると多少の塩気は感じるものの醤油くささはなく好きな方向の味である。ここがクリアできれば、がぜんこの後が楽しみになってくる。造りは淡路島の鯛に徳島のアオリイカ、横輪。塩と醤油、好みでどちらでもという趣向。わざわざ神戸から来て、東京で淡路島の鯛を食べる。今さらながら、築地で手に入らない素材はないのだとしみじみ思う。焼き物はたけのこと鰆。うーん、東京で鰆の焼き物が食べられるとは。これも驚きである。申し分のない鰆である。続いての蒸し物は桜餅を模した餡かけ。このへんから酒がすっかりまわってしまい、最後の方の記憶がない(笑)。
ただし、デザートのイチゴのソルベだけは鮮烈に覚えている。だって、凍らせたシャリシャリのイチゴにロゼシャンパンをしゅわしゅわ注ぐんだから。
料理の味だけでなく、趣向も含めて楽しませてくれる店である。カウンター越しの会話にしても、立ち入ってもよい話とそうでないのをちゃんとわきまえていると思わせる節度を感じ、とても気持ちがよい。いい意味でのサービス精神が横溢している店である。また来る機会をつくりたい。そう、私が愛するのはこれくらいの規模のカウンター割烹。目の前で料理人の包丁さばきを見られるという点で、今もっとも贅沢で、もっとも旬で、もっとも信頼できる形態ではないだろうか。
香川丸亀「永楽亭」
ご縁があって、歌舞伎役者尾上松也さんと食事をご一緒した。もちろん熱烈なタニマチの方にお誘いいただいてだ。金比羅歌舞伎の後に食事と聞いていたので、琴平にそんな店があるのかと思っていたら、丸亀まで出るという。高松出身の私ではあるが、丸亀へは数回しか足を運んだことがない。子供の頃丸亀城に行ったのと、父がまだ元気だった頃骨董の売り立て会に連れて行ってもらったのと、猪熊源一郎美術館に足を運んだこと、あとうどん。ぜいぜいそんなものだ。だから丸亀の土地柄も知っているようで、実はほとんど知らない。だけど、わざわざ琴平から出向くということは、役者さんをご招待するような店があるということだ。そしてその店は看板を出しておらず、所在を知っているタクシーでしか行けないという。なんだか、わくわくしてきた。
しかし、道のりはなかなか遠い。タクシーの運転手さんもたしかこのあたりと見当はつけているのだが、看板がないので周辺をしばしぐるぐるとまわり、ようやく到着した。暗くて外観の全容はよく見えなかったが、煤竹を外壁にあしらった和モダンな佇まい。ところが中は完全数寄屋風。通されたのは庭に面した堂々たるお座敷である。
松也さんご一行が来るまでに、私たちはシャンパンでも飲みましょうかとタニマチのマダムが誘う。シャンパン?私に異論があるはずがない。イチゴとドライいちじくをアテに、マダムとそのご主人と気分よく盛り上がる大人の時間。と、玄関が開く気配。ご一行が到着したらしい。やがて松也さんが入ってこられる。
事前にマダムと、私たちはこことそこで、松也さんにはここに座ってもらうのがいいわね、でお弟子さんたちはこのへん、と席決めしていたが、座敷の入り口で正座して挨拶した松也さん、すっと立ち、迷うことなく私たちがここと決めていた席へおさまった。この見極め、さすがだと唸る。普通の人間ならお座敷での席順についてすったもんだするものだが、その場の人数、それぞれの役割を考え、本日の主役である自分の座る位置を瞬時にして判断する。若いのにまったく見事だとしか言いようがない。立ち位置というものがつねに決まっている歌舞伎の人だなと感心してしまう。
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さて夕餉である。まずは、シャンパンで乾杯しつつ、筍の田楽を。木の芽の香りがすがすがしい。お造りは鯛。瀬戸内海でも四国側でとれたものをいただくのは久しぶりである。お椀は山菜のしんじょに立派な椎茸、ぜんまい。ほのかな旨味を感じるおつゆは関西仕立て。私がいちばん好きな味わいである。焼き物は鰆と筍。筍の瑞々しい渋味とクレソンの苦味を、鰆に使われた白味噌がまったりと和らげる。季節を競わせ、旬を合わせる心憎いアソート。揚げ物は可愛い色のあられを纏った山菜、もろこ、そら豆、シャキシャキの菜っ葉。蒸し物は鯛のしんじょに雲丹のあんかけ。この後シメには鯛ごはんが出た。(さすがに若い松也さんはおかわりを三杯もして、ますますファンになる。私は二杯)
興行中の金毘羅歌舞伎昼の部で松也さんが演じているのは「菅原伝授手習鑑」<寺子屋>の武部源蔵。ただただ主君への忠義のために、その若君を守るために、まったく関係のない頑是無き子供を非情にも斬るという難しい役どころである。松也さんは源蔵についてはこれという決まった型があるわけではないので、それがやりにくさでもあるしやりやすさでもあるという。なるほど。<寺子屋>は独立して演じられることも多く、源蔵のキャラクター造形の難しさはよくわかる。全体のストーリーを知らず見た人は、なんと恐ろしく、なんと冷酷な、と思ってしまうに違いない。それだけに今日の松也さんの源蔵は、義と誠の間で揺れ動く心情がこちらにもしっかり伝わってきた。来月、文楽で「女殺油地獄」を観ると言うと、「それはとても面白い観劇のしかたですねえ。いいですねえ」と松也さんは文楽にも興味津津だった。歌舞伎では、役者が油を模した液体を威勢よく舞台にまいて、滑りまくるところが見せ場である。人形たちがどうやって滑るのか。「どうするんでしょうね」「想像がつかないですねえ」「まさか舞台に液体はまかないですよねえ」「やっぱり見てみないとわからないですね」エトセトラ・・・。本格的な懐石をいただきながら、歌舞伎について、はたまた同じ演目でも文楽だとどういう演出になるのかなどと役者さんと交わせるとはなんと贅沢なことだろう。
誘ってくださったU夫妻に厚く御礼を申し上げる。
同心「CHINESE TANAKA」
ここはもともとマッサージ屋さんだった。親しくしているクライントの女性から「いいですよ〜」と教えてもらい、一度だけ行き、近所だからとすっかり安心していたらある日店はクローズし、その後に入ったのがこの店である。中華と言っても、外から覗く限りはいまどきのイタリアンのようなおしゃれな感じ。窓も大きくてカウンターがよく見える。新しもの好きだし、中華だし、ということで、ある日のランチにチャレンジしてみた。
うーん。これは何だろう。街場の中華にしては味にパンチがない。だけど、やさしくて、なんだか心惹かれる味である。しばらく通ううちに、それは中華にありがちなケミカルな調味料を一切使っていないことからくるのだということに気づいた。ビオ中華とでも言おうか。
中華といえば昔はあたりまえのように化学調味料を使っていたらしい。その良し悪しが議論されて久しいが、あの独特のガツンとくる味が街場の中華の本領だった時代もあった。上手い料理人は、さりげなく化学調味料を使うということも料理人自身から聞いたことがある。だけど、今となってはできるだけ自然な状態のものを自然な調味料で食べたいと思うのが多くの人の本音であろう。その流れにこの店は、直球でストライクを取りに行っている。
店主である田中さんは、昼も夜もひとりで料理を作っている。カウンター全10席。ランチタイムはいつも混んでいるが、段取りよく中華鍋ひとつで料理を仕上げ、デザート付きの充実したランチを提供している。オープンしてまだ間もない頃、月曜行くと中華麺でその週は毎日麺にしようと思うと言うので、一週間どんなバリエーションで攻めてくるのかと定休日の木曜以外、毎日日替わりの麺を食べに行ったこともある。飽きさせないよういつも熱心に工夫を重ねていて、私はこういう料理人の心意気が大好きなのである。
夜も一度だけちょっぴりデラックスな残業食をと出かけたことがあるが、このレベルの料理をお腹を満たすだけの用途で使うのはあまりにももったいない。だが、あまりにも会社に近すぎるので、なかなか行けなかったのである。そんなある日、夜の講演に参加することになり一時間ほど余裕があったのでチャンスとばかりに駆け込んだ。
紹興酒をまずは一杯。だけどそんなに時間はない。定番の棒々鶏。海老と帆立の炒めもの。蟹チャーハン。どれも文句なしの味である。だが、やはりひとりでは少し無理があった。凄いスピードで食べたのもいけなかったが、やはり丁寧に誠実に作ってくれる料理は誰かと酒を飲みながらゆっくり楽しまなくては・・・そういうわけで、いつかは夜にちゃんと来たい店なのである。だけどあまりにも会社に近すぎるせいで、誰を誘うかが問題である。店の前を通るたびに、誰と行こうかとずーっと悩んでいる。ま、ひとりでもいいんだけれど。
南森町「つるまるうどん」
銀行へ出かけるというのは私の大切な仕事である。お金をおろしたり、両替したり、税金を払ったり。取引している銀行が南森町の交差点にあった頃から、いつのまにかその銀行の隣にある立ち食いうどんへ行く癖がついていしまい、銀行に行く=うどんを食べるというのがすっかりセットになってしまった。もともと昼時に行くことが多かったせいかもしれないが。
今は銀行が少し離れた場所に移転してしまったので隣はコーヒーショップだが、銀行=うどんとすでに刷り込まれてしまっているので、「銀行に行ってくる」と会社を出て用を済ませると、そのまま自転車で南森町交差点へ向かう。
めざすは「つるまるうどん」。
あの高松の深夜カレーうどん店とは別物である。こちらを経営しているのは大阪のフジオフードであるが、ここのうどんはなかなかいけるのだ。
その理由は、冷凍うどんを使っているところにある。ちゃんと手打ちうどんの工程で打ってゆがいたうどんを瞬間冷凍。注文が来ると、その冷凍うどんを熱湯でもどすのである。これにより、いつでも釜揚げのあの状態が復元できるのだ。うどん県の人間としては、昔は冷凍なんてと馬鹿にしていた頃もあったのだが、加ト吉の冷凍うどんを食べてからというもの、日本の冷凍技術には感服している。ヘタなうどんを食べるくらいなら、加ト吉の冷凍うどんのほうがずっと美味しい。なので、この店が自家製麺を冷凍していると聞き、試しに入ってみたのが通うきっかけになった。今はだしが少し甘めの関西風になってしまったが、前はいりこの匂いがぷんとする黄金色のだしであった。これなら、いける。なわけで、こちらの店はもう、少なく見積もっても15年以上は通っている。
この十年ほどの間に店舗は何度かリニューアルしており、現在の店で働いている人はなんとなく顔を見知っている程度であるので安心である。前は、すっかり顔を憶えられており、行くたんびに「まいど〜」と大声で言われるので、ちょっと格好が悪かった。なにしろうどん県の立ち食いとは違って、ここは大阪。立ち食いで食べている女性など私以外にはほとんどいない店なのだ。
定番はきつねうどん。それにちくわの天ぷらをトッピングする。この日はあいにく、ちくわが売り切れ。そんなときはかき揚げでもよい。茄子の天ぷらというのもあって、それも悪くはない。それに、素材がなんであれ、店頭でおばちゃんが衣をつけ揚げてくれるというスタイルにはやっぱり心惹かれるのである。
明日あたり、久々に銀行に行かなくちゃ。
京都の割烹
基本、美味しいものを食べるときは、すべてが吉日であってほしい。若いころのようにそうそう店選びには失敗しなくなったし、初めての店に行くときは人に聞いたりネットで調べたりと、情報を得てから出かける。だけど、こちらの期待が大きければ大きいほど、ちょっとした店の対応でがっくりすることもときにはある。そうなると美味しかったはずの料理まで、なんだか美味しくなくなってくるのである。
本来であれば、胸を張ってこの店のことを書きたかった。
訪れたのは三回目である。
まず、予約の時点でいけなかった。私は8時半を希望した。すると女将さんらしき人がもっと早くならないかと言う。南座が終わるのが8時25分頃なので、やはり8時半になりそうですというと、「なるべく早くおいでください」と居丈高。時間の遅いのに対応できないのであれば、きっぱりと断ってほしかった。それでも、こちらも行きたいと思っているので、我慢する。
8時半ジャストに入店。最初はそれなりのテンポで出ていたのだが、急に間があいた。ご主人があろうことか「調理場が今日三人も休んでて」と言う。ちょっと待って。それ、私と何の関係があるんでしょ。いつもどおりの対応ができないのであれば、潔く店を休むか客を断るのが筋ではないだろうか。黙って箸を進めていると、今度はまだ食べ終わっていないのに次の皿がやってくる。え?すると折敷の外側にその皿が置かれるではないか。え?それは、ルール違反でしょ。タイミングは?私の食べる速度も、料理の減り具合も、一切おかまいなし。こうもあからさまに店都合の対応が続き、さすがに堪忍袋の緒が切れかけてきた。しかし、我慢。ひたすら我慢。
この夜、私以外は全員が外国人であった。某ガイドブックを見て来るのだろうが、彼らには和食の間とか作法というものが日本人ほどにはわからないであろう。みな、ひと皿ひと皿にただただ感動している様子が見受けられる。女将さんも、如才なく流暢な英語で食べ方を説明している。そのことに店全体の意識がぐーっと傾いている。せっかく海外から来てくれた人たちに、喜んでもらいたいという気持ちはとてもよくわかる。だけど、ひとりだけそこにいた日本人のことがおざなりになるのであれば、それは浮かれ舞い上がっているただのおっちゃんおばちゃんの店である。
星付きというのは、料理だけでなく、サービスの質も問われるのではなかったか。
調理場が三人も休むというのは、この手の規模の店ではオペレーション停止を意味する。いや、一流店という矜持があるのなら、ここは臨時休業でもしたほうがずっとよいと思うし、前々からの予約であれば調理場の人間を休ませないか、何らかの策を講じるのが亭主の勤めであろう。
しかし、「人の振り見て我が振り直せ」である。自分都合を相手に押し付けない。ビジネスでもプライベートでも注意しなくてはならないと、改めて肝に銘じる。いやあ、どんな状況であれ、経験というものを積むことは大事だと思う。
しかし悲しいことに、見送りに出てきたご主人が「○○さんとこ行ってはる?」ともともとこの店を紹介してくれた店の名をあげたので、思わず「○○さんとこ今日いっぱいやったから」と精一杯のいやきちを言うてしもうた。
あきまへん。ほんまに、ほんまに、まだまだ修行が足りまへん。
お互い、コンディションのええときに、ぜひとももう一度お手合わせ、おたのもうしますえ〜
ある昼下がりの「四川」
またまた「四川」である。
というか、週末に東京に滞在しているときの80%以上は、四川でランチを食べている。こちらのランチは、小さな前菜とスープ、ごはん、麻婆豆腐にプラスして月替りで4品の中から好きなのを一品選べるのである。普通の人なら充分におなかがいっぱいになるクオリティと量である。日曜、もう後は帰るだけというときには、これに白ワインを一杯プラスする。週末のちょっとした贅沢である。
さて。4月のセレクトメニューの中に非常に気になる一品があった。『ホタルイカの豆鼓炒め』これがね、めっぽう馬鹿馬だったのだ。なにより、ホタルイカが惜しげもなくゴロゴロと入ってる。「中華でもこんなふうにホタルイカを使うのね」と給仕してくれる人に言ったら、「シェフが富山出身ですので」と返ってきた。いいよねえ、こういう郷土愛。本場でホタルイカなんて使うのだろうか。きっとこれ、日本人ならではのセンスに違いない。それに生でいただいても新鮮であろうと思われるホタルイカをこんなにふんだんに使っているなんて。
素材はいたってシンプルである。ホタルイカ。しめじ。白ネギ。ピーマン。それをぴりりと辛い豆鼓という調味料で炒めた一品。豆鼓(トウチ)というのは、大豆を醗酵させ塩漬けにした調味料で、けっこう塩辛い。中華では海鮮系の炒めもので活躍する調味料だが、辛さの中に大徳寺納豆や味噌にも通じる独特の風味がある。
この日のスープは酸辣湯(サンラータン)だった。そして定番の麻婆豆腐。ここにホタルイカ豆鼓炒めの辛さが加わって、もう口の中は唐辛子や山椒などの香辛料と発酵した調味料が、醤醤踊りまくっているのである。
ひとつ。辛くて酸っぱい酸辣湯。
ひとつ。辛くて舌が痺れる麻婆豆腐。
ひとつ。辛くてコクのある豆鼓炒め。
もうこれは、辛さが三つ巴となって襲ってくる四川祭りなのである。
白いご飯がこれほどありがたいと思ったことはない。
春卯月の「一柳」
鮨のために働いている。
なので、月一回は頑張ってここに来る。来たいと思う。
春卯月の一柳。
最近は気候そのものが大きく変化しているので、海流も変わるし、漁場であがる魚の種類も大きく様変わりしているとは聞く。だけど、やはり春の到来を何よりも雄弁に告げてくれるのが、貝たちの存在である。年間を通じて築地にないものはない、と言われてはいるけれど、この季節の貝の充実はやはりこの季節にしか味わえない。
いま、最高に甘くなるのが、とり貝である。
鮨歴もずいぶん長いが、昔は生のとり貝など滅多に口にはできなかった。流通の問題がいちばん大きかったではあろうけど、産地でしか食べられない貴重かつ高価なネタでもあった。それが、あたりまえのように流通しはじめ、食べ慣れるにつれ、このみずみずしい食感をしみじみおいしいと思うようになってきた。そのとり貝が、まさしくただいま旬真っ盛りである。大将が、パン、パンッと俎板にたたきつけ、皿の上に置いてもまだ動いている。その躍動を箸でからめとって、スッと口に入れる。ぷりぷり。しゃきしゃき。いや、しゃくしゃくか。そして冴え冴えと甘い。海の恵みがもたらしてくれるその甘さを噛みしめながら、三千盛のきりりとした辛さをときおり流し込み、春の甘辛をゆっくりと楽しむ。乙だね。至福のひとときである。
ところで、去年だったか夏真っ盛りにも、たいへんに立派なとり貝がお目見えしたことがある。「え、まだとれるの?どこの?」と聞けば、「京都」という答え。「え?京都???」関西人にとっては京都=京都市なので、アタマの中に???が三つくらい並んだ。「京都の上のほうです」に、ああそうか、宮津とか舞鶴の方ねと合点がいく。厳密に言えば、彼の地も京都府である。
正式には「丹後のとり貝」と言うのだそうだ。もはや立派なブランドである。丹後のおだやかな海の中で、夏になってもプランクトンをたっぷりと食べどんどん大きくなっていく。普通は大きくなるにつれ大味になっていくものだが、丹後とり貝はどんどん厚くなり柔らかさを増し、独特の甘みをいっそう深めるのだそうだ。漁獲は5月から7月のあいだ。チャンスがあればぜひトライしていただきたい味である。
この日のハイライトはもちろんとり貝であったが、ツマミで出された蛤も忘れがたかった。いわゆる煮はまである。昔の関西ではほとんど出てこなかったので、今も煮はまはそんなに好物というわけではないのだが、やはり初っ端に出されると「ああ、春なのね」と巡る季節を思う。ただ、漫然と鮨を食べていてはいけないと思うのはこんなときである。素材のひとつひとつに旬を感じ、季節の移ろいを愉しむ。こういうのこそ本来の日本力の基本の基本だろうけど、鮨のためにはたらいていると嘯いてはいても旬をちゃんとわかっているかと言われれば胸を張れない私がいる。
まだまだ鮨も、人生も、修行中である。
白金「トリッパのクスクス」
好き嫌いのない私であるが、いわゆるホルモン系というものを積極的には食べない。だいぶ前に女子のあいだで人気だったモツ鍋も食べたことないし、ホルモン焼きというのにも一二度しか行ったことがない。行けば、それはそれでおいしく食べられる。だけど、選択肢の中にこの分野は完全に欠落しているのだ。
ところが、気がつけばイタリア料理のホルモン系というのは好んで食べている。その代表選手がトリッパである。昔は、オッソブッコも好物であった。こちらは骨髄であるから厳密にはホルモンとは言わないけれど。トリッパはご存知ハチノスをイタリアンなハーブや調味料でぐつぐつと煮こむ定番料理。イタリアのおふくろの味という感覚だろうか。それにしても、トリッパとかオッソブッコというイタリア〜ンな語感と、モツとかホルモンとかの泥臭〜いニュアンスでは舶来感(古い!)が雲泥の差である。いや、別に舶来のものがいいというわけではないのだが。
とある日の白金モレスクで。桜鱒のソテーに菜の花、新ごぼうに小海老のフリット。ブイヤベーススープまではすっと決まったのだが、メインは何にしよう。すると黒板に、トリッパのクスクス添えというメニューを発見。トリッパもクスクスも好物。それがダブルで合体している!
クスクスが日本上陸して久しいが、初めて食したのはもう三十年近く前のニューヨーク。たしかABCアベニュー界隈の相当にファンキーなモロッコ料理の店だった。ラムの煮込みスープがたっぷりしみ込んだそれは未経験の味わいで、小さなパスタのようでもあり、形状は米と似通っているのにやはり米とは異なるもので、軽く、スムースな食感に夢中になったものである。当時はシチューやスープたっぷりの煮込み料理をかけるというのが一般的な食べ方だったように記憶している。そのうち、サラダはもちろんファルシの中身やフレンチの素材としてもポピュラーになり、タジン鍋が流行りだした頃にはほとんどセットのようになってすっかり日本にも定着した。
そのクスクスがトマトソース煮込みに添えられている!わくわくしながら、まずはそのままスプーンで口に運ぶ。よく煮込まれたとろとろのトリッパがトマトソースに溶け込んで、しっとり優しいママン(シェフ?)の味わい。すーうっと優しく胃袋を撫でる感じ。今度は、小皿に添えられているアリッサソースをひと匙加えてみる。するとたちまち、エキゾチックな衝撃が舌にやってくる。ペッパーとにんにく、クミンやパプリカ、コリアンダーなど、異国情緒漂うスパイスが鼻孔にまとわりつく。イタリア料理とモロッコ料理の合体。いや、別にそれを無国籍料理なんて大げさに言わなくても、この手のフュージョン、たらこスパゲティの昔から日本人はごくごく自然に取り入れてきた。そしてこういう料理が、あたりまえのように黒板メニューににあるところがモレスクのいいところ。大好きな理由のひとつでもある。ぜひ、定番化してほしいな。
大阪「Sバー」
アメリカに住む友人が前から一緒に行きたいと誘ってくれていた店があった。彼女はほとんどお酒を飲まないのにどうしてバーなんだろうと思っていた。連れて行ってもらって、その意味がわかった。きわめて居心地のよい空間なのである。
まず、店主であるS氏のトークが神業なのである。カウンターに座ると、何を食べて来たのか、どれくらい酒が入りそうかということを問われる。それによって薦める酒が変わってくるからだ。たとえば脂っこいものを食べて来たなら、ジントニックで洗い流してさっぱりしてみては?といった具合。だけど、脂っこいときでも、鮨のときでも、私はここで最初に飲みたいのは断然ジントニックである。初めていただいたときの衝撃は今でもしっかり覚えている。これがジントニックであると言うのなら、今まで飲んできたジントニックはいったい何だったのだろう。そう思ってしまう出来栄えだったのだ。
使っているジンは英国ブルームズベリーのジン。ボトルはいかにも本格派という感じでどこの銘柄なのかはよくわからない。あまり追求してはいけない雰囲気も漂っている(笑)。このジンにグレープフルーツのわたの苦味をプラスし、トニックウォーター、ライム、仕上げに杜松(ねず)の実を入れるのである。この杜松の実=ジュニパーベリーこそが、実はジンの正体である。ジンは、これをアルコールに漬け蒸留したものなのだ。そしてそれよりもなによりも、S氏がつくってくれるジントニックの美味しさをなんと表現すればいいのだろう。アルコールを飲んでいるはずなのに、ピュアな清涼さとか爽快さを感じるのだ。「森に散歩に行く感じ」これはS氏の受け売りだ。
しかも。ジントニックで口中を爽やかにした後、杜松の実を齧る。S氏いわく、口は受け皿であり、その皿でさまざまな要素をミックスさせ、味を完成させるのだと言う。こんなこと、今まで誰も教えてくれなかった。そういうトークがまったくもって神業なのだ。
ジンで世俗の脂を落とした後は(笑)、いよいよスコッチタイムである。こちらの二大看板が、スコッチとバーボンの品揃え。店内にはお目にかかったことのないボトルがところ狭しと並んでい、目移りして困るのだが、素直にこの後どうしたいかをS氏に相談するのがいちばんよい。すると、まだ森に入っている感じ?森から出てみたりする?アイルランドの高原を訪れるのもよいね、と神業トークが誘ってくる。で、やっぱりアイラのシングルモルトかなあと言えば、「ああ、一気に岸壁に行ってしまうか」などと言われるのだが、このメタファーだらけの会話の楽しさは格別である。
ここに最初連れてきてくれた友人はアルコールが飲めないので、彼女がそのとき飲んでいたのはホットアップルサイダーだった。ひと口飲ませてもらったが、天然のおいしい林檎をふんだんに使うとこうも甘味になるものかと唸る味で、お酒があまり飲めない人にはフルーツを使ったカクテルもいろいろ作ってくれる。写真は酔いざましに頼んだホット金柑。こういうのもたまらない旨さなのである。馬鹿馬。
そして、そして。特筆すべきは特製のケーキたち。そのときどきでいろんな種類を用意してくれているのだが、シフォンケーキにしても、チョコレートケーキにしても、素材を吟味して丁寧に作っているのがわかる味で、これがとてもとてもスコッチに合うのである。毎回黒板でケーキを発見してしまうと、ついつい頼んでしまう。
こちらの店の品揃え、種類によっては世界で限定100本とか、今はもう手に入らない蒸溜所やメーカーのものもたくさんあるという。ワイルドターキーの過去の陶器ボトルのコレクションだけでも垂涎モノであるし、私の好きなラガブーリンのおそろしく高価なヴィンテージものも置いてある。(これは何かスペシャルな記念のときに飲むと決めている)神業トークと、それを支える酒のセレクトとコレクション、料理の腕前、すべてが高次にそろったプレシャス・バー。ああ、次はいつ行けるだろう。
大阪ミナミ「ままごとや」
「関係者連れてきたらあかんで。ここは僕の隠し球やからな」とA様。
はい、なので大阪の会社関係の人間とは来ておりませぬ。東京のスタッフとか友人オンリー。それに大阪でもミナミとなると、そうそう来る機会はない。
この日は明日の四回會に備えて大阪ホテルステイなので、一緒に泊まる友人とやって来た。昼間にすでに一回目の「杉本文楽・曾根崎心中」を観ている。なので日本酒は迷わず醸し人九平次を選んだ。何故かって?「曾根崎心中」の主人公はお初・徳兵衛であるが、そのふたりを破滅へと追い込むのが敵役の九平次なのである。九平次はあまりにも理不尽な仕打ちを徳兵衛にするのである。友人であったはずなのに、いきなり豹変するのである。「曾根崎心中」の床本を読む限りでは、近松門左衛門がどんな意図を持ってこの悪役を描いたのかは、まったくわからない。物語の発端までにそれなりの意趣があるはずだと思うのであるが、それが原作には見当たらないのである。いろいろ想像、詮索はしてみるのだが、皆目見当がつかないのである。なので、せめて九平次という名の日本酒を飲むことで、溜飲を下げるのである(意味不明・・・)。2012年の純米大吟醸と2013年の別誂純米大吟醸。名前は最悪だが(笑)、味といい香りといい最高の心地がする。
こちらではまずは女将さんや板前さんにあれこれおすすめを聞きながらお造りをいただく。瀬戸内海を中心に、日によっては日本全国から揚がった活きのよい魚がそろっている。情報もいろいろ教えてくれる。今年の鱧は、実は淡路のより韓国産の方が格段においしいよという通ネタを囁いてくれたのものここの板前さんであった。本日は瀬戸内海の鰆と鯛。さすがに近海物、よくイカっている。女将さんが「たまにはフレッシュな野菜もね」と出してくださったプチトマトは信じられないほど甘い。これを甘露というのであろう。焼き物はブランド豚のロースト。外はかりっと中はピンク色した絶妙の焼き加減。ここで黒龍の「八十八号」というとっておきをいただく。黒龍の中でも上出来の酒は八十八号というタンクに集められるのだそうで、「石田屋」「二左衛門」に次ぐ名酒である。味もそうだが、ラベルも華やか。続いてフレッシュなイカは、生でサラダ仕立てにするのと天ぷらとのダブルで。イカだけによくイカってる(笑)。天ぷらはほくほく。〆はざくざく切ったうなぎのひつまぶし。二口ほどそのままいただいて、後はだしをかける。美味しゅうございました。
こちらのお店は料理方は男性、女将さんをはじめ給仕方はすべて女性という布陣。女性にとってはたいへんに気持ちよく過ごせる貴重な店である。大学時代陶芸を学んでいたという女将さんセレクトのうつわや日本酒もいろいろ楽しく、だからA様の隠し球ということでもあるのだろう。そして、私にとってもカウンターの隅っこで煙草を吸わせてくれるたいへん有り難い店でもある。
回會扇子
回會をつくった記念に、せっかくだから何かおそろいのものを持ちたいという声があがった。着物を着るという掟があるので、まずは扇子を作ろうということに。どうせなら松岡師匠に「回會」の文字を書いてもらいたい。具合のよいことに未詳倶楽部の旅が目前だったので、参加メンバーで詰め寄ってお願いした。(文字通り、詰め寄った)
今回もない藤の若旦那がいろいろと奔走してくれた。まずは扇子にする紙探し。京都中走り回って、何種類かセレクト。その中から選んでくれたのは表から透かすと丸が、裏から透かすと四角が浮き上がるという洒落た和紙。西陣の「かみ添」さん特製。「型押し」という古典的印刷技術で、多種多様の版木を使い、手摺りしてできあがる和紙は、惚れ惚れするほど美しい出来栄えである。これを扇形にカットしたものを、未詳倶楽部の現場へ持って行く。回會という文字を書いていただくためである。が、扇子という小さく繊細なものになるので、その場ではなく後日書いていただくということになった。当たり前と言えば当たり前である。我々から見ればスラスラと書かれるだろうと思われる師匠の達筆も、ご本人にとってはいろいろ吟味されていることは想像に難くない。十枚ほどお預けする。
出来上がったとの知らせとたまたま東京にいるときが重なったので、メンバーを代表して豪徳寺まで取りに伺った。男持ち用と女持ち用、巧みに文字を書き分けてくださっており、落款にも意匠が凝らされている。折れないよう厚紙で厳重にはさんで持ち帰る。これを再び若旦那に送り返した。
これで扇子本体の和紙は完璧。ここからはいよいよ扇子への加工である。請け負ってくださったのは京都の「白竹堂」さん。創業は亨保三年(1718年)。西本願寺前で「金屋孫兵衛」という屋号で寺院用扇子の店を開業。後に一般用の扇子も製造販売するようになり、なんと堂号の「白竹堂」は富岡鉄斎氏よりいただいたものだという。その歴史は290年というから、堂々たる老舗である。期待が高まる。
そしてついに完成。親骨は漆の溜塗りという本格的な仕様で、惚れ惚れするような出来栄えである。茶席でも使えるようにと茶扇子にしていただいた。茶席で使う扇子は、一般的に男性用は六寸、女性用は五寸とサイズが違う。ご挨拶するときはもちろん、お道具やお軸を拝見するとき、この扇子を膝前に置いて相手への敬いの念を表すために用いるのである。内側と外側の「境」をつくる結界の役目もしてくれる。普段は帯の左側に差しておく。(男性は袴の左側に刀のように差す)
扇子というと夏仰ぐために用いると思っている人も多いと思うが、本来の扇子とは儀礼や贈答、コミュニケーションの道具として用いられてきたという歴史がある。源氏物語の「夕顔」の巻で、源氏が白い花を見かけ所望したとき、隣の家の女童が白い花(夕顔)を扇に載せ光源氏に渡すくだりはあまりにも有名である。おまけにその扇には「心あてに それかとぞみる白露の 光そへたる 夕顔の花」という歌まで書かれていたのである。それがきっかけでその歌の贈り主である夕顔との恋愛沙汰にまで発展するのだから、まったくもって扇とは恋の小道具としてもたいへんに有効に使われてきたということである。今でも、お茶の先生へお月謝をお渡しするときには、茶扇子を開いて、月謝袋を載せ、差し上げる。
そういったコミュニケーションの道具である茶扇子。回會メンバーはまだ、今のところ回會のとき帯に差すくらいしか活用できていないのだが、いずれ本来の使い方も含め、洗練と遊び心に富んだ使いこなしを探っていかねばならんと思ってはいる。
名物の「梅欄やきそば」
話題の杉本文楽にお誘いいただいた。実は別件でも行くことになっていたのだがイシス編集学校のお友だちからの願ってもないお誘い。今年は文楽イヤーにしようとも思っていたし、連チャンで観劇するのも酔狂とばかり、大喜びで飛びついた。
せっかくだからランチをご一緒しましょうということで、「梅蘭」で待ち合わせすることとなった。フェスティバルホールが、えらい立派になっていることにまずは驚く。その名も中之島フェスティバルタワーと言う。最後に旧ホールのコンサートに行ったのは誰のときだっけ。思い出せないほど昔である。そして、タワーと言うくらいだから、中身はホールだけでなく、オフィスはもちろん最上階にはフレンチレストラン、中層には屋上庭園や朝日カルチャーセンター、二階と地下一階にはレストラン街まである。完璧にいまどきのタワービルなのである。
めざす「梅蘭」はその地下一階にある。横浜の中華街で創業25年。本場の中華料理はもちろんだけど、ここをメジャーにしたのは何と言ってもこの特製やきそばらであるらしい。
メニューには当店自慢とある。さらには、「カリッと焼かれたやきそばの中には、あつあつのあんかけがたっぷり。今まで食べたことのない美味しさが口いっぱいに広がります」と文言がしたためてある。あつあつの“あんかけ”ではなく、あつあつの“あん”であろうとツッコミを入れたいが、まあ言いたいことはわかる。
前菜に蒸鶏をいただき、牛肉入り辛口梅蘭やきそばと海鮮入り梅蘭やきそばを注文し4人でシェアした。焦げ目がついてカリカリになったやきそばは見るからに食欲をそそる。これをフォークとスプーンで四等分。切ったそばから中のあんがとろりと出てきて、パリパリに乾いていた麺が急にいきいきと輝き出す。こういうのワクワクしますね。食感もとてもよろしい。普通はパリパリの麺の上にあんをかけるという常識を、くるりとひっくり返したこのやきそば。アイデアが秀逸である。「ただのやきそばじゃオモロない」という大阪っぽい精神を感じますな。横浜の店だけど。
こういった逆発想、探せばけっこうありそうだ。すぐに思い浮かぶのは、てっぺんを割ってとろとろのオムレツを逆開きにする近頃流行りのオムライスとか、すでにルーとごはんをまぜまぜしている大阪自由軒のカレーライスとか。いろいろ考えていたら、はた、とおはぎのことを思い出した。祖母がよく作ってくれたおはぎはあんをもち米でくるんできなこをつけるスタイル。長年それがおはぎと思っていたが、大人になっておはぎやさんで見たものは、祖母のスタイルではなく外側をあんでくるんだスタイル。あの中身が何なのか。別のあんが入っているのか、それとももち米が入っているのかは長らく謎だった。食べてみればなんてことはない。祖母のスタイルの逆発想だった。要はおはぎの外見にバリエーションをつけるという手段であろう。調べてみると我がふるさとうどん県ではあんを中に入れるのがおはぎで、外にまぶすのをぼたもちと呼ぶらしい。ふうーん。一説には春の牡丹の季節に食べるのが「ぼたもち(牡丹もち)」で、秋のお彼岸の萩の季節に食べるのを「おはぎ(お萩)」と言うのだそうだ。なんと美しい見立てだろうね。もちろん、あんが外でも中でもおいしいものはおいしいし、どっちでも別に変わりはない。
あんが中に入っている梅蘭の名物やきそばを食しながら、かようにおはぎやぼたもちのあんのことまで考えてしまった。連想は楽し。
夙川イタリアン「江坂」
もうかれこれ30年ぐらいになるのだろうか、一世を風靡した店である。夙川でイタリアンと言えばここ、と誰もが名前をあげる店。当時は予約も取りにくいと聞いていた。その後、一度大学のゼミの同窓会でここが指定され、そのときたしか初めて訪れたように記憶している。悪くなかった。というより、確かに美味しかった。だが、おしゃべりに夢中で、どういう味だったか、どんなメニューだったかはほとんど憶えていない。
以来、ご縁がなかった。名前も場所もよく知っているし、評判もすごくいい。だけど、何となく行く機会が見つからなかった。それがどうしてだか夙川で食事することとなり、携帯のリストの中にその名前を発見したのだった。当日だったが、幸い席は取れた。行ってみると最後のテーブルだったようだ。
圧倒的に家族連れの常連客でいっぱいである。夙川という場所柄そうであろうことはわかっていたが、長年通っているという感じの人たちばかりである。
前菜にはほたるいかのサラダ。オリーブオイルでしんなりしている菜の花とこっくり濃いホタルイカの相性に驚く。くたくたになったパブリカの酸味も効いている。そ、そして、大好物のオニオングラタンがあるとは知らなんだ。ていねいに炒められたたまねぎが絶妙なコクをしっかりと出している。海老とアボカドのサラダも、こちらの期待を上回る味付け。タコのフライはカリカリに揚げられてい、齧るとしこしこ。衣の食感もたまらない。レモンをキューっと絞って味が完成するようちゃんと塩加減が計算されている。パスタは二品。シンプルなクリームソースと写真を撮り忘れたがボンゴレ。どれも、しみじみと懐かしい美味しさであった。
昔ながらの神戸のイタリアンを彷彿とさせる味である。世の中にパスタというものが出現する前から、神戸には「ドンナロイヤ」や「ベルゲン」など老舗のイタリアンが何軒かあって、きわめてトラディショナルなイタリア料理を出していた。今のトレンドのような軽めのイタリアンではなく重厚な味だったように記憶している。北野にも「イル・コルノ」という店があり、かつて何度か通ったことを思い出す。しっかり重く、食べ応えのある肉料理やパスタ。気軽なイタリアンができるまだ前の話である。系統で言えば、ここ江坂はそんなタイプのイタリアンであるような気がした。少し前に食べたら古くさいと思ったかもしれないが、今はその古さはていねいさを想像させる。長年しっかり修業をした上で、基本に忠実に真面目に誠実につくったイタリア料理。
デザートにはプディングをいただいたが、卵と牛乳の存在をみっしりと感じるむっちりした味わいで、プディングは蒸し料理であることを思い起こさせてくれた。近頃なかなかお目にかかれないきわめてオーソドックスな逸品である。
店名の前には小料理とついているが、とんでもない。ちゃんとしたきわめてオーソドックスなイタリア料理である。小料理というのは、家庭的な雰囲気という謙遜だろう。
四川の「海鮮焼きそば」
あは。また海鮮焼きそばだ。
シェラトン都ホテルに泊まる理由の80%は「四川」があるからと言えよう。夜はなかなか来る機会がないのだが、ランチはもう常連といっても差し支えないであろう。長らくここのランチにはお世話になっている。メニューも充実しているし、名物担々麺も酸辣湯麺も、もちろん麻婆豆腐も秀逸至極。なので、広東風の海鮮焼きそばは気になりながらも、チャレンジの機会がなかった。
すでにご承知かとは思うが、かつて地元の店では「海鮮焼きそばクイーン」だった。なので、メニューに焼きそばがある以上、やはり一度は食さにゃいかんだろう。
二連泊してチェックアウトの日のランチ。海鮮焼きそばも試してみるか。そんな気分で注文してみた。しっかり太めの中華麺。軽く焼き色がついており、少し固めで独特の食感がある。その上にたっぷりの具。写真では具たちに覆われ麺は見えないと思う。さほどに具材が充実しているのである。ぷりっぷりの海老(バナメイではなかろう)、アオリイカ、姫貝柱、干しアワビ、白身の魚、白菜、きぬさや、人参、しめじ、きくらげ。言うなれば、ハレの日の焼きそばである。そんな豪華な感じが漂っている。その名も海の幸の焼きそばである。
たっぷりと酢をかける。酢の作用であんがゆるむのである。けっこうじゃばじゃばかけるのが好きである。そうしておもむろに、少しずつ、慎重に食べる。
かなり薄味の広東風焼きそばである。こちらの名物である麻婆豆腐や担々麺のようにガツンと来る強烈なパンチはないが、仕事し終わった週末の安息日のブランチとしては、おだやかなこの味がしみじみと身体にしみわたる。ここのソービニヨンブランのグラスワインとも、とても相性がよい。
気持ちにもやさしい焼きそばである。
深夜営業の「銀座ありす」
銀座の深夜に決め球がない。
別に普通に食事してまっすぐ帰ればいいのだけれど、根が調子ものなので、やっぱりどこか寄ってみたい。もちろん、素敵なバーは何軒か開拓済みであるが、ちょっと小腹がすいたとき、深夜対応してくれる店はキープしておきたい。
ねえ、ねえ、どっかいいとこない?と一柳の大将に問うてみると、ここなら深夜営業していてしかも食事もできるとのこと。歌舞伎終演が9時半過ぎのとある日、このところ鮨ばかり食べているので、ちょっと違うもので行きたいしということで、立ち寄ってみた。
銀座に8丁目があるということを初めて知った。ずっと7丁目の次はもう新橋と思い込んでいたのであるが、それでは奇数で感覚的にも納まりが悪いし、地図にもちゃんと8丁目は表記されている。だが、昭和通りから行くと銀座東7丁目の信号を過ぎるとぐいんと第一京浜の方に曲がるので8丁目はないのである。そしてこの店は銀座というよりは汐留とか築地と言ったほうがわかりやすい立地である。もちろん住所は銀座8丁目ではあるけれど。
店は銀座東7丁目と蓬莱橋の間の道を入り銀座中学校へと向かう途中にひっそりとある。昼間であれば、吉兆や竹葉亭など名だたる老舗が立ち並ぶエリアではあろうけど、夜間はどうにも暗い。それでもらしき灯りを発見してたどりつく。扉を開けると、中は極めてエレガントな佇まい。まるでフレンチと見紛うばかりの洗練具合。しかもカウンターにはどう見てもバカラにしか見えないグラスやデカンタがずらりと鎮座している。
さてと。カウンターに座ってメニューを見せてもらう。店の仕立ては洋風であるが、メニューを見ると、限りなく和風の仕立てである。しかも、な、な、なんとカレーそばがある。だが、この店の雰囲気でいきなりカレーそばをずるずるというのは勇気が要りそう。カレーそばねえ・・・カレーそば・・・さんざん迷った挙句、やはりコースを試してみようと注文する。そして遠慮がちにコースの最後のごはんをカレーそばに変更してもらうという変則技をお願いしてみると、快く応じてくれる。そうそう、こういう融通無碍なところがある店って、いい店なんだよねえ。
しかし、どうやらここは和食とワインを楽しむ店のようで、カウンターにはアンティークも含めてワイングラスがこれでもかとその美しい輝きを放っている。私は最初のシャンパンは別として和食にはやはり日本酒を合わせたいので、店の意には添わないかもしれないが日本酒を頼んだ。
一品目はきのこと貝のジュレがけ。土佐酢の香りがきりっと利いて、うん、なかなかよろしい。次の一品は、えんどう豆の豆腐仕立て。薄緑のいろが白いうつわに美しく映えている。たこの柔らか煮も、しっかり仕事がされている。刻みしょうががアクセント。お造りは、鯛とたいらぎ。これはこんな時間の割には、ちゃんとイカってた。お椀はすっきりとシンプルな関西風。底には、しんじょが隠れている。そしてホタルイカと金時草のぬた。関西風の白味噌はまったりと味わい深い。パリパリに揚げた甘鯛の上に白アスパラと菜の花、そして筍をアソートした一品はあんかけ仕立て。おろした柚子が散らされている。全7品。すーっと流れるように終わって、待ってましたのカレーそば。
しかし、この流れでカレーそばというのは、やはりそうとうに違和感がある。これは、店の問題ではなく、こちらの注文の仕方が悪いのである。端正な和食の最後に、いらんもんを入れてしまったと軽く後悔するも、後の祭り。
鉄則。和食の店でコースを頼むときは、店の流儀に従うべし。単体で魅惑のメニュー、とりわけカレーなどの個性の強いものを発見したときは、それ単体で頼むか、そんなにカレーが食べたきゃ、その後の店のシメとして注文すべし。
なわけで、今度は深夜に小腹がすいたとき、ぜひともカレーそばを食べに来たいと思う。
経堂の「美登利寿司」
松岡師匠のおわします豪徳寺での「蘭座」イベントが終わり、ちょっと小腹も空いているという時間。回會メンバーも集合していたので、もう一名着物姿の姐さんも誘い、軽く食事に行くことに。若旦那が、前々から経堂にええ感じの鮨があると言っていたのを思い出し、「そこ連れてけ」とお願いしてみた。
鮨って、こんな軽く食べたいというシチュエーションのときにも便利な食べ物。それは江戸ではもともとファストフードだったという出自からしても明らかで、自分の意志で食べる量を調整できるというのが素晴らしい。
経堂の駅前までタクシーで移動する。こんなことでもない限り、経堂なんて来るチャンスはなかったかもしれない(笑)。めざす店は、駅前のロータリーの真向かいにある。入り口は狭いのだが、一階と二階があって、かなり広い店である。一階のカウンターに四人並んで落ち着いたところで、ビールで乾杯。
最初のツマミを食べて、びっくりしたのは、「このあん肝、ゴルゴンゾーラの味がする」という事実。そうなのである。大将特製のあん肝は、ゴルゴンゾーラを混ぜ込んであるスペシャルな味。強烈とも言えるゴルゴンゾーラの個性的な香りと、まったりとろけるあん肝との相性は、意外に悪くない。たまらず日本酒を注文。これをちびちび舐めながら、日本酒を少しずつ。続いて出されたのは、昆布にはさまれた鯖。いわゆる〆鯖よりももっと主張する味わいで、これも大将の手によってどうにかされている感じ。松前昆布の味付けも、濃い目。初めて食べる個性的な味である。三品目に出たのは茶碗蒸し。こちらは卵だけのシンプルタイプかと思いきや、このわたのたれがかかっている。このわたも、もちろん大好物である。たった三品のツマミを食しただけで、この店がかなりオリジナリティにこだわっているということが見て取れる。こういう創意工夫、大好物である。
本来であれば日本酒を飲みながらもっとツマミをいただきたいところであるが、時間も時間。今日は軽めのお約束。そろそろ握ってもらいましょう。
最初はとり貝。これを最初に持ってくるところが、大将の気合か?シャキシャキしていて食べ応えがある。マグロのズケもしっかりした存在感のあるお味。イカは細かく刻まれており、口の中でふわっといい具合。コハダの酢もコクがある。そしてツマミでも出された昆布〆。脂の乗り方が尋常ではない。続いてカスゴ。春子と書いてカスゴと読むのだが、これ関西ではあまりなじみのないネタである。鯛の稚魚であるらしく、文字通り今が旬。軽く酢で〆てある。関西ではむしろ小鯛の押し鮨とか雀鮨などでおなじみかもしれない。そしてこっくり味の濃い馬糞雲丹。新鮮なアジ。このへんでそろそろおなかがいっぱいになってきたので、もう一回だけ昆布〆を所望する。これ、けっこう癖になる味。最後は、やっぱり穴子。こちらのはとろとろの煮穴子で、口のなかでふわりほどけて溶けていった。
ひとつひとつにしっかりと存在感のある鮨。聞けば創業は昭和2年というから、老舗である。昔からずっと、ここ経堂で愛されてきた店であることは間違いないだろう。東京は関西に比べると巨大な広さだから、さまざまな沿線の駅ひとつひとつにこういった昔から愛されてきた店があろうことは想像に難くない。
さて、適度な満腹状態というのは、酒を呼びこむ。せっかくなので(何が?)白金に移動してもう少し飲もうぜ、ということになり、お気に入りモレスクに出向いた。そして、あろうことか、ウィスキー飲みながら本当のシメのシメに、雑穀米のカレーを食してしまう。もちろん、ひとり一人前ではなく、4人で分けたひと口カレーではあったが。これはこれでたまらない美味であった。
大阪福島・鮨処「敏」
仕事で親しくしている方からのお誘いである。とても食環境の豊かな地に部署が変わったので、秘密の隠れ家に行きましょうとのオファーである。はい、喜んで。会社見学に夕方でかけ、6時前には繁華街に移動。ちょっと待って。こんなまだ明るいうちからお酒を飲むなんていいのかしら。いや、これも仕事のうちなので、いいのである。何も問題はない。
連れて行かれたのは福島の阪神高速池田線の出入口近く。この辺のエリアは今やうまいもの激戦区である。店構えはなかなか洒落ている。L型カウンターと入り口にはテーブル席。その横には大型冷蔵庫。中を覗くと、ズラリと並ぶ十四代。
大将は若い。が、大阪のリッツカールトンの和食の鮨コーナーで修行したという。一度だけお昼に鮨をいただいたことがある。それよりも何よりも、こんなに若いのにこんなに良さげなお店を持てるなんて凄いに決まっている。期待が高まるではないか。
そして、酒。すでに冷蔵庫を覗いて凄いのがいっぱいあることを知っている。「十四代いろいろ行きまひょか」というお誘いに、「もちろん」と元気よく応える。
ツマミはのれそれと雲丹が仲良くデュエットする一品。生の無濾過、中取り純生の十四代というのをいただく。うーん、水の如し。ぐいぐい。ぐびぐび。肴は血の色をしたマグロとさっと炙ったカツオ。もずくトマトは、「ふーん、こんな取り合わせがあるのね」と驚く旨さ。海の酸味と里の酸味の合体。続きまして、鯛と鯖。それぞれなかなかのイキですぞ。ここで備前雄町の米でつくった十四代。あらら、生のホタルイカとよく合う。ぐびぐび。と、中入りの茶碗蒸し。なかなかこの間の取り方が心憎いやね。そしてままたくまに三杯目の十四代、こんどは本生酒のおりからみ、槽垂れというスペシャル。アテにと出されたのは、ねっとりした白味噌に金山寺。あら、これだけでもう何杯も進んじゃう。
ぼちぼち握っていいですかに、頷きながら、まあ、なんてきれいなイカでしょう。ここで、東一を薦められる。これもキリキリした旨い酒。だけどさ。それよりもなによりも、ちょっとみーさん、凄いペースなんですけど。ほとんど水を飲んでるみたい。ペース早すぎゃあ、しませんか?瞬く間に東一もなくなってしまう。お鮨の方は、肝を乗せたカワハギ、炙った金目鯛、コリコリのぶり、車海老と続く。「十四代も美味しいけど、私いま新政のナンバーシックスというのにハマってて」と言うと、大将「あるよ」だって(正確には「ありますよ」とちゃんと言った)。ナンバーシックスのR-type。このシリーズ大好物なんです。そしてイクラは小さな丼仕立て。楽しい!美味しい!愉快!そして真打ちの大トロ登場。これに対抗できるのは真打ちの黒龍しずく。もう、ここまでですでに日本酒、6種類。味わうというより、もうぐいんぐいん飲んでる。最後にコハダをいただいて、なんだかもうお腹がいっぱい。
あっという間に店を出て、タクシー拾って「帰ろ」。「今日わあ〜有難うおおお、ございましたあああ〜。ご馳走ううううさまでえええしたあああ〜」と梅田で降ろしてもらうも、心なしか(いや、確実に)酔っ払ってる。凄いペースで日本酒飲んだし。べろんべろん、で気持ちがいいわ。へべれけで何だか気も大きくなっている。ういっ。早い時間の阪急電車は、ノンストップで新開地まで行く、ということを認識できないほど酔っ払っている。電車に乗ったはいいけれど、次に、はた、と気づいたときには、なんだか見慣れぬ駅のタイル貼り。「ここはどこ?」アナウンスが「新開地〜新開地〜」わーお。思いっきり爆睡してこんなところまで来てしまった。とはいえ、時間はまだ9時前。引き返すったって、時間はたっぷり。余裕しゃくしゃく。
酔い醒ましのカクテルを飲みに、天皇バーに立ち寄ったのは言うまでもない(あんまり覚えてないけど)。
何やってるんだ。
六甲「クアン・アンゴン」
一時期ベトナムにハマっていたことがある。もうかれこれ17年くらい前のことである。カタログ情報誌を発行するのに旅の記事が欲しいというオーダーで、いきなりベトナム取材という仕事が舞い込んだ。仕事ではあるが、コーディネーターなし、カメラマンなしのひとり取材。予算も限られている。だが、そんな状況になればなるほど、人間力というものが問われるのだ。ようがす。行きやしょう。
それをきっかけにベトナムに恋してしまったのだ。取材の後、プライベートで二度ほど行った。もちろん食事にもハマったのは言うまでもない。
ベトナム料理の特徴は、この国がたどってきた歴史そのものでもある。古来は中国文化の洗礼を受けてきた。19世紀から20世紀にかけては仏領インドシナ、つまりフランスの植民地であった。食文化には中国とフランスが不思議にミックスされており、それが近隣のアジアの国々とは一線を画する強烈なベトナム料理の個性となっている。それにつけくわえ、自給率の高いこの国ならではの肉(牛、豚、鶏、鴨、山羊・・・)や魚(海老、蟹、イカ、雷魚などまである)、新鮮な野菜をふんだんに使用し、調味料には小魚を塩漬けにして発酵させたヌクマム(魚醤)などを使う。でもって調理方法には、中国のように炒める、蒸す、焼く、煮ると多彩な手法があり、さらにはコリアンダーをはじめとする香草もふんだんに用いる。そしてなにより、米食文化でもあるのだ。食料自給率はなんと160%。米は年3回とれる。
なんと豊穣な食文化だろう。
庶民の気軽な食堂であるコムをのぞけば、おかずを何品かごはんの上に乗せて食べる定食には肉や野菜がたっぷりでスープまでついているし、フォー(ライスヌードル)やチャオ(お粥)だってさまざまな具が入っていて、野菜はほとんど食べ放題という感じだった。屋台で売っているサンドイッチ(バインミー)は、バゲットにハム、ソーセージやレバーなどのパテ、そこにたっぷりの野菜、ハーブをはさんでヌクマムをかける。バインセオというお好み焼きは、米粉とココナツミルクを混ぜた生地を薄くパリパリに焼いたものに、肉や海老、たっぷりの野菜、ハーブを乗せ、二つ折りにして食べる。どの一品も肉、魚、野菜がバランスよく入っていて、食生活のベースそのものが、豊かなのである。
日本でもいっときベトナム料理ブームだったから、何軒か行ってはみたが、とりわけ野菜やハーブ類に違和感があった。どちらも日本だと割高な素材だから、量も現地のようにふんだんというわけにはいかない。
この店は別である。きわめて現地のコムに近い感覚の店である。ベトナムにハマっていた当時はよく通った。カジュアルかつリーズナブルなので、六甲近辺の学生たちや若い人も多かった。シェフは日本人だが、大量の注文をいつもひとりでさばいて、手早くちゃちゃっと作るのが印象的だった。
ほとんど7〜8年ぶりの訪問だったが、メニューもシェフも店も変わりがない。夕食時で混んでいたにもかかわらず、慌てず騒がず相変わらずダンドリよく、料理を次々とつくっていく。ゴイクォン(ベトナム生春巻)、ネム(揚げ春巻き)。この二品ははずせないのだが、野菜がたっぷりで昔と変わらない美味しさ。こういう定番の味を長年キープするというのは、できるようでなかなかできないと思うのだがまったくブレていない。そこにとても心打たれる。ベトナム風フライドチキンは、野菜をたっぷりと乗せた上に砕いたピーナツを散らし、そこにヌクマムベースのたれをかける。チキンがしんなりしたところが食べ頃である。醤油鶏の炒めものにはしいたけときのこがたっぷり。香菜とも相性がとてもよい。
ここまででかなり満腹になってしまったが、ここはベトナム風田舎焼き飯もフォーも旨い。デザートも本格的なベトナムスタイルだし、ベトナムの焼酎も置いている。多くのファンに支えられ、これからもきっと健在であろう。ときどきは忘れずに行かなければ。
天皇バー「カレー揚げソバ」
かつての天皇バーで「海鮮焼きそばクイーン」という異名を持っていた。正確には、今の天皇バーではなく、多士済々なチャイニーズメニューが充実していたレストランバー時代の話である。
金曜の深夜、終電近く。帰り道にその店があるものだから、あたりまえのように立ち寄り酒を飲む。もちろん深夜12時過ぎであるから、おなかはすでにぐーぐー鳴っている。まずは金曜スペシャルのヨコワのサラダを注文する。これはヨコワとブロッコリー、トマトをざくざく切って特製中華ドレッシングで和えた一品で、ヨコワのフレッシュな脂とトマトの酸味に、にんにくが利いたドレッシングがからみ、シンプルなのにきわめて奥の深い味だった。真人間ならここでとどまれるが、すでに悪魔の領域に入っている私はその一品が引き金となり、「マスター、海鮮焼きそばも〜」と注文してしまうのだ。そうしたらマスターがまた「卵は?」と聞くのさ。そうしたら「目玉焼き乗せでね」と言わずにはおられないではないか。しかし、その海鮮焼きそばこそまさしく魔王の味で、私は魅入られたようにほとんど中毒になっていた。
中華麺を中華鍋で焼いて、焦げ目をつけパリパリにする。その上に、海老、いか、貝柱の中華三鮮に白菜、きくらげ、たけのこ、人参がたっぷり入ったとろとろのあんをかける。じゅっ。そしてマスター特製の焼豚の厚切りを二枚。私のスペシャルオーダーはその上にさらに目玉焼き(半熟で)を乗せるのだから、察するにこれだけで3,000カロリーはあろうかという贅沢さであった。このリッチな海鮮焼きそばにどぼどぼ酢をかけ、パリパリの麺をあんで少しずつ柔らかくしながら口に運ぶときの至福といったら、もう身悶えするほどの口福であった。箸休めに齧る特製焼豚は、八角の香りが上品に利いていて噛むとほのかな甘みがあった。
マスターがその店をオープンさせたとき、二人いたコックの一人は後に「料理の鉄人」に出演し、史上最年少で陳健一に勝った天才的な料理人である。マスターの料理はその天才の直伝なのである。旨いに決まっているのだ。
このあいだマスター(計算好き、統計好き)と話していたら少なくともその焼きそばを週2回は食べていた計算だから年100食。10年以上通っていたから1000食は食べているはずだと言う。千夜千食ならぬ、千夜千そば(笑)。我ながらあっぱれだ。
現在の天皇バーは中華を作れるキッチンではないのと、特製焼豚を作るのには専門のオーブンが必要なので、今や海鮮焼きそばは幻の一品になってしまった。しかし、しかし、メニューは幻となったがその幻を作っていたマスターは健在なのである。
カレー揚げそば。
また、なんちゅうおとろしもんを作るんや〜。
中華麺の揚げたヤツ。そこへキャベツ、人参、たまねぎ、豚肉のあんがかかっている。一見シンプルなんだが・・・。ところがですよ。ここにカレーの風味がからんだら、一体どうなる?
鼻腔にカレーの香ばしさがぷん、と来るのである。まとわりつくのである。ああ、カレーとは香辛料であったのだ、ということを再認識する。
だが、このカレー揚げそば、まだ二回しか食していない。さすがの私も少しは真人間に近づいたのか、深夜の放縦を控えるくらいの自制心はついてきたようである。
滋賀・比良山荘「月鍋」
京都の三浦さんが、今「比良山荘」が抜群にいいと言う。冬はなかなか予約が取れないから、僕のスケジュール優先で部屋は押さえたから、3名参加なら決行しようと誘われた。もちろん行きますとも、比良山荘。だけど「回會」のお約束である着物はどうする?三浦さんいわく「比良山荘の浴衣で今回はよしとしよう」よし、よし。浴衣も着物には違いない。よし。
決行日は12月吉日。1泊2日の小旅行である。12時京都駅八条口集合。今回の面子は、京都からは三浦さんと三浦さんがオーナーだったお店の女の子でいずれは小さな旅館をやりたいという野心を持つこみちゃん、そして東京からは東さんの4名。
まずは、三浦さんとこの三角屋さんの仕事である建物見学の前に、腹ごしらえ。蕎麦か、うどんか、蕎麦か悩んだあげく、三浦さんに案内されたのは、上京区西陣にある「鳥岩楼」。二階のお座敷に上がるなり、自動的に親子丼とスープが出てくる。お昼はこれ一品ということらしい。丼は小さめなのだが、持つとずっしり重みがある。そして親子丼の味はというと、こんな親子丼は初めて食べたという感動ものの旨さである。何、これ?馬鹿馬やんか。
鶏肉と卵だけでつくった親子丼。
真ん中にうずらの卵がのっており、すでに半熟状になった丼にさらにうずらの黄身を混ぜる。卵好きにはこたえられないダブル卵責め。こっくり濃いめで甘みもほどよい出汁がしっかり底まで染み込んでおり、最後の最後まで濃厚な卵と出汁がごはんにからむ。あっという間にぺろり。このまま砂ずりやきもの造りで一杯やりながら、水炊きに突入したくなるのを押さえ、再び来ようと心に誓う。
さて、三浦さんの仕事見学だが、個人のお宅は外からしか見られないので、店舗である「45」へ向かう。す、すると、回會メンバーで京都在住のない藤の若旦那が奥さんと一緒にいるではないか。別に示し合わせていた訳ではない。なんという偶然か。しばしお茶をいただき、歓談。それにしても木を使った建築や店舗というものは古くなっても、それが味わいになるということがこの店にいるとよくわかる。結局それが木の魅力ということでもあるのだ。へらへらしているうちに、夕刻が迫ってくるが、もう一軒三浦さんの大好きな場所でもある八瀬の「蓮華寺」へ寄り道。閉門直前だったので、誰もおらず、まだ紅葉の残る庭の景色をたっぷりと堪能することができた。
いよいよ、比良山荘へと向かう。
比良山荘は、琵琶湖の西に位置する比良山系のふもとにある料理旅館。京都市内からは車で約40分ほどの距離である。大原を抜け、鯖街道と呼ばれる国道367号を北に向かう。到着した頃には雪が舞っていた。宿はまさしく山荘と呼ぶにふさわしい簡素な佇まいであるが、それがきわめて洗練されている。部屋に案内され、まずはひと風呂。高野槙のすがすがしい風呂である。そして、「回會」のルールでもある着物(今回は浴衣)に着替えて、いよいよ夕餉である。
案内された和室には絨毯がしかれ、独特の角度のついたテーブルが置かれている。日本酒を吟味して注文すると、ほどなく八寸の猪肉、うるか、鮎のなれ鮨が出た。日本酒がぐいぐい進む。造りは、琵琶湖の鯉、鹿。続いてもろこの塩焼き。山の恵みを少しずついただく。
そして真打ちの熊が登場した。一同から歓声があがる。なんと美しいのだろう。白い脂身は清々しく透き通り、大皿の模様がうっすら透けて見える。熊というから猪のような野性味あふれる姿を想像していた。だが、実際の熊の肉はただ美しいだけでなく、とても清らかな印象があった。聞けば比良山に生息する70キロ級の月の輪熊で、信頼している猟師から入手するのだという。「この二三日、いい熊が入っています」とご主人の太鼓判。土鍋には澄んだスープがあたためられてい、ご主人が熊肉を箸でつかんでしゃぶしゃぶの要領でスープの中にくぐらせる。すると、あの美しい脂身はしゅるしゅると丸まって、それでもなおどこか遠慮がちな風情。口に入れると予想とは違いまったく脂っこくなく、獣臭さなどみじんもない。甘く、柔らかく、清々しく口のなかで溶けていく。なんと清楚な味だろう。山の恵みの滋味がする。スープにくぐらせ食べ進むにつれ、熊が一生懸命どんぐりや椎の実を食べている姿が浮かんできた。比良山の天然のおいしい木の実だけを食べた熊。冬を乗り切るためにせっせと脂肪をつけまさに冬眠しようとする直前にしとめられたいのち。その貴いいのちを、今まさにいただいている。そう思うと、食べる方もとことん最後までしっかり味わい尽くさねばという気持ちになる。いたいけない熊にこころの中で合掌しながらも、山の滋味をたっぷりと頬張った。
この熊鍋、比良山荘では「月鍋」と呼ばれている。葱や芹と一緒にシンプルに食べた後は、特製のうどんを入れスープを最後まで味わい尽くす。コラーゲンたっぷりの脂身のせいで、翌日はお肌がぷるぷるになるという。たしかに、翌日はお肌の調子がいつもより良いように感じた。気のせいではないだろう。熊のエナジーをもらったのだから。
比良山荘が掲げるのは「山の辺料理」。冬の「月鍋」だけでなく、春は山菜、夏は鮎、秋は松茸という趣向で一年を楽しめる。冬には再び「月鍋」を食べに来たいけど、夏の鮎づくしというのも実に魅力的である。
◎追記
翌朝は、三浦さんの会社三角屋さんが持っている朽木の工場を見学に出かけた。比良山荘からは車で30分ほどの場所である。広大な敷地には膨大な木や石がストックされている。それらを管理し、最適な状態にしてから大工に渡す。その作業の主が朝比奈親方である。三浦さんいわく「建築の骨格」ともいうべき作業を一手に引き受けておられる偉大な親方なのである。敷地には東大寺の礎石やウィンザー城に敷かれていたという石畳の石とかがごろごろとしており、ひとつひとつに壮大な物語がくっついている。怖い人と聞いていた朝比奈親方は、終始機嫌よくその物語を語ってくれる。工場に保管している大きな板は、ああこれ磨いてリビングのテーブルにしたらどんなに素敵だろうとか、やっぱりいつかは土地を買って朝比奈親方に素材を選んでもらって三浦さんに家を作って欲しいとか、もういくらでも妄想がふくらんでいくのである。
そういえば、比良山荘も、ひなびた中に味わいのある堂々たる日本建築だった。
銀座鮨「一柳」
再び「一柳」である。今回は第11回松山倶楽部である。(第1夜参照)
こちらの店主一柳さんにはひそかな野望がある。最初聞いたときとてもびっくりしてしまった。ええー?
何だと思います?
それは、オリンピック出場。
いや、選手として出るのではない。鮨職人として出場するのである。最上級の野望はVIPのために鮨を握ること。それがかなわないなら、選手村でもかまわない。うーん。こんなことちょっと思いつかなかった。だけど、東京で飲食に携わっている人なら、かなわない夢ではないのかもしれない。聞けば、彼のお父上も帝国ホテル時代、前の東京オリンピックに出場したのだそうだ。そういうことであればその野望も野望ではなくなるし、彼が本当にオリンピックで鮨を握ることができれば、親子二代で東京オリンピックの料理人が生まれるということでもある。2020年の時点で彼は働き盛りというか、鮨職人としてはいい脂が乗りまくった大トロ状態であろう。
あたりまえのことだけど、たしかに出場するだけがオリンピックではないのだ。そもそも企画立案から誘致にいたるまでの運動に関わった人、これからの建築に携わる人、サービスやセキュリティを担当する人などなど、オリンピック開催にいたるまでにどれだけ多くの人がそこに向けて尽力するか。いかん、ちょっと想像力が欠けていたと気づかされる。一柳さんは、どこにどうして働きかければ実現するのかはわからないけど、こうして握りたいといろんな人に言い続ければ、縁あって近づくことができるかもしれないと思っているのだそうだ。
てなわけもあり、だけど鮨屋としても一度紹介したかったので、友人をここに連れてきた。オリンピックに近づけるかどうかはわからないが、いろんな人に紹介しておけば可能性がないわけではない。ま、こういうのは本当にご縁。一柳さんに運があればご縁はきっとつながるでしょ。
それにしても、つくづく思うのは、美味しいものを食べ歩く相棒の条件はただひとつ。好き嫌いがなく、何でも美味しく食べられること。当たり前といえば、当たり前のことなのだが、今や好き嫌いがまったくないという人は貴重な存在なのである。そして酒もいけるとモアベター。このふたつを兼ね備えているのが松山倶楽部の相棒である。行けない店がない。最強なのである。さて、ここのツマミはどうだろう。
まずはのれそれ。たっぷりの酢味噌でいただく。イカった鯛のこりこりしたところは、昆布で締められている。軽く漬け込んだホタルイカは、三千盛の辛さと絶妙なコンビネーションだ。さっと炙ったのどぐろの脂をおろしポン酢で中和させる。それでも脂がじんわり。大ぶりの牡蠣はレモンを絞ってつるりと飲み込む。口中にこっくりと海のミルクが広がっていく。たこの柔らか煮も相変わらずの丁寧な仕事がしてあって、むにゅりと柔らかい。たいらぎは、シコシコ。そして、こんがり焼いたフグ白子!今や禁断のとらふぐは下関で毒を持つ内蔵部分をしっかり除去され築地にやってくるのだ。その香ばしさととろけ具合と言ったら!お次ぎは馬糞雲丹。甘い。そして、そして、待ってました鮟鱇の肝。ああ悪魔の味だ。軽くシメた鯖の旨さは、どう表現したらいいのだろうね。毛蟹は大胆に甲羅を半分ごっこ。全12品。ほとんどものも言わず、黙って淡々と食す。ときおり、「旨い」とか「馬鹿馬〜」くらいしか交わさないのであるが、それはお互いじゅうぶんに満足しているということでもある。
それにしても、大将、このたたみかけるようなツマミ攻撃ってまさしくオリンピック級だよ。
と、言いながらも、鮨も9カン食べた・・・
ロケの「ばくだんおにぎり」
年10回ほど撮影の仕事がある。昔に比べると立ち会うことはめっきり減ったが、それでも行っておかないといけない現場もある。ロケの場合は移動に時間がかかるので、だいたい出発するのは早朝。朝ごはんはバスの中でスタッフと一緒に食べる。
たいていはおにぎり、卵焼き、鶏のからあげ、胡瓜の漬け物あたりが定番である。ロケバスさんや撮影するカメラマンによっていろいろ店の好みがあるようだが、ここ最近はだいだい2〜3店のローテーション。業界用に炊きたてのごはんでおにぎりを結ぶ店がいくつかあって、どの店も具にもいろいろ工夫していておいしいのだ。やはり、ちゃんとごはんを炊き、人の手でていねいに握っているからだと思う。
今回は、カメラマンのM(4)くんたってのリクエストでロケバスさんが築地の場外まで買いに行ったというスペシャルおにぎりである。ロケバスさんがおにぎりの入ったビニール袋を開きながら「このばくだんおにぎりがM(4)さんのスペシャルリクエストなんで、ひとつは取っといてあげてくださいね」と念を押す。リョーカイ。よし、ばくだんおにぎりは隠しておいて、彼が来たらもう全部食べちゃったよと意地悪したろ。
カメラマンのM(4)くんは車を運転するのが大好きなので、どんなに遠方ロケでもロケバスには乗らず、自慢のマイカーを飛ばしてやってくる。到着したら、せっかくリクエストしたおにぎりがもうなくなっているという状況は、どんなにか彼をがっくりさせるに違いない。(私もほんまに意地が悪い・・・心底意地悪・・・)
さて、現場に自慢の愛車で現れたM(4)くん。「おはようございます」の挨拶の後、おにぎりの袋を探っているので・・・「あ、ばくだんおいしかったわ。全部食べちゃった」と言うと、「え、・・・」と目が一瞬点になり、半泣きになっている。すぐ可哀想になり「嘘、嘘、ちゃんと取ってあるよ」というと、今度は満面の笑み。彼は超お子ちゃまなのだ。いちびったりして悪かった。
さて、このばくだんおにぎり。中には半熟卵の醤油漬けが一個丸ごと入っている。そのまわりにはみっしりとごはん。ごはんだけで2膳分ぐらいありそうなボリュームである。大きな口をあけかぶりつくと、まず塩気をしっかりまとったごはんの中ににゅるると半熟卵の食感。ゆるすぎず固すぎないこの半熟の具合がなかなかよろしい。やがて醤油味がごはんに溶け出し、口中で塩、醤油、黄身が複雑に混ざり合い、そこへごはんが中和を図る。ううむ。この味わい、癖になるわ。普段はほとんど朝食を食べないのだが、たまのロケで早朝起きると7時頃には猛烈な空腹感をおぼえてしまう。この日もそうだったから、このガツンと凄いボリュームのおにぎりもぱくぱくと食べ、しっかり胃袋に納まったのである。
このシリーズ、ほかにもいろいろバリエーションがあるらしい。サケの身とイクラのカップリングとか。こういうの食べると力が出るね。築地のお店も一度行ってみたい。
目黒の「八雲茶寮」
この店の存在を知ったのは、カメラマンのM(1※)さん情報によってである。「銀座に和のアフタヌーンティーをやっている店があってかなり素敵。同じオーナーが世田谷の八雲というところにも一軒家レストランをやっているよ。きっと好きだと思う」
さっそく偵察にでかけた。銀座のポーラビルの二階。よく前を通っていたが今まで気づかなかった。和のアフタヌーンティー。四種類の日本茶、紅茶などから飲み物を選ぶと二段になったスタンドがやってくる。スタンドと言っても、あのイギリス式ではなく、木でできたトレーを二段に重ねた和のしつらえである。上の皿には上品なサイズの羊羹、饅頭、カステラなどの和スイーツ、下の皿には季節のご飯物と香の物。さすがにサンドイッチやスコーンとは違い、そうぱくぱくは食べられないのが残念。だけど、アイデアは秀逸。こういうの女性に人気だろうなあと思う。店内では南部鉄器や波佐見焼きのプレートなど、日本のいいものも販売されている。オーナーの数寄のテイストがよくわかる品揃えである。
どういう人が経営しているのか調べてみると、同じオーナーが南青山で和菓子屋さんを開いており、目黒の東山には和風レストランがあることもわかり、早速訪れてみた。ますます数寄になる。そして、いつかは本丸である八雲茶寮に行かなければと思っていたのだが、そこにはとても大きなハードルがあった。
夜は紹介制。
会員制ほどエクスクルーシブではないのだが、それでも紹介制となるとそれなりのハードルである。さて、どういうルートで行き着くか。回會メンバーの三浦さんは行ったことがあるという。そこを突破口にするか?うーん。そりゃあ少々安易。ところが、ところが、すっごく近いところにその入り口はあったのである。
松岡師匠が開催するイベントで「蘭座」という知的遊びの会がある。これは資生堂名誉会長福原氏と松岡師匠によるきわめて粋な勉強会で、その何回目かの会場が八雲茶寮になったのである。昼間ではあったが、ブッフェ式でのパーティー料理もふるまわれ、邸宅内のインテリアもうつわもすっかりお気に入りになってしまった。このとき感激したのはドリンクとして出された抹茶シャンパンである。抹茶茶碗に抹茶を入れ、お湯のかわりにシャンパンを注ぎ、茶筅で点てるのである。シャンパン好きとしてはこの発想にすっかり降伏してしまったのである。そしてその場でオーナーの緒方慎一郎氏が「蘭座」に参加したと伝えていただければ夜もぜひどうぞ、と嬉しいスピーチをしたのだった。やった。とうとうフリーパスが手に入ったのである。
さて、誰と出かけるか。美味しいもの好きは基本条件であるが、せっかくなのでうつわ好きのカメラマンM(3※)氏を誘う。ちょうどギャラリーのような待合で、ダイニングのメインで使っている岡信吾さんのうつわが展示されており、ふたりでいいよねといろいろ鑑賞。この作家は初めて知ったのだが、唐津でかなり広範囲にいろいろなタイプのうつわを焼いている。どれも骨董かと思うほどの渋く枯れた味わいで、相当な手だれであろう。いいなと思うものはとても素敵なお値段で、なかなか手は出せない。だけどどれも素晴らしく洗練されている。
三浦さんからカウンターがいいよと聞いていたので、あらかじめリクエストしておいた。こちらの店長とはすでに蘭座や松岡師匠のイベントで顔見知りである。
食事の前に、本日使う食材のプレゼンテーションがある。細長い三方のような木の盆に海の幸山の幸を乗せ、説明してくれる。こういうしつらえはわくわくするね。三月弥生は、甘鯛や蛤、赤貝。ドリンクには日本酒のスパークリングというのを注文してみた。「水芭蕉 ピュア」という発泡性清酒でシャンパンと同じように瓶内二次発酵させている。これ、日本酒好きとシャンパン好きにはたまらないマリアージュである。一杯だけのつもりだったが瓶ごともらう。
最初のひと皿に度肝を抜かれた。大胆に櫻を描いたうつわの真ん中に蛤のリゾットが乗っている。一瞬、花を皿の上に散らしているのかと思うくらいのインパクト。うつわも和食にとっては重要な食材。そんなことを語りかけてくる皿である。何より、料理だけでなく、うつわとのコーディネーションもしっかり楽しんでくださいと言わんばかりの暗黙の、しかしながら強いメッセージを感じる。続いては繊細な縁に削られた木のうつわに入った和えもの。そしてお椀。こっくりした白味噌のお椀から顔をのぞかせているのは、白子。雑煮のように香ばしく焦げ目がついてい、口に入れるとふわりと甘やかに蕩けていく。ねっとりとした甘鯛の造りは、目の前で丁寧にさばいてくれる。こちらも古伊万里かと思うような時代を感じる岡慎吾氏のうつわに盛られている。白醤油でいただく。赤貝の焼き物は串に刺され、備前のような土を感じる野趣たっぷりのうつわに乗っている。甘鯛の煮物に餡をかけた一品は、八雲茶寮のロゴが描かれた白磁のうつわで。メインはすき焼きである。こちらはシンプルな白いうつわで供され、すき焼きなのになぜか端正。
ひと皿ひと皿に、どう盛ると料理が美味しそうに見えるのかがしっかり計算されている。いやその前に、その時期の食材をどのようにセレクトしてきて調理し、どんなうつわにどう盛るか。そのあたりを吟味しつつ、月ごとのテーマに落とし込む。その精神は限りなく茶事に似通っているように感じた。
デザートの和菓子は目の前で職人さんが作ってくれる。こなしと呼ばれる白あん、よもぎの入ったあん、そして粒あんの塊をまずはプレゼンテーションし、最初は粒あんのまわりに白いこなしを網で漉し、瞬く間にきんとんを作ってくれる。その風情は、もはやデザートというよりは主菓子である。作りたてのきんとんはやさしく口のなかでほどけていく。ほんのり甘く、清らかな美味。続いて桃の節句にちなんだ愛らしい桃のかたちのお菓子。いただいた後は薄茶が出される。濃茶こそないが、この一連の流れはまさしく茶事ではないか。そういう意味では、この主菓子と薄茶こそが、こちらの店のクライマックスかつメインとも言えよう。
ロケーション、インテリア、季節、うつわ、メニューの組み立てと流れ。それらすべてをトータルに五感で感じながら、クライマックスのお茶へと期待感を高めていく。そんな楽しみかたのできる店である。一緒に行く人を選ぶ店だ。
※カメラマンM氏はなんと4名もいるのである。知り合った古い順からM1、M2、M3、M4とさせていただく。






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